11.やり直しの人生
夜の静けさが辺りを包む。
騎士団長のエルヴィスは、入団式を終えてから、ずっと事務仕事をこなしていた。
依頼された任務の割り振り、報告書の確認、必要経費の処理、その他諸々。
団長の目を通した方がいいものは、なるべく自分でやるようにしていた。それ以外は副団長たちに任せている。
事務だけの人間を雇ってもいいのだが、現状では特に滞りなく行えているため、エルヴィスは考えていなかった。
ふう、と一息吐いたとき、窓が小さく音を立てて揺れた。
エルヴィスは咄嗟に警戒体勢を取るが、馴染みのある気配を感じて気を緩める。
すぐに窓が開き、そこから一人の人物がひらりと入ってきた。
ほとんど音もなく静かに着地すると、その目がエルヴィスに向けられる。
「あれ、まーだ仕事してるのかよ」
「遅かったな」
群青色の頭をポリポリと掻いた男に、エルヴィスはそう言って頬杖をついた。
「で、報告は?」
「ちょっとひと息つかせてもらえませんかねぇー?騎士団長さま?」
「無理だ。却下」
「へいへい」
男が軽い調子で答え、身を包んでいた黒い外套を脱ぐと、近くのソファにドカッと座った。
「えーと、端的に言うと、お前の言ってることは当たってた」
「……そうか。対処は?」
「そりゃあもちろん、上手くやったぜ?俺が現れたときのヤツの顔、見せてやりたかったな」
そう言って、男がくつくつと笑う。反対に、エルヴィスは顔を曇らせた。懸念は一つ消せたが、まだまだ湧いて出てくるだろう。
じっと考え込んで黙るエルヴィスを、男は「そんな姿も絵になるなー」と茶化す。
「まっ、とりあえずお前がこの前言ってたことは、信じることにする。信じられないけどな」
「ん。信じられないのは俺自身も一緒だからな」
エルヴィスは自嘲気味に笑った。信じられないが、事実である。
今日起こるはずの出来事が、今日起きた。それが起こることを、エルヴィスは三年前に一度経験して知っていた。
―――エルヴィスも、やり直しの人生を歩んでいたのだ。
その理由も、想像はついているし、間違いないとも思う。けれど、エルヴィスはそれを誰かに話すつもりはない。
ただ、目の前の男には、自分が三年ほど時を遡っていることを伝えていた。
「そういや、第一騎士団が面白いことやってたな」
「……ふーん?」
「いや、分かりやすい反応するなよ!ぶはは!」
第一騎士団、と聞いてピクリと肩を揺らしたエルヴィスは、男に爆笑されてしまった。じろりと睨めつける。
「はー、お前のその人間らしい反応を、騎士団の皆に見せてやりたいよなぁ。普段はデキる上司の仮面つけちゃって」
「うるさい。いいから早く内容を話せ」
「新人と二対二の試合してたぜ。天使二人とオーティスとギルバルトだったな」
「天使二人?」
眉をひそめたエルヴィスに、男がニヤリと笑う。
「そ。一人はお前の麗しの天使ちゃん。もう一人は男だけど、金髪と水色の目の美少年」
容姿の説明で、エルヴィスの頭にすぐに思い当たった人物の顔が浮かぶ。
リアム・オドネル。伯爵家の令息で、推薦を受け入団した少年だ。
幼い頃から剣を握っていたということもあって、太刀筋は見事なものだった。
「いやぁ、すごい戦いだったぜ?最後は王子が姫を護るようにして勝ってたな。いや〜あれは絵になってた。おっさんキュンとしちゃったもんなぁ」
男がニヤニヤとエルヴィスを見ながらそう口にした。反応をからかおうとしていることが嫌でも分かるが、平然を装うことは難しかった。
特に、アイラの話題に関しては。
「……それで、そのあとは?」
「談話室に移動されちゃったから、そのあとのことは分からん」
「使えないな」
「おーい、お嬢ちゃんのことになると途端にひどくない?」
エルヴィスだって、頭では分かっているのだ。わざとらしく泣くふりをするこの男が、いかに自分のために動いてくれているか。
でも、日中アイラに近付く理由のないエルヴィスには、男の情報だけが頼りだった。
会う口実など、団長の立場を利用すればいくらでも作れるのだが。
―――彼女が俺を見る目には、驚きと戸惑いが表れていた。それは、俺の珍しい髪色と瞳の、容姿に対するものなのか、それとも―――…。
そのとき、誰かが部屋に近付いてくる気配を感じ、エルヴィスは男に視線を向けた。
さっきまで顔を両手で覆ってめそめそ言っていた男は、すぐに真剣な顔で外套を羽織ると、先程入ってきた窓に足を掛ける。
「残念。もうちょっとからかいたかったけど時間だな」
「早く行け」
しっしっ、と手で追い払う仕草をしたエルヴィスに、男は苦笑した。
「んじゃ、明日はお嬢ちゃんのもうちょっと良い情報を仕入れられるように頑張ってくるぜー」
「……ありがとな。ロイ」
名前を呼ばれ、ロイは少し目を丸くする。この名前は、本当の名前ではなく、密偵の役割のためにエルヴィスが与えていたものだった。
仮の名前で呼ぶのはなんとなく嫌だ、と当初からなかなか呼ばなかったエルヴィスだったが、アイラを見守ってもらう以上、そんなことは言っていられない。
ロイは返事の代わりに親指を立てて笑うと、闇に溶けて消えていった。
少しして、団長室の扉がノックと同時に開かれる。
「団長〜夜分に失礼します」
「いつもいつもお前は…」
扉の先にいた人物に、エルヴィスはため息を吐き出した。副団長のフィンだった。
フィンはいつもノックと同時に部屋に入ってくるのだ。
「俺が女でも、お前は同じことをするのか?」
「団長が?女??……いや〜、それはすごい色気を放つ美女になりそうですね。見てみたいなぁ」
「……そういう話じゃない」
どうしてこうも軽い人間が集まるのか…と頭を抱えたくなるエルヴィスだったが、仕方がないと諦める。
実際、この楽観さに助けられることもあるのだから。
「それで、要件は?」
「はい。これは隠しておくとそのうち団長の雷が落ちそうなので…話しにきました」
「……嫌な予感しかしないが、聞こう」
エルヴィスは、人差し指でこめかみをトントンと叩く。既に頭が痛い、と言っているのが伝わったようで、フィンは苦笑した。
「うちの、新人騎士…アイラ・タルコットの件なんですけどね」
「……………ああ」
「実は、補助魔術が使えるんです」
やけに神妙な顔を作ってフィンがそう言ったが、エルヴィスは内心それがどうした?と思っていた。
エルヴィスは、前からアイラの存在を知っている。アイラの魔力が高いことも、かつて魔術学校へ通い、補助魔術を極めていたことも。
だから、フィンの言葉は言われるまでもなく知っていることだったのだが、それが今のエルヴィスが知り得ない情報だということに遅れて気付く。
「……補助魔術、か?」
何とか声を発すると、フィンは不思議そうに首を傾げた。
「団長、あんまり驚いてないですね。もう知ってました?」
「いや。ただ…彼女はタルコット家の娘だろう?魔術が使えるのは驚くことじゃないからな」
「ええ〜…でも、実際見たら凄いですよ。アイラの魔術の細やかな調整は、そのへんの魔術師より正確だと俺は思います」
嬉しそうにそう言ったフィンに、エルヴィスは若干の苛立ちが募った。
まるで自分が一番アイラの能力を知っていると言わんばかりの顔に、手元の書類をバサッと投げ付けたくなっている。
けれど今、アイラに一番近い位置にいるのは、副団長であり、第一騎士団に所属しているフィンなのだ。
アイラの稽古を二年も内緒で受け持っていたことも、エルヴィスは未だにこっそり根に持っている。
いや、稽古のことは知っていたし、エルヴィスが勝手に相手が男だと思っていただけなのだが。
「……それで、その補助魔術が使える新人騎士を使って、第一騎士団のためになることを考えているってわけか?」
「まあ、そういうことです。使って、っていう言い方が嫌ですけどねー。オーティスにも利用しようとしてるとか言われましたし」
フィンは肩を竦めているが、エルヴィスには困っているように見えなかった。むしろ、頭の中ではどうやってアイラを効率良く使おうか楽しんで考えているに違いない。
エルヴィスの知っているフィンは、そういう男だった。
一つに結わえた銀髪に、真珠色の瞳。綺麗に整った顔。
城で働く女性の使用人たちからは、“白銀の白馬の騎士”と呼ばれもてはやされている。
爽やかに振りまく笑顔の一方で、常に打算的に行動していることを、彼女たちは知らない。
その頭の回転の良さから、副団長に抜擢している。エルヴィスは、その判断が間違いだと思ったことは一度も無かった。
「第一騎士団の役に立てるとお前が思うなら、しっかり育ててやれよ、フィン」
「はい。そのつもりです。……あ、団長もそのうちアイラの補助魔術を試してみてくださいね」
「……は」
エルヴィスは思わず間の抜けた声を漏らした。が、フィンは気にせず続ける。
「アイラが言うには、補助魔術は使う者と対象者の魔力の相性が関係してくるらしいんです。もし団長の魔力とアイラの魔力が相性抜群なら、最強の騎士団ができると思いません?」
得意げな顔で人差し指を唇に当て、フィンがニヤリと笑った。エルヴィスは、その言葉にごくりと喉を鳴らす。
最強の、騎士団。歴代の騎士団長が目指し、そこへ至るために築いてきたものが、今ここにある。
大切な騎士団を護るために、エルヴィスは団長の座を譲り受けた。
人生が少しばかり巻き戻る起点となった日は、ちょうど今日の昼頃で、今はもう夜だ。
この先に歩む道に、何が起こるのかはもう分からない。
前回の人生と変わらず、エルヴィスは騎士団長として過ごしている。
変わったのは―――アイラが、同じ騎士となっていること。
そんなアイラと共に騎士団を築いていけるならば、どんなに幸せだろうとエルヴィスは想像した。
「……エルヴィス団長?」
「ああ…悪い。そうなれば良いなと考えていたんだ」
「ふーん?やっぱり団長も、アイラを狙ってるんですかね?」
「待て待て、どうしてそうなる?」
最強の騎士団の話をしていたはずが、何故かアイラを狙っている話になっている。しかも、団長も、である。
フィンは小憎たらしい笑みを浮かべていた。
「だって団長、今すごく良い顔してましたよ?アイラと一緒に戦う姿でも想像したんですよね?」
「それは…」
「今朝たまたま顔を合わせたときは、何だか緊張してたみたいですしねー。まあ分かりますよ、あの顔を嫌いな男はいないでしょう」
「おい…」
「実際、第一騎士団のやつらもソワソワしてますし。新人騎士のデレクなんか、あれはもう落ちてますね。リアムも怪しくなってきたなぁ」
「………」
エルヴィスが黙り込んだことに気付かず、フィンがペラペラとしゃべっている。
じゃあお前はどう思っているんだ?とエルヴィスは聞きたくなったが、余計にややこしくなりそうな気がして口を挟むのを諦めた。
アイラに人を惹きつける魅力があることを、エルヴィスはじゅうぶん分かっている。
初めて会ったときは、可憐な容姿に目を奪われた。真っ直ぐで、努力家で。少し抜けているところがあるのも知っていた。
それなのに、魔術学校で不当な扱いを受け、引きこもってしまったアイラ。そんなアイラに手を差し伸べられる距離に、エルヴィスはいなかった。
―――でも今は、前よりずっと近くにいる。何故騎士の道を選んだのかは分からないが、魔術学校でまた傷つく彼女を見ずに済むんだ。今度こそ、俺の力で護りたい。
「……フィン、おしゃべりはもう終わりにしろ。夜も遅い」
「ええ〜…、はいはい分かりましたそんな凍てつく視線を向けないでください」
「そうだ、さっきの補助魔術の件だが」
そそくさと扉に手を掛けていたフィンが、顔だけ振り返る。できるだけ何とも思っていない風を装って、エルヴィスは続けた。
「近い内に、俺にも試させてくれ」
***
副団長のフィンが、団長室から出て廊下を歩いていく様子を、ロイは遠く離れた木の上から見ていた。
黒い外套を身にまとい、完全に闇に紛れるように、じっと座っている。気配を殺すのも慣れたものだった。
ロイは、エルヴィスが孤児院にいたときからの知り合いだ。
友人と呼ぶには少し違う。今は密偵として雇用関係が成り立っているが、知り合いと呼ぶのがちょうど良いと、ロイは思っている。
孤児院を出て、騎士団長になったエルヴィスが歩む人生を、近すぎず遠すぎず、ずっと見守っていたのはロイだった。
だからこそ、「時を巻き戻ってやり直しの人生を歩んでいるらしい」と他人事のように告げられた時は、心底驚いたのだ。
エルヴィスには、大切に思っている少女がいる。
その少女に関係していることだと言われれば、ロイは納得するしかなかった。
できれば、幸せな人生を歩んで欲しい。親心にも似たその気持ちは、ロイの中にずっとあった。
だから、彼の手足となることを自ら望み、密偵となった。
仕事内容は、騎士団及びその周辺の動向観察で、不審な動きがあった場合は内々に処理をすること。
暗殺の心得があったロイだからこそ、エルヴィスのためにできる汚れ仕事だ。
「アイラ・タルコット、ね……」
渦中の少女の名前を、ポツリと呟く。
エルヴィスが言うには、アイラもやり直しの人生を歩んでいるらしい。
会って話してみたいなぁ、そんな願望をロイは抱いた。密偵という立場上、簡単に姿を表すわけにはいかないのが悩みどころだ。
「……お前が幸せになれるよう、おっさんは陰ながら見守ってやるからな」
その言葉と共に、ロイは音もなく闇夜に消えていった。




