65.想いと祈り
―――アイラがネイトの記憶の波に飲まれている、同時刻。
エルヴィスたちは連れ去られたアイラを追い、ロイが魔術具で残した痕跡を辿っていた。
「……ところで、どうして団長がネイト・ラトリッジを知っていたんです?」
森の中を駆けながら、クライドがそう問い掛けてきた。他の団員たちも、声には出さないが気になっているようだ。
エルヴィスはどう答えたものかと逡巡する。
エルヴィスがネイトを知っているのは、魔術具で髪と瞳の色を変え、潜り込んだ任務先……アイラの誕生日パーティーで会ったからだ。
会ったと言うか、一方的にアイラに迫るネイトを見て、魔術具で気絶させてしまったから、向こうはエルヴィスのことを見ていないだろう。
嫌がるアイラの腕を掴んでいた光景を思い出し、無意識に眉を寄せる。
「……団長?」
「ああ…悪い。実は……その、ネイトがアイラに接触したとき、近くにいたんだ」
「……え!?」
下手に嘘を吐くよりも、正直に話したほうが良いと判断したエルヴィスだったが、クライドが目を丸くしてじろじろと見てきた。
「……騎士団長が?あの日のアイラの誕生日パーティーに?」
「……そうだ」
「なぜです?確かに我が家の衛兵の数では心許なく、騎士団に警備の依頼をしましたが…」
「クライドくん、そのパーティーって何年前?」
話に割り込むように、フィンがクライドに問い掛ける。
「あれは…約四年前ですね」
「四年前。……ということは、エルヴィス団長が団長になって一年経った頃…なるほど、そういうことですか」
フィンがそう言ってエルヴィスを見ると、話の分からないクライドは眉をひそめた。
「どういうことです?」
「……その頃、エルヴィス団長が一日だけ行方不明になったことがあるんですよ。もう騎士団は大騒ぎで」
「あー…、あれは本当に悪かったと思ってる」
「どこへ行ってたのか教えてくれませんでしたけど、こっそり任務に混ざり込んでいたわけですか〜」
へえーそうですかー俺たちは団長がいなくて大変だったんですけどねー、とニコニコとフィンが見てくるので、エルヴィスは口元を少し引きつらせた。
いくら団長という座の重責から逃げ出したくなっていたときとはいえ、軽率な行動だということは分かっている。
「……でも、そのおかげでアイラは助かった」
ポツリ、とクライドの声が耳に届き、エルヴィスは目を見張る。
まさか、庇うような言葉をもらえるとは思っていなかった。
「アイラはあのとき、騎士に助けられたと言っていました。……それが、貴方なのでしょう?」
「……だが、結局あのときのことが原因でこうなったのなら、助けたとは言えないな」
エルヴィスがそう答えれば、クライドが何故か小さく笑う。
「俺がアイラを護ってやった、とでも偉そうに言えばいいのに。団長って、堅物で真面目なんですね」
「……おいフィン、俺は堅物で真面目か?」
「え、どうして俺に話を振るんですか??」
そのとき、エルヴィスは遠くから人の気配を感じ、片手を伸ばす。その合図で、全員が足を止めて剣の柄に手を掛けた。
ゆっくりと魔力を流し、広い範囲で人の気配を探っていく。
十、二十…三十はいそうだ。相手は特に気配を隠そうともしていない。
―――追手が来るとバレたか。つまり、ロイとアイラに何かあった可能性が高い…。
動揺するな、とエルヴィスは自分自身に言い聞かせた。団長が動揺を見せれば、それは部下にまで伝わってしまう。
「……三十ほどの数が真っ直ぐ向かってきている。やり過ごすのは無理だ。交戦する」
ロイか残した痕跡は、まだこの先へ続いている。もし何かあったならば、なるべく素早く相手を倒さなければならない。
剣を抜こうとしたエルヴィスの手を、フィンが止める。
「エルヴィス団長は、クライドくんと先に向かってください」
「フィン、お前…」
「最優先はアイラです。……本当は、俺が真っ先に駆けつけたいところですけど」
フィンは少しだけ目を伏せると、すぐにエルヴィスに向かって笑った。
「騎士団で最強なのは、間違いなく団長ですから。その代わり、この場の指揮は任せてもらいますよ?」
エルヴィスはその真珠色の瞳を見返し、小さく頷く。
「……頼んだ、フィン」
「はい、頼まれました」
ニヤリと笑うフィンは、いざというとき、とても頼りになる男だということをエルヴィスは知っている。
だからこそ、エルヴィスも笑みを返すことができた。
「……他の皆も、よろしく頼む」
視線をそれぞれに向ければ、団員たちも笑って頷いていた。きっと誰もが、自分がアイラの元へ駆けつけたいと思っているはずなのに。
それでも皆、エルヴィスに想いを託してくれたのだ。
「行くぞ、クライド」
「はい。……皆さん、ありがとうございます。あまり力にはなれませんが…これを」
そう言うと、クライドは何か魔術を唱えた。フィンを始め、団員たちの体が一瞬淡い光に包まれる。
「癒やしの魔術です。一定量の魔力が無くなるまで、ケガを回復してくれます。ただし、大きなケガは治しきれないので気をつけてください」
「……いや、じゅうぶんでしょ。兄妹揃って能力が規格外だね」
フィンは可笑しそうに笑うと、近付いてくる足音の方へ視線を向けた。
「さ、みんな。さっさと倒してアイラを救出に行くよ」
団員たちが一斉に「はっ!」と声を上げる。
エルヴィスとクライドは顔を見合わせると、正面の道を迂回するように走り出した。
―――アイラ。どうか、無事で待っていてくれ。
祈るようにそう思いながら、エルヴィスはアイラの笑顔を頭に浮かべていた。
***
エルヴィスとクライドの姿が闇に溶けるのを見送ると、フィンはすぐに前を見たまま声を張り上げた。
「それぞれ、一番息の合う者と二人一組になれ!一人で二人以上の相手はするな!相手が魔術や魔術具を使用した場合のみ、こちらも使用を許可する!」
「はっ!」
どんどん敵の足音が近付いて来るのが分かる。
三十という数は多いが、こちらも数を揃えてきた。エルヴィスとクライドを除き、残りはフィンを入れて二十五。
二人一組であぶれたフィンが、六人を一人で倒せば良い。単純計算で考えればそうなるが、計算通りにいかないのが戦場だ。
―――ま、俺が一人でも多く倒せばいい話だな。ここに連れてきた部下たちの実力も保証できる。
何より俺は、怒っている。……アイラのそばを離れた、自分自身に。
フィンの瞳が、ゆらりと揺れた。
「……行くぞ!俺に続け!」
そう叫んで地面を蹴ると、背後から同じように団員たちが走り出す。
森の中を駆けると、反対側から向かって来ていた敵が先頭のフィンに気付き、声を荒げる。
「見つけたぞ!敵を捕らえ、何としてもここは食い止め―――、」
「誰を捕らえるって?」
大声を上げていた兵は、突然目の前に現れニコリと笑ったフィンに目を丸くしている。
隙だらけの相手の、胸当ての隙間を狙ってフィンは剣を振るう。
斬られた兵は、そのまま地面へ崩れ落ちた。痛みと出血で暫くは動けないだろう。
フィンはピッと剣を振るって血を払う。指示を出していた兵がいきなり倒され、残りの兵は固まっていた。
「……俺たち騎士団を敵に回したこと、後悔させてあげよう」
月明かりが、フィンの笑みを照らす。
冷たい瞳に睨まれた兵たちの元へ、団員たちが二人一組となって向かった。
「き、騎士団!?聞いてないぞ!?」
「そんなの勝てるわけがっ…!」
「黙れ!あの方の怒りに触れれば、それこそ命はないぞ!」
「そうだ!貰った魔術具だってあるだろ!」
やみくもにフィンへと斬り掛かってきた兵の剣を弾き返したのは、オーティスだった。
「……こんな寄せ集めのような集団、副団長の出る幕ではありません」
「そうですよねぇ~。良くて衛兵、悪くてゴロツキって感じ。舐められたもんですね、っと」
オーティスの隣に並んだギルバルトが、飛んできた魔術を剣で薙いだ。驚きの声が遠くで上がる。
「なっ…、魔術を斬っただと!?……がっ」
「どういうことだ!?まさか対魔術の剣を…ぐわっ」
デレクとリアムの二人組が、素早く魔術具を持っていた兵を倒した。
お互いが一度も合図を出したりはしていないが、息の合った連携で敵を斬り伏せていく。
部下の著しい成長を見て、フィンは誇らしげに笑う。
どうやら、敵はオーティスの言った通り、寄せ集められた者たちのようだ。統率力はないし、個々の戦力も弱い。
まさか追手に騎士団が来ると思っていなかったのか、それとも魔術具があれば押し切れると考えたのか。
―――いや。今までのやり口からして、首謀者はそんな生ぬるい考えを持つ者じゃないはず。
きっと、ここで俺たちに斬り捨てられても構わないと思っているはずだ。なら、この戦いはただの時間稼ぎ…。
「オーティス、ギルバルト。やっぱり俺も動くよ。早く片付けた方が良さそうだ」
フィンはそう言うなり、二人の間を抜け、駆けながら剣を振るう。
部下の成長の機会を奪うのは不本意だが、悠長に戦いを眺めているわけにもいかない。
ただ、本当の戦いの中でしか得られないものを、このまま見逃すのは勿体ないと、フィンは思った。
「……カレン!腕に力が入りすぎ!」
「へっ、あっ、はい!」
フィンは一人を斬り伏せ、通り過ぎる際に近くで戦っていたカレンに声を掛ければ、驚いた視線を向けられる。
そのまま次の団員の名前を呼び、動きの指摘をしながらフィンは剣を振るい続ける。
「もっと腰を低く!体幹ブレてる!」
「はい!」
「なっ、何…ゔっ」
戸惑っている兵を斬り伏せ、刃の血を払う。その場で足を止めると、背後にいた敵が叫ぶ声が聞こえた。
「ふ、ふざけるなぁ!!」
フィンの背中へ近付く気配は二人分。けれど特に振り返ることもなく、フィンは夜空に浮かぶ月を見上げた。
次に太陽が昇る頃には、全ての片が付いているだろう―――そう思いながら、ようやく後ろを振り返る。
そこには、折り重なるように倒れる二人の兵がいた。そして、頼もしい新人二人の背中が目に映る。
「デレク、リアム。頼もしくなったね」
デレクとリアムはそれぞれ剣を収め、フィンを見た。その眼差しは、もう新人騎士のものではない。
一年足らずで彼らをここまで成長させたのは、紛れもなくアイラの存在が大きいだろう。
「―――行こうか、アイラの元へ」
三十もいた兵は、全員が地面に倒れている。
対して、ほとんど無傷の騎士団員たちは、全員がフィンの言葉に対して大きな返事の声を上げた。
***
その頃、時折クライドと言葉を交わしながら走っていたエルヴィスは、見知った気配に足を止めた。
そんなエルヴィスを見て、クライドも足を止めると周囲を見渡す。
「……どうしました?敵ですか?」
「いや……、いるんだろ、出てきて大丈夫だ」
木の陰から現れたのは、エルヴィスが思った通りロイだった。ウェルバー侯爵家の衛兵の服に身を包んでいるので、クライドがギクリと肩を震わせる。
「誰ですか、エルヴィス団長」
「ああ、この男は俺の………部下だ」
悩んだ末、エルヴィスは無難な答えを出した。クライドは眉をひそめてロイを見ながらも、詳しく問いただそうとはしてこなかった。
「そう、騎士ではないけど部下ですので、よろしくどーぞ。その麗しい容姿は、もしかしてお姫さまの血縁?」
「姫……?」
近付いて来たロイは、見たところ目立った外傷はないようだ。エルヴィスはひとまず安心する。
アイラの姿が見えないが、ロイの態度からして最悪の自体には陥っていないようだ。
「……彼は、アイラの兄だ」
「やっぱり!?うわ〜、似てる似てる。どこぞの王子って感じ」
「それよりアイラはどこだ?じゃれてる時間は無いだろ」
エルヴィスの言葉に、ロイは真剣な顔つきになる。
「お姫さまは使用人っぽい男に連れられて、奥の邸宅に入っていったぜ。背中の傷は薬を塗ったから心配ない」
「お前がここにいて、アイラだけが連れて行かれた理由は?」
「……そんな怖い顔するなって。俺だって情けない気持ちでいっぱいだ。お姫さまから、自分は傷つけられずに首謀者の元へ連れて行かれるだろうから、俺には隠れて騎士団と合流して…手伝いに来てほしいって言われたんだ」
エルヴィスは、そのアイラらしい言葉に額に手を当ててため息を吐いた。
クライドも同じ気持ちなのだろう。「アイラ…」と呆れたように名前を呟いている。
「勇ましいお姫さまだな。兄だと大変だろ」
「……全くです。でも、そこが妹の強みですから」
「ははっ。あの子は自分の命を狙う敵と、真っ向から睨み合うつもりでいる。今まで特に邸宅内で動きはなさそうに見えるが…どうする?もう乗り込むか?他の団員を待つか?」
ロイから視線を向けられたエルヴィスは、すぐに「乗り込む」と答えた。クライドも頷いている。
「よっしゃ。あっちに入口があるぜ」
ぐるぐると片腕を回すロイについて行くと、馬車がある場所へ着く。
やけに何重にも縛られた男が近くに倒れており、その先に古びた邸宅と門が見えた。
「どうだ?この門開けても……」
「―――待ってください!」
門を開けようと伸ばしたロイの腕を、クライドが咄嗟に掴んで止めた。驚いたロイが目を丸くする。
「え、なに?」
「これは…結界術が施されています。普通に開けようとすれば、結界に弾かれます…腕も一緒に」
「……腕も一緒に?ちょっと待ってなにその恐怖のワード」
自分の腕をスリスリと擦るロイを横目に、エルヴィスはじっと門を見た。確かに強い魔力を感じる。
「これは、そう簡単な魔術じゃないよな?」
「そうですね。少なくとも魔術師の資格がないと無理だと思います」
「……ということは、まだ引き入れられた魔術師がいるのか…」
エルヴィスはそう言いながら、魔術具開発局で戦い、地下牢で血痕を残して消えた魔術師を思い出す。
そして、戦いの最中に投げつけられた言葉も。
―――『お前が、俺の弟を殺したんだ!!』
そっと目を伏せ、頭を振る。今は感傷に浸っている場合ではない。
一刻も早く、アイラの元へ駆けつけたいのだ。
「クライド、その結界はどうにかできるのか?」
すぐ先に見える邸宅を見ていたクライドは、エルヴィスの問い掛けにフッと笑う。
「……どうにか、してみせますよ。この先でアイラは、一人で戦っているんですから」
クライドのその表情は、アイラの挑戦的なときの顔にそっくりだった。やはり兄妹だな、とエルヴィスは思わず笑みを零す。
そしてアイラの兄ならば、必ずこの結界を破ってくれるだろうという、根拠のない自信があった。
「……ここは頼んだぞ。この先の戦いは、俺に任せてくれ」
「……嫌ですよ。この先でこそ、俺がアイラの為に活躍するので」
「いや、俺が剣となり盾となり…」
「ちょい、ここで火花散らすのやめてくんない!?」
間に入ってきたロイによって、エルヴィスとクライドは口をつぐんだ。
クライドは結界へ向き直ると、両手をかざして何やら魔術を唱え始める。その様子を、エルヴィスはじっと見つめた。
―――アイラ、もう少しだ。もう少し、耐えてくれ―――…。
この先にいるであろうアイラを想い、エルヴィスは強く拳を握った。




