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引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す  作者: 天瀬 澪


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67.計画の全貌①


「……うっ…」


「ネイトさま!」



 アイラの腕の中で、ネイトがぴくりと動いた。マーヴィンの癒やしの魔術が効いたようだ。



「……マーヴィン…、い、ま…サイラスの、声が…」


「…………っ」



 マーヴィンがサッと顔色を変える。その反応を見て、ネイトはアイラと同じように何かを悟ったようだった。

 一度瞼を閉じ、深呼吸をしてからアイラへ視線を向ける。



「……すまない、少し早送りで記憶を流す」


「えっ…?」



 ネイトの人差し指が、アイラの額をトンと叩く。アイラは再び、ネイトの記憶の中へと落ちていった。






***


 ラトリッジ公爵家を追い出され、辺境の邸宅で生活をするようになって、ひと月が過ぎた頃。

 毎日を暗い部屋で過ごしていたネイトの元へ、訪問者がやって来た。



「……兄さん、こんな部屋にいたら本当に不治の病にかかっちゃうんじゃない?」



 呆れたように声を掛けられ、ネイトは扉の方へと視線を向けた。そこには、弟のサイラスが立っていた。



「サイ、ラス……?」



 ネイトは驚いて椅子から立ち上がった。まさか、また弟に会えるとは思っていなかったのだ。



「どうしたの?そんな亡霊でも見たような顔して」


「……お前…いいのか?ラトリッジ邸を追い出された俺に会いに来て…」


「父さまにバレたら大目玉を食らうだろうね。でも大丈夫、視察の体でこっちの方に来てるから。……兄さんに、会いたかったしね」



 サイラスが口元に笑みを浮かべる。家を追い出される直前、サイラスが今と同じように口角を持ち上げたように見えたのは、ネイトの気のせいだったのだろうか。



「……俺のことを、残念だと言っていなかったか…?」


「ああ、あれは父さまと母さまの手前、そう言うしかなかったんだよ。僕が庇ったら、もっと騒ぎが大きくなるかと思って」



 スタスタと部屋の中まで入って来たサイラスは、閉められたカーテンを捲る。

 差し込んできた日の光に、ネイトは目を細めた。



「サイラス、お前は……俺のことを…」


「うん?」


「……その、情けないと思わないのか…?」



 手のひらをぐっと握りしめたネイトに、サイラスは瞬きを繰り返したあと、笑い声を漏らす。



「ははっ!思わないよ。それより兄さん、知ってる?アイラ嬢のことなんだけど…」



 アイラの名前に、ネイトの眉がピクリと動く。できればもう聞きたくない名前だった。

 あの日は自制を失うほど恋い焦がれていたというのに、もうそんな想いは跡形もなく消えてしまっていた。



「……あの子が、どうしたって?」


「あの子なんて言い方、しなくていいと思うよ。……とんでもない悪女みたいだから」


「悪女?」


「そう。タルコット男爵家って、魔術師の家系でしょ?……アイラ嬢って、魅了の魔術が使えるらしい。それで何人も男性を虜にしてるんだって」


「………」


「兄さんも、魔術を使われたんじゃない?だって僕、兄さんが女性に熱を上げて無理やり迫るようなことしたなんて、未だに信じられなくて…」



 そう言って、サイラスが目を伏せた。

 少なくとも弟は、ネイトのことを信じようとしてくれている。そう思うだけで、ネイトは泣きそうになってしまった。


 それに、魅了の魔術というものが使われたのなら、あんなにも彼女のことしか考えられなかったのも納得がいく。



「……わざわざ、それを教えに来てくれたのか?」


「うん…そう。兄さんが心配だったしね」


「そう、か…ありがとう、サイラス」



 ネイトは、あの日以来初めて笑みが零れた。扉のそばにずっと控えていたマーヴィンが、安心したような顔をしている。



「……よし。それなら、もう一度父さまに話してみよう」


「へっ?」


「俺が魅了の魔術を使われていたと知れば、この処遇を撤回してくれるかもしれないだろう?」



 ネイトは笑顔でそう言いながら、早速外出の準備に取り掛かった。ボサボサの髪を整え、数着だけ持ち出した礼服に袖を通す。

 サイラスは近くの椅子に腰掛けながら、どこか浮足立ったネイトをじっと見ていた。



「……あの人に、信じてもらえるとは思わないけど」


「ん?何か言ったか?」


「ううん、それなら僕は先に戻ってるよ。……あ、魅了の魔術のこと、僕じゃなくて誰かから聞いたってことにしてくれる?兄さんが自分で調べたって言ったほうが、心象がいいかもしれないし」


「……そうだな、分かった。じゃあサイラス、またあとで」



 サイラスは笑顔で部屋を出て行った。ネイトも表情を緩めながら、必要最低限の荷物をまとめ始める。


 魔術を使われたなら、あの日の行動はネイトの意思とは関係なかったということだ。

 ならば、両親はネイトを許し、邸宅に迎え入れてくれるかもしれない。この事実を突きつけ、タルコット男爵家を責めることもできる。



 ―――魅了の魔術…か。それを俺にかけ、こんな状況に陥らせるとは…本当に悪女だな。



 アイラの姿を思い出し、ネイトはフンと鼻を鳴らす。

 小さな馬車に荷物を乗せると、マーヴィンが御者となり、ゆっくりと邸宅へ向かって動き出した。





 ラトリッジ公爵邸へ着いてすぐ、ネイトは自分の考えの浅はかさを知る。



「……何て?」


「……ですから、お目通りは叶いません、と言いました」



 門番に道を塞ぐようにそう言われ、ネイトは思い切り眉を寄せた。



「どうして?俺は公爵の息子のはずだが」


「……旦那さまは、息子はサイラスさまのみだと」



 苦々しそうな顔をした門番を、ネイトは呆然と見ていた。聞いた言葉が信じられなかった。

 息子は、サイラスのみだと。ネイトはもう、息子ですらないと。



「……ネイトさま…」



 背後から、マーヴィンに名前を呼ばれた。それでも反応できずにいると、門が内側から少し開かれ、ひょこりと誰かが顔を出す。



「兄さん」


「……サイラス…」


「せっかく戻って来たんだし、父さまを呼んで来たよ」



 にこりと笑ったサイラスが、門番に断りを入れてネイトに手招きをする。敷地内に足を踏み入れると、ゆらゆらと揺れる灯りが近付いてくるのが見えた。

 ランタンの灯りに照らされた父親の顔は、怒りで歪んでいた。



「―――どういうことだ!」



 開口一番にそう怒鳴られ、ネイトは身を固くする。



「……あ…」


「もう二度と戻ってくるなと言ったはずだ!さっさと私の前からいなくなってくれ!」



 ネイトはその言葉に唇を噛みしめてから、目の前の父親に必死で訴える。



「……父さま!俺は、あの女に嵌められたのです!彼女は魔術で俺を魅了して…!」


「……何を…っ、いい加減にしろ!お前は…どこまで私を失望させれば気が済むんだ…!!」



 父親が怒りのあまりか、手に持っていたランタンをネイトに向かって投げつけた。

 それがネイトの頬に直撃し、小さな破裂音と共に炎が広がる。



「ネイトさま!!」



 咄嗟にマーヴィンが魔術を唱え、ネイトに勢いよく水が放たれる。すぐに炎は消えたが、頬に焼け付く痛みが残っていた。

 それよりもネイトは、心の方が痛かった。



「…………」



 ポタポタと、濡れた髪から水滴が落ちて地面に吸い込まれていく。

 辺りはすっかりと暗闇に包まれ、そのまま自身を覆い隠そうとしているようだと、ネイトは思った。


 視線を上げれば、父親が体を震わせている。

 その震えが息子を傷つけた後悔のものなのか、抑えきれない怒りのものなのか、ネイトにはもう分からなかった。



「…………頼む…」



 か細い声で、父親がそう言った。



「……頼む…お前に手を掛けてしまう前に…、私の前から消えてくれ…」



 ネイトは瞼を閉じた。そして、ようやく理解する。

 公爵として威厳のある父親の中で、あの日ネイトが起こした騒ぎは、とても許せるものではないのだと。

 どんな理由があろうとも、受け入れる心は残っていないのだと。



「……………」



 スッと瞼を持ち上げたネイトは、声を発することなく父親に背を向けた。そのまま門を出ると、振り返ることなく馬車へ乗り込む。

 少し遅れてマーヴィンの足音が響き、馬が歩き出す。


 窓の外へ視線を向けながら、ネイトの焼けただれた頬の上を、一筋の涙が零れ落ちていった。




 その翌日、サイラスから手紙が届いた。


 自分からも両親に魅了の魔術について進言したが聞き入れてもらえなかったこと、ネイトと接触しないようにと言われたこと、けれどこれからも手紙のやり取りをしたいということが書かれていた。

 そして、最後にはこう書かれていた。



 ―――“もし、兄さんがアイラ嬢に復讐したいなら、力を貸すよ”



 復讐。その文字に、ネイトの心がざわりと揺れた。けれど、冷静な自分が問い掛ける。



 ―――彼女の魅了の魔術にかかったのは、俺にも問題があるんじゃないか?女性に慣れていなかったから、余計に効果が強かったのかもしれない。

 結果的にこうなってしまったのは悔しいけれど、復讐なんて…。



 ネイトは手紙をそっと伏せ、暫く椅子に座ったまま動かなかった。






 サイラスは、定期的に手紙を寄越した。

 その最後には、必ずアイラのことが書かれており、ネイトはだんだんと苛ついてきていた。


 心配してくれているのは分かるが、もう放っておいてほしいと、内心では思っていた。

 そしてある日、ネイトの心を乱す手紙が届く。



 ―――“兄さん、アイラ嬢なんだけど、魔術学校じゃなくて騎士団に入るらしいよ。どうしてだろうね?騎士団には男がたくさんいるから、自分の意のままにできると思ったのかな?”



 その文を読み終えたとき、ネイトは信じられない気持ちだった。

 魔術を使って人を陥れておきながら、魔術とは関係のない騎士団へ入る。ネイトはバカにされている気分になった。


 そして、サイラスの言う通りなのではないかと思った。

 またネイトと同じように、騎士団でも魅了の魔術で犠牲者を出すつもりなのではないかと。



 ネイトの中で、アイラに対する嫌悪が膨らんでいく。いつしか嫌悪は憎悪になり、憎悪は殺意へ変わってしまった。


 古い邸宅から出ることもなく、アイラの存在に支配される日々を送った。

 それを間近で見ていたマーヴィンも、ネイトと同じようにアイラを憎むようになる。

 あの女さえいなければ、こんなことにはならなかったのに、と。



 そして、ネイトは決意した。

 サイラスへの手紙に、アイラに復讐したいという言葉だけを書いて送ったのだ。

 その返事として、サイラスからは何冊かの本が届いた。どこかの闇市で押収し、公爵邸で保管されていた禁書だった。


 そこには、様々な悪の知識が載っていた。

 毒薬の作り方、呪いの呪文、犯罪の手法…そして、禁術の本もあった。

 ネイトはそれらの本を、のめり込むように読み漁った。



 手始めに、タルコット男爵邸を狙うことにした。同じように男爵家に恨みを持つ者のリストがサイラスから届き、その中の一人に正体を隠して接触をした。

 その人物は、さらに闇の仕事をしている男を雇ったらしいが、その男は決行の日に行方知れずとなり、失敗に終わる。


 そのあと、ネイトは変装をして城下街へと足を運び、情報を集めた。

 時には裏の危険な人物と取引をしたこともあった。手切れ金とばかりに両親から送られて来た大量の金貨を、惜しげもなく使った。



 魔獣を手懐ける方法を調べては試し、騎士団が任務で行く森へ放ったり、盗賊を焚き付けて騎士団が動くように仕向けたりもした。


 直接アイラを狙ったわけではない行動だったが、結果的にアイラを巻き込むことに成功していたことを、後の調査で知る。

 それでも、アイラは無事だった。復讐できたとはとても言い難い。



 そしてネイトは、武術大会へ目を付けた。

 毎年騎士が多く参加するため、アイラも参加するのではと予想したのだ。



「……ネイトさま、私に任せていただけませんか?」



 色々と構想を練っていたネイトに、マーヴィンがそう切り出した。

 以前魔術師として働いていたマーヴィンにはいくつかの伝手があり、利用できる人物がいるという。



「……信用できるのか?俺は世間的には療養中だ。いずれ顔を出すにしても、正体がバラされたり、裏切られたりしたら…」


「大丈夫です。あの人は魔術具の為なら、自身の命さえ投げ出してもいいと言い出すような人なので」



 その人物とは、魔術具開発局の局長のスタンリーだった。

 マーヴィンは会う約束を取り付けると、あっという間に話を纏めてきた。ネイトはそれだけでも驚いたが、さらに魔術師を一人、味方につけることができたという。


 どう話をつけたのかと訊けば、マーヴィンはくすりと笑った。



「局長には昔、何度か魔術具の実験にこの身を貸し出したことがありましたので。その貸しを返して欲しいと言いました。……それに、局長の方も使ってみたい魔術具があるらしく、願ってもいない機会だと笑っていましたよ」



 その経緯や武術大会で起こす予定の計画を、ネイトは手紙に書き溜めてサイラスへ送った。

 社交界に頻繁に顔を出しているサイラスは、貴族からたくさんの情報を仕入れているので頼もしかった。

 助言をもらいながら、綿密に計画を練っていく。スタンリーと協力者の魔術師とは、マーヴィンが連絡を取り合った。



 そして迎えた武術大会当日。

 ネイトとマーヴィンは目立たないよう変装し、闘技場へと足を運んだ。


 参加者たちが入場した瞬間、ネイトはすぐにアイラを見つけることができた。

 パーティーのときとは違う、騎士団の服を着るアイラは、以前と顔付きが違って見えた。


 アイラの登場に、観客たちがざわめくのが分かった。



「見て、女騎士だわ」

「すごく可愛くないか?」

「華奢だし心配だな…強いのか?」



 観客席で腕を組んで座っていたネイトは、睨むようにアイラを見る。もし魅了の魔術で騎士団に入ったなら、実力は無いだろうと思った。


 けれど、その考えはあっという間に覆される。アイラは華麗な剣捌きを見せ、第一回戦を突破した。

 ネイトが驚いているうちに、二回戦、三回戦とアイラは勝ち続けていく。観客はその度に大きな歓声を上げていた。



「……ネイトさま」



 マーヴィンに名前を呼ばれ、ネイトはハッとした。手のひらにじわりと汗が滲んでいる。



「私は次の試合が始まる前に、準備に向かいます。……よろしいですか?」


「……もちろんだ。頼んだ、マーヴィン」



 すぐにそう答えると、マーヴィンは頷いて席を立った。

 順調にアイラが勝ち進んでいる今が、絶好の機会なのだ。もし負けていても、観客席にいない限りは計画に支障はない。


 ネイトは周囲に視線を巡らせる。警備に当たっている騎士や魔術師、そして大勢の観客たち。

 この場所で、これから自分たちが騒動を起こそうとしている。たった一人の女性を狙って。



 ―――迷うな。これは復讐であり、今後の彼女の犠牲者を出さないために、必要な計画だ。



 ガーゼで隠した頬の焼けただれた痕が、ちくりと痛んだ。



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