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20.幸せの在り処


 エルヴィスがその報せを受けたのは、ちょうど密偵のロイが部屋にいた時だった。



 僅かに開けていた窓の隙間から、一通の手紙が滑り込む。

 魔術がかけられた特殊なその手紙は、至急の要件の際に使用されるものだ。



「……おっ?何だ何だ?」



 それまでソファの上でだらけきっていたロイがニヤニヤしながら、手紙を開くエルヴィスに近付いてくる。

 エルヴィスはロイを一瞥してから、ザッと手紙に目を通した。



 手紙は、第一騎士団のギルバルトからだ。

 やたらと飄々としているその男は、エルヴィスにもあまり態度を変えない。それを不敬だと思う者もいるだろうが、エルヴィスは気にしていなかった。


 ギルバルトの剣の腕は知っているし、なかなか頭が回る部下だと思っている。

 それに何より、北の森でアイラを庇って負傷したことは、エルヴィスの記憶に新しい。


 手紙の内容は、第一騎士団の任務である、盗賊の件だった。



 ギルバルトが見回りをしている村に、盗賊が出現。

 三名を既に拘束しているが、情報が正しければあと五名はいると考えられるので、近くの騎士を増援として送ってほしい、といった内容だ。


 それよりも、エルヴィスが気になった一文が最後に記されている。



 ―――“なお、他二名の同行は新人騎士です”



「新人騎士…」


「わお。愛しの天使ちゃんってこと?」


「……その言い方どうにかならないのか」



 エルヴィスが呆れたように言うと、ロイはぺろりと舌を出した。三十代のいかつめの男がやっても可愛くもなんともない。



「とにかく、フィンの所へ向かう。あいつも報せを受けてこっちに向かっているだろうから、途中で会うだろう」


「俺はどうする?先に向かうか?」


「……いいのか?」



 遠慮がちにそう言うと、ロイは可笑しそうに笑った。



「そのために俺がいるんだろ。使うのを躊躇うなよ、エルヴィス」



 サッといつもの黒い外套を羽織り、ロイは窓枠に足を掛ける。



「じゃ、またあとで。騎士団長どの」


「……ああ。助かる」



 素早く窓から消えるロイの姿を見送ってから、エルヴィスは足早に部屋を出た。


 盗賊残り約五人と、ギルバルトと新人二人の計三人。

 そこまで数に差があるわけではないが、何か懸念事項があって増援を要求したのだろう。ならば、あまり悠長に構えていられない。



「団長!」



 小走りで向かってくるフィンの姿を捉え、エルヴィスもさらに足を早めて近付いた。



「ギルバルトから手紙が…、」


「俺のところにも届いた。増援はどのくらい必要か分かるか?」


「いつものギルバルトなら、増援は無くても平気だったと思います。ただ、今回はアイラと…デレクが一緒なので」



 眉を下げたフィンが言った名前だけで、エルヴィスはすぐに理解した。


 デレク・アルバーン。新人騎士の一人で、ランツ村出身の平民。

 今、盗賊が出没しているのは、デレクの故郷だ。そしてデレクの父親は、過去に盗賊の手によって命を落としている。全てエルヴィスの頭の中にある情報だ。


 ギルバルトは万が一デレクが動けなくなった時のことを考え、増援を要求したのだろう。



「デレクなら、もう乗り越えられていると判断したんですけど…」


「過去の傷は、何がきっかけになるか分からないからな…そう悲観するな。もう盗賊を制圧してるかもしれないだろ」


「そうですね。……アイラもいるし大丈夫かな」



 最後にポツリとフィンが呟いた言葉に、エルヴィスはどういう意味か問いたくなるのをぐっと堪えた。

 そういえば以前、アイラに落ちていると言って挙げられた名前は、デレクだったはずだ。



「……増援の件だが」


「あ、はい。近場で見回りしている騎士を二名ほどでじゅうぶんだと…」


「俺が行く」



 エルヴィスがそう言うと、フィンが「へっ」と間抜けな声を漏らした。



「……団長が?」


「魔術具もあるからすぐ向かえる」


「あのですね団長、この前の北の森のときだって、団長自ら高価な魔術具を使って助けに来てくれたじゃないですか!」



 それがどうした、という視線をエルヴィスが向けると、フィンは肩を落とす。



「今までよほどの緊急時以外、団長が自ら増援に駆けつけたことありますか?ないですよね?……それがこの短期間に二回となると、第一騎士団が贔屓されてるんじゃないかとか噂が流れちゃいますよ」



 フィンの言い分は最もだった。

 騎士団長とは、すべての団員に平等でなければならない。少しの贔屓が、団員たちの間に亀裂を生むことになるからだ。

 そのことを、エルヴィスは身を持って知っている。


 けれど、どうしても譲れないのだ。アイラに関することだけは。



「……分かった」


「分かってくれましたか。それじゃ、こちらですぐ手配を…」


「言い訳はあとで考えよう」



 エルヴィスは懐から素早く魔術具を取り出すと、魔力を込め始めた。

 何やらフィンが言っているが、転移先の魔力を探ることに意識を集中しているため聞こえない。


 この転移用の魔術具は特注品で、対人物専用のものだ。

 相手の魔力の感覚が分かれば、それを探って持ち主の近くに転移できる。


 北の森のときは、アイラの魔力の感覚が分からなかったため、大体の居場所の目星を付け、普通の転移用魔術具で転移し、エルヴィスは自力で探し出した。

 けれどその時に、魔犬を倒すため補助魔術をかけてもらったため、今はアイラの魔力の、あの心地良い感覚を知っている。



 ―――見つけた。



 そうしてエルヴィスは転移先で、燃え盛る家を目にすることになった。

 その上に水の塊があり、目の前でふらついたアイラが何をしようとしていたか瞬時に悟る。


 アイラの体を抱きとめるように支え、自身の手のひらを添えたエルヴィスは、アイラに魔力を分け与えたのだ。



 そして炎は消え、村は大惨事とならずに済んだ。

 だが、既に魔力切れを起こしかけていたアイラは、そのまま気を失ってしまった。






 ―――そして、丸二日経った今でも、アイラは目を覚まさない。



「………」



 ベッドで眠るアイラを、エルヴィスはじっと見ていた。


 盗賊に負わされたと思われる頬の傷以外、目立った外傷は無い。その傷にはガーゼが貼られていた。

 サラサラとベッドに流れる蜂蜜色の髪は、エルヴィスが出会った頃のアイラのものとは、随分と長さが変わっている。


 けれど、それ以外は何も変わらない。

 今は伏せられた長いまつ毛も、陶器のような白い艶のある肌も、ふっくらと柔らかそうな唇も。

 周囲が“天使”などと呼ぶのが理解できる、とても可愛らしい顔立ちだ。



「………」



 アイラが未だに目を覚まさない理由を、エルヴィスは考えていた。


 魔力切れは、どんなに魔力が高くても、一晩あれば自然と回復する。

 あのとき、炎を消すためにエルヴィスの魔力をアイラに分け与えたが、疲れからか咄嗟に全部使ってしまったのだろう。

 そうだとしても、魔力は既に回復しているはずだった。



 目立った外傷は無い。無いが、心の傷は目には見えない。

 燃え盛る炎を見て、エルヴィスですら一瞬呼吸が止まりそうになった。



 ―――これは、仮定の話だ。

 もし彼女が、やり直しの人生を送る前の記憶を、俺と同じように覚えているのだとしたら。

 ……ならばあの日、炎の中心にいたアイラは、今回何を思ったのだろう。どんな想いで、炎を消そうとしたのだろう。



 エルヴィスは椅子から身を乗り出し、アイラのケガのない方の頬にそっと触れた。



「……アイラ…」



 小さく名前を呼ぶと、頬がピクリと動いた。次いで、ゆっくりと瑠璃色の瞳が開く。

 その大きな瞳が向けられ、エルヴィスの体は射抜かれたように固まった。


 一方アイラは、瞬きを繰り返すとぼんやりと口を開いた。



「……エルヴィス、団長…?」


「………」


「……夢…?」


「………ゆ、めじゃ、ない」



 掠れた声でエルヴィスが言葉を返すと、アイラは急に現実世界に戻ったような顔をした。



「え、っ!?」


「バカ、急に体を起こすなっ…」



 がばっと勢いよく起き上がったアイラの肩を、エルヴィスが抱く。

 頬に触れたことは気付かれなかったようだが、今の方が体が密着していることに気付いた。


 エルヴィスは慌てて視線で窓の外を探るが、密偵のロイは上手く体を隠しているようだ。

 姿は見えないが、絶対にこちらを見てニヤついているとエルヴィスは確信していた。


 エルヴィスは変な汗を流しながらアイラを見ると、こちらもだらだらと冷や汗をながしている。ただ、その顔は真っ赤だった。



「……あ、あの、団長。その、ちか、近くてですね…」


「………か、」



 可愛い、と口走りそうになったエルヴィスは、慌てて咳払いで誤魔化した。

 すすす…と静かに肩を抱く手を離すと、椅子に座り直して深呼吸をする。



「……悪かった。もう許可なく触れないから」


「い、いえ。いつも助けてくださって、ありがとうございます」



 ぺこりと頭を下げたアイラの髪が、サラリと揺れた。綺麗だな、と思っていると、すぐにアイラが顔を上げる。



「それで、あの…ここはお城の病棟ですか?」


「そうだ。……二日ほど眠っていたが、気分はどうだ?」


「ふ、二日…?」



 アイラは愕然としたように目を見開き、すぐに頭を横に振る。



「ええと、気分は大丈夫です。……あの、記憶を整理してもいいですか?」


「ああ」


「任務でランツ村へ行って、盗賊が出て、戦って捕らえて…火事に、なって…それで…」



 話しているうちに、アイラの声が震え始める。やはりそうか、とエルヴィスは思った。

 アイラには、やり直す前の記憶が―――炎に包まれた記憶が、残っているのだと。


 エルヴィスは心を痛めながら、できるだけ優しくアイラに声を掛ける。



「火事はもう心配しなくていい。君の魔術のおかげで被害は最小限で済んだし、村人にケガは無い」


「そ…う、ですか…」


「よく、頑張ったな」



 その言葉に、アイラが反応を示した。泣き出してしまいそうな表情を浮かべている。



「……私の体を支えてくださったのは、団長ですよね…?」


「そうだ」


「では、魔力を流してくださったのも…」


「俺だ。……悪い、あのときも手に触れていたな」



 思い返し、エルヴィスが慌てたように謝る。アイラはそれを見て、ふっと笑みを零した。



「ありがとう、ございました。団長のおかげで火が消せました」


「……俺には魔力が多くあるが、学んでもいない魔術は使えない。出来るのは、魔力を他人に分け与えることだけだ。その魔力で火を消し村を救ったのは、他の誰でもない、君の力だ」


「……エルヴィス団長…」



 エルヴィスには、持て余す程の魔力がある。


 魔力は遺伝するので、恐らく両親に魔力があったのだろう。孤児であるエルヴィスは両親を知らず、それを確かめるすべはない。

 いや、密偵のロイを使えば知り得るかもしれないが、別に知りたくはない、というのが本音だ。


 孤児院にいたときは、そもそも自分に魔力があることすら知らなかった。

 ひたすら体を鍛える毎日で、孤児院を失った時には当時の騎士団長が騎士団に居場所を与えてくれた。


 そこで魔力が多いことを知ったのだが、触れたこともない魔術を学ぼうとは思わなかった。

 アイラと出会ったあとは、少し学んでおけば良かったと後悔したことはあるが、それでもエルヴィスはやり直しの人生で、騎士として鍛錬を極めることを選んだ。


 騎士として、アイラを護ることを選んだのだ。



「団長、あの……」



 エルヴィスがじっと眼差しを向けていると、アイラは居心地悪そうにもぞもぞと動いた。



「……まさかとは思いますが、私が目を覚まさない間、ずっとここに居てくれていたわけじゃないですよね…?」



 その問いに、エルヴィスはぴくりと眉を動かす。



「ずっとでは、ない」


「そ、そうですよね。何だか眠っていた間、ふわふわと団長の魔力に包まれている感じがして…それがすごく、心地良かったのです」



 不思議ですよね、とアイラは苦笑した。エルヴィスは咄嗟に手を伸ばしそうになり、ぐっと拳を握る。

 そして、ガタンと音を立て椅子から立ち上がった。



「……第一騎士団の仲間が、心配している。今から呼びに行っても構わないか?」


「はい、ありがとうございます」



 アイラの顔がパッと明るくなり、エルヴィスは何だか悔しくなった。自分がいるときは、ずっと申し訳無さそうな顔をさせてしまうというのに。



「君が倒れたあとの詳細は、フィンにでも聞いてくれ。……俺は、これから仕事に戻る」



 思ったより素っ気ない声が出てしまったが、エルヴィスはこれ以上失態を晒す前にアイラから離れようと、病室の扉に手を掛ける。

 その時「エルヴィス団長」と名前を呼ばれ、顔だけ振り返った。


 そこには、花が咲くように微笑んでいるアイラがいた。



「目が覚めたとき、団長が居てくれて良かったです」


「……………そうか」



 それだけ言って、エルヴィスは病室を出た。

 扉を閉めた途端、ずるずるとその場にしゃがみ込む。額に手を当て、扉を背に天を仰いだ。



「勘弁してくれ……」



 廊下には、運良く誰もいなかった。

 騎士団長が顔を赤くして崩れ落ちている様子など、誰かが見ればたちまち噂になるだろう。


 エルヴィスはすぐに気持ちを切り替え、第一騎士団がいる訓練場へと向かったのだった。






 訓練場には、副団長のフィンを始めとした団員たちが皆揃っていた。

 エルヴィスの姿を見るなり、訓練を中断して整列しようとするので、片手でそれを制した。



「目を覚ましたから、見舞いに行ってやってくれ」



 その言葉を聞いて、最初に反応したのはフィンだった。



「団長、アイラが!?」



 そして次々と声が上がる。その全てが、良かった・安心したというような、心配から出る言葉だった。

 さっそく駆け出そうとしていた騎士の首元を、フィンが掴む。



「こーらデレク、突っ走るんじゃない」


「だって副団長、アイラは俺の村のために…!」


「そうだけど、そうじゃない。アイラはどの村でも同じ行動をしただろうし、何より彼女を心配してるのは皆も一緒なんだから」



 デレクはぐっと押し黙ると、黄緑色の瞳をエルヴィスに向けた。



「……団長、アイラは大丈夫ですか?」


「俺の思う“大丈夫“と、お前の思う“大丈夫”は違うだろ。……そうだな、副団長のフィンと新人仲間のデレクとリアム、それに今回同行していたギルバルトが先に面会したらどうだ?」



 エルヴィスがちらりと視線を投げかけると、フィンは名案だとばかりにポンと手を打った。



「ぜひその案で。俺たちのあとは…名前順でいいかな。よしそうしよう」


「副団長!ちょっと雑じゃないですか!?」


「いえ〜い。オレいっちばーん」


「ずりぃぞギルバルト!」



 わちゃわちゃと騒がしくなるが、これが第一騎士団の日常だということを、エルヴィスは知っている。

 早くアイラに会いたくてそわそわしているデレクの肩をポンと叩くと、「あとは任せた」と言ってその場を立ち去った。




 自室に戻ったエルヴィスを待っていたのは、案の定ロイだった。


 ニヤニヤと笑みを浮かべているので、病室での出来事はやはり見られていたらしい。

 エルヴィスの顔を見るなり、楽しそうに口を開く。



「いや〜、なかなか見応えあったぞ?ん?」


「頼むからその顔やめてくれ。視界に入るとイラッとする」


「ひっでーなぁ。そんなこと言われたら、次から会話も盗み聞きしたくなっちまうなぁ」



 あー傷付いた、とわざとらしく言ってから、ロイは真面目な顔になる。



「……ま、お姫さまが目覚めて良かったよ。病室にも時間があれば入り浸ってたしなぁ」


「………」



 ロイは、アイラの呼び方を“天使ちゃん”から“お姫さま”に変えたらしい。



「あの日、俺より先にお前が転移して助けに行っちゃうんだもんな。現地に着いたとき、お姫さまを抱えながら周りに指示を出してたお前を見た時の俺の気持ち分かる?」


「……それは、悪かったと思ってる。でも出来るなら、彼女を助けるのはいつだって俺でありたいんだ」



 エルヴィスの本心に、ロイは肩を竦めた。 

 「へいへい」と呆れたように言いながら、口元は笑っている。



「で?告白の一つでもしたのか?」


「……は?」


「してないのか。んじゃ、人生やり直しの話は?」


「それについては、話すつもりはない」



 エルヴィスはそう答えると、ある人物に手紙を出そうと準備を始めた。ロイの視線が突き刺さる。



「お前、それ本気か?」


「本気に決まってるだろ。彼女に余計な気を遣わせたくない。……今を幸せに過ごせているならそれで良いし、不安があるなら俺が取り除いてやれば良い」


「……それ、お前は幸せになれるのか?」



 ロイの問いに、エルヴィスは筆を走らせながら顔を上げた。



「彼女が幸せな姿を見るのが、俺の幸せだ」



 迷いも揺らぎもないその答えに、ロイはまた呆れたように笑うのだった。



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