みみみ
「この玉ねぎとアボカドがたまんないんだよね〜。武藤くんに分かるかな〜」
「そう言う割には玉ねぎ死ぬほど落ちてんぞ」
放課後、龍行高校三階、カフェテリア。いつひは名物のチョリソーホットドッグに舌鼓を打っていた。向かいの席にいる重光はアイスカフェモカのグラスをストローで掻き混ぜる。残っていた氷がからからと音を立てた。
「おや、二人が此処にいるのは珍しいな」
重光の後ろに大きな人影が現れる。光汰だ。危うく反射的にグラスを投げつけてしまうところだったが、食事の場で暴れるのは重光の美学に反する。ちなみにこの美学、時と場合により柔軟に変化するのも特徴である。
「おーはいはい珍しいです。見たやつはもれなく死ぬんで」
棒読みで対応する重光に、光汰は「その言葉遊びは知っているぞ。『人間の死亡率は十割』と言うのと同じものだ」と得意顔で宣う。
「もう、五歳同士のお話いらないから……。羽澄くん、なんか用?」
ホットドッグを頬張りながらいつひが訊く。光汰は一瞬虚を突かれたかのように固まったあと、「武藤と賀川が楽しそうに話していたから、交ざろうと思って」と空いていた重光の隣の席に腰を下ろした。このカフェテリアには六人席の大きなテーブルが一対ずつ三列配置されていて、現在の客入りはまばらである。
「メンタルつっよ」
いつひが重光と光汰を順に見ながら呟く。迷惑そうに音を立てて椅子を光汰から離した重光に、「俺が大きくて狭かったかい? 悪いな」と申し訳無さそうに光汰が話しかける。もうこれわざとやってるだろ、といつひは口元のサルサソースを指で拭った。
案の定、汚物でも見る目を重光から送られた光汰だが「そうだ。何やら今年十月に起こるっていう災害を記した文章が出回っているようで、施設の小さい子たちが怖がっているんだ。賀川はそういうの詳しそうだけど、どう思う?」といつひに話を振った。
「そういうの定期的に話題になるけど、当たったことないじゃん。特に今話題になってるのは掴みどころのない文章だし。最近、佐波沼がきな臭いから余計に煽られてる人が増えてるだけでしょ」
「おや、意外と冷めているな」
「ポエミーな文章って考察勢にかかればなんとでも解釈できるじゃん。『聖書は全てを予言していた!』って動画前見たんだけど、クッソみたいな時間だったよ」
「三時間のやつ、全部見てたもんなイッヒー」
にやにやと重光はすこぶる楽しそうに笑っていつひに話しかける。ムッと唇を尖らせ「倍速で見てたし! だから、えーと……」指を三本立てて目を瞑ったいつひに「一時間半だな」と光汰が微笑んだ。
一瞬の間を置き、何事もなかったようにいつひは光汰の前にスマホを滑らせる。「で、これでしょ」
華宵20年10月に起こること!
・F県、ぐらぐら
・さいばーてろ
・B化学薬品工場に大きな影
・燃ゆる星の反乱、それから
画面を見た光汰が「ああ。これだこれだ」と頷いた。重光が「日本語不自由なお方?」と心配そうに首を傾げる。
いつひが画面を一度スワイプすると、一言一句懇切丁寧に考察した陰謀系赤ペン先生の添削画像が現れた。びっしり手書きで書き込まれており、まさに狂気である。重光が顔を顰めて画面から顔を離した。身体に悪い。いつひの妄言はまだ楽しめる範囲だが、ここまで来ると体調に障りそうだ。
「この文書の出どころは何処なんだい?」
「@ORACLE_MIMI3ってアカウント。日常アカウントなんだけど、突然脈絡もなく数ヶ月後の予言を投稿すんの。この前の記録的寒波を当てたとか地震当ててるとか何かで話題になってて、十月の予言もある! って騒がれてるのが、さっきの」
光汰は自身のスマホを取り出すと、いつひが言うSNSアカウントを探し出した。公開アカウントではあるが、DMは閉鎖、コメントも制限されていた。このSNSでは殆どのユーザーが設定しているユーザー名 (ニックネームにあたる)も入力していないところも目を引く。2年前に開設されていて、フォローが十数人に対し、フォロワーは3万人強。いつひによると「去年の終わりくらいにオカルト系まとめアカに掘り出されてから一気に増えたと思ったら、予言の日付が近付いてまーた滅茶苦茶増えてる」ということらしい。詳しいな、と光汰が素直な気持ちを呟くと「こんなことで褒められてもな」といつひは不満そうに眉を寄せた。
「で、当の本人は周りが騒いでるのなんかちっとも気にしてない感じで日常呟いてる」
いつひも自身のスマホで@ORACLE_MIMI3のプロフィールページで過去の投稿を眺める。「今日のごはん! おいし」「ねこいた!」「お花! きれい〜」などと写真付きの投稿も多く見られ、個人特定も容易そうなのだが、ネットに棲み着く特定班を以ってしても難航しているらしい。隙だらけのように見えて実は全くそうでもない、という@ORACLE_MIMI3のキャラクターも予言の神秘性をますます助長させていた。
「まあボクの見立てでは、この中の1つか2つを当たったことにされて世間からは忘れられ、いつの間にか美容垢に転生って流れになると思うけど──」
いつひが訳知り顔で講釈を垂れていると、気の抜ける通知音がスマホから聞こえた。スマホを手に取り、つけっぱなしだった画面を確認する。@ORACLE_MIMI3の投稿一覧の最上部に『1件の新しい投稿』という表示が増えていた。
「暇だなこの人」
「今日イチのブーメラン来たな」
重光に茶化されながら、いつひはページを更新する。
『失礼なこと言ってるひといるね〜?』
『おじゃましまーす』
ホーム更新中にもう一件投稿している。含みをもたせるような言い方。不可解そうに眉を寄せたいつひのSNSアカウントのDMタブに新しい通知バッジが付く。普段なら無視するが、無性に気になったいつひは即座にDMタブに移動した。スレッドの先頭に先ほどまで見ていたアイコンを認めたいつひの口元が引き攣る。
『わたし、全部聞いてたんだからね!』
「怖い怖い怖い!」
悲鳴を上げたいつひの手からスマホが滑り落ちる。音を立てて机の上に転がったスマホを眺めた重光は「やっぱ月に十回は割ってんだろ、画面」と呟きながら画面を覗き込む。@ORACLE_MIMI3とのDM画面だ。続けて『あれ、聞こえなくなっちゃった』『お〜〜い』とメッセージが届いている。
「変なウイルスでも拾ったんじゃねーの。馬鹿動画ばっかり見てるから」
「言い方が老害〜!」
むっ、と頬をふぐのように膨らませたいつひは重光からスマホをふんだくり、高速で画面をタップする。
『キミ、なんなの? ボクたちの話を聞いてたってこと?』
『そう! わたしびっくりしちゃった! 本当に音って聞こえるのね! わたしが初めて聞いたのはあなたの声よ! 素敵な声ね!』
いつひの画面を叩く指が止まる。なんだこのひと。突然DMに凸してきたと思ったら、突拍子もない発言。まるで初めて音を聞いたかのような興奮のしようだ。文字を打つ手が止まったいつひに対して、@ORACLE_MIMI3のメッセージは止まらない。
『今まではデータとして受け取ってばかりだったもの! でもどうして急にあなたの声だけ聞こえたのかしら。もしかして、あなたから何かしてくれたの?』
ここははったりをかますべきか。一瞬考え──、反射的に『ずっと実際に話したいと思ってたんだよ』と送っていた。まあ、嘘は言ってない。
『そうなの! ありがとう! でも、今は聞こえないの。もっとお話したいのに。あ、でもあなた少し口が悪いわ。嘘だって決めつけたらダメよ。暇人呼ばわりも良くないと思う』
「げえ。やっぱ苦手かも」
スマホを顔から遠ざけたいつひは舌を出す。
「悪口だけ聞こえるシステムだったら今のも聞こえてんな」
代わるように重光がスマホのDM画面をまじまじと眺める。光汰も身を乗り出し、重光に肘で退けられていた。
『ごめんなさい、言い過ぎたかしら』
「悪口だけ聞こえるってわけじゃなさそうだよ」
いつひが返信しないことを不安に思ったらしい@ORACLE_MIMI3はこちらを伺うようなメッセージを送ってきた。いつひの目が意地悪げに光ったのを見た重光は呆れたように小さく鼻を鳴らす。
「ここで少し時間を置きます」
微笑んだいつひは料理番組のように呟きながらDM画面から退出すると、@ORACLE_MIMI3のプロフィール画面から再び投稿を遡り始めた。まさしく独り言のような、誰かに見せるためとは全く思えない投稿が並んでいる。「できた」「また来た〜」「おやつたべるよ」。大体こんな調子だ。投稿頻度はまちまちで一週間間が空くこともままある。そこに突然挟まれる「XXに起こることリスト」である。スピ系にしては意識が低く、電波系にしては世界観がゆるふわすぎる。
「人が見えてこないんだよな〜。このアカウントから」
いつひはスマホを机の上に置くと椅子の背もたれを軋ませ、大きく伸びをした。ちらりとスマホに視線を落とすが、DMのタブに新規通知は無い。
「ふむ。そう言うには他のアカウントからは賀川の言う『人』が見えてくるものなのかい?」
「大概のアカウントはねー。まあそれが合ってるかどうかは分かんないけど」
いつひのスマホを覗き込む光汰の問いかけに答えたいつひは「あ、無性にバナナスムージー飲みたくなってきた」と呟いた。重光が「俺チリホットドッグ玉ねぎ抜き」と重ねる。
「──むう。俺には食べ物と植物が好きな人のアカウントに見えるが」
二人の要求を無視し、@ORACLE_MIMI3の投稿を真面目な顔で追っていた光汰が自身の所感を述べると、いつひが「いや、なんていうか、う〜〜ん、そうなんだけど」と顔の中心に皺を集め唸った。全身から「そうじゃないんだなあ」が漏れ出し周囲に溢れている。流石に鈍感の極みである光汰もいつひの言わんとするところはぼんやりと理解できたらしく、「難しいな」と首をひねる。そんな光汰の視界の端で、いつひのスマホの画面が小さく光る。DMタブに新規の通知が付いていた。
「お、早くもしびれを切らしましたか」
まさにご満悦と言った態度のいつひは非常にゆったりとした所作でスマホを持ち上げる。それから鼻歌交じりにDM画面を開くと、予想通り@ORACLE_MIMI3からメッセージが届いていた。
『また聞こえたわ! あなた、やっぱりすごいのね。わたしが人じゃないって分かるなんて!』
今度こそいつひは奇声を上げてひっくり返った。同時にスクリーンショットも撮る。その様子を特に動じることなく眺めていた重光は「こっわ」と淡々と呟いた。いつひの奇行のことである。
「人じゃないらしいよ、@ORACLE_MIMI3さん」
体を張ったリアクションからよろよろと起き上がったいつひがスマホを掲げながら重光と光汰に伝える。
「俺もよく言われる」
「それは人でなしの意味じゃん」
得意顔で申告してきた重光に素っ気ない言葉を返したいつひはスマホの画面と少しの間にらめっこしたあと、@ORACLE_MIMI3への返信を打ち込む。
『人じゃないことは分かるけど、きみが何者なのかは分かんないんだ。教えてくれる?』
「へー。イッヒーにしちゃ殊勝な態度だな」
横からやり取りを覗き込み、からかうような口調で言う重光を睨んだいつひは人差し指を唇に当て「静かにして!」のジェスチャーを作る。
「さっきDM画面だと聞こえてなかったじゃねーか」
重光が不満そうに口を尖らせた。いつひが反論しようと口を開いたところで@ORACLE_MIMI3からメッセージが届く。
『わたしは、わたしもよく分からないのだけれど、ずっとここにいるの。気がついたときにはここにいた、と言うほうがいいかしら。ここのお話は自由に読めるし、映像だって見られる。もしかしたら本来とは違う受け取り方をしているのかもしれないけれど。でも、みんなが生きている世界には触れられない。識ることしか出来ない』
「SF? AI人格的なやつかな」
いつひが呟く。光汰が「星憑きとは関係あるのだろうか」といつひと同じように首を捻った。佐波沼の住人は何か不思議なことがあるとまず星憑きの関与を疑う癖が付いている。
「合法的に世界に出られる星憑きってことになるね、それ」
「出られてはないだろ」
重光にばっさりと切られ、一瞬黙りこくったいつひだったが、何か気がついたように「あ」と声を上げた。
「じゃあ、あの予言は何なんだろ」
呟きながら同時にタイピングする。『たまにいきなり発表する予言もどこかで知ったことなの?』
『色々。でもあなたには特別に教えるね。ほとんどがわたしの冗談。反応が増えるのって、なんだかウキウキするから』
スクショを撮る。それから光汰にそれを送りつける。「圧倒的証拠です。やっぱ承認欲求の塊でしたねッ」
送られた画像を確認した光汰は「これで少しは安心してくれるといいな」と安堵したように微笑みを浮かべた。
「まあ、真剣に悩んでる子だと通じないことも多いからね。ボクの家に来る信者もみんな入れ込んじゃってもう他の人の話なんか全然耳に入りません、って感じ」
なんでもないように自身の家の事情を呟いたいつひに光汰は少したじろいだ。重光はともかく、自分が聞いてしまっていいのだろうか。光汰の反応を見ずとも察したいつひが「誰かさんのせいで学校中に広まってるから今更どうでもいいよ。忘れてる人も多いし」とやはり世間話の調子で付け加える。
『冗談はそれを聞いた人が面白がることで成立するんだよ』
ネットの何処かで拾った説教をSNS上の存在に伝える。
『そうね。その通りね。でも、十月に何か起こるのは本当よ。わたしの弟が言っていた』
『気になる話じゃん。弟くんのアカウントも教えてよ』
なんだか最後だけ急に翻訳文みたいだな、と思いながらいつひは返信した。一分ほど待ってみたが反応がない。直前まで対面の会話のようにスムーズなやり取りだったのに、と小さく首を傾げてからスマホの画面を消灯させる。
「寝ちゃったのかな」
「データに寝るとかあんの?」
「サーバーとの、アレじゃない、アレ。もしかしたら、ご飯かも……」
適当なことを並び立てるいつひだったが、はたと言葉を止める。
「冗談言ってて気がついたんだけど、あの子がちょくちょく載せてたご飯画像、人間の真似だったのかな……」
なんか、ちょっと切なくなってきたかも、といつひは俯いた。それを見た重光が大袈裟に肩を竦める。
「感受性アピール要らねーよ?」
「アピールとかじゃないし」
む、と唇を尖らせる。それから「弟がいるんだって。弟も似たような存在なのかな」と@ORACLE_MIMI3のフォロー欄を探らんと再びSNSアプリを立ち上げた。@ORACLE_MIMI3がフォローしていた十数人はほとんどがトレンドニュースや食べ物などを扱う企業アカウントだったが、二つか三つ、個人アカウントも存在していたはずだ。やはりDMの新規通知は無かった。
「あれ。鍵になってる」
満開の向日葵の写真をアイコンにしていたはずだが、初期アイコンであるグレーのピクトグラムに変わり、ヘッダー画像も削除されている。アカウント名はそのままだ。フォローも0、数万のフォロワーまでも0になっていた。
「凍結? 違うか、凍結なら専用のメッセージが出るし……」
ぶつぶつ呟くいつひだったが、「まあいいや」とスマホを置いた。「飽きたのかな」
「む、アカウントが見られなくなっているのか」
光汰がほっとしたように零した。これで施設の小学生たちが安心すると思っているのだろう。過激派が「@ORACLE_MIMI3は世界暗部に消されてしまったに違いない。我々が遺志を継がなければ」とか言い出さないといいね、といつひは胸の内で呟いた。
「蒸し返すみたいだけど、ミミミの予言で『燃える星の何とか』ってあったじゃん。あれはちょっと気になるんだよねー。佐波沼だからかもなんだけど」
いつひのぼやきに辟易した重光が「もういんぼーろんはいらねーよ。はらいっぱい」と腰を上げる。
「陰謀論じゃないし! ここ最近の佐波沼の治安酷いし、ちょっと気になるでしょ!」
背中にぶつけられるいつひの言葉をひらひらと手のひらを振って躱し、重光はカフェテリアから出て行ってしまった。
「あ! しかも自分のトレーそのまんまだし! 何がゴミはゴミ箱にだよ、あの暴力巨人!」
ぷりぷりと怒りを撒き散らすいつひを微かな苦笑いで眺めていた光汰は「俺がまとめて持って行こう。相談に乗ってくれたお礼だ」とテーブルの上を片付け始める。
「ありがとー! さすが生徒会長! そういや、会長選に相馬くん薦めたってマジ?」
いつひの問いかけに光汰の手が一瞬動きを止める。「ああ。もしかして湊叶が愚痴っていたかい?」
「ううん。桜庭くんがそんな愚痴零すわけないじゃん。ましてやボクなんかに。まあ、ボクの観察眼にかかれば桜庭くんの態度を見てれば分かるんだけど」
「つまり、今のはカマをかけられたと言う認識で合っているのかな?」
「言い方がちょっと気になるけど、そうだね。でもさぁ、隠すようなことでもないでしょ?」
「それもそうだ」トレーに食器やゴミをまとめ終えた光汰は続ける。「相馬にもその旨を伝えたいんだが、面白いくらいタイミングが合わなくてな。もたもたしていると立候補締切に間に合わなくなってしまうんだが……とは言え、完全に俺の希望だから無理に時間を取ってもらうのも憚られるし……」
「……避けられてる可能性」
どうやら本気で悩んでいるらしい光汰の横顔を二秒ほど見つめ、いつひは一音一音はっきり発音して答えた。
「避け……」
その発想は無かった、とでも言うように眼を見開く光汰。いつひが呆れている前で「それは『俺』を避けているのか、『生徒会長選の推薦』を避けているかでニュアンスが変わると思うが……」などとぶつぶつと呟いている。
「前者でしょ。絶対前者」
光汰の呟きにいつひの鋭いツッコミが入る。
「桜庭くんは推薦しないんだ」
「個人としては湊叶を推薦したいのは勿論なんだが、生徒会長としては湊叶はリーダーと言うよりはその補佐に徹する方が能力を存分に発揮できると評価している。湊叶本人もそのことをしっかり理解しているようだしな」
俺個人の目下の悩みは大学生活に湊叶のフォローが期待できないことだ、と付け加える光汰。さすがに言い過ぎでしょ、といつひは半笑いを寄越した。
「……そうだ、賀川。最近、その、武藤の様子がおかしかったりはしないかい?」
言いづらそうに切り出した光汰に、いつひはその大きな目を瞬かせる。
「様子がおかしいのはいつもだけど……」
「ええと、その、いつもと違う、とかそういうことだ」
いつひは少し考える素振りを光汰に見せた。大助に拐われたことや、妙に苛ついている日があった、とか、確かに変化はあるが余計な詮索は御免だ。ここは無難に大助に牽制球を投げるくらいにしておくか。
「武藤くんには内緒でお願いね。夏休み終わりかけくらいの話なんだけど、武藤くんが相馬くんに捕まっちゃったんだよね。それでか、けっこ〜荒れてる。武藤くんが言うには『話してただけ』らしいんだけど、多分違うんだよなあ。武藤くん頑固だから話したくないことは絶対話さないし」
首を捻りながら光汰の反応を窺う。特に目立った反応は見られなかった。
「そうか。しかし、また相馬は良くないことをしているんだな……」
「そだよ。桜庭くんじゃないけど、もし相馬くんが生徒会長の候補者になったとしても、票は入れないかな」
さすがにバツの悪そうな顔をした光汰は「相馬も武藤も、類まれな力を持っているのだから、いい方向に活かしてあげたいんだが……」と呟いた。
「それは傲慢でしょ」
いつひが鼻で笑う。「こんなふうに武藤くんのこと聞いてくるなんて、羽澄くんこそどうかしたの」
「二学期に入ってから、武藤の俺を見る目が少し変わった気がするんだ。前は単なる嫌悪だったのが、なにか別の感情も混じっているように思えたから、聞いてみたんだが『もう遅い』って言われてしまってな」
「『もう遅い』ってなにそれ、意味深」
もしくは|ざまあ展開といつひは呟く。
「ああ。賀川じゃないが、俺も何かあったのかと勘ぐりたくなってしまう」
「言い方にトゲあるな〜?」
羽澄くんたまにこういうことするよね、といつひは不満げに唇を突き出す。光汰が「いや、なじる意図は全くないんだ」と掌を胸の前でひらひらと横に振った。
「武藤くん絶対教えてくれないだろうな〜」
「賀川に教えてくれないのなら、尚更俺には話してくれないか」
寂しそうに光汰は零す。いつひは「分かんないよ、気まぐれで話すかも」と適当な言葉を返した。
「そーそー。羽澄くんに面白いこと教えてあげよっか」
言いながらいつひは総能研が巨大ロボの事態収拾時に連れてきた、相馬大助と同じ色を持つ小さな女の子の画像を見せる。
「隠し撮りが上手いな」
「は? 武藤くんと同じこと言うじゃん」
片眉を吊り上げたいつひは不満げに呟いてから、精神感応の能力を持つ華日が「大助から受け取ったイメージと写真の少女がつけている花が酷似している」と話していたことを伝えた。
「だからね、生き別れのきょうだいとかだったら面白いよね〜って話してたんだ」
「生き別れのきょうだい……」
「そうそう。今は全然聞かなくなったけど、小学生だった頃は隕石災害のごたごたで離れ離れになっていた親子や兄弟の再会の感動話たまに聞いたから、総能研に居たとすればあながちおかしな話でもなくない?」
そんな妄想を宣ういつひの瞳はきらきらと輝いている。重光ならば「イッヒーってそういうこと考えてるときが一番楽しそーだよな」と半笑いで言うところだ。
しかし光汰はいつひの態度よりも他に気にかかるところがあったようで、いつひの話などほとんど耳に入っていないようだった。
「何? なんか引っかかるとこあった?」
「む、いや……」
いつひの問いかけに首を横に振った光汰はふと周囲を見渡す。
「追加の注文もしないのに入り浸っていては邪魔だな。そろそろ出よう。賀川はこの後何か用事でもあるのかい?」
「なにそれ。美容室のやつ? その辺ぶらぶらしてから帰るけど」
重光より少しだけ低い光汰を見上げながら、いつひは呆れ笑いを漏らした。
◆◆
龍業高校二年棟、男子トイレ前。放課後ということもあり、利用者ゼロのトイレの扉横、壁にもたれ掛かってスマホの画面をぼんやり眺めていた通はふとトイレの中に声を掛ける。
「大助〜? トイレ長くない? 下痢ぃ〜?」
担任教師に頼まれた野暮用を片付け、そろそろ帰路に就こうかというところで大助が「ごめん、ちょっと待って」とトイレに篭ってからそろそろ数分。どうやら個室に入っているようだが、体調が心配だ。食べ物に当たりやすいのか、大助はたまに腹痛や嘔気に苛まれている。その時の顔は青白いを通り超えて真っ白だし、尋常じゃない冷や汗を滲ませ苦しむ姿は普段の完全無欠な相馬大助からは程遠い。けれど、そんな弱った姿を晒すのは通と二人きりの空間──例えば、大助のアジト兼棲家だとか──なのに。
不安と心配で徐々に大きくなり始めた心臓の音を自覚しながら、通は再びトイレの中に呼びかけようとした。
「うるさいよ」
トイレの中を覗き込んだ瞬間、大助の手加減なしのチョップが通の脳天を直撃する。
「い゛ッだ!」
「トイレ長いだの下痢だの。好き放題言ってくれるなあ、通」
「手、洗った?」
ずきずき痛む頭を押さえながら聞けば、大助からは軽蔑の視線を注がれる。それからついと顔を背けると、廊下で待っていた通とは反対の方角に歩き出す。
「通ごときに苛ついてしまったことが恥ずかしいよおれは」
「また腹痛じゃねーの?」
「違う。気になるなら場所を変えて説明する」
「気になるに決まってんじゃん!」
きゃっきゃと笑った通は大助の背中に覆いかぶさるように抱きつき、能力を行使した。移動先はいつものアジトだ。
「それで、何してたって?」
にこにこ。アジトの冷蔵庫から取り出したプリンにこれでもかとホイップクリームとカラースプレーチョコ、グミや諸々の甘味を載せたものをローテーブルに置くと、準備万端とばかりに大助の向かいに座った通は目を輝かせて大助に尋ねた。大助は通の尊厳破壊プリンを一瞥してから口を開き、極めて簡潔に答える。
「SNS上に作っていた星憑きの複製が暴走してたから止めてた」
「……ふーん、ほお」
大きなひとくちを頬張った通は少し考える素振りをしたあと、生返事を返した。それから眼球をくるりと一回りさせてから「SNS上に作ってた星憑きの複製が暴走?」と通にしてはかなり正確な復唱をしてみせた。
「うん。他にもいくつかバックアップを取っているんだけど──」
「ウンウン待て待て、それってさ、クローンってこと? 倫理?」
「おれが小さい頃一緒に暮らしてたある星憑きはコピーが容易なんだ。雑に複製することが出来る」
質問には答えていないが、通は気にならないようで顔を顰めるように目を瞑ると唸り始めた。
「全然分からん。トトの言うことの九割は分からんけど、今日の話は特に分からん」
「説明するとは言ったけど、理解させるとは言ってないからね」
肩をすくめた大助──通から見た今の立場では、トト──は「胸焼けしてきた」と呟くと席を立った。
「見るだけで胸焼けは言いがかりだろ!」
頭の上に浮かべていた疑問符の群れを吹き飛ばす勢いの大声を上げた通だったが、大助は全く聞いていない。冷蔵庫の中を見渡し、コーラのボトルを取り出している。冷蔵庫の横に設置されているコンパクトキッチンの作業台に取り出したボトルとグラスを置いた。
「そういえばおれ、桜庭に怒られたんだけど」
「あー……」
とぽとぽとぽ。大助がコーラをグラスに注ぐ音が空間にやたらと響く。通はバツが悪そうに「今日の、ことだよな?」と大助に阿るような視線を送る。大助は通の方を見ずに「そう」とだけ答える。
「ちょっと前からウザくて。俺のオカンかよ、ってくらい干渉してくんの。……オカン居ないから知らねーけど」
乾いた、空虚な笑い声。大助は特に反応を示さず、グラスに注いだコーラを飲んでいる。
「俺が誰と付き合うかなんか、俺が決めるってのに、なあ?」
「そうだね。いつもみたいに適当に軽く躱しておけば良かったのに」
「……それはそうなんだけどさあ、何でだろうな、妙にムカついたんだよな」
通は頭を掻きながら答えた。困ったような顔。怒りの理由は何となく分かっているけれど、言葉にすると陳腐になってしまって恥ずかしいから言いたくない、というところだろうか。通を一瞥し、彼の感情を推定した大助は「通じゃ桜庭に敵わないのに」と呟いた。瞬間、通の顔色が変わる。
「っ、敵わないわけじゃねーよ。能力の強化練習だってやってるし……!」
ローテーブルを蹴り上げかねない勢いで立ち上がった通は声を荒らげ、大助を見据えた。ようやく通と視線を合わせた大助は、肩を怒らせる通に「情緒不安定だね」とあしらうような仕草を返した。
通は隠し持っていた螺子を取り出し自身の手のひらに置くと、大助の手元に視線を移した。コーラの入ったグラス。すると、大助の手からグラスが消え去ったかと思うと、こつんと音を立ててキッチンの作業台の上に螺子が一つ転がった。そして、通の手の中にはグラスが現れる。
「はは、これ、多分、目とかでも出来……」
脂汗を滲ませ、カラカラの口で何とか言葉を紡いだ通だったが、つうと鼻から血が垂れたと同時に後ろ向きにひっくり返った。自作の尊厳破壊プリンも巻き込んでローテーブルの上に倒れた通と作業台の上にある螺子を順にゆっくり見比べた大助は「まだ全然使い物にはならなさそうだな」と呟いた。




