第97話 キズナを繋いで
保健室を出た哲矢は、職務棟の廊下を花と並んで歩く。
頬の傷跡を気にする度にこれまで忘れかけていた脇腹の痛みも思い出してしまい、哲矢としては花の歩く速度に合わせるだけでいっぱいいっぱいであった。
だが、今はそんなことよりも彼女に何と謝るべきかで哲矢は頭を悩ませていた。
もう問題は起こさないと屋上で誓った言葉を哲矢は破ったのだ。
どんな理由があったのだとしても、花の目には裏切られたと映ったことだろう。
「…………」
花は保健室での表情が嘘のように、どこか心痛な面持ちで無言のまま小さなツインテールを揺らしながら廊下を歩いていた。
彼女はとても気を遣う人間だ。
自分の口からは、どうして誓いを破ったのかとなかなか訊き出せないのかもしれない。
ならば、ここで話を切り出すのは自分しかいない、と哲矢は思う。
「あ、あのっ……」
哲矢はぴたりと歩みを止めて花に声をかける。
その瞬間、彼女の肩がビクッと震えるのが哲矢には分かった。
「……そ、その……ご、ごめんっ!! 俺っ、花との約束をすぐに破っちまって……」
「…………」
「もう問題は起こさない。明日の計画が最優先だって誓ったばかりだってのに……バカだよな。これじゃ、学園に目をつけられて当然だよ」
自分で口にしてみて、哲矢は初めて事の重大さを認識する。
もちろん、友達を守りたいという思いからあの場で翠を助けに行ったことは哲矢は後悔していなかった。
けれど、結果的には騒ぎの渦中にいるところを哲矢は大貴に見られてしまっていた。
彼がこちらの動きに何か気づくということもあり得る。
それを一番花は心配していたのだろう。
忠告したにもかかわらず、それをすぐさま破ったのだ。
愛想を尽かして当然だ。
無人の廊下に降り立つ重苦しい沈黙を当然の罰であると思い、哲矢はそれを甘んじて受け入れていた。
――そのはずだったのだが。
やがて、口を開いた彼女の言葉は哲矢にとってまったくの予想外のものであった。
「……私の方こそ、その……ごめんなさいっ!!」
「へっ?」
拍子抜けをして思わず哲矢は花をまじまじと覗き見てしまう。
彼女はどういうわけか、顔を紅潮させていた。
そして、もどかしそうに唇を噛み締めながらこう続ける。
「なんかすごく偉そうなこと言っちゃってたよね……。私も同じだったんだ。哲矢君が二宮君に暴力振るわれてるのを見て、黙っていられなかった。きっと哲矢君も追浜君を助けるために行動したんだよね?」
「……いや、俺は……」
なぜか哲矢はそこで頷くことができない。
自分が全面的に悪いというトーンで謝ってしまった手前、素直になれなくなってしまっていたのだ。
だが、花は哲矢の思いが分かっているようであった。
両手を後ろに組むと、廊下の床を上履きで小さく蹴りながら静かにこう口にする。
「それって同じだよね。『目を瞑ってほしい』って言っておきながら、私も我慢できなかった。いざ自分の番になったら分かったの。それがどれだけ難しいことかって。無視することなんてできないよ。だって……大切な友達だから」
「……っ」
それは哲矢が翠を助ける時に抱いた感情とまったく同じであった。
花もまた、同じ思いを抱いて助けに現れてくれたのだ。
改めて彼女に対して感謝の念が湧いてくる。
だが、気恥ずかしさが上回って哲矢はそれを言葉にすることができない。
哲矢は頭をかいて曖昧に微笑む。
彼女も言っていて少し照れ臭かったのか、最後にはおどけた口調でこう締めの言葉を口にした。
「よぉ~しっ! これからはどんどん問題に首を突っ込んでいこぉー♪」
「それはそれで危険だろっ!」
「んははっ♪ 適度が一番かなっ?」
「……まあ、そういうことだ」
自分の気持ちに嘘を吐いてまで見過ごすことのできないことは存在する。
これは今回の一件で二人が学んだ教訓であった。




