47.騎士団の存在
魔術具開発局の事件の翌日。
夜中に部屋へ戻ったアイラは、カレンにしっかりと叱られ、短い眠りについた。
寝る前に泣き腫らした目元のケアをカレンにしてもらい、まだ治ってはいないがそこまで酷くはなっていない。
それでも、通りすがる騎士たちは同情の視線を向けてきた。
カレンによると、第二・第三騎士団でもアイラの情報は共有されているとのことだった。
「……うう。視線が痛いわ…」
「しょうがないね。諦めな」
「安心しろアイラ!何か言ってくるやつがいたら俺がぶっとばすからな!」
「……ぶっとばすのはやめてね」
朝食を終え、デレクとリアムと共に訓練場に向かう。
アイラの両脇を二人が固めてくれているおかげか、遠慮なく視線は向けられるが、近寄ってくる者はいなかった。
それをありがたく思いながらも、話は自然と昨日の続きへと移っていく。
「私、恨まれていそうな相手を考えてみたのだけど…」
「誰か思い当たるの?」
「ううん。幼い頃からずっと魔術の練習をしていて、まともに社交の場に顔を出したことがなくて…そもそも顔見知りの人があまりいないのよね」
「あー、僕もあまり参加したことはないけど、君の存在は噂で聞いたことしかなかったね」
アイラの右隣でリアムがでそう言うと、左隣のデレクは「社交の場…貴族…分からん」と呟いている。
アイラが参加した記憶があるのは、幼い頃に一度と、赤毛の騎士としてエルヴィスと出会った誕生日のパーティー、そしてウェルバー侯爵家での夜会だ。
今更ながら、貴族の令嬢としてひどすぎる参加率だとアイラは思う。
その僅かな記憶を辿ってみても、恨まれるようなことをした覚えはなかった。
「一番最近参加した夜会で、ご令嬢に嫌味を言われたくらいかしら…」
「夜会って、あのウェルバー侯爵家の?」
「そう。三人のご令嬢に言われたけれど、誰だか分からないわね…名前を聞いておけば良かったわ」
「待って。確かそこでも厄介事に巻き込まれてなかった?」
リアムにそう問われ、アイラは頷く。
「でも、あの狙いは私ではなくて……」
その続きを言葉にする前に、アイラは足をピタリと止めた。リアムとデレクも不思議そうに足を止める。
向かい側から歩いてくる人物は、アイラの見間違いでなければ、今まさに話題に出していた人だ。
「……バージルさま…!?」
ウェルバー侯爵家のバージルは、アイラに気付くと軽く片手を挙げた。
隣に見たことのない青年を連れている。
「よお、元気か?また何か巻き込まれてるみたいだが」
近付いてきたバージルは、足を止めると気軽に話し掛けてきた。アイラは曖昧に微笑む。
「……さすが、お耳が早いですね」
「この男を引き取る際にフィンに会ってな。少しだけ聞いた」
ウェルバー侯爵家のバージルと、副団長のフィンは異母兄弟である。
フィンは侯爵家の血を引いているが、自ら父親に名乗り出ることはしていない。
世間的にはウェルバー侯爵家の息子はバージル一人となっており、現在実権を握っているのもバージルだ。
この男、とバージルに説明された青年は、何故かにこにこと笑みを浮かべてアイラを見ている。
「……バージルさま、こちらの方は…?」
「ああ、うちで雇っている護衛だ。武術大会で連行されてな、ようやく疑いが晴れたというから迎えに来ていた」
「………!」
アイラはまさか、ウェルバー侯爵家の護衛が武術大会に参加し、さらに操られ捕らえられていたとは思わなかった。
それにしても、バージル自ら迎えに来るとは、相当な手練れなのだろうか。
アイラは少し剣を交えてみたいな、とワクワクしながら「初めまして」と挨拶をする。
青年はパッと顔を輝かせた。
「バージルさま、“戦場の天使”とお知り合いなんですね…!」
「……ほう。“戦場の天使“」
何故か青年が知っていたアイラの二つ名に、バージルの瞳がギラリと光る。
面白いものを聞いた、とばかりに口の端が持ち上がっているのを見て、アイラは嫌な予感がした。
「もうすごかったんですよ!人を惹きつける戦い方で、とても綺麗でした!」
「そ、そんなことは…」
「俺も行けば良かったな。“戦場の天使”の試合の観戦に」
おそらくバージルは、アイラがこの二つ名が嫌だと気付いて、わざと言っているのだ。
もしかして、あの夜会の日に抱きかかえたことを根に持たれているのだろうか、とアイラは口を曲げる。
そんなアイラを見て、バージルがくくっと笑った。
「もう少しからかいたい気もするが、仕事もあるし戻る。……近い内にまた会うかもな。そのときはよろしく」
「……?はい」
どうして近い内に会うことになるのかは分からなかったが、アイラが返事をするとバージルは手をひらひらと振って去って行った。
青年が笑顔でペコリと頭を下げ、そのあとに続く。
二人の背中が遠くなると、リアムが口を開いた。
「……あの人がバージル・ウェルバーね。噂よりはまともそうだね」
「バージルさまは、なんというか…敵に回したくない人ね」
「嫁探ししてるとかいう人だろ?アイラ、目を付けられてるんじゃないのか?」
デレクが心配したようにそう訊いてくる。アイラは思わず笑った。
「ふふ、まさか。バージルさまは本気で婚約者を探しているわけじゃなかったもの」
「そうなのか?でもあの人、俺たちのこと眼中に入ってなさそうだったけど」
「だね。アイラしか見てなかったと思う」
「もう、そんなわけないでしょう?」
それから話はウェルバー侯爵家の夜会の話に戻り、バージルが狙われていたことや、その現場に居合わせて戦ったことを話しているうちに訓練場へ着いた。
先に自主練習をしていた先輩騎士たちが、アイラに気付くと声を掛けてくる。
「アイラ、もう体は良いのか?」
「いいわけないだろ?昨日の今日で良くなるか?」
「無理するなよ、期待の新人」
「おいおい、そこは“戦場の天使”だろ?」
「天使にしちゃあ、ちょっと勇ましすぎる気はするけどなぁ」
ケラケラと笑い合う先輩騎士たちの姿を見て、アイラはほっと息を吐いた。
厄介者だと遠巻きにされても仕方がないと、覚悟はしていたのだが、受け入れてもらえたと分かり安心する。
アイラのケガは、皆が思っているよりも一晩でだいぶ回復していた。
おそらくエルヴィスが飲ませてくれた回復薬が、とても質の良いものだったのだろう。
朝食の前に医務室に寄ったが、包帯は腕のもの以外は外してもらえていた。
けれどまだ、訓練の許可は出ていないため、今日は見学の予定だ。
それぞれ体を動かし始めるデレクとリアムを、アイラは離れた所に腰掛けて眺めていた。無意識に腰の長剣を触る。
―――対魔術用の剣って、どうやって作っているのかしら。既存の剣に、対魔術の効果を施すことはできるの…?
それができなければ、私自身が攻撃魔術の威力を上げないと、この先何かあったときに太刀打ちできない気がするわね。
そんなことを考えていると、遠目にフィンがやってくるのが見えた。
同じようにフィンに気付いたオーティスが、「集合!」と声を掛ける。
いつものように整列をすると、フィンがアイラに手招きをした。
「アイラ、ちょっと」
「?……はい」
アイラは列を抜けてフィンの元へ向かう。すると、両肩にポンと手を置かれ、くるりと皆が並んでいる方へ向きを変えられた。
第一騎士団の団員の視線を一斉に浴びることになったアイラは、ピシッと固まった。
それが肩に置かれた手のひらから伝わったのか、フィンがくすりと笑う声が耳に届く。
「よく見て、アイラ。今目の前にいるのは、君の味方だよ」
「……!」
「大丈夫。いつどこで何があったって、誰かが君の元へ必ず駆けつけるから」
「……っ、はい!」
アイラへ向けられる皆からの視線はとても温かく、肩の力が自然と抜けていった。
「ご迷惑おかけしますが、皆さん、力を貸していただけると嬉しいです」
深々と頭を下げたアイラに、「まっじめ〜」とギルバルトのからかう声が届く。
アイラは笑いながら顔を上げると、くるりとフィンを振り返った。
「フィン副団長」
「うん?」
「副団長も、いつもありがとうございます」
騎士となる手助けをしてくれたときから、いつもアイラの気持ちを気にかけてくれている、優しい師匠。
心からの感謝の気持ちを込めて笑いかければ、フィンの眉間にシワが寄った。
「……どうしてそういう顔見せるかな」
「えっ?笑ったつもりなんですけど、どんな顔してました?」
「笑ってたよ。とびきりね」
困ったように笑うフィンは、「さて」と言って続ける。
「アイラはこのあと別行動ね。団長室へ向かって」
「……………え」
「君に会いたがっている人たちがいるからね」
団長室、という言葉で返事が遅れてしまったアイラは、フィンの“人たち”という部分に引っかかった。
―――複数、ってこと?エルヴィス団長だけでなくて……って、嫌だ私ったら、どうして団長が私に会いたがっていると思っているのかしら。
どちらかといえば、私が団長に会いたくて―――…。
そこまで思考を巡らせたアイラは、途端に顔が熱くなった。
「わ、分かりました!行ってきます!」
無駄に大声で返事をしながら、アイラはカクカクと歩き出す。
その後ろ姿を、団員たちが不思議そうな顔で見送っていた。
団長室の扉の前で、アイラは深呼吸を繰り返す。
エルヴィスに対する態度が、また以前のように戻りませんようにと祈りながら扉をノックした。
「……入ってくれ」
耳に届いたエルヴィスの声にドキリとしながらも、アイラは静かに扉を開けた。
「失礼致します、エルヴィス団長。アイラで…」
「アイラ!!」
部屋に入った瞬間、がばっと誰かに抱きつかれた。
蜂蜜色の髪が視界に映り、ふわりと安心する香りが鼻を掠める。
「……クライドお兄さま?」
「アイラ、お前はまた…!」
クライドの腕が、痛いくらいにアイラの体を抱きしめる。その肩越しに、エルヴィスともう一人、アイラを見ている人物がいた。
「……お父さま…?」
父親のラザールが、眉を下げてアイラを見ていた。
すぐに、先ほどフィンが言っていた“会いたがっている人たち”というのが、クライドとラザールのことだと分かった。
そして未だにアイラから離れないクライドと、悲しそうなラザールの表情から、アイラがここに呼ばれた理由を理解する。
「……全て、聞いたのですね」
アイラがそう言うと、ようやくクライドが体を離し、眉を寄せた。
「アイラ、俺は……お前の命が狙われていると聞いて、正直頭が追いついていかない」
「はい…そうですよね」
「そうですよね、って…どうしてそんなに落ち着いているんだ?あの武術大会での事件も、狙いはお前だったんだろ?さらに昨日、魔術具開発局でも狙われたって…!」
「少し落ち着きなさい、クライド」
まくし立てるように話すクライドを、ラザールが止めた。アイラが視線を移すと、ラザールが近付いてくる。
「お前が焦っても仕方ないだろう。……アイラ、ケガはどうだい?」
「はい。エルヴィス団長にいただいた薬のおかげで、ほとんど回復しています」
「……団長が、お前に薬を?」
何故か驚いたように、ラザールがエルヴィスを振り返った。その視線の先で、エルヴィスが緊張した面持ちで頷いている。
何か問題があるのだろうか、とアイラが首を傾げていると、ラザールの視線が戻る。
「そうか…それならば良かった。いや、良かったとは言えないが…」
「……そうですよ、父さま。命が狙われているなんて、どうして…」
クライドが悔しそうに唇を噛み締めてアイラを見ている。
そしてアイラが何か言う前に、再び口を開いた。
「やはり、アイラには家に戻ってもらうべきです」
「……え、?」
「アイラ、騎士は辞めて、犯人を捕まえるまで邸宅で…」
「―――嫌です!!」
クライドの言葉を、アイラは大きな声で遮った。クライドが驚いて目を丸くし、ラザールも同じように驚いている。
アイラはぐっと拳を握った。
「……大声を上げてごめんなさい。でも、嫌です。私は騎士を辞めたりしません」
「でも、アイラ……」
「クライド。アイラの話を最後まで聞いてあげよう」
ラザールがそう言うと、クライドが口をつぐんだ。
アイラは一度息を吐き出すと、クライドとラザールの顔を交互に見る。
「私が落ち着いていられるのは、この騎士団にたくさんの仲間が、味方がいるからです。だから私は、今いるこの場所が一番安全だと思っています」
「………」
「私はここで、騎士として戦うと…立ち向かうと、決めています。だから…絶対に、辞めません!」
強く言い切ったアイラは、クライドの元を離れてエルヴィスへと駆け寄った。
エルヴィスが珍しくぎょっとした顔をアイラに向ける。
「……どうした?」
「そ、それに、エルヴィス団長がいるから大丈夫です!もう何度も助けていただいて…、なんというか、王子さまみたいな方です!」
「おうじ…」
エルヴィスがその言葉に固まっているが、クライドとラザールの方を見ているアイラは気付かない。
クライドもまた、アイラの言葉にショックを受けていた。
アイラは騎士を辞めさせられたくなくて、必死だった。
「騎士団の皆はとても強いのです!エルヴィス団長なんて、もう別次元の強さで…!私と相性もすごく良いのです!」
「!?」
アイラが言いたいのは魔力の相性のことなのだが、肝心な“魔力の”という部分を抜かしたため、家族にあらぬ誤解を与えているとは思いもしないでいる。
固まって動かないクライドと、笑っているが目は笑っていないラザール。
アイラの隣で、エルヴィスが慌てたように口を開いた。
「ま、魔力の相性が、俺たちは確かに良いと思う。アイラが補助魔術を使用してくれれば、どんな相手にも立ち向かえる気がする」
「アイラ…ほう、アイラと呼んでいるのだね?エルヴィスくん」
ラザールがにこにことエルヴィスを見ている。
何故か呼び方に気を取られている父親に眉をひそめながら、アイラはクライドを見た。
「……お兄さま。私は、いつまでもお兄さまに守られるだけの、小さな妹ではありません」
「………」
「どうしても心配をかけてしまう現状であることは、分かっています。それでも、私は騎士の道を歩むと決めています。……だから、お兄さま…」
「……補助魔術」
不意にクライドがポツリと呟き、アイラは「えっ?」と声を上げた。
「補助魔術を、騎士団で使っているのか?」
クライドが、今度はハッキリとした口調でそう言った。非難めいた響きはなかったため、アイラは素直に頷く。
「はい。ありがたいことに、騎士団の皆には効果を褒めていただいています。武術大会では、魔術の使用ができなかったので、お兄さまにはお見せできませんでしたが…」
「そうか……」
片手で顔を覆ったクライドが、大きく息を吐き出した。
「そうか…アイラ。魔術が嫌いになったわけじゃないんだな…」
思いもよらない言葉に、アイラは目を瞬く。そして慌てて否定した。
「ち、違います!どうしてそう思ったのですか?」
「お前が魔術師じゃなくて騎士を選ぶと言ったときから、もしかして魔術が嫌いになったんじゃないかと…」
「……彼女の補助魔術は、とても洗練されたものだ。あれをかけられて、本人が魔術が嫌いだなんて思えるはずがない」
そう言ってくれたエルヴィスを、アイラは見上げた。優しい眼差しを向けられ、恥ずかしくなったアイラはパッと視線を逸らす。
クライドはそれをじとっとした目で見ていた。
「アイラの補助魔術が素晴らしいことなんて、兄の俺の方が良く知っています」
「……お兄さま?」
「自分の方がアイラに頼られているなんて、思い上がらないでいただきたい!」
「お兄さま!?」
何だか話が変な方向へ向かっているようだ。
先ほどまで固まっていたはずのクライドが、今は闘志を燃やすように目をギラつかせてエルヴィスを睨んでいる。
騎士団長に喧嘩を売っているような状況に、アイラは慌ててラザールに助けを求めた。
「お父さま!お兄さまは一体どうしたのですか!?」
「全く、そろそろ妹離れして欲しいんだがなぁ…クライド、その辺りにしておきなさい」
ラザールがクライドの肩をポンと叩く。
「アイラがここまで必死に騎士団に残ると言っているんだ。それを無理やり家に連れ帰ろうとすれば、お前が嫌われてしまうぞ?」
「……!そ、それは…ゔぅっ…」
クライドは唸ってから、観念したように眉を下げてアイラを見た。
その表情は、昔ケンカをして、アイラが「お兄さまなんて嫌い!」と言ってしまったときと同じだった。
「……アイラ、俺が悪かった。もう二度と騎士を辞めろなんて言わない…」
「……お兄さま。私は、お兄さまを嫌いになんてなりませんよ。昔も今も、大好きな自慢のお兄さまです」
「アイラ……」
アイラが微笑めば、クライドは安心したように笑顔を返した。
そしてやはり、どこか挑戦的にエルヴィスを見ると、フンと鼻を鳴らす。
「……仕方ないから、騎士団にアイラを預けます。大切な妹なので、絶対に護ってくださいよ。じゃないと許しませんから」
「……ああ、約束しよう」
失礼な態度のクライドに、エルヴィスは微笑みながら頷いた。その様子に、クライドは少し面食らったようだった。
「……驚いた。“戦場の死神”なんて呼ばれていると聞いたのに、随分と柔らかく笑うんですね」
「もうお兄さま、失礼よ!」
「それに関しては、私も気になるね。昔に比べて雰囲気も変わっているように見えるしね」
「お父さままで!」
おろおろとしながら視線を向けたアイラを、エルヴィスがじっと見ていた。
その瞳に滲む優しさに、アイラはぎゅっと胸が締め付けられる。
エルヴィスはクライドとラザールの問い掛けには答えず、「では」と言って咳払いをする。
「次の話へ移らせてもらおう。……貴方たち魔術師の力が必要な、その理由について」
そこでアイラは、二人が城へ呼ばれた本当の理由が、地下牢に捕らえていた魔術師に関することだということに気付くのだった。




