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星屑のテオレム  作者: 柘植加太
第五話
35/41

火雷

 背後で聞こえた破れるような音と水気を含んだ音、それから人の倒れる音。振り返った光汰は叫ぶ。

「湊叶!」

 荊棘のドームが消滅しかかる中、光汰は荊棘の刺突を背中に受けうつ伏せに倒れている湊叶に駆け寄った。完全に敵の能力を見誤った。荊棘による刺突攻撃に五月女の意思はほぼ反映されないと考えてしまっていたから、荊棘のドームに触れず、五月女に攻撃しない湊叶は安全だと思い込んでしまった。

 湊叶の身体の下からどろりと血液が流れ出てくる。息を飲んだ光汰は湊叶の傷口をその大きな手を当てた。確か、こういうときは圧迫止血が有効だと何かで見た気がする。

 湊叶の身体に触れることで、そこに確かな穴が空いていることを確固たる事実として突きつけられた。光汰の眉間が曇る。

 湊叶は動かない。うつ伏せになっているため、表情も窺えない。鼓動はある。ただ、弱くなっている気がするのが恐ろしい。

 荊棘のドームはもう消滅している。しかし五月女はゆらりと立ち上がっていた。五月女の視線を感じた光汰は湊叶を庇うような体勢で五月女と対峙する。

 五月女は薄っすらと笑んでいた。

「……何がしたい」

 光汰は低い声で尋ねた。五月女は意外そうに右目だけを少し見開く。憎悪、怒りといった感情を光汰から全く感じなかったからだ。そこにはただ疑問だけがあった。

「私は星憑きによる星憑きのための世界をつくりたい。そこにお前たちは必要ない。それだけだよ」

 その疑問に、五月女は答える。光汰はまっすぐ五月女を見つめたまま、口を開いた。

「俺たちは君たちの邪魔をした覚えは無いが」

「存在自体が邪魔なんだ。どう転んでも私に協力しない不穏分子は先に摘んでおくに越したことはない」

 五月女の目は真剣そのものだ。光汰は五月女の言葉を咀嚼するように目を瞑り、寸の間沈黙した。ゆっくりと目を開いた光汰は「言いたいことは分かるが、納得は出来ない。他者を排除して作る世界が健全だとは思えない」とやはり五月女を真っ直ぐに見据え、はっきりとした口調で伝えた。

「何も分かってないじゃないか。革命とはかくあるものなんだよ」

「むう。俺たちが君にとって邪魔だと言う主張は理解したつもりなんだが。話が進まないな。ともかく今は湊叶の手当をしたい」肩を竦める光汰。対する五月女は不敵に目を眇める。

「素直に退いてはくれないようだな」

 腰を落とした光汰から視線は外さないまま、五月女は自身の持ち物を探るような動きをした。瞬間、光汰が動く。このタイミングで出される物など、碌でもない代物に違いない。光汰の動きに勘付いた五月女は取り出した小さなプラ容器の中身を一気に飲み干した。

 安土唯誓が配っていたものとは様態が違うが、今使うということは恐らく五月女が有利になるもの──端的には自身を強化するものだろうか。

「それの出処が、『総能研』だなんてこと、ないだろうね」

 殴りかかりながら光汰が聞けば、五月女は「勘がいいねェ」と目を細めながらそれをいなす。その動きには消耗は微塵も感じられない。

「保健の授業で、即効性のある疲労回復薬は危険なものだと習った。違法薬物の可能性が高いと」

 光汰の連撃を五月女は能力を使っていなし、避ける。

「それはお前の血液摂取も同じことが言えると思うが──、どうしたんだ? 動きが鈍っているように見えるぞ」

 五月女はいかにも心配そうに光汰に尋ねかけた。苦笑交じりに光汰は答える。

「そんなふうにわざわざ聞いてくるなんて、少し性格が悪いぞ」

 他人の血液を摂取することで超人的な身体能力を得ることが出来る光汰の能力だが、もちろん効果に制限時間はある。その上、効果が切れれば強烈な虚脱感に襲われる。大抵の相手を一瞬で圧倒できるため長い間使う必要がないこともあり、普段なら気にもかけないデメリット──いや、そもそも使うことが稀──であった。

「羽澄光汰、お前が居なくなれば龍行の秩序は崩壊し、武藤重光や賀川いつひも、私に構う暇もなくなるだろうな」

 次第に足元が覚束なくなりその場に立ち竦んでしまった光汰に向けて、五月女は余裕の表情で話しかける。

「そうすれば、私の理想とする世界も──」

「馬鹿が」

 短い罵倒、五月女を覆う人影。脳の処理が追いつかないほどの衝撃を受け、五月女は吹き飛ばされた。手すりをぶち抜いて、人影諸共一階部分へと真っ逆さまに落ちていく。どん、という音がした。

「あのクソがそんな影響力持ってるわけねーだろ。カス」

 五月女に痛烈な攻撃を見舞った張本人、重光は額に浮かべた血管を痙攣させながら呟く。小脇に人を抱えていて、光汰は一瞬肝を冷やしたが、すぐにそれがマネキンだと気が付いて胸を撫で下ろした。五月女はあのマネキンのフルスイングを受けたのだろう。

「語彙は小学生みたいだけど概ね同意」

 思考もままならない光汰の前に重光に続いて現れたのは大助だった。とりあえず分かることは二人は無事で、しかも元気そうだと言うこと。

「よかった」

 安堵の声を零した光汰はその場に座り込むと、目を閉じてしまった。

「は? こいつ寝たんだけど」

 重光は悪態をつきながら座り込んだ光汰にマネキンを投げ付けた。大助がそれを背中から生やした触手状の黒い影で絡め取り、光汰への被害を防ぐ。

「疲れたんでしょ。あ、桜庭も重症そうだ」

 大助は掴んだマネキンを通路の端に置くと、その触手で湊叶を指し示した。助ける気はほとんど無い。

「馬鹿はどーでもいーけどせんぱいは壊れちゃ()だ」

 僅かに瞳を曇らせた重光が湊叶を見たのを、大助はやれやれとばかりに軽くかぶりを振った。

「まあ、大丈夫でしょ。桜庭ってタフだし。それに、武藤だってこんなとこで死ぬ桜庭なんか要らないでしょ」

「テメエが分かったふうに言うのムカつくな」

「なんなのもう」

 敵意を向けられた大助は肩を竦めた。直後、大助の視界、先程五月女が落ちていった手すりの上部から黒く細い影が伸びてくる。五月女の能力に違いないだろう。「あ、危ない」声を上げた大助が手を伸ばすと、重光が頗る鬱陶しそうな顔を向けた。

「分かってんだよ」

 答えながら重光は五月女の能力で作り出された荊棘のような影を握り潰さん勢いで掴んだ。そこに一切の躊躇もない。皮膚の裂ける音を気にもせず、重光は影を引っ張った。

「あはは、おれにしたのと同じことするんだ」

 目を細めて楽しそうにする大助に一瞥をくれた重光は「釣り上げてるとこなんだよ、静かにしろ」と短く吐き捨てるように呟いた。その刹那、五月女の荊棘を掴んでいた重光の手の甲が波打つように隆起したかと思うと──皮膚の下に無数のミミズが潜り込んだかのような動きだ──その現象はあっという間に肘の辺りまで進む。重光の体内に侵入した五月女の荊棘が縦横無尽に暴れんとしていたのだ。忌々しそうな顔をした重光はもう片方の手で肘を掴み、荊棘の進軍を止めた。ただし荊棘だけでなく血流も妨げられたようで、早くも腕の先は鬱血し始めている。潜り込んだ荊棘で歪な形となり、血流不全でどす黒い色と化した重光の腕は最早正視に耐えうるものではなかった。

「うわ、えぐ」

 口に手を当てた大助が呟く。ただしどこか愉快そうでもあるのを隠そうともしないのは、外聞を気にする必要がないからだろう。

 そんな大助の前で重光はぐるりと周囲を見渡すような素振りを見せ──、短い呼吸音。そして、閃光、のち轟音。

 反射的に目を瞑ってしまった大助の鼻腔をツンと刺すのは煤の匂い。爆発? 目を開いた大助の視界には色の変わった腕を大きく回す重光の姿があった。もしかしたら、止めた血を流すつもりなのかもしれない。五月女の能力である荊棘は跡形もなくなっていた。先程の光と音の正体で弾き飛ばしたのか、それとも。

 大助が手すりから身を乗り出して階下を確認すると、五月女は口から白い煙を吐いて大の字に倒れていた。わずかに痙攣する五月女の身体の所々には火傷の跡が見えている。

「落雷?」

 大助が呟く。重光が何故か迷惑そうな顔をして「何か文句あんのかよ」と唸るような低い声を出した。

「文句はないけど。能力使うこともあるんだ」

 追い詰められると使う? ならどうしておれに対しては使ってこなかった? 湧き上がった疑問だったが、一旦収めざるを得なかった。聞き覚えのある喚き声が徐々にこちらに近づいてきたからだ。リズム感のかけらもない不安定な足音も同時に近づいてきて、重光が弾かれたようにそちらを向いた。その反応で大助の推測は確信に変わる。

 蒲公英色を左右に揺らし、いつひがばたばたとこちらに向かってきているところであった。

「武藤くん!」

 大助には目もくれず、いつひは重光の身体に飛び込んだ。微動だにせず受け止めた重光は「なんで来てんだよ。まあ、終わったからいーけど」と呟く。それを聞いたいつひは勢いよく顔を上げて重光を見上げた。

「武藤くんと相馬くんを助けてあげたのはボクなんだからね!」

 言いながらいつひが見せつけるように取り出したのは手のひらに収まる大きさの催涙スプレー。

「五月女一派の新顔がよぼよぼで倒れてたからトドメ刺してきてあげたの。武藤くんと相馬くんに能力使った奴。スプレーぶっかけてから手頃な瓦礫でぶん殴ってきた。あの辺りやたら壊れてたけど、誰か破茶滅茶に暴れたのかなあ」

「一応聞くけど、本当に(・・・)トドメ刺したわけじゃないよね?」

 大助が心配半分呆れ半分と言った調子で尋ねるので、いつひは心外だと言いたげに口を尖らせた。

「トーゼンだよ。ボク、武藤くんのやり方よく見てるもん。武藤くんは相馬くんとは違って他人に不可逆的な怪我を負わせようとはしないからね」

「あはは、言うね」

 二言目には皮肉を言い合ういつひと大助に辟易していた重光は「あと残ってる奴いるっけ」と五月女一派の残党について確認する。はじめに確認していた人影は四つ。五月女(ボス)寒川(でかいやつ)春日井(チビ)柿崎(白衣)だ。周囲に転がる人間を指折り数えたいつひは「あとボクが倒してきた子で四人だね」と頷いた。

「っていうか武藤くんどうなってたの?」

 能力使われて、消えちゃったじゃん? といつひは首を傾げた。重光は「あー……」と言葉を濁す。どうやら言いたくないようだ。訝しがるいつひの視線を躱し、重光は「別にどーだっていいだろ。戻ってきたんだし」と面倒そうに呟く。その様子を見て、少し逡巡した様子を見せた大助だったが結局口を挟む。躊躇ったのは一応のポーズ(・・・)かもしれない。

「小さくなってたんだよ。おれたち」

 瞬間、大助に忌々しげな視線が刺さる。

「へー! どのくらい?」

「うーん、多分だけど五センチくらいかな」

 いつひの質問に答える大助の横で重光が明らかに苛ついた様子で爪を齧っている。「武藤くん、爪噛まないよ!」といつひに注意されると不満げにしつつもその手を下ろした。五月女の荊棘に蹂躙されていた方の腕だが、傷跡は痛々しいものの機能面は全く問題なさそうである。

「能力も縮められた身体に対応して出力が下げられちゃってさ。武藤は八つ当たりなのかおれに殴りかかってくるし。いやあ、困った困った」

 肩を竦める大助。いつひが「相馬くん無力化出来るのいいな」と顎に手を当てて思案顔をした。どうも冗談ではない雰囲気に大助は苦笑する。

「あれ、おれ嫌われてる?」

「逆に嫌われてないことある? あれだけのことしておいて」

 淡々と答えるいつひ。いつものようにぎゃんぎゃん喚いているときより余程凄味がある。

「武藤が突っかかってきたのが原因だとは思うけど、まあちょっとやりすぎたかな」

 いつひとの問答が面倒になってきたことが丸わかりの態度で大助は反省した様子を見せた。いつひは微妙な表情でそれを受け止める。

 星憑きが関与している騒ぎと明白な時点で消防警察が入ってこないのは佐波沼の常識ではあるが、この規模の騒ぎに総能研が全く介入してこないというのは五月女の影響力によるものだろう。いつひは吹き抜けの手摺から下に顔を覗かせると、動かない五月女を見下ろした。

「……ボク、思いついちゃったんだけど」

「何だよ」

 神妙な顔つきをしたいつひがぼそりと呟く。聞き返した重光にゆっくりと顔を向ける。「五月女くんがピンチになっても総能研が出てこないってことは、星憑きが五月女くんを拉致ったりして何かしても不問ってことじゃない?」

「イッヒー、考え方が下衆〜」

 重光がからかう声を上げると、いつひは笑顔で「武藤くんに言われたかないんだよな〜!」と手近に落ちていたガラス片を重光に投げ付けた。それをやはり薄ら笑いを浮かべたままひょいと避けた重光は「それ、適任者いるだろ」と自身の後方に視線を遣った。そこには大助がいる。

「え、おれ?」

「確かに。武藤くん見る目あるね」

 感嘆の声を上げたいつひに誇らしげな重光。二人に取り囲まれた大助は「えー」と困惑の声を上げている。

「五月女くんの『オリジナル』なんでしょ。相馬くんって。『オリジナル』」

 ぷくく、と笑いをこらえながらいつひが言う。いつひがよく通うフライドチキンチェーンの商品名にも含まれる文字列なので、しばらくはそれを見ると笑ってしまいそうだ。

「とかなんとか、あっちは言ってたけど。おれは全く心当たりが無いんだよなあ」

 大助は解せない様子で自身の能力を行使する。彼の背中からぬるりと現れた黒い触手。いつひはびくりと体を震わせた。やはり生理的に無理だ。

「相馬くんってさあ、星憑き関係の博士? の息子なんでしょ。実は知らないうちにクローン作られてました〜とか。よくあるじゃん。漫画で」

 いつひがにやにやとゴシップ記事を見るような目つきを大助に向ける。大助はますます困惑の色を募らせると「おれのことよく知ってるね」とだけ答えた。

「流石にクローンは……いや、うーん」

「即否定出来ない感じのお父さんなんだ……」

 ボケをかますも大ボケに呑まれたいつひが呆れた声を上げる。

「あんまりおれに興味ないひとだからなあ。おれもあのひとに興味ないけど」

「相馬くんも家が面倒な感じ?」

 その同類()は自分自身に係るのかな、などと思いつつ大助は「まあ、人並みに」と答えた。

「でも五月女とはゆっくり話をしたいかな。全然話せなかったし」

「話す気ゼロだったもんねえ」

 残念そうに呟く大助。いつひは何度か頷いた。

「やっぱりお持ち帰り?」

 五月女の方を指差しながらいつひが尋ねると「今日はいいかな」と大助が答えた。「話せそうにないし」

 そう返してからいつひからドン引きの表情を向けられていることに気が付いた大助は「冗談だよ!?」と眉を下げる。いつひは顔を引き攣らせたまま「へぇ〜」とだけ発声した。

 飽きてきた重光は、それをアピールするように大きな欠伸をしたためるのだった。

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