76.エルヴィス・ヴァロアの物語②
草むらから飛び出してきた若い男を見た瞬間、エルヴィスは振り上げた手を止めた。
「なぁなぁ、超能力者なん?……ってその手に持ってる物騒なほど尖った木は何!?それ俺に目掛けてた感じ!?こっわ!」
「……今もまだ目掛けてるけどな」
「え!?超能力者で暗殺者!?ただの孤児じゃなかっ……ん゙ん゙っ」
しまった、とでも言うように、目の前の男は両手で口を塞ぐ。エルヴィスはじとっと目を細めた。
「ただの孤児…俺のことを知ってたんだな?何が目的だ?お前は誰だ?」
目の前に木剣もどきを突きつけてエルヴィスがそう訊けば、あろうことか男は口元をフッと緩めた。
そして次の瞬間には、男はエルヴィスの背後に立っていた。首筋に短剣が当たり、金属のヒヤリとした冷たさを感じる。
「…………っ、」
―――やられた。油断させておいて、この男っ…!
一瞬にして死を身近に感じ、エルヴィスはヒュッと息を呑んだ。
けれど、安易に命を奪われるわけにはいかない。頭に浮かぶのは、院長夫妻とアーロたちの姿だった。
ぐっと手に力を入れたところで、どういう訳か男が短剣をエルヴィスの喉元から離した。
目を丸くしていると、背後から間の抜けた声が響く。
「あー…、やめやめ。今じゃないんだよなぁ」
「……な、にを…」
「んー?こっちのハナシ。怖がらせて悪かったな」
少しも悪びれた様子もなく、男がひらひらと短剣を揺らした。
「……べつに、怖がってない」
「お?強がってる。その態度はちゃんとガキンチョだな〜」
「強がってないし、ガキじゃない」
エルヴィスがじろりと睨みつければ、男はケラケラと笑い出した。
「あっはは!面白いな〜お前。話し方と行動は大人びてるけど、その顔はちゃーんと年相応だわ」
「………」
「……じゃ、そゆことで」
「待て」
笑いながらくるりと背を向けた男の背中を、エルヴィスはしっかりと掴む。
「お前は誰だ?目的は?」
「えー…通りすがりのお兄さんです。今はこれで許してくれない?」
「俺はエルヴィスだ」
「ひぃー名乗られたらこっちも名乗らないと失礼な感じ?お前って策士??」
よく喋るうるさい男だな、とエルヴィスは思った。それでいて、逃げる隙を伺っているようなので抜け目がない。
逃がすものかとより強く服を握るエルヴィスに、男が深い溜め息を吐く。
「……ロドリック。これが今の俺の名前」
「………今、の?」
「ああまた余計なこと言った!俺のバカ!」
ロドリックが両手で顔を覆って喚いた。どうやらこの男、恐ろしく口が軽いらしい。
―――偽名を使う、十代後半に見える男。俺のことは孤児だと知っていて、気配を消してついてきていた。
ものすごく怪しい。怪しいけど―――…。
「……分かった。お前のことは俺の心の内に留めておく」
「へっ?ほんとに??」
パッと顔を上げたロドリックは、エルヴィスを見て途端に嫌そうに眉を寄せた。
「……いや待って、それ全然分かってない顔。絶対に何か企んでる顔」
「そうだ。俺に戦い方を教えてくれ、ロドリック」
「はああぁぁぁ!?」
大袈裟に声を上げたロドリックが、自分の額をペシッと叩いて空を仰ぐ。
「……どうして俺がこんな目に?」
「俺に気配を悟られたのが悪い。いいな?今日の夜から毎日だぞ」
「今日から?毎日!?いや無理無理、俺そんなに暇じゃないし」
「……そうか。ならお前のことは報告しないとな」
エルヴィスがにこりと笑ってそう言えば、ロドリックの口元が引きつった。
とても胡散臭い男だが、それでも利用しない手はないと思ったのだ。
暫く無言で見つめ合ったあと、ロドリックが分かりやすく肩を落とす。
「………分かった、分かったよ…全部俺がマヌケなせいだもんな…」
「よし。頼んだ」
「ねぇ何でそんな偉そうなの?俺の方が明らかに歳上なんだけど?」
その時、遠くからエルヴィスの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。午後の授業が始まる時間をすっかり忘れていた。
「……じゃあ、また…」
あとで、と続けようとして振り返ったエルヴィスだったが、既にそこにロドリックの姿は無かった。
「………約束だからな!」
声を張り上げてそう言うと、エルヴィスは孤児院へと戻っていった。
その日の夜、皆が寝静まった頃。
エルヴィスはこっそりと寝室を抜け出して外へ出た。
作りかけの木剣を握り、森の中へ入っていく。部屋から持ってきた、手提げのランプの灯りがゆらゆらと揺れた。
ロドリックと出会った場所まで辿り着くと、エルヴィスは近くの切り株の上にランプを置く。
「………」
そこに、ロドリックの姿はまだ無い。気配を探ってみたが、まだ来ていないようだ。
本当に来てくれるかどうかも、まだ分からない。
エルヴィスは作りかけの木剣を仕上げることにした。
鍔の部分も作ろうかと、枝を探そうと振り返り―――ビクッと肩を跳ねさせた。
「…………っ!!」
「あっはは!驚いたろ!してやったり〜」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたロドリックが、いつの間にかエルヴィスの背後に立っていたのだ。
「…………」
「いやごめんだからその鋭利な先端突きつけないで」
「……来ると、思わなかった」
ロドリックに向けていた木剣を下げながら、エルヴィスはポツリと呟く。ロドリックは「なんで?」と首を傾げた。
「俺は弱み握られてるじゃん」
「……でも、お前はその気になれば、俺なんて簡単に消せるだろ」
じっと見つめてそう言えば、ロドリックの瞳に陰が落ちる。けれどそれは一瞬で、すぐにパッと表情を明るくした。
「まぁなぁ!戦いにおいて背後を取られたら終わりだからな〜」
「じゃあ、背後を取られない方法を教えてくれ」
「……本気で俺に教わるつもり?」
「そう言っただろ?」
「へいへい、了解です。んじゃコレ、やるわ」
ロドリックに手渡されたのは、手のひらにちょうど収まるサイズの短剣だった。
エルヴィスは驚いてロドリックを見る。
「……どうして…」
「そーんなお手製の木剣じゃ、すぐ壊れるから。教えるならとことん叩き込むから、覚悟しとけよ」
びしっ!と人差し指を向けられ、エルヴィスは短剣を胸の前で抱きしめた。
気分が高揚する。早く剣を振るってみたいと、全身が叫んでいるようだった。
「……よろしく、頼む」
「いやだから、何で上司みたいなの?」
吹き出すようにロドリックが笑い、エルヴィスもつられて笑う。
胡散臭くて、油断ならない男。それでも、ロドリックのそばは居心地が良かった。
それから、エルヴィスは毎晩のように孤児院を抜け出し、森で戦闘の仕方を教わった。
その時間はエルヴィスにとって、とても有意義で楽しい時間だった。
ロドリックも口では文句を言いながら、ちゃんとエルヴィスに教えてくれる。
たまに都合がつかないときは、紙切れに“また明日〜”と書いて、いつも律儀に丸太に置いてくれていた。
秘密の特訓が半年ほど続いた頃、エルヴィスは十歳になった。
そして、また新たな変化を迎える。
「……トリシア?」
「そう。三歳の女の子でね、今朝預かったんだけど、エルヴィスに面倒を見て欲しいんだ」
院長のブレットが、中庭で遊ぶ子どもたちの内、一番小さい少女を指差す。銀色の髪を揺らし、笑顔で走り回っている。
「俺が面倒見なくても、早くも馴染んでると思うけど」
「うん、無邪気でとても良い子だね。…でも、本当の心の中は分からないだろう?」
ブレットの瞳が悲しげに揺れる。預けられたということは、親も一緒に来ていたということだ。
突然、知らない場所へ置き去りにされる。その気持ちはエルヴィスには分からないが、平気でいられるはずはないだろう。
エルヴィスが「……分かった」と呟くと、ブレットは優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
早速トリシアの元へ向かって足を進める。
「トリシア」
「…………?」
名前を呼べば、トリシアが足を止めてエルヴィスを見た。
金色の大きな瞳でじいっと見つめられ、エルヴィスは視線を泳がせる。
「……あー…、エルヴィスだ。よろしく」
「エル、エルウィ?」
「いや、エルヴィスだ」
「エルビス??」
「いや…」
「〜めんどくせぇなぁもう!兄ちゃんとかでいいだろ!」
二人のやり取りを見ていたアーロが、そう言って割って入って来た。トリシアがパアッと顔を輝かせる。
「……にーちゃん!」
「………」
エルヴィスは言葉を詰まらせ、なんとか頷いた。他の皆は名前で呼ぶため、何だか“兄”と呼ばれるのがむず痒かった。
「にーちゃん!にーちゃん!あっそぼー!」
満面の笑みを浮かべ、トリシアがエルヴィスの手を引っ張った。
どうやら気に入られたらしいエルヴィスは、そこからピッタリとトリシアに張り付かれることになる。
一日を終え、エルヴィスの手をぎゅっと握ったまま、トリシアが眠りについた。
すうすうと寝息を立てるその姿を眺めながら、窓の外に視線を向ける。
「………」
そろそろ、いつも抜け出している時間だった。そっと手を解こうとすると、余計にトリシアの小さな手に力が入る。
「………おかあさ…、おとう、さ…」
エルヴィスはピタッと動くのをやめた。静かに息を吐くと、灰色の髪を優しく撫でる。
満足そうに笑うトリシアを見ながら、心の中でロドリックに謝ると、エルヴィスは瞼を閉じた。
***
「へえ〜、ガキがガキのお守りしてんのか。大変だな〜」
「……ガキじゃない」
エルヴィスの投げた短剣が、手作りの的のど真ん中に刺さる。
ロドリックがパチパチと乾いた拍手を鳴らした。
「十歳だろ?まだまだガキじゃんか」
「俺は捨て子だし、正確な誕生日は分からないから、もしかしたら十一かもしれないし、十二かも…」
「そんな変わらんて。そう生き急ぐな、少年よ」
ケラケラと笑いながら、ロドリックが「いてて」と腹を押さえた。的から短剣を抜きながら、エルヴィスはちらりと視線を向ける。
―――腕に包帯。押さえた腹部に、さっき痣のようなものがあるのが見えた。…一体、何のケガだ?
例え訊いたところで、まともな答えが返ってくることはないと分かっていた。
また短剣を構えて投げる姿勢をとっていると、不意にロドリックが名前を呼ぶ。
「……なあ、エルヴィス」
「ん?」
「この先しばらく、ここには来れそうにないんだ」
感情の読めない声でそう言われ、エルヴィスは「……そうか」と返事をして続ける。
「俺はいつも通り続けるから、気が向いたらまた教えてくれ」
「おー。お前吸収早いから、もう教えることあんま無いけどなぁ。……あ、俺に会えないと寂しいかぁ」
ニヤニヤしながらロドリックがエルヴィスを見る。短剣を投げれば、ロドリックのすぐ横を通り過ぎて別の的に刺さった。
「………ちょお!!今俺狙っただろ!?」
「そんなバカな。ちゃんと的を狙った」
しれっとそう言えば、ロドリックがぶーぶーと文句を投げつけてくる。
寂しい。本当にそう感じていた自分に、エルヴィスは驚いていた。もちろん、それを顔には出さない。
「……そのうち、長剣を使ってみたい」
ボソリと聞こえるように呟けば、ロドリックが小さく笑う。
「へいへい。次来るとき調達してきてやる」
「頼んだ」
「……だから何でそんな上から目線なの?」
暗闇の中、二人分の笑い声が響く。
最後に大きく手を振って、ロドリックは笑顔で姿を消した。
―――そして、そのあと二年ほど、ロドリックがエルヴィスの前に現れることはなかった。




