69.ひとりじゃない
「……どうして、泣いている?」
ネイトにそう問い掛けられたアイラは、咄嗟に答えられなかった。
癒やしの魔術を唱え続けているマーヴィンも、信じられないといった表情を浮かべている。
アイラにとってネイトは、理不尽な理由で命を狙ってくる敵だ。
一度は本当に命を奪われたし、先ほども禁術を使われ苦しんだ。いくら弟に貶められたからといって、許されるものではない。
それでも、自然と涙が溢れた。同情のようなものかもしれない。
信じていた人に…それも家族に裏切られる。想像しただけで、アイラは胸が張り裂けそうになった。
―――でも、これで誰が本当の敵なのか、ハッキリ分かったわ。
目元をゴシゴシと拭うと、アイラは二階を見上げた。視線に気付いたサイラスは、笑顔で手を振ってくる。アイラはその神経を疑った。
ネイトの記憶を見たアイラは、気付いたことがある。
地下牢で血痕を残して消えた魔術師。そして、アイラを狙うために利用され、切り捨てられそうになったクローネ。
この二人に、ネイトの関与はないのだ。
つまり、ネイトにアイラが魅了の魔術を使ったと思い込ませ、その裏で何重にも糸を引いていたのがサイラスだ。
「……私は、貴方を許さない」
アイラの言葉に、サイラスは笑みを浮かべたまま二階からひらりと飛び降りた。
静かに着地すると、コツコツと靴音を鳴らして近付いてくる。
「はは、ごめんね聞こえづらくて。……僕を、何だって?」
「貴方を許さないと言ったわ」
「それは、どうして?」
「……私の目の前で、大切な友達の命を奪おうとしたからよ」
睨みながらそう言えば、ネイトの視線が一度アイラへ向き、またサイラスへと戻る。
「……どういう、ことだ?関係ない者の命を、奪おうと?」
「嫌だな兄さん、関係なくないよ?計画を手伝ってくれた伯爵令嬢のことだよ。この子が手に入れば、もう用済みでしょ?兄さんのことがバレたら困るかなと思って、消そうとしただけだよ」
責めるより褒めてほしいね、とサイラスがけろりと言った。ネイトの顔色が悪くなる。
「……サイラス、お前は……」
「ああもう、そんな絶望的な顔しないでよ。絶望的なのは僕の方。全部の罪を兄さんに被せて、本人には消えてもらおうと思ってたのにさぁ」
肩を竦めたサイラスは、急に冷ややかな視線をアイラへ向けた。
「本当に、君って嫌な女だね、アイラ・タルコット。計画が台無しだよ」
「……ネイトさまに私を恨むよう仕向けて、貴方は何がしたかったの?」
「そうだなぁ…一番の目的は、僕が公爵家を継ぐことだったけど。君と兄さんのことは……ただの暇つぶしかな」
冷たい眼差しのまま、サイラスはくすりと笑う。
暇つぶし。そんな一言で片付けるのは、あまりにも残酷だった。
「―――ふざけるなっ!!」
マーヴィンが声を荒げ、サイラスに掴みかかる。パン、と音が響き、マーヴィンがその場に崩れ落ちた。
「マーヴィン……!」
体を起こそうとしたネイトだったが、腹部の傷が完全に癒えておらず、動きを止める。
サイラスは表情を消し、足元にうずくまるマーヴィンを蹴り飛ばした。
アイラは咄嗟にマーヴィンを受け止める。ネイトと同じように腹部から出血しているが、アイラに癒やしの魔術は使えない。
「あーあ、マーヴィン。どうして忠誠を誓ったのが兄さんなんだろうね?僕にだったなら、有能な君は生かしておいてあげたのに」
「……だ、れが…貴様なんかにっ…!」
マーヴィンがそう声を絞り出すと、サイラスがまた銃を構えた。
アイラはマーヴィンとネイトを庇うように前に出る。その様子を見て、サイラスは笑った。
「……あはは!傑作だね。男二人が、復讐だ何だって命を狙ってた女に庇われるなんて。……君も、どれだけお人好しなの?それともただのバカ?」
アイラは押し黙ったまま、サイラスがくるくると回す銃を見ていた。
銃は市場で取り締められているはずだ。おそらく、裏のルートで取引などして手に入れたのだろう。
―――撃たれたら、当たりどころが悪ければ終わりだわ。防護壁で防げるのかしら?まず、私の防護壁だと一人しか護れないけれど…。
アイラの背後には、倒れているネイトとマーヴィンがいる。ネイトは止血されているが、マーヴィンはまだだ。
どうすればこの場を切り抜けられるか、アイラは必死で頭の中で考えていた。
「……やっぱり、バカなのかな?どうやったらこの状況が好転するか、とか考えてるんでしょ?」
「…………」
「ムリムリ。兄さんと同じくらいバカだよ、君は」
やれやれ、と言うようにサイラスが両手を上げて肩を竦める。背後でネイトが動く気配がした。
「……俺が、バカだと?」
「うん、自分で気付いてなかったの?バカ真面目、バカ正直。力を抜くってこと知らないよね、昔から」
サイラスは楽しそうに、実の兄に酷い言葉を投げつける。
「僕に後継者の座を狙われてるなんて思いもしないで、がむしゃらに頑張っちゃってさ。そのせいで社交下手だし、僕があげた香水の正体にも気づかないで、一人の女の虜になって自らを破滅に追い込んでるし」
「……香水…」
「パーティーに行く前に渡したでしょ?僕が熱で参加できないのが悔しくて、ほんの出来心だったんだけどね。少しでも惹かれる異性を目にしたら、もうその相手の虜になっちゃう効果がある香水だよ」
「………」
「兄さんが何か失態犯したら面白いなと思ったんだけど、本当にやらかすとはね。おかげで、僕はすんなりと後継者の座を手に入れられたよ」
ありがとう兄さん、とサイラスは笑顔を浮かべている。自分のことではないのに、アイラは悔しくて拳を握りしめた。
「……さっき……暇つぶしと言ったわよね?」
「ん?ああ、そうだよ。どうせなら、兄さんにはとことんやらかしてもらって、罪を背負って消えてもらおうと思ってね。その方が面白そうだし」
「………」
「少し優しい言葉を掛けたら、素直に僕の言うこと信じるんだもん。魅了の魔術を使われたって父さまに説明するだなんて、嬉しそうにしちゃって…もう笑いを堪えるのが大変だったんだから」
そう言いながら、サイラスが可笑しそうに笑う。その笑い声は不気味に響いた。
「案の定聞き入れてもらえないし、せっかくの整った顔には傷痕が残るし。そのあとは僕の思惑通りアイラ嬢に復讐するって言うくせに、失敗続きだし…さすがに可哀想だなって思って、協力してあげたんだ」
サイラスの言う協力とは、捕らえられた魔術師の口を封じたことと、クローネに接触したことだろう。
「せっかく僕が協力して、彼女を連れてきてあげたのに。隠れて様子見てたら、綺麗事に絆されて自決しようとしてるし。そんなつまらない幕引きは許せないなと思って、つい出てきちゃったよ」
「……そうか。それが、お前の本心なんだな」
ぞくり、とアイラの背中に悪寒が走った。
振り返らなくても分かる。ネイトの闇の力が、膨れ上がっていることに。
それなのに、目の前のサイラスは表情を変えることなく、涼しい顔をしている。アイラにはそれが不思議だった。
「……ネイトさま、聞こえますか」
「……何だ。止めろとでも言うのか?」
「はい。弟さんは…まだ、何かを隠しているはずです。無闇に攻撃すれば返り討ちにされます」
視線をサイラスから逸らさないようにして、アイラはネイトに言う。闇の力が少しおさまり、それを見たサイラスが意外そうにしていた。
「兄さん、まだ魅了されてるの?彼女の言う通りにすれば、僕から逃れられるとでも?…ははっ、これ以上笑わせないでよ」
サイラスの手元が緩んだのを、アイラは見逃さなかった。
補助魔術を素早く唱え、床を蹴って懐へ入る。そのまま銃を持つ手を狙って蹴り上げると、銃は空中に弧を描くように飛んでいった。
よし、と思ったのも束の間だった。アイラは首元を掴まれ、勢いよく投げ飛ばされる。
マーヴィンにぶつかり、お互いの呻き声が重なった。
「あー、痛いなぁ。ドレス姿でヒールで蹴り上げるってどんな令嬢?」
サイラスは蹴られた手をヒラヒラと振っていた。
アイラはすぐに起き上がろうとしたが、マーヴィンにぐっと腕を引き寄せられる。
「………っ、」
「静かに…そのまま聞いてください」
声量を極限まで落とし、マーヴィンがアイラの耳元でそう言った。次に囁かれた言葉を聞いてから、ゆっくりと立ち上がる。
「ねえ、もう諦めたら?頼りない男が二人、転がってるだけだし。銃が無くなったところで、君の言う通り僕にはとっておきの力がある。抵抗するだけ、無意味だと思わない?」
「……無意味だなんて、思わないわ」
「何で?君一人、その足技で僕と戦って勝つつもり?」
サイラスに嘲笑うようにそう言われ、アイラはフッと微笑んだ。
無意味だなんて、思わない。きっと何度だって立ち上がるだろう。
アイラは決して、一人ではないのだから。
―――『静かに…そのまま聞いてください。この邸宅にかけていた結界術が破られました。貴女の味方かもしれません』
魔力を流し、周囲の気配を探る。同じようにこちらを探ろうとしていた魔力に触れ、アイラは心が震えた。
―――ああ。やっぱり私は、一人じゃない。
アイラは右腕にお守りのように着けている腕輪に、そっと左手を添えた。
トリシアがくれた、腕輪型の魔術具だ。
「……どうして笑っていられるの?」
ずっと微笑みを浮かべているアイラを、不審に思ったのだろう。サイラスが眉を寄せ、警戒するような視線を向けてきた。
アイラは気づかれないよう、少しずつ魔力を腕輪に流しながら口を開く。
「私は、恵まれているなと思ったから」
「恵まれているって?何度も命を狙われて、今まさに危険な状況なのに?」
「ええ。誰も味方のいない、孤独な貴方に比べたら…私は恵まれているでしょう?」
わざと挑発するようにそう言えば、サイラスの瞳が鋭く光った。
「……孤独だって?」
「そうでしょう?他人を切り捨て、公爵家当主になったとして…貴方に残るものは孤独でしかないわ」
親の不正に気付き、それを正そうと異母兄弟と協力し、侯爵家当主を継いだ人物を、アイラは知っている。
兄を蹴落とし、暇つぶしだと他人を巻き込んでは切り捨てるやり方をするサイラスは、どうあってもバージルには敵わない。
このまま公爵家当主になったとして、いずれ誰もついてこなくなるだろう。
「他人を切り捨てて、何が悪い?使えない人間をそばに置くだけ無駄だよ。上に立つ人間が、圧倒的な力を見せつけて従えさせればいいだけだ」
くっ、と小さく笑ったサイラスが、手のひらをアイラへ向ける。
「こんな風に、ね」
それは、ネイトと同じ闇の力だとすぐに分かった。黒い炎に包まれ、全身を締めつけられながら、アイラの体が持ち上げられていく。
上へ、上へ。天井ギリギリのところで上昇は止まり、アイラは上からサイラスを見下ろしていた。
サイラスの口元がニヤリと笑い、同時に闇の力がフッと抜けた。それと同時に、アイラの体は急降下を始める。
サイラスはこのまま、アイラを床へ叩きつけるつもりのようだ。
―――大丈夫、落ち着いて。
アイラは瞼を閉じ、一気に腕輪へ魔力を込めた。そして、大切な仲間たちの姿を思い浮かべる。
―――『お兄さま、この腕輪の効果、トリシアから聞いていますか?』
―――『ああ。魔力を込めて強く願えば、思い描いたものを呼び出せるって言っていたぞ』
腕輪が輝きを放ち、砕けた。
きらきらと光の粒が舞い、ゆっくりと落ちていく。
「……名前を、呼んだか?」
ふわりと体を抱き留められる。懐かしい香りが鼻を掠め、アイラはそっと瞼を持ち上げた。
艶のある綺麗な黒髪。優しさを帯びた、紅蓮の瞳。
何度も思い返しては、心の中で名前を呼んだ。
「……はい、何度も。……エルヴィス団長」
アイラは笑顔でそう答えると、エルヴィスの胸に顔を寄せた。




