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星屑のテオレム  作者: 柘植加太
第一話
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狂人ムーブ

 阪崇人。出身小学校は城北小学校、中学校は西中学校。中学時代は学校の空手部には入部せず地域の空手道場で鍛錬を積んでいた。自己主張をするタイプではなく、控えめな性格。

「不良に絡まれてても絶対に手を出さないし、手を出されても無抵抗だったらしいよ」

 いつひが屋上で崇仁を見かけた翌日の昼休み。中庭のベンチに並ぶのはいつひと重光だった。崇人の説明を興味無さそうに聞いていた重光だったがふと呟く。

「大会前に腕とか折ろうとしたらさすがに怒るかなー」

「武藤くんさあ……それは引くわ……」

 普段から他人のことなどお構いなしの重光の態度には慣れているつもりのいつひだが、時々このようにして彼は物事の捉え方が根本的に違う人種なのだなあと思い知らされる。気持ちを切り替えるためにさっき購買で手に入れたドリンクに手を伸ばした。

「イッヒー何飲んでんの?」

「ホルモンスープだよ。こってり脂味が癖になるんだよね」

「やばいな、イッヒーは」

 ゲ、と重光は舌を出して呆れる。いつひは「心外だなあ」と口を尖らせながらホルモンスープをストローですすった。

「西中ってことは桜庭くんと同じだし、クラスの三笠ちゃんとも同じなんだよね」

「じゃあセンパイと会ってくるわ俺」

「それは桜庭くんに絡む口実が欲しいだけじゃん」

 重光は湊叶にやたらと絡む。曰く、反応が子犬みたいで面白いから、だそうだ。

「最近センパイが馬鹿と一緒にいるからあんまり遊べてない」

『馬鹿』というのは光汰のことである。

「そだねぇ……」

 それはきっと湊叶が狙ってやっていることなのだろう、といつひは思ったがそれを口に出すと面倒なことになりそうなので黙っておくことにした。

「じゃあボクは阪くんに会ってこようかなー。放課後は昨日みたいに部活してるだろうし今行こっ!」

 ホルモンスープを飲み干したいつひはぴょんっと跳ねるようにベンチから立ち上がる。横の重光は「おー」と適当に返事をしてひらひらと手を振った。


 ◆◆


 崇仁のHRは一年五組。全学年通して五組はスポーツ特待生中心に固められている。ストイックな雰囲気が漂ってくる気がするこのクラスが苦手ないつひは普段五組に近づくこともなかった。

 ネオンイエローのパーカー姿のいつひがひょっこりと廊下から教室へ顔を覗かせると扉近くにいた女子生徒が(なんとなく陸上部っぽい、といつひは思った)声をかけてきた。

「誰かに用事?」

「うん。阪くんっている?」

 いつひが小首をかしげて尋ねると女子生徒は頷いて教室のほうを振り返った。

「阪ー」

 教室の窓側後方の席、男子が数人固まって談笑している。机に軽く腰掛けていた崇仁は振り向いて首を傾げた。

「呼ばれてるよ」

「……誰?」

 訝しげな崇仁の問いかけにいつひは「えへへ」と相合を崩し、頭に手を回した。

「八組の賀川だよ。昨日の昼休み──」

「っと待っった」

 腰掛けていた机からずり落ちそうな勢いで崇仁は手のひらを突き出し、いつひの続く言葉を制止した。いつひは大きな目でぱちぱちと瞬きした。手のひらを突き出した体勢でいつひの元までやってきた崇仁は「えっ、昨日の昼休みがなんて?」と小声で尋ねた。

「どしたの阪、彼女?」

 そんな崇仁の背中に友人から声がかかったが阪は全く反応しなかった。いつひのことをじっと見つめている。こんな態度を取ってしまったらあとから弁明が大変そうだなあ、と思いつついつひは「昼休み、屋上に来たでしょ?」と返した。

 崇仁の表情が一気に曇る。自分が屋上で不穏な行動をしていた記憶はあるようだが、そこにいつひがいたことは記憶していないらしい。

「あとで、いいかな」

「いいよぉ」

 いつひは頷く。屋上にふらりと現れることが、ここまで他人に知られたくないことだろうか? だとしても、とても正直で素直な人だ。いつひならとりあえずシラを切る。

 ありがとう、と小声で言った崇仁は顔の前で手刀を切って席へ戻っていく。友人たちから揶揄われているようだった。


 ◆◆


 六限目のあと、いつひと重光が教室から出ると崇仁が廊下で待っていた。いつひに「や、」と手を挙げて声をかけた崇仁に重光が「誰」と間髪入れずに威嚇し始める。

「五組の阪。賀川さんと話したいことがあって」

「ってことなのでちょっと待ってて武藤くん」

 いつひはそう重光に言い、彼を置いて崇仁と二人で話せるところへ向かった。


「俺めちゃくちゃ睨まれてたけど」

「あー、ごめんね。たぶん大丈夫」

 振り返りながら重光のことを気にしている崇仁にいつひは軽く返した。

「武藤だよな。入学早々暴れてた」

「そそ。ボクからお礼参りとかしないように言っとくからねー」

「お気遣いどーも」

 困ったように笑って言う崇仁の態度は余裕が見えた。重光のことを気にしていたのは逆恨みを恐れてではなく、単純に重光の気を悪くしたのが気にかかったようだ。

「さすが武術家だね」

 いつひが言うと「力は強いみたいだけど、何て言うか……武藤の暴れ方は小さな子のそれに似てるから。あ、仲が良いみたいなのにごめんな。でも俺、ああいう奴好きじゃなくて」と崇仁は眉を下げた。

「いいよいいよー。武藤くんが嫌われるのは当然だからさ。入学式での騒動、一年はみんな知ってるもん」

 あっけらかんと笑ういつひが少し意外だったのだろうか、崇仁は少し面食らったようだった。

「なんか、阪くんって真っ直ぐだね」

「よく言われる」

 理科棟付近に着いた。

「──本題に入るんだけど、賀川さん。昨日見たことは黙っていてほしい。お願いだ。黙っていてくれるなら……出来ることなら何でもする」

 周囲に人気が無くなった途端、崇仁は頭を下げて絞り出すようにいつひに言う。崇仁の深刻そうな様子にいつひは一瞬呆気に取られてしまった。昨日いつひが見たのは屋上のフェンスに手をかけたところだけだ。『何でもする』とまで言わせるような事柄ではない、と思うのは自分が事情を知らないからだろうか。

「じゃあ、どうしてそこまで知られたくないのかは知りたいかも」

「……そりゃ、だって、昨日のことが公になったら、俺は大会に出られなくなる」

 崇仁が伏し目がちに返した答えにいつひは目をパチパチと大きく瞬かせた。それから首をかしげ、困惑しきった表情を浮かべる。

「なんで?」

「なんで、って……! 星憑きは公式試合に出られないから……!」

 いつひの疑問に崇仁も不思議そうな表情で返す。ここで二人は気づく。お互いに何か勘違いをしているのではないか、と。

「んん? 阪くんって星憑きだったの?」

 この質問で両者の頭に浮かんだ疑念は確信へと変わった。いつひが言う「昨日の屋上での出来事」と崇仁の言うそれの間には大きく齟齬が生じている。

 しばしの沈黙のあと、おずおずと切り出したのは崇仁だった。

「ごめん、全部忘れて欲しい」

 ──土台無理な話だった。


 ◆◆


 いつひから置いてけぼりを食らった重光はあからさまにつまらなさそうな様子で廊下をぶらついていた。面白くない。名前はもう忘れてしまったが、あの男は昨日屋上に来ていた奴だ。いつひの用が済んだら一発二発殴ってやらないと気持ちが収まらない。

 昼休みには会えなかった湊叶のところにでも行こうか、と重光は二年棟へと足を向かわせる。湊叶のクラスは何組だったか、と思い出しながら歩いていると不意に教室から飛び出してきた人間と思い切りぶつかった。

「ぅ、イッてぇ!」

 オーバーによろめいた男子生徒は顔を手で覆いながら重光を見上げる。短いねこげ、ほとんど無い眉。どこか爬虫類を彷彿とさせるその男子を重光は無言で見下ろした。

「うわビックリしたー! 壁が歩いてきてんじゃん!」

 重光の眼光に怖気づくことなくケラケラと笑い、指をさす男子。ぴく、と重光のこめかみが小さく痙攣する。不愉快だ。

「何してんだ由瀬(ゆせ)──げぇっ」

 由瀬と呼ばれた不躾な男子の後ろにいたクラスメイトたちは重光の姿を確認すると揃って顔を引き攣らせた。そちらにも視線を送ったあと、重光は由瀬を再び睨み下ろす。すると由瀬はわずかに目を眇めてからニヤニヤと挑発的な表情を浮かべるではないか。重光の予想から外れた反応を返してきた由瀬に重光はノーモーションで拳を繰り出した。

 普通の人間ならば何が起こったかすら理解できずに昏倒していただろう。しかし、重光の拳は空を切った。躱され、掠りもしなかったのだ。由瀬は影も残さずかき消えていた。

 重光の拳を鼻先に突きつけられた格好になってしまったクラスメイトが急速に顔色を失くす中、廊下の窓側から笑い声。

「どうせだし巨人退治でもしておくかー! 駆逐駆逐、っとぉ!」

 窓枠に腰掛けた由瀬のものだった。重光はゆっくりと振り向くと、能面のような表情(かお)で由瀬を見据えた。

 重光は人をからかうのは好きだが、からかわれるのは大嫌いである。

 雰囲気が変わった重光にさすがに恐怖を覚えたのか、由瀬は小さく震えた。

「およ、めっちゃキレてる感じ?」

 由瀬はおどけたが、それは怯えを隠すためのようにも見えた。重光は軽く首を後ろにもたげる。その次の瞬間、耳を劈く窓ガラスが粉々に割れる音が響いた。

「……うるせー」

 窓を拳で突き破った張本人が眉を寄せて呟くという、ツッコミ待ちのような状況であるが──廊下は水を打ったように静まり返った。重光は不思議そうにあたりを見渡す。由瀬がいない。外に吹き飛んだのかと思ったが、いない。

 ひりつくような静寂を破ったのは乱暴な足音と「武藤ーっ!」という怒号だった。

 由瀬と同じ教室から飛び出してきたのは重光の探し人、桜庭湊叶その人だった。見開いた目の朱色の瞳は怒りで震えている。

「お前……このっ……!」

「あっ、せんぱいだ!」

 対照的に重光の瞳は嬉しそうに輝く。由瀬のことなど頭から吹き飛んでしまった。湊叶は重光と粉々になった窓を交互に見比べると喝破する。

「なんでこうなった!?」

「ムカつくやつがいたから殴ろうとしたらこうなった」

 重光は湊叶と会えて嬉しいのだが湊叶はそうでもないらしい。その上、せっかく頭から吹き飛んでいた由瀬のことを思い出してしまったので重光の表情に影がかかる。

「どんなクソエイムだよ。片付けるぞ馬鹿」

 湊叶が大きなため息をつく。重光は首をかしげた。

「せんぱいも一緒?」

「そうしねーとお前その辺の奴捕まえてやらせるだろ」

「まあ、そうする」

 頷く重光。空気が緩んだ。

 湊叶のおかげでなんとか丸く収まりそうだ、と安堵した周囲の生徒たちは「湊叶が一緒にやらなくても見張っていればいいのでは?」「もしかして親御さんかな?」などと脳内でツッコミ出来るくらいの余裕を取り戻していた。

 ところがその平穏はすぐに破られてしまう。

「あれッ、巨人が片付けしてて草」

 笑い含みの声。桃色髪の由瀬がいつの間にか現場に戻っていた。怪我一つ無い姿で二年二組の教室の扉前に立っている。ニヤニヤ顔もそのままだ。

「お前か……!」

 湊叶が苦虫を噛み潰したかのような表情で由瀬を見やり、重光は再び表情を失くすと通に躍りかかっていく。

「ッ、由瀬の能力とお前は相性が悪いから──」

 湊叶が何か言っているのは聞こえていたが、いま最優先されるべきは由瀬をぶん殴って泣かせることである。重光の拳が今度こそ由瀬へと届くと思われた瞬間に再び彼は姿を消した。

「あ?」

 三度めの空振りに重光のこめかみが痙攣する。気配を感じて振り向けば割れた窓の向こうから由瀬がおどけた顔をのぞかせていた。

「おい武藤、相手するだけ無駄だっての! お前は掃除をしろ!」

 般若もかくやと思うほどの形相で由瀬を睨む重光に湊叶は親ばりに怒鳴る。しかし重光には全く聞こえていない。殺気立った面立ちのまま窓枠に手をかけ、飛び越えた。窓枠にはガラスの破片が多く残っていたので当然重光の手は傷だらけになったのだがそんなことは今の重光には些末なことに過ぎない。

「うひゃひゃ、闘牛士になったみてぇ!」

 ケラケラと笑う由瀬はますます重光を煽る。今度は一瞬で校内に戻ると、湊叶の肩に手を置いた。

「いやぁ、巨人も大したことねーのな!」

 そう湊叶に話しかけた由瀬だったが、湊叶にその手を取られ──見事に投げられた。廊下に強か背中を打ち付けた由瀬は「けふぅ」と息を吐き出し目を瞬かせてから湊叶をまっすぐ見つめた。

「はぁ! ?」

「『校内でむやみに異能を使用した場合、生徒会による制裁を受ける』って校則にあんだろ」

 大声を上げた由瀬に対し、湊叶はなんとも淡々としている。

「ま、今回は俺より恐ろしい制裁が待ってそうだけどな」

「──ッ、冷めたわ! 覚えてろよぉ!」

 三下の常套句を残し、由瀬はまた姿を消した。肩をすくめた湊叶の後ろにゆらりと人影が立つ。

「……何で逃した」

 身体に絡みつくような低い声。重光だ。軽く握った拳からぽたぽたと血を落としながら、湊叶を見下ろしていた。

「逃がした訳じゃねぇけど」

 湊叶は平静を装って答えたが、一時でも気を抜けば身体が震えだしそうだ。重光は「は?」と首を軽くかしげた。周囲の生徒たちは既にそそくさと退散していた。

「あーーー、イライラする」

 前髪を雑にかき上げた重光は湊叶を冷たい目で見下ろすや否や足払いを仕掛ける。やはり標的変更か、と湊叶は突然の攻撃を軽く飛び退いて避けた。続いて湊叶を捕まえようと伸びてくる重光の手。もう言葉でどうにかする段階ではなさそうだ。攻撃を掻い潜り、懐へ飛び込む。

(俺の異能は屋内向きじゃねぇけど、一瞬なら)

 あまり生身の人間相手に異能は使いたくないのだが、重光は別だ。殺す気で向かわないと相手にならない。

 湊叶の左手に炎が灯った。至近距離に突然発生した高熱に重光は顔をしかめる。異能で作り出した炎をまとった手刀が重光の首を打つ。「ケホ」と咳き込む重光、隙を突けたようだ。

 次の一手はどうするべきか。いや、重光の動きを止める方法なんて、今の湊叶には思いつかなかった。フラッシュバックするのは、入学式で暴れた重光を止めようとしたときの──トラウマ。


 ──入学式が終わり、新入生が退場する場面。重光は近くにいた強面の男子に難癖をつけると暴れだした。『生徒会』としていの一番に駆けつけた湊叶に対して、重光は嬉しそうに笑っていた。ふざけたやつ、と思いながら重光と相手の男子との間に入った湊叶だったが制止のために上げた手を「あ、武力行使だ」と勝手な解釈をされ——投げ飛ばされていた。

 力任せに投げ飛ばされたせいで肩が抜けるかと思った。咄嗟に受け身は取ったが最低限のそれだ。すぐに立ち上がって応戦出来なかった。しゃがみ込み顔を上げるのが精一杯の湊叶の前にゆらりと立った重光は口の端をいやに吊り上げて笑い──


 湊叶はふるふると頭を振った。いつまで俺はあのことを引き摺るつもりなんだ、と気持ちを切り替える。

 目の前の重光は喉に手を当て「ってぇー」とボヤいている。あぁ、重光を止める絶好のチャンスを逃してしまった。

「せんぱい必死すぎー。で、怖がりすぎ」

 喉に当てていた手を口元に持ってきた重光は目尻を下げて笑った。厭な笑い方をするものだ。強がろうと湊叶も笑みを浮かべるも見事引き攣ってしまった。

「つかせんぱいも異能使えたんだ。燃えてるの?」

 軽く首を傾けた重光は湊叶の腕を指差して尋ねる。湊叶は黙って重光を見据えた。

「でもせんぱいの利き手ってさっきの手じゃないよな? あれ、俺もしかして」

 すぅと重光の目が細くなり、昏く光る。あのときと同じだ。情けないことに足に力が入らない。動けない。肢体は言うことを聞かないのに、心臓はやたらとドクドクと煩いし呼吸も速くなってきた。こんなに空気を吸っているはずなのに、息苦しい。酸素が足りない。

「舐められてる?」

 次の瞬間、湊叶は吹き飛んでいた。廊下から教室、複数の机や椅子を巻き込んでやっと勢いが殺されて止まった。反対側に蹴り飛ばされなくて本当に助かった。もし直接壁にぶつかっていたら、内臓が無事では済まなかっただろう。

「せんぱい一回俺にボロボロにされてるくせに利き手じゃないほうで俺とタメ張れると思ったんだー」

 重光の口元は吊り上がっているのに目はちっとも笑っていない。どうやら“地雷”を踏み抜いてしまったようだ。重光を舐めたつもりはない。利き手じゃない手で異能を使ったのは、普段の癖が出ただけだった。

(動け、動けよ! 俺……!)

 ひたひたとこちらへ迫ってくる重光をただ見ていることしか出来ない。息がますます浅く、頻回になる。

 湊叶の目の前まで迫った重光は歩みを止めることなく、床に放り出されている湊叶のふくらはぎを踏みしめた。ギシと骨の鳴る音がする。湊叶は短いうめき声を上げた。

「星憑きだったら多少の無茶くらいいいよな?」

 ニィ、と重光は笑った。躑躅色の瞳が血の色に見えたのは幻覚だろうか。湊叶を強烈な嘔気が襲う。脳内にあのときの光景がフラッシュバックする──。

「生徒会長として、学内の治安維持活動を行う」

 頭がおかしくなりそうな湊叶を救ったのは朗と響く、たった一言だった。どす黒く染まっていた視界は途端に光に満ち溢れる、大げさではなくそのくらい、湊叶の心持ちが変化した。

「会長……!」

 金縛りを受けていたように動けなかった身体だって、もう動かせる。湊叶は腰を浮かせた。途端、乾いた音と少し遅れて脛に鈍い痛み。

「うっぜ」

 感情が消え失せた、能面のような顔をした重光が湊叶の脛を踏み潰していた。痛みを堪え、噛み締めた歯の隙間からうめき声を漏らす湊叶を一瞥すると、重光は光汰に向き直った。教室の扉付近に仁王立ちしている光汰は研ぎ澄まされた刀のような鋭い目で重光を見据えている。

「んだよ、キレーに折ってやったんだからそんなにキレんなって──」

 へらりと嘲笑を浮かべた重光の喉元に、光汰の踵が入っていた。あっという間に接近され、上体を少し沈めた体勢からの蹴り上げ。気道と脳、同時に衝撃を入れられた。呼吸が覚束なくなり、視界がぐわんと大きく揺れる。

「このクソ野郎、ふざけんなぁッ」

「む、何を言っているか分からん」

 発した言葉は聞き取り不能の喚き声となる。同時に大きく振り回した拳は立てた腕で弾かれ、取られた。流れるように肘関節を極められる。ミシミシと厭な音が耳障りだ。いつもなら自分が鳴らす側だというのに、今は逆だ。痛みと屈辱で重光は再び咆哮に似た声を上げる。禍々しさすら感じられ、湊叶は再び背筋に冷たいものを感じた。まるで怨嗟のこもった断末魔だ。

「今、俺は怒っている。少し手荒になるが、悪く思ってくれるなよ」

 微塵も動じることなく、光汰は淡々とそう告げた。

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