キチガイ作者は暴挙に出る
少年は息を荒くしながら、小汚い紙を目の前の男に見せ、どことなく誇らしげな顔をしていた。自分が決して立派な存在になれるはずがないという事実から、目を背けるようにして。
「今日は……その、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく。どうぞおかけになって」
「失礼します!」
「五月蠅いねえ。そんなに畏まらなくったっていい」
「そうですかね」
「ああ、そうだ。五月蠅いのだ」
二人は沈黙した。二人の顔がどことなく似ているのに気が付き、少年はなぜか、気まずい気持ちになった。しかしその後、勝ち誇った。自分の方が、顔が痩せている。目の前の男は、節度を持った食事ができないらしい。まったくもって情けない。
対して椅子に踏ん反り返っているキチガイ作者の方はというと、少年の顔を見る事すら嫌がっているらしい。腫物を触る時よりも嫌そうな顔をしている。その憎たらしく思う素振りは隠しきれていないようである。
「で、小説の添削を、お願いしたいと言っておったね」
「はい!」
「忙しい中、よう無駄に頑張ったね。一応、拝見させていただいたよ」
「いかがでしたか!」
「いかがも何も、添削する気も起きなかったよ。添削はやめだ。貴様に人生相談をしてやろうかと言わんばかりだ」
「と、言いますと?」
「君、趣味はなんだね」
「作曲です! あと、執筆活動です!」
「ああ、そうかい。どちらもうまくいかないことなんて、知っているのにな。それでも君は続けるつもりだろう?」
「ええ、恥ずかしいかもだけど、この二つだけは俺は失いたくないんです。俺は必ず、すごい人になって見せます!」
「そうかい。ご勝手になさい。と言いたいところなんだが、君には無理だ」
「いえ、違います」
「口先だけで否定しちゃいけない。君自身の顔がもう、肯定しているじゃないか」
「そんなこと……そんなことありません! 俺には無理だって!? そんなの、誰だってわからないでしょう!?」
「わかるさ。ああ、私だからわかるんだ。私だけが、君の本当の姿を知っている。君になんて出来っこないんだよ」
少年は何も言い返せないまま、右足を震わせ始めた。貧乏ゆすり程度であれば可愛らしい位だが、彼のその暴力的な右足はあたかも地団太を踏んでいるようにしか見えない。普通なら目の前のキチガイ作者は、その態度に怒って見せるだろう。しかしそんな無粋な真似はしなかった。少年がこういう態度を取ると分かり切っていたからである。
「そうお怒りになるな。君のためを思って言っている。いいかい、私は決して、君にまっとうな人生を送ってほしいわけじゃないんだ。『ふざけた趣味を辞めて、金になる仕事に就きなさい』なんて阿呆共のよくやる手口の詐欺は、私は嫌いなんだ」
「五月蠅いのはあなたです。あなたもどうせ、そちら側なんでしょう?」
「違う違う! 私は、あくまで提案に留めておくがね」
「提案? あなた如きが、俺に提案なんて図々しいです!」
「いいや、君が私に向かってピイピイ鳴いている方が、よっぽど図々しくはないかね。『君、自殺をしろ』」
目の前のキチガイ作者は、決して命令のようにではなく、跪いて懇願するように、まるで殺してほしそうな声で言ってのけた。
少年は言葉を失った。今まで自殺を提案されたことがなかったため、必要以上に驚いてしまったのはもちろん、目の前の彼の瞳が、みるみる死んでいくのに気づかされたためである。『自殺をしろ』なんて、この現代社会に反していないか。目の前の盆暗はいったい何を言っているのだ。少年はそのご自慢の阿呆面で、目の前の男を見つめた。キチガイ作者の方はというと、その少年の阿呆面を、いつも鏡で見るそれよりも憎たらしく思った。
「執筆活動、という言い方がそもそも、君の自身のなさから現れている。素直に言ったらどうだね? 拙い語彙からなるふざけた小説を書いているってね」
「どんなに、どんなにふざけていても、これは俺の人生なんだ!」
「それだから、ダメなんだよ! その言葉に、私はどれほど苦しめられてきたか。無責任な今の君にわかるまい」
「ええ、分かりませんとも」
「しかし絶対に気が付くよ。ああ、君は高校二年だ。あと四、五年で分かるはずさ。そもそも、自分に人生なんてなかったって、気が付くはずさ」
人生なんてなかったはずはない。そもそも、全人類は各々人生を謳歌しているのであって、自分もその一人だ。『人生がない』というのが『人生に意味はない』ということなら、キチガイ作者の方が間違っている。意味がないはずはない。少年には、無根拠な自信があった。その一年後、自分の人生が掃いて捨てられるほどの無価値なものであったと、気が付くまでは。
「あなたに、何がわかるんです」
「わかるさ。だって、私は君なんだもの」
「どういうことですか」
「そのままの意味だ。君があと四、五年経ったら、私になるんだ」
そう宣うキチガイ作者の顔は、何とも面倒くさそうであった。初めて少年と目を合わせたが、すぐに視線を逸らした。見るに堪えない汚物から目を遠ざけたのだ。
「その顔、時が経てば経つほど、死ににくくなることを理解しちゃあいないね? なあに。覚悟が決まらないということじゃない。いや、きっと、それもそうなんだが。でもそれ以上に、君に責任が生え始めるんだよ。社会が蒔いていた種が、ようやっと発芽し始めるんだ。今まで優しそうに手を差し伸べていた下衆共が、急に責任の名をもって蹴飛ばしてくるようになる。ああ、やってらんねえ人生だ」
「やっぱり! 人間ってそうなんですね! あいつらはずっといがみ合いながら生きているから!」
「オオ、君もそう思うか。ああ、その点だけは、君と意見が合っているらしいな」
キチガイ作者は、素直に喜んでいるようである。初めて、目の前の汚物と真剣に目を合わせてやった。そうして面白い事実に気が付いた。その目は、今と大して変わりなかった。とっくの昔に死んでいたのだ。皮肉な笑いが、止まらなくなった。
「まあいい。君は、聞きたくないのかね? 君の五年分の人生を、私は語ってみせることができるよ」
「いいですか、お願いします」
「あいわかった」
なんとあくどい笑みを目の前のキチガイ作者は、浮かべているのだろう。これは、彼お得意の悪口が炸裂するサインであった。
「君はまず、とある事実に気が付くんだぜ。自分には、作曲はもう出来っこないと思うようになるんだ」
「俺が、ですか。」
「そうだ。自分に自信を無くしたってわけじゃあないんだが、これは俺の仕事じゃないと気が付くんだ。ある時、自分を超えられなくなる。自分にとっての自信作が生まれちまうんだよ」
「それは、嬉しいことじゃないんですか?」
「べらぼうめ。何を言いなさる。永遠に自分に自信を持てないからこそ、ずっと続けていられるんじゃあないか。自分の限界の探求は、すぐに終わらせちゃあいけないよ」
少年は、それもそうかと思い、頷いて見せた。
「それも一つだが、もっと致命的だったのは、業界そのものだね。より良いものを手掛けようとするなら、よりよいグッズが必要になるんだ。もっと良い媒体に変えたいだとか、もっと良い音質の楽器に変えたいだとか」
「そんなこと言っちゃいけませんよ。無料で、楽しもうとしてるじゃないですか」
「ああ、ああ。拙いものしか作れない君は、そういうだろうさ。もちろん人間は成長するから、君よりも良いものを、私は作って見せたよ。そうして気が付いた。これ以上を求めるなら、これ以上の環境が欲しい。とね」
さらに悪辣な笑みが、少年の顔に焼き付いてくる。こんなに荒唐無稽な顔を、未来の自分は引っ提げるようになるのか。ああ、なんて恥ずかしい。少年はこれ以上、キチガイ作者とのアイコンタクトは辞めることにした。
「だが環境を見て見なさいな。値段が高いということには、私は文句の一つも言わないよ。皆が叡智を集って作ったものなのだから、どれだけ高価でもお好きになさい。しかしねぇ、何かと理由をつけて、特別な日だからと、急に十パーセントくらいの価格まで値下げするのはどうかと思うね。ああ、君たちは、自分の作ってきたそれにプライドはないのかね? もっとプライドを持ちなさいな。じゃないと、信用ある市場は作れんだろうに」
「でも、良いじゃありませんか。買い手のことを気にかけてくださるのは」
「私は買い手がどうだとか、ビジネスの話をしとるんじゃないよ。目先の利益をお供に男根を擦り擦りする、三流人間のど腐れ共の話なんかしとらん。芸術家たる者、堂々とした態度でお売りなさいと言っているのだ。自分を好きでいるから、芸術家なのだろう? いいかい、他人との比較で自分を好きになる必要はない。自分が自分だから好きなのだ。これ以上理論の崩壊した心理はないが、これ以上人に寄り添った心理はないとも思わんか。きっと君なら、分かっていただけるだろうよ」
少年は、あまり話を聞いていなかった。適当な相槌を、打って見せていた。
「ええ、分かりましたとも。作曲は、おやめすればいいんですね?」
「ああ、やめてしまうと良い」
少年は、じゃあ次は何をすればいいのだろう。自分から作曲を取ったら、何になるのだろう。そんな漠然とした不安から、体が浮いた気分になった。天に昇っているのだろうか。ああ、ようやく死ねるのか。
「君の気持ちは、もうわかっておるよ。君は不安だろう。自分は次に、何をすればよいのか。君に残されたものが無くなるんだ。ただ一つを抜かしてね。だから言ったじゃないか。君は、人生を生きてなんかなかったんだよ」
「そっか、だから、『自殺』すればいいんですね」
「そうそう! 物分かりが良くって、助かるよ」
二人は初めて、本気で笑い合った。以外にも二人は仲良くなれるらしい。常にお互いを嫌い合っているキチガイ作者共は、人様の悪口と自分が死ぬ話でのみ盛り上がることが出来るのだ。
「でも、僕は本当に自殺をするんでしょうか」
「頼むから、しておくれよ。今しておけば楽だろう? こればかりは善は急げと言った人間様の言う通りさ。後回し後回しと無意味に今を生きようとするんじゃない。死ねるときに死んでおくのが作法というものだ」
「これって、小説の添削の件でしたよね」
「いつの間にか自殺の話になっていたな、あっはっは。どうだね、自死の勇気がないのなら、いっそ私が殺してやろうか」
「いえ、結構です。自分のケツは自分で拭きます」
「じゃあ今すぐ、ご自分の首をご自分でくくっておくれよ」
むしろキチガイ作者の方が、首を括りたそうにうずうずしているものだから情けない。これから、少年時代の彼に説得せられてしまうのだから、まったく情けない。しかしキチガイ作者のまだ死にたくない理由が、以下に記されているらしい。ああ、早く死ね。情けない。何が『まだ死にたくない』だ。誰が貴様の生きるのを望む。貴様を含め、誰一人望んでおらんではないか。しかし漠然とした死への不安は、今まで一度も取り除くことが出来なかった。ああ、皆に笑われちまうぞ。現に若いころの私は、嘲笑ってきよるだろうに。
「いや、待てよ。僕にはまだ、残されたものがあるじゃないですか」
「何だね? 親の期待はもう地の底に落ちているだろう。今更何が残っているというのだね」
「小説を書くことですよ。まだ僕には筆があるんだ。これが僕の生命じゃありませんか」
「べらぼうめ。ろくなものを描けないのに、何が僕の生命だ。始まる前から終わってた命だと、自覚はないのかね」
ここで描くと言っているところが、自分に酔っているのだ。世界を描写した気でいる。貴様は世界から常に遠ざかろうとしているくせに、どうして描写した気でいられよう。さっさと世界からつまはじきにされてこい。社会の癌。反社会人。失笑を攫う道化。
「いいや、違う。貴方の云いたいことがわかりましたよ」
「どこをどう理解したってんだい」
「死にたくないんでしょう。貴方の縋る道を、私に気づかせたかったんでしょう」
「ええい、黙りなされ。と言いたいところだが、面白いな。ほれ、それは何か、言ってみなさい」
「書くことですよ」
「そうかもしれんな」
「そうでしょう」
「ああ、その通りだ」
「あなたが言いたかったことがわかりましたよ」
「ええ、言ってごらん」
「『書け』」
「その通りだよ。全くもって、その通り。そうしなきゃ、ならないんだ。いいかい、この世界に幸せはない。もし幸せになったら大変だ。その幸せは感じた一瞬のうちに逃げていく。そうして心にはぽっかりと穴が開く。ただ不幸という糞が垂れ流しになりながらね。なら、死ぬという選択も、悪くないだろう?」
「でも、書くんですね」
「そうだ。破綻しているかね? ああもちろんだ。理論なんて通用するか。人間世界の法則が私に適用されてたまるか。だから書くんだよ。我書くゆえに我ありと言ったところでござろうか」
「本当に、破綻してますね。ばかばかしい。でも、僕らしいじゃないですか。僕はこれから、何にも成長しないんですね」
「そうだよ。誇れ。何にも変わらない君を誇りなさいな」
「そうしてみます」
「そうだ。それがいい。添削は、以上だよ」
ああ、キチガイ作者の暴挙。みっともない、学のない、人望もあるはずがない、癌細胞の滑稽劇。明日死ぬと思っておけば、今もまだ書いていられる。ああ、今日も死にたくてたまらない。今日も書きたくてたまらない。ああおぞましい。こんな短絡な人生を誰が歩めようか。私なら、千金積まれてもやめておきたいところだ。
ご覧くださり、ありがとうございました。気に入っていただけましたら、どうか出来得る限りで構いませぬ、こちらの作品の拡散をよろしくお願いしとうございます。