22.恋と夜会②
夜会の時間が近付き、アイラは兄のクライドと共に馬車に乗り込んだ。
クライドは、夜会でのエスコート役を申し出てくれていた。
父がどうしても外せない仕事があり、一人で向かうものだと思っていたアイラは、とても安心している。
「ありがとうございます、お兄さま」
「いいんだ。父さまも母さまも…それに俺も、アイラがあの令息に気に入られるんじゃないかと心配なんだ」
「ふふ、まさか。だって私は、騎士ですよ?」
「あのなアイラ。お前は騎士でも美しいし、強い女性を好む男だっている。それに相手は本気で嫁候補を探しているらしいから、一度気に入られれば無理やり婚姻を結ばれるかもしれないんだぞ」
クライドの真剣な顔に、アイラはぐっと言葉を詰まらせた。
幼い頃に会った、朧げにしか思い出せない令息の顔と、嫌な思い出がちらつく。
「それは………嫌ですね」
「だろう?何としてでも参加を断りたかったが、遠回しに没落させてやろうかと言われたらなぁ…」
「安心してください、お兄さま。私は会場の隅でできるだけ目立たないようにしますから」
「……それができればいいけど」
クライドは、アイラの頭からつま先まで視線を巡らせ、はぁ、とため息を吐いた。
ウェルバー侯爵家に到着すると、あまりの敷地の広さにアイラは驚いた。
警備をしている衛兵の数も多いが、続々と到着する招待客の案内に翻弄されているようだった。
アイラとクライドは一人の衛兵に連れられ、会場へ足を踏み入れる。
「わあ……!」
久しぶりのきらびやかな世界に、アイラは思わず声を上げた。
天井に輝く照明の数々に、テーブルの上に並べられた豪華な料理。
鮮やかなカラードレスがあちこちで見られ、あまりの人の多さにアイラはきょろきょろと周囲を見渡した。
クライドの腕に回す手に力が籠もり、くすりと笑い声が届く。
「久しぶりの夜会だもんな、アイラ」
「……あっ。すみませんお兄さま、つい…」
「せっかくだし、楽しんでもいいんじゃないか?」
クライドは、まず飲み物を頼もうと言って近くの給仕に声を掛ける。
そのとき、アイラは周囲の視線に気が付いた。
―――私?……いえ、私よりお兄さまを見ているのかしら?
嫁候補として招待された令嬢たちは、クライドを見て頰を染めている。妹のアイラから見ても、クライドは格好良かった。
蜂蜜色の髪は夜会用にセットされ、整った顔立ちが良く見える。父親譲りの翡翠色の瞳はとても綺麗だ。
貴族なので、立ち居振る舞いも女性のエスコートもとても上手い。
同じ魔術学校に通っていたときは、何度も女子生徒に兄を紹介してくれと頼まれていた。
令嬢たちは、ほとんどが父親と一緒に参加しているようだ。父親同士が交流を建前に情報交換をし合っている。
令嬢同士は互いに興味が無いのか、そもそもこの夜会に乗り気ではないのか、料理を食べながらちらちらとクライドを見ていた。
―――このままだと、夜会の主催者よりお兄さまの方が目立ってしまうのでは…?
クライドからグラスを受け取ったアイラは、きらきらとしたオーラを放つ兄をじっと見る。
「どうした?俺の顔に何か付いてるか?」
「……いいえ、それよりお兄さま…」
バァン!とうるさい音が会場に響いた。皆が何事かと口をつぐみ、音の正体を探った。
どうやら、扉が乱暴に開け放たれたものだったらしい。その奥に、この夜会の主催者が立っている。
バージル・ウェルバー。
乱雑に伸びた栗色の髪に、鋭くつり上がった焦げ茶の瞳。確か、歳は二十五だ。
バージルは誰が見ても不機嫌と捉える顔で、ズカズカと壇上に上がった。
その後ろから、慌てたように追いかけてくるのは両親だろうか。
招待客全員が、呆気に取られたようにバージルを見ていた。そして、バージルが放った次の言葉にもまた、呆気に取られるのだった。
「この中で、俺と結婚したいという女はいるか?」
しん、と会場が静まり返る。
その場に立ち尽くす招待客たちに視線を巡らせていたバージルは、再び口を開いた。
「……いないようだな。では、俺はこれで失礼する。あとは勝手にやってくれ」
カツカツと靴を鳴らし、バージルが会場から姿を消した。母親らしき女性が、ふらりと気を失ったように倒れる。
頭を抱える父親らしき男性の元へ、招待客がどっと押し寄せた。
「ウェルバー侯爵!今のはどういうことですかな!?」
「こちらは招待されたから、わざわざ足を運んだのですぞ!」
ウェルバー侯爵が次々と責められる様子を見てから、アイラはクライドの腕をくいっと引っ張った。
「……お兄さま、これは…どうしましょう」
「うーん、思ったよりバージルさまはこじれているってことだな」
このまま夜会は中止になるものかと思えば、ウェルバー侯爵は必死に謝罪を繰り返した。
「本当に申し訳無い!このまま夜会は続けさせてもらいたい。すぐに愚息を連れ戻すので、皆様、どうかこのままで…!」
声高にそう言うと、ウェルバー侯爵は気を失っている妻を抱えて足早に会場から出て行った。
残された招待客たちは、ざわざわと言葉を交わし始める。
「お父さま、わたくしもう帰りたいわ」
「そうだな。だが挨拶も無しに帰っては、今後に響くかもしれん…」
「ねえお父さま。このままお食事を楽しむことにしましょう。きっとすぐお開きになるわ」
「うむ。そうするか。全く、これだからバージルさまに娘をやろうと思う者が現れないのだ…」
相手が侯爵家という立場のため、招待客は無理やり帰るわけにはいかないようだ。どうやら、下級貴族が招待されているらしい。
「あの、クライド様ですよね?」
一人の令嬢が、頬を染めてクライドに近付いて来た。その後ろで父親がにこにこと笑みを浮かべている。
「ああ、そうですが…君は?」
「わたくし、リーナ・マイルスと申します。クライド様とぜひお話たいと思っておりましたの。お時間よろしいですか?」
何とも強気な令嬢だな、とアイラは思った。
仮にもバージルの婚約者を探すために開かれた夜会で、バージルより先に他の男性と親密になろうとしているのだ。
リーナは、邪魔者を見るようにアイラに視線を向けていた。これは、空気を読めということだろう。
「……お兄さま、私は少し外の空気を吸いに行ってきます」
「アイラ?それは…」
クライドが引き留めようとするが、リーナの手前どうしようか迷ったようだった。
アイラはにこりと微笑んだ。
「これも御縁です。どうぞお話を楽しんでくださいね。失礼します、リーナさま」
「ええ。ありがとうございます」
リーナは満足そうに言うと、早速クライドに話しかけ始める。アイラは名乗りもしていないが、別にどうでも良さそうだった。
心の中でクライドに謝りながら、アイラは会場を出る。女同士のいざこざに、もう巻き込まれたくないのが本音だった。
会場を出ると、長い廊下が続いている。そこで立ち話をしている令嬢もいた。
バタバタと動いている衛兵や使用人たちは、バージルを探しているのだろう。
アイラはきょろきょろと外へ出る道を探すが、どこが繋がっているのか分からない。
すると、通りすがりに令嬢に話しかけられた。
「貴女、見ない顔だけど…どこのどなた?」
ぎくり、とアイラは足を止めた。
出来るなら名乗りたくなかったが、話しかけられて無視する訳にもいかなかった。
「……アイラ・タルコットと申します。お見知りおきを…」
「まあ!貴女があの?」
令嬢は大げさに驚いて見せた。近くにいる二人の令嬢もアイラの名前を知っているのか、くすくすと笑っている。
―――ああ。これは魔術学校のときと同じ流れだわ…。
アイラが足元に視線を落とすと、令嬢たちが楽しそうに話しかけてくる。
「魔術師ではなく、騎士となったのでしょう?どうしてなの?」
「魔術学校の試験が難しすぎたのかしら。それとも、騎士に囲まれてちやほやされたかったのかしら?」
「まあ、はしたないわ。そんなこと言っては可哀想よ」
いい獲物を見つけたと言わんばかりの笑みで、一斉にアイラに言葉を投げつける。
どう返すのが一番穏便にいくか悩んでいると、一人の令嬢が「そうだわ!」と両手を叩いた。
「貴女が、バージルさまのお相手になってあげればよろしいのでは?」
「……え?」
「あら、それは名案ね!変わり者同士、気が合うのではなくて?」
「そうすれば、わたくしたちも来たくもない夜会に招かれずに済むものね」
くすくす、くすくす。
この笑い声を聞くと、アイラはどんどん気分が悪くなってくる。
早くこの場を立ち去ろうと、できるだけ爽やかな笑顔を浮かべた。
「そうですね、名案です。バージルさまが、私のような令嬢を妻に望んでいればの話ですが…では、急いでおりますので」
ドレスの裾をつまんでお辞儀をすると、アイラはそそくさとその場から逃げ出した。
背後から不満そうな声が聞こえる。もう二度と夜会には参加しないようにしよう、とアイラは心に決めた。
廊下の角を曲がり、そのまま通り抜けようとして、アイラはピタリと足を止めた。
廊下の角に、誰かが背をもたれて立っていた気がしたのだ。
ゆっくりと振り返ると、そこには両腕を組んでこちらを見ているバージルの姿があった。
「……バ、バージルさま?」
アイラが名前を呼ぶと、バージルはふん、と鼻を鳴らす。
「お前も変なのに絡まれて大変だな」
「……ええと…」
今も絡まれています、とは口が裂けても言えない。アイラは自分が話しかけられている理由が分からなかった。
幼い頃一度会っただけなので、顔を覚えられているとも思えない。
「……会場には、戻らないのですか?」
そう口に出してから、しまった、とアイラは思った。バージルの目が、鋭さを増したからだ。
「探す気もない嫁候補を集められた場所なんか、戻る気もないな」
「そう、ですか…」
それ以上、アイラは何も言えなかった。
嫁候補を探しているのは、バージルの両親だけのようだ。
だからなのか、バージルの身だしなみはとても気を遣っているとは言い難いものである。
このままここで立ち話をする気にはなれず、アイラはちらりと窓の外を見た。
「……あの、バージルさま。庭園を見学したいのですが…」
「庭園?暗闇で何も見えないぞ。それより、お前の兄はどうした」
その真っ当な質問に、アイラがどう答えようか考えていると、コツコツと靴音が近付いてきた。
「バージル!探したぞ、こんなところで何を…アイラ?」
「……フィン副団長?」
突然のフィンの登場に、アイラは頭が混乱した。
フィンはいつもの団服を着ているので、今日は休日のはずだが、何かの急な任務が入ったのだろうか。
それにしても、バージルへの態度が随分と砕けていることがアイラは気になった。
「驚いた、どうしてアイラが?……ああそうか、アイラは令嬢として招待されたのか」
「そうですが…副団長は任務ですか?」
アイラの問いに、フィンがバージルに視線を投げかける。バージル絡みの任務のようだ。
バージルは壁から背を離すと、頭をがしがしと掻いた。
「……ここにいても時間の無駄だ。フィンもいるし、庭園に案内してやる」
足早に歩き出したバージルの背中を、アイラが遠慮がちに追う。フィンも並んでついてきた。
「アイラ、庭園に何しに行くの?」
「……少し時間を潰せればと思いまして」
「夜会には一人で?」
「いえ。兄が一緒です」
これだけの問答で、フィンは何かに気付いたようだ。
「君たち兄妹は揃って美形だからねー」と言って同情の視線を向けてくる。しかし、アイラは首を傾げた。
「揃って、ですか?兄だけでは?」
「……それ本気で言ってる?」
眉を寄せたフィンに、アイラは不思議そうに頷いた。
魔術学校のとき、散々「不細工」「可愛くない」と嫌みを言われ続けていたアイラは、自分の容姿が人に褒められるものだとは思っていなかったのだ。
前を歩いていたバージルが、不意に立ち止まる。
外へ出て、庭園に続く渡り廊下に差し掛かったときだった。
「バージルさま?」
「……いや、何でもない。気のせいだと…」
そこで、アイラは殺気に気付いた。
アイラが咄嗟にバージルの背中を掴んで引っ張るのと、フィンが剣を抜いて前に出るのはほぼ同時だった。
フィンの剣が弾いたのは、弓矢だった。
「………っ」
「バージルさま、こちらへ!」
間髪入れずに、次の矢が飛んでくる。アイラはバージルの腕を引き、渡り廊下の壁の陰にしゃがんで隠れた。
矢が飛んでくる方向からして、攻撃してくる人物が複数いることが分かる。
フィンがアイラとバージルから少し離れたところで、矢を弾いたり斬り落としたりしながら叫ぶ。
「アイラ!バージル!ケガは!?」
「ありません!私も加勢しますか!?」
「いや、そこでバージルを守ってくれ!」
「はい!」
アイラは素早く周囲を見渡した。
挟み撃ちにされることはなさそうだが、邸宅の中に入るには扉を開けなくてはならない。開けるときに背中を狙われたら終わりだ。
フィンが対応してくれているうちに素早く扉を開けて中に逃げ込むか、あるいは…。
「バージルさま。庭園に衛兵は配置されていますか?」
「……いや。今日は衛兵は門番を除いて、全員邸宅内に配置している。……俺がそう仕向けた」
「仕向けた、ということは…」
アイラが眉を寄せると、バージルが視線を逸らす。
どうやらバージルは、わざと狙われやすい状況を作っていたらしい。フィンの任務は、それに関係しているのだろうか。
とりあえず、その理由の追求は後回しにすることにした。
「……では、助けを呼ぶには中に戻るしかないということですね」
「そうだが…お前はよくこの状況で、冷静でいられるな?」
アイラとバージルが話している間にも、矢は絶えず飛んできている。フィンが対応しているが、このままだと全員動くことは出来ない。
もし、近くに剣などの武器を持つ人間が潜んでいたら、たちまち危険な状況に陥ってしまう。
アイラには、敵の数も、その正体も、バージルを何故狙うのかも分からない。
けれど、アイラはフィンに託された。
バージルを守ることを、託されたのだ。
「だって私は―――騎士ですから」
バージルの揺らぐ瞳に、アイラは笑顔を返した。




