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18.デレク・アルバーンの物語


 デレク・アルバーンは、小さな村で元気な産声を上げた。


 小柄で器用な母と、大柄で不器用な父。

 夫婦で農業を営み、細々と生活していた。



 デレクが四歳になる頃、弟が生まれた。そこから立て続けに、弟、弟、妹、双子の妹が生まれることになる。アルバーン家の家計は火の車だった。

 それでも、デレクは毎日が楽しかった。


 家族皆で掃除や洗濯をし、畑で作物を育て、近くの森で山菜を採ったり、川で魚を捕まえたりと、つまらないと思う暇も無く毎日が過ぎていく。


 例え、着ている服がボロボロでも、母親が寝る間も惜しんで繕ってくれていることを知っていたから、新しいものが欲しいとは思わなかった。

 例え、豪華な食事にありつけなくても、父親が一生懸命耕した畑で採れる野菜が美味しくて、それだけで満足だった。


 兄弟も仲が良い。

 喧嘩は毎日のようにするが、夜には必ず仲直りをして、皆で丸くなって眠るのだ。



 デレクが十歳の頃、父親が野菜の収穫をしながら問い掛けてきた。



「デレク、お前は何になりたいんだ?」


「……へ?」



 収穫を手伝っていたデレクは、額の汗を拭いながら眉を寄せた。



「何に、って?」


「だーから、ほら、夢とか憧れとかあるだろ?そうだなー…、城で働きたいとか」


「城ぉ?何言ってんだよ父ちゃん」



 デレクはケラケラと笑うと、籠に野菜をポイと投げる。



「マナーも何も知らない田舎の平民が、城で働けるわけないだろ?バカにされて終わりだよ」


「お前、そんなの分からねぇじゃねぇか」


「夢見すぎだよ父ちゃん。俺はここで、父ちゃんと母ちゃんを手伝う。それでいいんだからさ」


「デレク……」



 デレクは、申し訳無さそうな父親の顔が嫌だった。不幸だと決めつけられているような、そんな表情が。






「ねえ、デレク。お城の騎士なら、十五歳を過ぎれば平民でも試験を受けられるらしいわよ?」



 十一のとき、突然母親にそう言われた。

 デレクはナイフで薬草を刻みながら、ちらりと編み物をしている母親を見る。



「……何で?」


「だってデレク、たまに村に見回りに来てくれる騎士さまと、楽しそうに話しているじゃない」



 ふふ、と母親が笑い、デレクは見られていたことが恥ずかしくて目を逸らした。


 確かに、たまに城から派遣されてくる騎士から、色々な話を聞くことはデレクの楽しみの一つだった。

 デレクは、この村の外へ出たことがない。城下街の暮らしや、騎士団の任務など、未知の世界の話はとても新鮮で輝いて見えた。


 それでも、デレクはこの家を出てまで…家族と離れてまで、城で働きたいとは思わない。



「……別に、騎士になりたいわけじゃないから」


「どうして?私は、デレクがやりたいことを…」


「やめてくれよ!」



 ナイフを握る手に力が籠もり、ダン!と薬草を叩きつけた。静まり返った部屋に、外で遊ぶ弟や妹たちの笑い声が届く。



「……何なんだよ、母ちゃんも父ちゃんも。そんなに俺を、この家から追い出したいのかよ」


「……デレク」


「俺がいつ、外で働きたいって言ったんだ?俺のやりたいことをっ…、勝手に決めないでくれよ!」



 こんなに声を荒げたのは、三男が危険な遊びをした時以来だった。

 それでも、デレクは我慢できなかった。デレクの言葉に、母親が傷付いた顔をしていても。



「……デレク…私たちは、貴方に幸せになってほしいのよ」


「………」


「貴方の幸せの妨げに、なりたくないの。それだけは…覚えておいて」



 悲しそうに笑う母親に、デレクは何も言えなかった。ただ、ざらざらとした感情が残る。

 その日の夜、デレクは初めて家族と離れ、一人で物置小屋で毛布にくるまって眠った。





「よう、少年!」


「……あれ、見回り?」



 デレクは十二になった。

 森で木の実を拾って村に帰るところで、たまに見回りに来る騎士とばったりと出くわす。

 騎士はひらりと馬から降りた。後ろにあと二人、若い騎士がいる。



「どうだ、変わりはないか?」


「なーんにも。平凡な毎日だよ」



 デレクが籠いっぱいに拾った木の実を見せると、騎士は豪快に笑った。



「平凡な毎日こそ、幸せなものなのだよ少年!」


「……ふうん。おっさんの言うことっぽいな」


「お、おっさん…?」



 傷付いた顔をする騎士に、後ろの若い騎士二人の頬がピクピクと動いていた。笑いを堪えているようだ。


 そこからいつものように、近状を報告する。

 今年は豊作で野菜が美味しいとか、いつもより川に魚がいないとか、子ども目線の小さな報告を、騎士は毎回楽しそうに聞いてくれる。

 そして、代わりに騎士団での任務の話を聞かせてくれるのだ。



「それでな、相手が隙をついて飛びかかって来て、俺は華麗に避けたわけよ」


「本当に〜?おっさん鈍そうだし、尻もちついたりしたんじゃないの?」


「おい待て、少年の中で俺の評価は低すぎないか?」



 デレクにとって、騎士との会話の時間はかけがえのないものだった。


 去年の怒った日以来、両親は城での仕事を勧めてくることはなくなった。

 いつも通り農業を手伝ってはいるが、デレクの心に言いようのないモヤモヤがずっと残っている。



 ―――俺の幸せって、何なんだろ。



 最近、毎日のようにデレクは考えていた。

 目の前の騎士は、平凡な毎日が幸せだと言った。それならば、間違いなくデレクは今幸せなはずだ。


 けれど幸せなら、どうしてこんなに不安になるのだろう。



「……おっさん、次はいつこの村に来る?」


「んー?何もなければまたひと月後だろうな。何だ、寂しいのか?少年」



 ニヤニヤと笑みを浮かべる騎士に、デレクは唇を尖らせた。



「そんなんじゃないし」


「はいはい。そうだなーうんうん」


「頭なでるなー!」



 そして、次にデレクが騎士に会った時に、幸せの意味を知ることになる。






 その日は、珍しく朝から雪が降っていた。


 昼間でも空は薄暗く、どんどんと雪が積もる。デレクは家の扉の前に座り、雪ではしゃぐ弟と妹を見守っていた。

 最初に異変に気付いたのは、長女だった。



「ねえねえ、なんかあっちのほう、うるさくない?」



 長女が指を差したのは、村の中でも家が集まっている場所だった。今日は祭りでもないし、雪で皆はしゃいでるのだろうかと、デレクはぼんやりと思った。

 けれど悲鳴のような声が響き、瞬時に頭が冴える。



「……お前ら、家に入れ!」


「兄ちゃん?」


「いいから、早く!!」



 デレクが声を荒げると、すぐに次男が動いた。皆に手をつなぐように言い、ぞろぞろと家の中に入る。



「兄ちゃんは?」


「俺は父ちゃんと母ちゃんを探しに行く。いいか、鍵をかけて待ってるんだぞ」



 次男の頭をポンと叩き、デレクは駆け出した。父と母は、収穫した野菜を他の村人に配りに出ている。

 何事も起こっていないでくれ―――そのデレクの願いは、天には届かなかった。



 村の中央に、人だかりができている。

 村人は怯えており、その原因は数人の男たちのようだった。


 身なりから、荒くれ者だと一目で分かる。その手に光る赤く染まったナイフを見て、デレクはサアッと血の気が引いた。

 咄嗟に近くの木の後ろに隠れ、耳を澄ます。



「やめてくれ!食糧は好きに持っていけばいい!」



 最初に聞えたのは、村長の声だった。その内容から、男たちは賊だろうかとデレクは思った。



「言われなくてもそうするぜ?ただな、俺たちは逆らうやつには容赦しねぇんだよ」



 恐ろしいほどに、冷たい声がする。それと同時に、バカにしたような笑い声も複数響く。



「この男は、俺たちに何て言った?さっさと…」


「さっさと失せろと言ったんだ。何度でも言ってやる」



 賊の言葉を遮った声に、デレクは凍りついた。そんなまさか、と心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 震え始めた体をなんとか動かし、木の陰から顔を覗かせた。

 そこにいたのは、間違いなくデレクの父親だった。



「へえ、恐れ知らずな村人もいたもんだなぁ」



 賊の蹴りが、父親の腹に直撃した。父親は咳き込んでうずくまり、近くにいた母親が悲鳴を上げて駆け寄った。

 よく見れば、母親の腕には切り傷が付いている。



「さーて、どうすっかなぁ」


「お頭、さっさと見せしめにやっちまおうぜ」


「や、やめてください…!お願いですから…!」



 賊の言葉と、母親の必死の涙。

 父親に向けられたナイフを見て、デレクはその場から飛び出した。



「やめろーーー!!」



 叫びながら、雪玉を作って賊に投げ付けた。雪玉はお頭と呼ばれた一人に当たり、狐のような目がギロリとデレクに向けられる。


 体がびくりと強張った。両親に所へ向かおうとしていた足が止まる。

 賊がゆっくりと、デレクの方へ歩き始めた。



「デレク!逃げなさい!」



 母親の悲痛な叫びを聞いても、デレクは動けなかった。

 近付いてくる殺気に当てられ、呼吸さえ止まりそうになる。



「デレク!!お願い!!」



 目の前で足を止めた賊は、何の感情もない目でデレクを見下ろした。



「薄汚いガキが。失せろ」



 蹴飛ばされ、仰向けに倒れる。真上からナイフが振り下ろされる様子を、デレクは他人事のように見ていた。



「―――…」



 急に視界が真っ暗になり、自分は死んだのだと思った。

 けれど、それよりも恐ろしいことが起こっていたのだと気付く。



「……とう、ちゃん…?」


「おお、デレク。……大丈夫か?」



 デレクに覆いかぶさるようにしていた父親が、その顔に笑みを浮かべた。

 そして、そのまま体が横にゆっくりと倒れていく。



「父ちゃん!?」



 起き上がったデレクは、ひゅっと息を飲んだ。

 父親の背中に刺さるナイフが目に入る。そこから流れ出る血が、真っ白な雪を赤く染めていく。


 がくがくと震えだしたデレクの耳に、野太い声が響いた。



「お頭ぁ!やべえ、騎士団が…っ」


「逃げ、ぐわぁっ!」



 デレクの横を、賊が駆け出して行った。父親を刺した男だ。

 そしてその背中を、追い掛けていく騎士がいた。


 騎士は素早く抜いた長剣で、お頭と呼ばれた賊の背中を躊躇いなく斬りつける。

 賊が倒れたのを見届け、デレクは父親を再び見た。背中のナイフは間違いなく刺さっているし、流れ出る血は止まっていない。


 そっと背中に手を添えると、父親が薄く目を開けた。



「う……、デレク、何が…」


「騎士団だよ、父ちゃん。騎士が、賊をやっつけてくれたよ」



 デレクはそう言って笑った。笑ったが、目元がじわりと熱くなった。

 父親の背に置いたデレクの手の上に、冷えた手が乗せられた。母親だった。


 ポロポロと涙が零れ落ち、唇を噛んでいる。今すぐに叫びたくなる衝動を、必死に抑えているようだった。


 母親のその様子で、デレクは全てを悟った。

 ―――父親はもう、助からないのだと。



「父ちゃんの…幸せって、何だ?」



 ポツリとデレクが呟いた言葉に、父親の虚ろな視線が向く。



「……俺の、幸せは…お前を…お前たちを、護れたことだなぁ…」


「…………何だよ、それ…」


「お前たちが…護りたい存在があるから、俺は…強くなれる。……それが、幸せだ」



 父親の大きな手のひらが、デレクの頬に添えられた。



「……お前は…俺と似てるんだよ…デレク。きっと、……誰かを護ろうとすれば、強くなれる」


「………っ」


「……母ちゃんたちを…頼んだぞ」



 最期の力を振り絞り、父親が笑った。

 デレクの頬に触れていた手のひらが、力なく滑り落ちる。


 呆然としているデレクの体を、母親が力強く抱きしめた。そこでようやく、大きな涙の粒が頬を伝った。



「かあ…ちゃ、父ちゃん、が…」


「うん…うんっ…!」



 そこからの記憶は、あまりない。

 ただ、もう動かない父親の体に、雪が降り積もっていく光景だけが、デレクノ目に焼き付いていた。






 そして、翌日のことだった。


 一人の騎士がデレクの元を訪れた。それはいつも見回りのとき話していた人物で、父親の敵を討ってくれた騎士だった。



「……おっさん…」


「突然ごめんな、少年。どうしても、君に伝えたいことがあった」


「……俺もだよ。おっさんの言う通りだった。平凡な毎日が、幸せだったんだ」



 デレクが乾いた笑い声を漏らすと、騎士は顔を歪めながら一枚の紙を取り出した。

 そこに書かれていた文字に、デレクが眉を寄せる。



「……騎士の募集要項なんて、どうして俺に?」


「単なるお節介だよ。この国の騎士となるのに、出自は問われない。それに…出世すれば、給料は跳ね上がる」


「………」



 デレクは苦い顔をして騎士を見た。

 父親を亡くした今、母親だけで子ども七人を養うには無理があると、デレクには分かっている。



「お前にやる気があるのなら、一年なら俺が稽古をつけてやれるぞ」


「……一年?」


「そうだ。一年後、国境の砦を任されることになってなぁ」


「……左遷?」


「んなっ!?ちげぇよ、出世なのコレは!」



 は、と自然と笑みが溢れた。そのことに自分で驚いたデレクは、そのときに心に決めたのだ。



 ―――誰かを護ろうとすることで、強くなれると父ちゃんが言ってくれた。それなら俺は、誰よりも家族を護りたい。



「……おっさん。……いや、師匠!よろしくお願いします!」






***



 パチパチと、焚き火が爆ぜる音が暗闇に響く。



「……んで、そっから一年剣術を叩き込んでもらって、そのあとは独学でひたすら体を動かしてた」


「………」


「母ちゃんはずっと心配してくれててさ。でも俺は、家族の為に強くなって、出世するのが目標で………、アイラ、そんな泣くなって」



 デレクが困ったように笑い、アイラを見る。アイラはポロポロと涙を流しながら、首を横に振った。



「……だって、私…そんな、全然知らなくて…」


「俺が言ってなかったんだからさ…ごめんな。父ちゃんの死はもう乗り越えてるから、そんな心配しなくて平気だから」



 アイラとデレク、ギルバルトは村の外れに移動し、焚き火を囲っていた。

 このあと順に周辺を警備し、何事もなければ野営をし、明日城へ帰ることになっている。


 デレクが身の上話をしている途中から、アイラはずっと涙を流していた。

 ギルバルトは腕を組み、木にもたれかかって聞いている。珍しく茶化したりはせず、ずっと黙ったままだ。



「とにかく!アイラのおかげで、母ちゃんとちゃんと話せたから、ありがとな。相変わらず早く恋人を見つけろって言われたけど」



 明るく笑ったデレクに、アイラは大きな瞳に涙を溜めたまま微笑んだ。

 その美しい微笑みに、デレクは目を奪われる。


 本当に、アイラが恋人だったらどんなに嬉しいか―――そう考えて、デレクは顔が熱くなった。



 入団試験の日、初めてアイラを見たとき、衝撃が走った。

 それが恋だと自覚するのに、時間はかからなかった。態度に出てしまっているが、今のところアイラに気付かれている様子はない。


 アイラは見目麗しいだけでなく、強かった。

 だからこそ、アイラと肩を並べられる存在になりたいと、デレクはそう思っている。



「……アイラ、俺は…」


「静かに」



 突如、ギルバルトが鋭い声を上げ、唇に人差し指を当てた。

 デレクとアイラは顔を見合わせ、すぐに剣の柄に手を掛ける。


 デレクは、人の気配を探るのが上手い方ではない。どちらかといえば、野生の勘が働く方だ。

 そして、その野生の勘が告げた。



「―――後ろだ!」



 デレクの声と同時に、木の陰から複数の人影が飛び出してきたのだった。



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