63.首謀者の正体
「……あのときの、騎士さま…!?」
「んん?」
驚いたような声を上げられ、ロイは首を傾げた。自分はエルヴィスに雇われた密偵であり、騎士だった覚えは一度も無い。
「あのときの…、どのときの?」
気を失っている御者の手足を必要以上にぐるぐる巻きに縛りながら、ロイはハッと気付いた。
―――もしかして、エルヴィスが言ってた、違う世界線で会ってるって話か?俺、騎士の真似事させられてたのか?
「あー…っと、詳しく聞きたいところだが…いや、聞いちゃダメなのか?あいつも言いたがらなかったしな」
「……あいつ?」
「おっと、こりゃまた失言したな。お姫さまといるとついうっかり口を滑らせちまう」
「……お姫さま…??」
アイラはすっかり混乱しているようだった。
無理もない。連れ去られたかと思えば、突然わけのわからない男に助けられ、変なことを言われているのだから。
それはそうと…と、ロイは馬車の中へ戻り、床に座っているアイラの前に立つ。
「あんた、だいぶ無茶したな。お友達庇うとしても、自分が斬られる必要無かったんじゃないか?」
「……それは…」
「ほい、とりあえず背中見してみ。目的地に着くまでは治せなかったが、薬塗ってやるから」
ロイが懐から塗り薬を取り出すと、アイラは渋っているようだった。
得体の知れない人間に、背を向けることほど怖いものはない。それは、ロイにもよく分かる。
「う〜ん…どうしたら信用してもらえっかな〜。丸腰だって証明できればいいか?」
「……いえ。二度も助けていただいたのに、疑うなんて失礼な話でした。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げたアイラは、そのまま躊躇いなく背中を向けた。
ロイは頬を人差し指で掻くと、塗り薬をそっとアイラの背中の傷へ塗りだした。
「染みるだろ?ごめんな」
「いえ、大丈夫です。それより、どうして背中の傷が庇ったとき斬られたものだと知っているのですか?私が斬られたとき、貴方は部屋にいませんでしたよね?」
最初、ロイは何を言われているのか分からなかった。そのときはバッチリと部屋の中にいて、その目で斬られた瞬間を見ていたからだ。
けれどすぐ、噛み合わない話の原因に気が付いた。
「……あー、そっか。髪と目の色が違ったからか」
「え?」
「魔術具でな、ちょいと変身してたんだ。最後、お姫さまの手を縛って担いだのは俺ね」
それは全て、エルヴィスからの指示だった。
魔術具で変装し、会場内に敵がいた場合、最もアイラに近い敵とすり替わる。
そしてアイラが連れ去られた場合、一緒についていき、目的地に着くまでに居場所を追跡出来るよう、魔術具で痕跡を残す。
無謀にも思えるこの指示を、ロイは請け負った。
魔術具の変装は、馬車の中で解けた。副作用があると聞いてはいたが、ロイにはあまり感じられなかったのでありがたい。
「……いやぁ、貴族の手引きがあると踏んでたにしろ、本当にお姫さまを狙ってくるとはなぁ。あんなに騎士がいたのに…いや、雇われてたのは平民ばっかみたいだったし、いざとなったら切り捨てられたんだろうな」
「………」
「雇われた奴らが事前に顔見知りじゃなかったのが幸いした。あの偉そうにしてた男が、一番お姫さまに接触すると思って、一緒に行動してた奴と入れ替われたからな」
途中、狙っていた男を隙をついて捕らえ、役割を吐かせたあと気絶させた。
衛兵の服を拝借し、変装したロイが何食わぬ顔で「あいつは具合が悪いみたいで、役目を受け継いだ」と言えば、悪人面の男は何の疑いもしなかったのだ。
「その場で助けに入れないから、あのお嬢さんが斬られそうになったときヒヤヒヤしたんだぜ?それを庇ってお姫さまが斬られたもんだから、俺はもう生きた心地が……お姫さま?」
ロイは、ピタリと薬を塗る手を止めた。
先ほどから、アイラが何も言葉を発していないことに気付いたからだ。
「どうした?やっぱり傷が痛むのか?」
そう問い掛ければ、アイラがゆっくりと立ち上がる。振り返ったその顔は、苦しげに歪んでいた。
その表情が傷の痛みのせいではないことは、ロイにでも分かる。
「……貴方が、私を助けてくれたのは…」
躊躇うように、アイラが口を開く。
「……エルヴィス団長に、頼まれたからですよね?」
疑問ではなく、確信を得た問い掛けだった。ロイは誤魔化すことなく、すんなりと頷く。
「そ。頼まれたっつーか、命令だな。背いたら俺の首が飛ぶね…まあ、アイツの言葉を断ることは絶対無いけどな」
「貴方は、一体…?」
何者なのかと、そう問いたいのだろう。けれどロイの口からは、説明していい話では無いし、時間も無い。
悩んだ末、これだけは言ってもいいか、とロイは思った。
「俺は、ロイ。エルヴィスとは昔からの知り合いだよ」
「……ロイさま…お知り合い…?」
「さま付けなんかしなくていいぜ?それはそうと、動けるか?あいつにこの場所を知らせはしたが、来るまでどこかに隠れて…」
そのとき、アイラの肩がピクッと動いた。
素早く窓の外へ視線を向けたことから、良い状況ではないことだけは分かった。
「……長居しすぎた感じ?」
「今、ほんの僅かですが、魔術でこちらの様子を探られました。異変に気付かれたかもしれません」
「なら、さっさと隠れないとな」
ロイは馬車から降りると、アイラへ手を伸ばした。ところが、アイラは首を横に振る。
「ロイさまは、隠れてください。私は残ります」
「なっ…、やめてくれ、俺がエルヴィスに殺される」
「大丈夫です。きっと、私は首謀者のところまで連れて行かれるだけです。……でも、ロイさまは捕まればどうなるか分かりませんから」
アイラの言葉が、ロイには信じられなかった。命を狙われているはずの人間に、まさか自分の心配をされるとは思わなかったのだ。
―――本当に、この子は何者だ?
呆然としているロイに、アイラが「早く隠れてください」と急かす。
「お願いです。どうか、エルヴィス団長や皆と一緒に…私を、手伝ってください」
そう言って強気に微笑む姿は、とても美しかった。
“助けて”ではなく、“手伝って”と言った。あくまでアイラ自身は戦う気でいるということだ。
馬車の中でもそうだったな、とロイは思った。
意識を取り戻したアイラは、静かに泣き出したかと思えば、体の動きを確認するかのようにもぞもぞと動き出したり。
それは、自らの辿る運命を諦めた人間の行動では無かった。
騒がれないよう、同じ馬車の中で完全に気配を消していたロイだったが、なんて勇ましい令嬢かと、思わず吹き出しそうになってしまったほどだ。
―――なるほど。あいつが惚れ込むはずだ。
ロイはフッと笑みを零すと、アイラの頭をぐしゃりと撫でる。
「負けるなよ、お姫さま。必ず、エルヴィスと共に会いに行く」
少しだけ目を丸くしたアイラは、力強く頷いた。それを確認したロイは、素早くその場を立ち去る。
すぐに、体がいつもより軽いことに気が付いた。
―――まさかこれが、補助魔術ってやつか?……全く、あの子は…。早く来いよ、エルヴィス。
森の中を駆け抜けながら、ロイはエルヴィスの到着を願っていた。
***
ロイが森の中へ駆けていく様子を見守ったあと、アイラは馬車の中の椅子に座り込んだ。
強がってはいるが、頭の中は未だに混乱している。
―――あの人は、味方。エルヴィス団長が、私を護ろうと、敵の中に紛れ込ませてくれていた。
そして、魔術学校に通っていた人生で、騎士として会った人…。
魔術学校で悪口ばかり浴びせられていたアイラは、優しくしてくれた一人の男子生徒に惹かれた。
けれど、それは見せかけの優しさで、ある日アイラは襲われそうになったのだ。
そのとき、アイラを助けてくれたのはトリシアだった。そして外に騎士を待たせていると言った。
アイラが首を傾げて「騎士?」と訊ねたときの、トリシアの言葉を思い出す。
―――『そう。実は、アイラが危ないかもって教えてくれたのがその人でね。騎士団の任務で、魔術学校に来ていたらしいんだけど』
あのとき確かに、トリシアはそう言っていた。そして現れたロイは、騎士団の服を着ていたはずだ。
けれど、つい先ほどアイラが騎士と呼んだとき、ロイは首を傾げていたのだ。
―――今回の人生では、ロイさまは騎士ではないということ?それとも、あのときも騎士ではなく、今みたいに服を纏って変装していただけ…?
アイラは考えすぎて、頭がパンクしそうだった。それでも、どうしてか明確な答えを導かなければいけない気がした。
他にも情報はないかと、過去のロイの言動を思い出す。
―――『お礼はいつか、俺の上司に言ってくれな〜』
その言葉を思い出し、アイラはハッとした。騎士の姿をしたロイに礼を言ったとき、そう返ってきたのだ。
「……上司……まさか…」
―――あのときも、エルヴィス団長が…?
アイラが一つの結論に辿り着こうとしたその時、足音が近づいて来たことに気付く。
それは、一人分の足音ではなかった。アイラは思考を切り替えて、じっと動かずに待つ。
やがて、馬車の扉から中を覗き込む人物が現れた。
「ああ…貴女は逃げなかったのですね」
使用人のような服を纏った男性は、アイラに向かってそう言うと、今度は外にいる他の人物に話し掛ける。
「一人逃げたようですので、捜索してください。それと、もしかしたら増援を呼ばれたかもしれません。対応をお願いします」
「分かりました。捕らえたらどうしますか?」
「そうですね…生死はどうでもいいと言われていますので…」
考える素振りを見せながら、男性の目がアイラに向けられた。
「……捕らえたら、この女の前で斬り伏せましょうか」
ぞくりとするほどの、冷たい微笑みだった。
アイラは体を強張らせながらも、決して目を逸らさないように見つめ返す。
男性は、すぐに表情を和らげた。
「はは、冗談ですよ。……では、とりあえず捕らえてください。容赦はしなくて構いませんので」
「はっ!」
短い返事と共に、何十もの足音や蹄の音が遠ざかって行く。
アイラはどこかへ隠れているはずのロイや、ここへ向かっているであろうエルヴィスたちの無事を祈った。
男性は「さて」と言うと、アイラに向かって手を差し伸べてくる。
「我が主がお待ちです。どうぞ、お手を」
「………」
「ああ、無意味な抵抗はやめてくださいね?私は今は使用人として働いていますが、魔術師の資格を持っていますので」
その言葉で、先ほどアイラたちを魔術で探っていたのはこの男性だったのだと思い当たる。
アイラは静かに手を伸ばした。
「……逃げるつもりなど、ありません。私は全てを終わらせたいのですから」
「そうですか。先に言っておきますが、ここで終わるのは、貴女ですからね?」
ぐいっと手を引かれ、アイラは転びそうになりながらも馬車から降りる。
男性はそのまま、振り払うように手を離した。
「ついてきてください」
「………」
スタスタと歩き出した男性の背中を、アイラは睨むように見ながら追った。
周囲は木々が密集しており、その間を導くように一本の道が続いている。
そのすぐ先には古びた門が見え、奥には邸宅が見えた。
男性は自ら錆びた門を開き、ギイ、と軋んだ音が響く。
中庭は荒れ果てており、何年も手入れがされていないようだった。目の前に見える邸宅も、とても綺麗とは言い難い。
―――貴族が裏で糸を引いているという予想ただったけれど…これは…。
もしかして、没落した家系…?でも、ここが本当の住まいとは限らないわよね。
「みすぼらしい家だと、思っている顔ですね」
前を歩く男性が、顔だけ振り返るとそう言った。そんなつもりはない、と否定しようとしたアイラだったが、すぐに鋭い言葉が飛んでくる。
「あの方をこんな僻地まで追いやった原因は、貴女ですから。騎士団では“天使”だとか言われているみたいですけど…私にとって貴女は“悪魔”ですよ」
「―――…」
くっと笑った男性は、また前を向く。あそこまで嫌悪と殺意に満ちた視線を向けられたのは、アイラは初めてだった。
そして、そこまで恨まれる何かをしてしまったのだ。けれど、どうしても心当たりがない。
―――何か、見落としているのね…。私が原因で僻地まで追いやられたとは、どういう意味かしら…?
その人物が何か罪を犯して、私が通報したとかそういうこと…?
歩きながら、アイラは思考を巡らせる。
騎士の人生を歩む前に、正義感を振りかざして、犯罪者を捕まえようなどと無謀なことをした覚えはない。
昔のアイラはただ、魔術師になりたいと心から思っていたのだ。
―――『はい。この方は、私が魔術師を目指す道の妨げにはなりません』
ふと蘇った自身の言葉に、アイラはピタリと足を止めた。同時に男性も足を止め、玄関の古びた扉を開く。
「……なにを呆けているのです?早く入ってください。これ以上、あの方をお待たせしたくありませんので」
「………」
ふらついた足取りで、アイラは邸宅の中へと入った。
―――『それでも、お前はこの令息を許すのか?』
時間を巻き戻るかのように、アイラは言葉や映像を思い出していく。
―――『とりあえず、彼の親を探して引き取ってもらおう』
―――『……はい。あの、お兄さま。どうか内密に対処していただけませんか?』
ドクンドクンと、心臓の音がうるさい。
その中でも、静かで寂れた邸宅内に響く靴音は、やけにハッキリとアイラの耳に届いた。
視線の先に、アイラの元へ近付いてくる人物が映る。
頭の後ろで三つ編みにされた、腰まで伸びる灰色の髪を揺らし、同じ色の瞳はアイラへ向けられていた。
口元がゆっくりと弧を描く。
「待っていたよ。アイラ・タルコット」
アイラの、知っている人物だった。
それは忘れもしない、赤毛の騎士に変装していたエルヴィスと、初めて会った日。
アイラの十三歳の誕生日を祝うガーデンパーティーで、声を掛けてきた青年。
―――『親睦を深めましょう。アイラさまはどんな男性がお好きですか?』
アイラの背後で大きな音を立て、扉が閉まった。




