71.最後の戦い
アイラが魔物の群れと友人たちに向かって走り出した背中を見送ったあと、エルヴィスはサイラスの方を見る。
フィン、オーティス、ギルバルトという第一騎士団の実力者に加え、優秀な魔術を使うクライドの相手を同時にしているが、状況はサイラスが有利なようだった。
それは、あの禍々しい黒い魔術の力が大きいのだろう。
「………」
魔術に関しては、クライドの方が詳しい。戦いながら状況を上手く共有するしかなさそうだ。
―――ネイト・ラトリッジの弟、か…。
サイラスは、髪と瞳の色や、体型もネイトとそっくりだった。
違いは髪の長さで、サイラスは短めにきちんと揃えられているが、ネイトは腰までの長さで三つ編みに纏められている。
あとは頬の焼けただれた痕が、あるかないかだった。
ここへ来るまでにクライドから聞いたネイトの情報は、アイラの誕生日パーティー以来、社交界に顔を出さず、病気の療養で遠い地にいるということだけだった。
そしてサイラスの情報も、兄の代わりにラトリッジ公爵の名を継ぐ予定である、というものしかなかった。
その二人が何度も事件を起こし、アイラの命を狙っているなど、赤毛の騎士としてネイトを見ていなかったら…そして、クローネから容姿を聞いていなかったら、辿り着かなかっただろうとエルヴィスは思った。
アイラは、サイラスこそが全ての元凶だと言った。
この場所へ引き寄せられたとき、サイラスの魔術で床に叩きつけられそうになっていたところを、この目で見た。
エルヴィスはスッと目を細めると、床を蹴って一気に距離を詰めた。
「―――団長!?」
突如現れ、サイラスに剣を振り下ろしたエルヴィスを見て、フィンが声を上げる。
剣は黒い魔術に弾かれ、エルヴィスは体勢を整えて着地した。
「〜ちょっと、どうしてやみくもに斬りかかるんですか!遠くから見てたなら、ただの攻撃じゃ効かないって分かるでしょ!?」
着地の瞬間を狙われないようにと、フィンが庇うように前に立ってくれていた。場馴れしている副団長の判断だ。
「……分かっていたが、一度斬りかからないと気が済まなかった」
「団長、それクライドくんも同じようなこと言ってましたけど!」
全くもう!と言って、フィンが魔術の攻撃を剣で受け流す。
クライドはサイラスを挟んで反対側に位置しており、その周囲を護るようにオーティスとギルバルトがいた。
万一にクライドに何かあればアイラに恨まれるだろうが、あの二人に任せておけば大丈夫だろう、とエルヴィスは考える。
「さっきからずっと、この調子か?」
「はい。すごい力だと思いますけど、目に見える分対応はしやすいです。ただ、あの男に近付けても、攻撃を入れる前に弾き飛ばされますね」
サイラスは自身の周りを、黒い魔術で覆っていた。それにより、全方向の攻撃に対応できるのだろう。まずあの魔術をどうにかしなければ、勝算はない。
それに、今はそれぞれが剣に対魔術の効果を付与しているが、そう長くは持たないのだ。
「……団長、アイラは大丈夫ですか?」
飛んでくる魔術を屈んで交わしながら、フィンがそう問い掛ける。エルヴィスは僅かに視線を向けた。
「大丈夫だ。魔物たちを倒したら、合流すると言っていた」
「……ははっ。またドレスで?それは頼もしい」
そう笑ったフィンの表情は、今まで見たどんな笑みよりも優しさが溢れている。
それが何を示すのか、エルヴィスはすぐに分かった。思わず眉を寄せながら、サイラスへ視線を戻す。
―――アイラを、誰にも渡すつもりはない。もう一度、彼女をこの腕で抱きしめるには…早くこの場を片付けよう。
「……フィン、一度クライドの元へ行く」
「はい、了解です」
エルヴィスは身を低くして移動する。闇の魔術が追いかけてくるが、あまり速さは無かった。
二度、三度と跳躍して、あっという間にクライドのそばへ辿り着く。
「あっ、団長!お疲れ様です〜」
「呑気に挨拶してる場合か。団長、お疲れ様です。あの男の術は禁術だそうです」
「え、オーティス先輩も挨拶してるんですけど」
ギルバルトとオーティスがわいわいと話し出す。この二人のペアは見た目も性格も対象的で、いつ見ても飽きない。
その後ろで、クライドが魔術の攻撃を繰り出していた。
「クライド。禁術は、魔術とどう違うんだ?」
「禁術の中にもランクがあります。ただ危険だからという理由で使用を禁止されているものもあれば、その術を手に入れるために様々な準備が必要で、さらに自身の一部を捧げなくてはならないものまで。……サイラスの魔術は、間違いなく後者ですね」
「つまり…あの男は、力を得る代わりに何かを失っていると?」
「はい。さらにその手の禁術の怖いところは、使う度に自身の体を蝕んでいく、ということです」
その説明に、エルヴィスはなるほどと納得した。
先ほど闇の魔術の速度が遅いと感じたのは、サイラス自身に負担が掛かっているからなのだ。
闇に覆われている隙間から、苦しそうに歪んでいる表情が見える。
―――どうして自身を削ってまで、抵抗する?
負けを認めたくない意地なのか、それともこの場の全員を倒す算段があるのか。
けれどきっと、エルヴィスたちが揃ってこの場に現れたのは、予想外の事態だったはずだ。
少し前、この邸宅にかけられていた結界術を、クライドが見事に打ち破った。ちょうどそのとき、フィンたちが合流した。
中に入ってすぐ、エルヴィスたちは周囲を探りながら、人の気配のする方へ向かっていた。
途中で同じようにこちらを探る気配とぶつかり、それがすぐにアイラの魔力だとエルヴィスは気付いた。そして突然体が光に包まれたかと思えば、この場に移動していたのだ。
アイラが真っ逆さまに落ちる姿を目にしたとき、エルヴィスは心臓が止まるかと思った。
真っ先にアイラの元へ駆け出すエルヴィスとクライドの後ろで、サイラスが魔術で攻撃を仕掛けてきた。
そして魔物が湧き出し、フィンが二手に分かれる指示を飛ばした。
エルヴィスが伸ばした両腕は無事、落下するアイラを包み込むことが出来たのだ。
―――そして、今に至る。あの短時間では、下手な小細工はできなかったはずだ。ならば…直接問い質すしかない。
「サイラスに近付く。援護を頼む」
「はい?……ちょっ…、ああもう!」
走り出したエルヴィスに、クライドの苛立った声が届き、同時に光に包まれた。悪態をつきながらも、何か魔術をかけてくれたようだ。
エルヴィスはフッと笑いながら、襲いかかってくる黒い炎の中を、剣を振るいながら進む。
「……俺は騎士団長、エルヴィス・ヴァロアだ」
そう名乗れば、サイラスの灰色の瞳が向けられたのが分かった。同時に魔術の攻撃がエルヴィスへと向かう。
「サイラス・ラトリッジ。何故抵抗をやめない」
「………」
「今この瞬間も、お前の体は闇に蝕まれているんだろう?」
「……うるさいな」
サイラスを纏う闇が濃くなった。エルヴィスをじろりと睨めつける。
「騎士団長が何?僕は次期公爵家当主だけど?」
「残念だな。お前は投獄される…兄も一緒にな」
ピクリと眉を動かしたサイラスが、大声で笑い出した。
「あっははは!兄さんと一緒に?冗談じゃない!僕は何も罪を犯してないよ。ぜーんぶ兄さんの罪になるんだから。僕につながる証拠は全て消したんだからね!」
後方から雷のような魔術が飛んでくる。クライドの攻撃だろう。サイラスはそれを、闇の魔術でエルヴィスへと跳ね返した。
至近距離で雷が近付いてきたが、素早く床を蹴って躱す。すぐに闇の魔術がエルヴィスの片足に巻き付いた。
「その足、もらおうか」
ぞくりとするほどの冷徹な笑みを、サイラスが浮かべた。
足にぐっと圧力が掛けられ、まずいと思うのと同時に、凛とした声が響く。
「―――エルヴィス団長!!」
サイラスの背後から、剣を振り下ろしながら現れたのはアイラだった。その声に気を取られたサイラスが、僅かに闇の力を緩ませる。
エルヴィスはその隙に足を抜くと、間髪を入れずに真正面から斬り掛かった。
正面からエルヴィス、背面からアイラの剣が迫り、サイラスに一瞬動揺が見られた。
けれどすぐに口角が上がり、その場から流れるように姿を消す。
「「!!」」
標的が消え、エルヴィスとアイラはお互いに目を見張った。
すでに剣の勢いを止めることはできず、このままではお互いを斬り合ってしまう。サイラスの笑みは、これを狙ったものなのだろう。
―――しまった。剣の軌道からして、間違いなく互いの体を斬り合うことになる。俺がアイラを斬るなんて、そんなことは絶対に許せない―――…。
アイラの瑠璃色の瞳は、真っ直ぐにエルヴィスを捉えていた。その艷やかな唇が小さく動き、エルヴィスの握っていた剣がフッと軽くなる。
補助魔術をかけられたのだと理解したエルヴィスは、すぐに軽くなった剣の軌道を修正することができた。
キィン、と剣同士がぶつかり合う音が響く。手のひらに振動が伝わり、次いで心臓がドッと音を立てた。
―――傷付けずに、済んだ…。
冷や汗を流すエルヴィスとは対象的に、目の前のアイラは、何故か楽しそうに微笑んでいる。
「さすがエルヴィス団長ですね。私はもう剣の軌道を変えるのは無理だったので、賭けに出てみました」
「……アイラ、君は…」
エルヴィスは大きく息を吐き出した。何か一言注意しようと思ったエルヴィスだったが、いくつもの鋭い声が飛ぶ。
「団長!アイラ!」
「狙われています!気をつけて!」
その声に反応し、エルヴィスはアイラを抱きかかえるようにして横へ飛ぶ。
二人が立っていた場所に、闇の魔術が刃のような形となって突き刺さっていた。
消えたと思われたサイラスは、少し離れた場所へ移動している。このまま逃げられると厄介だ。
内心で舌打ちしていると、アイラがするりとエルヴィスの腕から抜け出す。
「エルヴィス団長、追いましょう」
「……もちろん、そのつもりだ」
半ば呆れたような声音でそう言えば、アイラはエルヴィスを見上げてふふっと笑う。
決して優勢とは言えない状況のはずなのに、アイラは何一つ諦めてはいないようだった。
本当に、初めて会った頃から見違えるように強くなったと、エルヴィスは思う。
それは体も心も、両方だ。
あの日、炎に包まれる邸宅の中で倒れていたアイラは、全てを諦めたような顔をしていた。
人生を少しだけ巻き戻ってやり直し、騎士という道を選んだアイラが、こうして隣で戦っていることが、エルヴィスには奇跡に思える。
―――あの時、咄嗟にアレを使ってしまったことを、後悔する日もあった。……でももう、それは必要なさそうだな。
アイラは今、こんなにも輝いているんだから。
「……行くぞ」
「はいっ!」
二人が駆け出せば、後ろからフィンたちもついてくるのが分かった。口々に文句を言っている。
「全く、こっちの気も知らないで…」
「本当ですよねぇ〜、二人とも斬り合うかと思って両手で顔を覆っちゃいましたもん」
「その指の隙間から、バッチリ見ていただろう」
「もう、アイラが笑えてるのが信じられないわよ」
「あーーー、心臓止まる!止まった!」
「僕も今回はデレクと同じ気持ちだよ。…不本意だけどね」
「あの……騎士団っていつもこんな感じなんですか?」
最後のクライドの問いに、皆が口を揃えて「こんな感じ」と答えていた。
気の抜けた会話の最中も、サイラスの闇の魔術の攻撃はやってくる。けれど力の使いすぎなのか、多用はできないようだった。
「……そろそろ、剣の対魔術効果が切れるだろう。魔術具を使える者は掛け直して…」
「さっき団長がアイラと見つめ合ってる間に、みんなもうやりましたよ!もう暫くは大丈夫です!」
フィンにピシャリと言い放たれ、隣を走るアイラが顔を赤くしていた。そんなに見つめ合っていたか?とエルヴィスは首を傾げる。
エルヴィスたちが近付くことで、サイラスはまた全身を闇で覆い隠した。
「……しつこいな!僕を捕らえてどうする!?証拠はないんだぞ!?」
「証拠など、捕らえてからいくらでも調査できる。今こうして俺たちの命を狙っているのも、立派な犯罪だしな。捕らえる理由は十分にある」
「来るな!もう少しで公爵家当主になれるんだ!もう少しで―――…、やはり、お前のせいだっ!」
サイラスの魔術が、真っ直ぐにアイラへ向かった。アイラは剣で黒い炎を薙ぐように払う。
「……兄であるネイトさまを蹴落として、その先に貴方の幸せはあるの?」
「幸せ?ははっ、そんな形のないものはいらないさ!僕が欲しいのは権力と、圧倒的な力なんだから!」
「……このっ…分からず屋っ!!」
アイラが声を張り上げ、力任せに剣を振るった。エルヴィスは驚きながらも、アイラの援護に入る。
「どうして気付かないの?権力と力は、努力して認められた人が手に入れるものだわ!無理やり手に入れるものなんかじゃない!」
「じゃあ、努力したって兄さんがいたら当主にはなれない僕は、他にどうすれば良かったんだよ!?」
「協力すれば良かったでしょう!」
サイラスの叫びに、アイラがすぐさま答えた。
「協力すれば、相談すれば良かったのよ!だって…、兄弟なんだから!貴方は、孤独じゃなかったはずだから…!」
アイラが何度も剣を振るい、その度にサイラスが闇の魔術で攻撃を防ぐ。
サイラスの表情は、苦痛に歪んでいた。
「私は、ネイトさまに貴方を止めるようにお願いされたの!……ネイトさまは、決して貴方を見捨てようとはしていないのよ!」
「うるさいっ…!お前に、何が分かるっていうんだ…!!」
サイラスを纏う闇が、一気に濃くなった。
これはまずい、とエルヴィスは直感で悟る。アイラの腰に手を回しぐっと引き寄せると、片手で攻撃に備えて剣を構えた。
黒い刃がサイラスの周りに多数浮かび、手が振り下ろされると、一斉にエルヴィスたちに降り注いだ。
―――剣で全て捌くには、無理があるか…。クライドの癒やしの魔術があるとはいえ、これは…!
そう舌打ちしたときだった。エルヴィスとアイラを護るように、大きな黒い盾が現れる。刃はそこへ吸い込まれるように消えていった。
振り返れば、他の皆も同じように黒い盾に護られている。アイラがポツリと呟いた。
「……ネイトさま…」
胸元を押さえ、顔色の悪いネイトがゆっくりと歩いて近付いて来る。隣には、ネイトを支える使用人の姿があった。
「もうやめろ…サイラス…!」
ネイトの掠れた声が、静まり返った空間に響いた。
サイラスは今の攻撃で力を使いすぎたのか、真っ青な顔で荒い呼吸を繰り返している。
「お前は、昔から魔術が苦手だろう…!どうして禁術に手を出した?」
「……兄さんが、禁術を手に入れるつもりだなんて言うからだろう!僕より優れてるって自慢したかったんでしょ?だから、兄さんに勝つには僕も同じ禁術を使うしかないじゃないか!」
「俺は…俺は、お前より優れていると思ったことは無い」
「嘘つけ!そんな見え透いた嘘でっ…がはっ」
声を荒げたサイラスが、大きく咳き込んだ。その口元からは血が垂れている。
「……お互い、これ以上禁術を使えば、体が闇に喰われるかもしれない。信じてもらえなくても構わないが…サイラス、俺はずっと、お前が羨ましかった」
「……なに、をっ…」
「もう一度、ちゃんと話をしよう。……お前は孤独なんかじゃない。バカな兄の、俺がいる」
そう言って、ネイトは苦しそうに呼吸をしながらも、サイラスに向かって笑いかけた。
「…………っ!」
サイラスは眉を寄せ、手のひらをネイトに向けた。けれど、そこから闇の魔術が放たれることはなく、腕がだらりと体の横へと垂れる。
アイラがエルヴィスの胸をそっと押し、俯いたサイラスへ近付いて行った。
エルヴィスが制止する間もなく、アイラはサイラスの目の前で立ち止まると、静かに口を開く。
「……孤独じゃなかったはずだと、言ったでしょう?……サイラスさま」
とても優しい声だった。
後ろ姿でアイラの表情は見えなかったが、きっと微笑んでいるのだろうと、エルヴィスはそう思った。
「………」
顔を上げたサイラスの頬を、一筋の涙が伝っている。
アイラを見て目を細めると、僅かに口角を上げ、そのままゆっくりと崩れ落ちた。
「!」
「サイラスッ…、ゔっ…」
「ネイトさま!」
ネイトもサイラスと同じように血を吐き、その場に膝をつく。使用人が必死に名前を呼んでいた。
エルヴィスはアイラの元へ駆け寄ると、倒れたサイラスの脈をしゃがみ込んで確認する。弱々しいが、ちゃんと生きている。
「エルヴィス団長、禁術を使用しすぎた反動だと思います。早く治療しなくては…」
「治療方法があるのか?」
「……禁術に手を出してしまった以上、失ったものは取り戻せません。けれど、今の体のダメージを、少しでも軽くすることはできるはずです」
アイラは真っ直ぐにエルヴィスを見て答えた。その眼差しに、一切の迷いはない。
―――ラトリッジ公爵家の兄弟は、アイラに救われたな…。
エルヴィスはスッと立ち上がると、成り行きを見守ってくれている団員たちへ視線を移す。
皆がエルヴィスの言葉を待っていた。
「……戦いは、終わった。皆良くやった…城へ帰ろう」
「「はい!」」
元気な返事が木霊する。デレクが「よっしゃぁぁ!」と叫び、リアムに「うるさい」と窘められていた。
先輩騎士たちも喜びながら笑顔を浮かべており、つられるようにエルヴィスもフッと笑う。
「アイラ、ひとまず君は先に休もう」
しゃがみ込んだままのアイラに手を差し出すと、アイラは微笑んで手を伸ばした。
けれど、その手はエルヴィスの手を取ることはなかった。アイラの体がぐらりと傾いて倒れる。
「―――アイラ!!」
そのあと何度名前を呼んでも、アイラが目を覚ますことはなかった。




