58.戦いの始まり③
アイラとフィンが会場へ入ると、すでに歓談を楽しんでいた人々の視線が集中する。
じろじろと好奇の目に晒され、アイラは笑顔が引きつってしまった。
「……どうやら、噂はまんべんなく広まってるようだね」
「……そうですね。視線が痛いですけれど…」
「そう?俺は注目されるのは好きだけどね」
貴婦人たちが集まっている方へフィンが笑顔を向けると、きゃあっと喜ぶ悲鳴が上がる。
「……さすが、“白銀の白馬の騎士”さま」
「お褒めに預かり光栄です、“戦場の天使”さま」
顔を見合わせ、お互いがフッと笑う。その様子を見ていた周囲の人々から、ほう、と感嘆の声が上がった。
「まあ、なんて素敵なのかしら…!」
「見目麗しい、お似合いのお二人だわ」
「けれど、彼女は騎士となったのでしょう?」
「そう聞いたわ。性格は野蛮なのかもしれないわね…」
賛辞の声もあれば、アイラが騎士であることを非難する声もある。
あまり周囲の声を聞かないように努めていたアイラは、会場で見知った顔が近付いてくることに気付いた。
「さっそく、注目を浴びているな」
「レナードさま、こんばんは」
オドネル伯爵家長男のレナードに話し掛けられ、アイラは会釈をする。
「へえ〜、ドレスを着るとまた雰囲気変わるね」
レナードの後ろから、三男のフェンリーが顔を出した。片手に持つグラスをくいっと傾ける。
「ちなみに、ドルフはあそこ。まだ君のこと諦められてないみたいだから、そっとしておいて」
次男のドルフは、離れたところで棒立ちになっていた。アイラとフィンが腕を組む様子を見て衝撃を受けているようだ。
グラスから飲み物が零れ落ち、使用人が慌てて拭き取っている。
三兄弟は、魔術具開発局では白衣を纏っていたが、今日は正装だ。色違いの服を着ていなければ、見間違いそうになるほどそっくりな顔付きである。
そこでアイラは、四男であるリアムの顔を思い出す。
「……リアムには、もうお会いになりましたか?私はまだで…」
「僕がどうかした?」
レナードとフェンリーの背後から、リアムの声が響いた。
会場内の警備なのかと嬉しく思い、アイラはその姿を目に映すと、「えっ」と声を上げる。
そこにいたリアムは、団服を着ていなかった。
「……リアム!?どうしたの!?」
「どうしたのって…普通に兄さんたちと同じように招待を受けて、参加してるだけだよ」
レナードたちと同じように、リアムも正装だった。
柔らかい金髪は丁寧に整えられ、服は水色の瞳に合う灰色で揃えられている。今日のリアムは、アイラの目にとても男らしく映った。
「驚いたわ。夜会に参加するなんて、一言も言ってくれなかったじゃない…」
「内緒にしてたからね。騎士として君を護る人間は周囲にたくさんいるけど、貴族としても君を護ることは、僕にしかできないと思ったから」
「リアム…」
リアムが差し出してくれたグラスを受け取りながら、アイラは感動していた。
初めて会った頃の嫌悪に満ちた顔が嘘のように、リアムは穏やかな笑みを浮かべている。
「……嬉しい。ありがとう、リアム。今日のリアムはとても格好いいわ」
「それはどうも。……君はいつも通り、綺麗だね」
「ちょっとちょっとリアム。俺の恋人を落とそうとしないでくれるかな?」
「あ、フィン副団長。こんばんは」
「上司の言葉をスルーしたね?」
フィンとリアムの掛け合いを、アイラは笑って見ていた。周囲がまたざわざわと話し始める。
「あれは、オドネル伯爵家の者たちだろう…?」
「彼女は、彼らとも懇意にしているのか?」
「夜会の主催者の、ウェルバー侯爵とも親しいのではなかったか?」
「男爵家の、道を外れた令嬢がどうして…?」
リアムの登場で、アイラはすっかりいつもの自分を取り戻していた。
周囲の声は全く耳に入らず、他の団員たちの話をする。
「入口でギルバルト先輩に会ったわ。デレクは外回りの警備なのよね?」
「そうだね。ここに来る前に会いに行ったけど、会場内に入れないからだいぶ悔しがってたよ」
「そうよね…私もあとで会いに行こうかしら」
「……やめておいたほうがいいんじゃない?デレクのためにも」
「え?どうして?」
アイラが首を傾げると、リアムとのやり取りを聞いていたフィンが口を開く。
「俺もそう思うな。鼻血出して倒れるか、あそこの次男くんみたいに石化するかどっちかだね」
「ドルフ兄さん…迷惑になるから参加はやめたらって忠告はしたんですけどね」
―――どうして、私に会うと鼻血を…?
意味が分かっていない様子のアイラに気付き、フィンが苦笑する。
「深く考えなくていいよ。男なら仕方ないからね。……あとで会いに行くなら、俺も一緒に行くから言って」
「……?はい、分かりました」
それから、リアムたちと話したり、挨拶に来た貴族の相手をしていると、時間が来たようだ。
ちょうどアイラの近くに、バージルの護衛のコリーが姿を現したところで、壇上にパッと明かりが灯る。
いつかの夜会のようにズカズカと壇上を歩くバージルを見て、アイラはくすりと笑った。
―――あのときは、バージルさまに協力してもらえる関係になるとは、思ってもいなかったわね。
立ち止まったバージルが、招待客を見渡すと咳払いをした。
身なりはきちんと整えられており、見惚れている令嬢が数人見受けられる。前回の夜会とはえらい違いだ。
「……あー、今夜は集まっていただき感謝する。改めて、ウェルバー侯爵の名を譲り受けた、バージルだ。今後とも、よろしく頼む」
なんともアッサリとした、バージルらしい挨拶だった。
周囲の貴族たちが「これだけ?」と言いたげな表情を浮かべる中、フィンが笑いを押し殺している。
皆が壇上のバージルを見上げる中、アイラは視線を感じてふと横を向いた。
そこには、壁により掛かって腕を組む男性の姿があった。
「―――…っ、」
アイラは息を呑む。
じっとアイラを見つめる茶色の瞳。そして、綺麗な赤毛―――…。
―――どうして、エルヴィス団長が?
正確に言えば、魔術具で髪と瞳の色を変えたエルヴィスだ。
いつから会場にいたのだろうか。それよりもどうやって?という疑問が浮かぶ。
武術大会を騒がせた、赤毛の騎士の正体がエルヴィスであることは、おそらくアイラしか知らないはずだ。
その姿ではバージルとの接点も無いはずで、招待されたわけではなさそうだ。
エルヴィスが着ているのは、正装でも、いつもの団服でもない。ウェルバー侯爵家の衛兵たちと同じ服だ。
―――まさか、バージルさまの…侯爵家の衛兵として潜り込んだの…?
アイラが目を丸くしてエルヴィスを見ていると、その口元がゆっくりと綻ぶ。
その笑い方は、やはりアイラの好きなエルヴィスと同じだった。
アイラはぎゅうっと胸が締め付けられる。
夜会には参加しないと聞いていたので、予想外の姿だったが、会えたことが嬉しかった。
同じ空間にいてくれると分かっただけで、アイラにはとても心強く感じる。
「……アイラ?どうかした?」
バージルを見ていないことに気付いたフィンに訊ねられ、アイラは慌てて前を向く。
フィンは武術大会での事件のとき、赤毛の騎士の姿を見ている。
あのあと正体を隠すためにエルヴィスは姿を消し、アイラは散々誰だか分かるかと質問攻めにあっていたのだ。
ここでエルヴィスの姿を見られては、別の騒ぎになってしまう。
「い、いえ、知っている方を見たような気がしたのですが、気のせいだったようです」
「そう?……あ、バージルのやつ、もう話すことがなくて困ってるよ」
幸い、フィンはバージルの様子に気を取られていて、深く追求はされなかった。
ホッとしたアイラが横目で見ると、既にエルヴィスの姿はそこに無い。
―――相変わらず、すぐ消えてしまうわ…。でも、見守ってくれているのね。
アイラはつい笑みを零し、バージルが「では、以上」と片手を挙げて壇上を去って行く姿を見送っていた。
そして、ふとあることに気付いて会場内を見渡す。きょろきょろとしているアイラに、フィンが首を傾げた。
「また知ってる人がいたの?」
「いえ…お兄さまの姿が、見当たらないのです」
クライドは魔術具で転移をしてくると言っていた。
なのでアイラの剣をデレクかリアムに預けてもらい、会場内で合流することになっていたのだが、姿が見当たらない。
リアムは会場内にいるので、場外のデレクを探すのに手間取っているのかもしれない。
けれど、事前に大体の警備の場所はクライドに伝わっているはずだった。
アイラの心に不安がよぎる。
「もしかして…何かあったのでは…」
「落ち着いて、アイラ。こういうときの為に俺がいるんでしょ」
フィンはアイラの頭をポンと撫でると、リアムを見た。
「リアム、少しの間アイラを頼む。お兄さん方も近くにいてくれるとありがたいです。俺は、まずバージルに確認して、それから外へ出てみるよ」
「分かりました」
「すみません、フィンさま。お願いします」
フィンは頷くと、駆け足で会場を出て行く。
胸元で手を組み、祈るようにしていたアイラの背中を、リアムがパシリと優しく叩いた。
「笑って。君は平然としていないと。……どこで誰が見ているか分からないんだから」
「……そうよね」
「今からそんなに気を張ってたら疲れるでしょ。何か楽しいこと考えたら?」
「楽しいこと…」
リアムの助言どおり、アイラは最近の出来事を思い返してみた。
第一騎士団の皆で訓練のあと、食べ物や飲み物を持ち寄って、談話室でお祭り騒ぎをしたことを思い出す。
そして騒ぎを聞いて駆けつけたフィンに笑顔で怒られ、しばらくその場で跪かされた。
立ち上がる際、足が痺れたデレクが後ろによろめき、密集していた団員たちが次々と倒れていく様子を鮮明に思い出し、アイラはくすりと笑った。
「ふ…ふふっ…。談話室で皆で騒いだの、楽しかったわね」
「……ああ…あれか。いつの間にか誰かが持ってきた酒を飲んだギルバルト先輩に、すごい絡まれて僕は迷惑だったけどね」
「ギルバルト先輩、酔うと泣き上戸だったわね」
「オーティス先輩は誰彼構わず決闘挑んでたよね」
アイラはリアムと笑い合う。皆と過ごした日々を思い返せば、自然と心が落ち着いていった。
そのとき、背後から声を掛けられる。
「……アイラさま、リアムさま」
振り返れば、綺麗に着飾ったクローネが立っていた。
体のラインに添ったベージュの光沢のあるドレスが、長身のクローネにとてもよく似合っている。
「クローネ!わあ、とても綺麗だわ」
「ふふ、アイラさまも。やはりその赤いドレス、お似合いですね」
そう言って微笑んだクローネは、いつもより大人びて見えた。
リアムを見ても、アイラの後ろに隠れたりはせず、同じように微笑みを向けている。
その様子に、リアムは少し驚いているようだった。
社交の場ということで、クローネは周囲に気を配っているのだろう。クローネはファーガス伯爵家の一人娘なのだ。
その姿に気付いた周囲の貴族たちが、「今度はファーガス伯爵家の令嬢と…?」とヒソヒソと囁いている。
「フィン副団長は、どうされたのですか?」
「あ、私の兄を探しに行ってくれたの」
「お兄さまですか…きっと、アイラさまに似て素敵な方なのでしょうね」
アイラはクローネに笑顔を返しながら、クライドに何もなければいいけれど、と考える。
クローネはちらっとリアムを見てから、こっそりと耳打ちをしてきた。
「……アイラさま、私についてきてくれませんか?リアムさまのことで、ご相談が…」
「まあ!……もちろんよ、ちょうどお手洗いに行きたいと思っていたところなの」
アイラは顔を輝かせる。恋の相談をされたことが初めてで、つい気合いが入ってしまう。
確かにそれは、リアムがいるこの場では話しにくい。しばらくはこの歓談の時間も続くだろうし、少し抜けても平気そうだ。
「ねぇリアム、クローネとお手洗いに行ってくるわ」
「……二人で大丈夫?さすがに中までは入れないから、外で待ってようか?」
「大丈夫よ。そのあと女同士の話をしてから、すぐ戻ってくるわ」
女同士の話、とアイラが言えば、リアムはそれ以上深く訊けないようだった。
少し考える素振りを見せてから、クローネに視線を向ける。
「……アイラをよろしくお願いします、先輩」
「………はい、もちろんです」
「心配ないわ。行きましょう、クローネ」
クローネの手を引いて、アイラは一度会場を出た。
自分の恋を自覚してから、誰かの恋の話を聞いてみたいとずっと思っていた。
少し浮かれた気分になっていたアイラは、クローネの表情が曇っていることに気付かなかった。
***
その頃クライドは、ウェルバー侯爵邸の中庭にいた。
「……困ったな」
そうポツリと呟きながら、アイラから預かっている剣を肩に乗せる。
クライドの最初の任務は、外の警備をしているはずのデレクかリアムに、この剣を預けることだった。そうしなければ、クライドは会場へ入ることができない。
ところが、最初入口のあたりにいた衛兵に教えてもらった方向へ来てみれば、二人は見当たらない。
近くにいた衛兵に訊ねても、ウェルバー侯爵家の衛兵のため、騎士団の新人騎士の顔を知るはずもなかった。
「もう少し、明確な待ち合わせ場所を決めておけば良かったか…」
クライドはそう独り言を呟きながらも、少しおかしいと感じる。
夜会の開始時間より少し前に到着することは、事前にアイラを通して伝えてあった。
ならば、デレクとリアムの性格からして、玄関付近まで自ら剣を受け取りに来てくれるのではないかと、クライドはそう思ったのだ。
そこまで話したことはないが、アイラが認めた友人が、クライドを探す素振りすら見せないことには違和感があった。
「………」
仄かな光に照らされる中庭に、クライドは視線を走らせる。別段、異変は感じられなかった。
それでも、嫌な予感が拭えない。
―――静かすぎるからか?いや、違う…見回りの衛兵の数が、少なすぎるんだ。
クライドは、さらに中庭の奥へと足を踏み入れた。今回の夜会には、騎士団の団員たちが警備に多く参加すると聞いていた。
ほとんどが会場内の警備にいるのかと思ったが、それにしては外の警備が少なすぎた。
多くの貴族が集まる場所では、外部からの侵入者にも対応しなければならないはずなのに。
何か大きいものに足が当たり、クライドは危うく前に倒れそうになった。
なんとか踏みとどまると、暗くて見づらい足元へと目を凝らす。
「……デレク?…デレク!!」
デレクが地面に倒れていた。クライドは慌てて抱き起こす。その周囲に、同じように何人もの騎士が倒れていた。
「………っ」
見たところ、外傷はない。呼吸もある。
ということは、気絶させられたのか、眠らされたのか…いずれにせよ、緊急事態だった。
クライドはすぐ周囲に知らせようと、ポケットに入れていた魔術具へ手を伸ばす。
しかしその途中で、ぐらりと体が傾いた。
―――この、匂い、は……。
気付いたときには、もう遅かった。
デレクに覆いかぶさるようにして、クライドは意識を失った。




