60.戦いの始まり⑤
主催者が会場にいないという異例な夜会は、特に問題なく時間が過ぎていく。
夜会開始直後に話題の中心となっていたアイラが会場を出たことで、貴族たちは堂々と噂話を始めていた。
「それにしても、可愛らしい方だったわね…タルコット男爵家のご令嬢」
「そうねぇ。今まで滅多に夜会に参加しないから、どんな方かと思っていたけれど…」
「お友達になれたら、良い男性を紹介してもらえるかしら?フィンさまのような…」
「魔術師の道を外れて、騎士になったんだろう?それで人脈を広げたのか」
「そうだな、ウェルバー侯爵家、オドネル伯爵家の令息たち、ファーガス伯爵家の令嬢…名門揃いだ」
「やはり、取り入っておいて損はないだろうな」
勝手なことを言っているな、とリアムは思った。
アイラが魔術師の家系でありながら、騎士の道を歩んだことによって、貴族界では散々な噂が飛び交っていた。
噂の本人が、全くといっていいほど社交の場に出ないことが、その噂を悪い方向へと加速させていた。
リアムもその噂を真に受けてしまい、アイラに酷い言葉を投げつけたことは、未だに後悔している。
それが、アイラの周囲に評判の良い副団長や、地位の高い貴族が現れた途端、手のひらを返したように態度を変えている。
これがあるから、リアムはあまり社交の場は好きでは無かった。
「ではリアムさま、またお話してくださいませ」
「……ええ、喜んで」
笑顔で去って行く令嬢に、リアムは心にもない言葉を同じく笑顔で返す。
その令嬢は、今度はフェンリーの元へと擦り寄って行った。オドネル伯爵家に取り入りたい魂胆が見え見えだ。
リアムはグラスの中身をくいっと飲み干すと、会場に三箇所ある出入り口のうち、先ほどアイラがクローネと共に出て行った扉に視線を向ける。
「……レナード兄さん」
リアムに話し掛けられ、ちょうど他の貴族と挨拶を終えたレナードが振り返る。
「どうした?」
「やっぱり心配だから、近くまで様子を見に行くよ」
そう言って、テーブルにグラスを置く。歩き出そうとしたところで、背後から「リアムさま」と声が掛かった。バージルの護衛のコリーだ。
「僕が行きます。バージルさまの護衛である僕の方が、あの辺りをうろついていても怪しまれないと思いますので」
「……そうだね」
あの辺り、というのは女性の手洗い場のことだ。確かに、伯爵家の令息が一人でうろうろしていたら、あらぬ誤解を招くかもしれない。
「まだそこにいるとは限らないけど、姿が確認できればそれでいいから」
「はい。お任せください」
コリーが素早く扉を出て行く。
実力者のクローネがいるので大丈夫だとは思うが、やはり女性だけだと何かあったときが心配だった。
「………」
リアムは少し移動し、会場の出入り口が全て見渡せるステージの近くへ立った。
壁に寄りかかって歓談を楽しむ貴族たちを眺めながら、クローネの姿を思い出す。
―――彼女とは、どこかで会ったっけ。好意を持たれているのは分かるけど、全く心当たりがない。
クローネがアイラに弟子入りしてから、何度か会う機会はあった。その度に顔を赤くしてアイラの後ろに隠れ、まともに話したことはない。
それなのに、先ほどはリアムから目を逸らさずにいたのだから驚いた。
―――まぁ、考えても仕方ないか。僕にそのうち婚約者ができるとしても、父さまと母さまが決めた相手だろうし。
リアムがため息を吐いていると、三箇所の扉から、ほぼ同時に貴族が一人ずつ入ってくるのが見えた。
そしてその貴族たちは、扉付近で立ち止まり、後ろ手で何かをしているように思えた。
「………?」
リアムが目を凝らして見ていると、貴族たちは歩き出し、人混みを縫って一つの扉から三人揃って出て行った。
その扉から入れ替わるようにして、焦ったような表情のコリーが戻って来る。
リアムが駆け寄ると、コリーが声をひそめた。
「……アイラさまの姿が見当たりません」
「なっ…!?」
「それと、見覚えのない衛兵がいました。すぐにバージルさまとフィンさまに報告へ向かいます…この場をお任せしても?」
緊迫した雰囲気のコリーに、リアムは嫌な予感がした。
先ほどの貴族たちの動きも気になる。そもそも、本当に貴族かどうかも怪しかった。
「分かった。すぐに兄にも報告を入れる」
「ありがとうございます。なるべく早く戻ります」
コリーが正面の扉から出て行くと、レナードとフェンリー、ドルフが近寄って来た。アイラがいないためか、ドルフの覇気が少し戻っている。
「リアム、何かあったのか?」
「アイラが見当たらないらしい。それと、不審な衛兵がいるって」
「それは…動きがあったということか」
レナードはそう言うと、鋭い視線を周囲に巡らせる。リアムは頷くと、三箇所の扉を見た。
「……さっき、三箇所の扉からほぼ同時に入って来た貴族が、怪しい動きをしてた。何か仕掛けられたのかも」
「何だって?こんなに貴族が集まってる場所で、何かをやらかす気か?」
フェンリーが眉を寄せると、ドルフも警戒するように周囲を見る。
「どんだけ命知らずの犯人なんだ…それより俺は、アイラさんが心配だ。探しに行ってもいいか?」
「やめてよ。どうせドルフ兄さんのことだから、大声でアイラを呼ぶんでしょ?そんなの、敵を警戒してるってバレるから」
冷ややかなリアムの指摘に、ドルフは「うっ」と言葉を詰まらせた。
「とにかく、侯爵の護衛が副団長に知らせに行ってくれたから、僕たちでなんとかここを護るしか…」
「リアム、あれは騎士団の団員じゃないのか?」
レナードがくいっと顎で指し示したその先に、こちらに向かってくる騎士の姿があった。
周囲の令嬢たちに愛想を振りまいているのは、紛れもなくギルバルトだ。
―――出入り口付近の警備をしていたはずなのに、一直線に僕の方に向かって来るってことは…やっぱり、嫌な予感がする。
それにしても、自分から注目を浴びるのはやめた方がいいのではないか…とリアムが思っているうちに、ギルバルトが近くまで来た。
兄三人は、ギルバルトの女性への対応を見て、胡散臭そうな人物だと判断したらしい。
揃いも揃って、目を細めて「お前が騎士?」とでも言いたげな視線を送っていた。
「いたいたリアムくん―――って、何か同じ顔にめっちゃ睨まれてる」
「兄たちのことは気にしないでください。それより、どうしたんですか?」
「え、お兄さんたち??……ああ、そうそう、アイラちゃんは?」
ギルバルトはリアムの三人の兄の存在に驚いてから、きょろきょろと辺りを見渡す。
「副団長から、オーティス先輩を通して伝言もらったんだけど…何としてもアイラちゃんのそばに行けって」
「……さっきからお前、アイラさんをちゃん付けで呼ぶなんて馴れ馴れしいぞ」
「へっ?」
「黙っててドルフ兄さん。……それが、アイラの姿が見当たらないので、侯爵の護衛が今しがた報告に向かったところです」
リアムの言葉に、ギルバルトを纏う空気が変わる。
「……それは悪い流れだね。アイラちゃんは一人でふらふらとどっかに行っちゃったの?」
「まさか、違います。第三騎士団のクローネ先輩と一緒に会場を出ました」
「クローネちゃんと?じゃあ二人して行方不明ってこと?」
ギルバルトは顎に手を添えて「うーん」と唸っている。
「アイラたちが出た扉の方に、侯爵の護衛の知らない衛兵がいたそうです。それから、会場の三箇所の扉付近で怪しい動きをする貴族を見ました」
簡潔にそう報告したリアムは、再び出入り口に視線を向ける。そして、扉の近くで何かが光ったのを見た。
「……あれは?」
「ん?なに…」
思わず声を上げたリアムに反応して、ギルバルトやレナードたちが扉の方を見る。
突如、会場のバルコニーへ繋がるガラス扉が音を立てて割れた。
「きゃああぁっ!」
「何だ!?」
会場内が一気に混乱に陥り、貴族たちが出入り口へ向かって駆け出す。
ところが、三箇所の出入り口は、侵入者によって塞がれてしまった。
「……ちょっと…こんなことってある?」
ギルバルトがそう言って、ごくりと喉を鳴らす。その口元は笑っていたが、リアムも笑い出したくなる気持ちが分かった。
貴族たち、給仕をしていた使用人たち、衛兵たち…会場内にいた全ての人が、呆気に取られたように固まって動かない。
ただただ、出入り口を塞ぐ異質な存在を、恐怖の表情で見ていた。
ドラゴンのようなその姿は、毒々しい色をしており、皮膚は硬そうな鱗で覆われている。
頭には三つの目玉があり、それぞれがぎょろりと違う方向を向いていた。大きく開いた口元には鋭い牙が並び、涎が垂れている。
一瞬で静まり返った会場内に、耳をつんざくほどの咆哮が響いた。
それが引き金となったかのように、会場はまた騒然となる。
「うわぁぁぁ!魔物だぁ!」
「どうして魔物が!?殺されてしまうわ!」
「どけ!早く逃げなければ!」
「逃げる?どこへ?出入り口には全て魔物がいるぞ!?」
その騒がしさで我に返り、リアムはようやく体が動いた。素早くポケットから魔術具を取り出す。
まずは、兄たちが開発してくれた魔力を増幅させてくれる魔術具に、ほんの僅かな魔力を込める。
そしてすぐ別の魔術具に、増幅した魔力を一気に込めた。
輝く膜が、リアムを中心として大きく伸び、人々を覆っていく。
「うわぁ!何だ!?」
「動かないで!防護壁のようなものを張ったから!」
リアムが声を張り上げると、レナードたちも一斉に魔術具を取り出した。輝く膜が四重に張られていく。
「命が惜しければ、大人しくしていろ!打開策は必ずある!」
レナードが声を荒げると、貴族たちは揃って顔を見合わせる。
動かない方が安全と判断したのか、近くにいる者と身を寄せ合ってその場に留まった。
ギルバルトがぴゅうっと口笛を鳴らす。
「さすが伯爵家のご令息、威厳が溢れ出ていらっしゃる」
「……ギルバルト先輩、余分な剣はありませんか?」
「残念ながらありませんねぇ。ってうかリアムくん、戦うつもり?魔物と?」
剣を構え、三体の魔物を順に見ながらギルバルトがリアムに訊ねる。
「騎士ですからね。……アイラも、そう言うと思います」
「う〜ん、そこに関しては、完全に同意するねぇ」
リアムとギルバルトは顔を見合わせ、フッと笑う。
「……先輩、魔物の討伐経験は?」
「ないよ〜。そもそも魔物自体、近年は目撃例が無かったでしょ。それがこーんな大きいやつが三体なんて…もしかして幻?」
「幻覚にしてはリアルすぎますよ。そういえば、以前魔犬に遭遇していませんでした?」
「ああ、アレね……、もしかして無関係じゃない感じ?それともオレが魔物にもモテるって話??」
その問い掛けにリアムは答えず、近くに武器になりそうな物はないかと目で探す。
代わりにフェンリーが「あんた、緊張感ないって言われない?」と呆れながら言っていた。
レナードがいくつかの魔術具を近くのテーブルに並べながら、じっと魔物を見据えている。
「……おかしいな」
「え?」
「三体もいるのに、一向に我々に襲いかかる素振りを見せない」
リアムは顔を上げて魔物を見た。
威嚇するように唸ってはいるが、確かにその場から動こうとはしていない。こちらを攻撃しようというよりは、まるで出入り口を護っているかのようだ。
―――会場の人間は標的じゃないのか。そうだ、そもそも狙われているのはアイラのはず。
…ということは、魔物が出入り口を塞いでいる目的は、僕たちを逃さないようにするんじゃなくて……ここで、足止めすることか?
「…………!」
リアムは、アイラが出て行った扉を見る。そこにいた魔物は、他の二体よりひと回り体が大きい。
「……やられたっ…」
「え?なに?どしたの?」
「おそらく、魔物の目的は僕たちをここに留まらせることです。本来の目的である、アイラに接触するために…!」
やはり、無理やりにでもついて行くんだった。リアムが唇を噛みしめると、ギルバルトが一歩前へ出る。
「そーんな絶望的な顔しないでよ。……つまり、あの魔物を倒せば、その先のどこかにアイラちゃんがいるってことでしょ?」
「……そう、だと…」
「んじゃ、ちょっくら行ってくるねぇ」
そう言うが否や、ギルバルトが防護壁の外へ出た。
さすがに近付いてくる者を無視できないのか、魔物が臨戦体勢をとる。
大きな口を開くと、そこから炎が噴き出した。
「ちょお、危なっ!」
ギルバルトが身を翻し、炎を避ける。
そのまま素早く足元へ駆けると、剣を突き刺した―――ように見えたが、剣は刺さっていなかった。
「うっわ!硬すぎっ!」
「……あの男、静かに戦えないのか?」
鋭い爪の一撃をギルバルトが躱したところで、レナードが冷静にそう言った。
リアムは苦笑しつつ、近くの衛兵の剣を腰から抜いた。剣を奪われた衛兵が慌てている。
「な、なにを…!?」
「少し貸して。ちゃんと返せるかは分からないけど」
リアムが魔物に近寄ると、長い尻尾が振り回された。割れているガラスが飛び散る。
跳躍で避ける際に一太刀を入れてみるも、やはり手応えは無かった。
「リアムくん、何で出てきちゃうの!?格好つけさせてよ〜!」
「もう格好良いと思ってますよ。それより、剣が全く効きそうにないですけど」
「え、ちょっと待って。格好良いって言った?言ったよね??」
「……先輩、そんなことより―――、」
言葉の途中で、魔物の吐き出した炎が飛んでくる。それを避けながら、リアムは考えていた。
―――この魔物を、無理して倒す必要はないんだ。体を滑り込ませてでも、扉を抜けられたら―――…。
「リアム!俺たちが隙を作る!」
レナードの声が響いた。どうやら、リアムと同じ考えに達していたらしい。魔術具を使い、光の玉で魔物を気を逸らしてくれた。
僅かに出来た隙を見計らって、リアムは一気に駆け出す。……ところが。
「リアムくん!!」
魔物の棘がついた尻尾が、横からリアムを薙ぎ払うように向かって来ていた。
今の体勢では、避けることも、剣で防御することも間に合わないと悟る。
「―――…っ、」
体に襲いかかるであろう衝撃を覚悟したそのとき、魔物が一際大きな咆哮を上げた。
そして、魔物がゆっくりと床に倒れていく。その鱗で覆われていた背中が、ぱっくりと裂けていた。
その背中に、静かに着地する人物がいた。
黒髪が揺れ、同じ漆黒のマントが翻る。紅蓮の瞳が鋭い光を放っていた。
「……エルヴィス団長…?」
自分では傷一つつけられなかった魔物を、一撃で斬り伏せた。
その実力を目の当たりにし、リアムの体にぞくりと震えが走ったのだった。




