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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第3部・証明編 4月9日(火)
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第94話 憤りの保健室

「少し昼の会議で遅くなりました」


 そう口にしながら登場した若い女性教師は室内の異変にすぐに気づいたようだ。

 それでも、何も目にしなかったとでも主張するように、散り散りとなった生徒たちを自分たちの席へと座らせると、事態に言及することなく公共の授業を始めようとする。


 さすがにそんな教師の態度に我慢がならなかったのだろう。

 花が大声で訴えかける。


「先生ッ!! これを見てもなんとも思わないんですかッ!?」


「……えっ?」


「哲矢君も追浜君もっ……こんな状態なんですよッ!!」


 その時、椅子に凭れる大貴の目が花へと向いた。

 哲矢はふらふらとなりながらも頭を押えて立ち上がり、大貴が花に何か行動してくることを警戒する。


 しかし、哲矢が恐れていたような事態へは発展しなかった。

 大貴はブレザーのポケットに両手を突っ込み、目を閉じて押し黙る。

 その姿が昨日の彼とまったくの別人のようであった。

 

「保健室へ連れて行かせてくださいッ!」


 花が強い口調で女性教師に続ける。

 彼女もあたふたとした表情を覗かせ、花の言葉に何も言えないようであった。

 

「哲矢君っ、保健室行けるっ……?」


「……あ、あぁ。俺は、大丈夫だから……翠を……」


「うんっ」


 自力で立ち上がれる哲矢とは違い、翠は後頭部を押えてまだ苦しそうに呻いていた。

 女性教師はそんな光景を見てどぎまぎとしている。

 

 おそらく、彼女は大貴が何か問題を起こしたのだと思っているに違いなかった。

 ここで翠に手を貸すことで、大貴たちに歯向かったと思われるのが怖いのかもしれない。

 生徒の怪我よりも保身に意識が向くこの学園の教師たちに哲矢は強い憤りを覚える。


「私たちも……」

「……追浜君を運ぶの手伝います」


 花が翠に声をかけていると、野庭と小菅ヶ谷が素早く駆け寄ってくる。

 

「ありがとうございますっ……!」


 翠は花たち三人に支えられるようにして、教室から廊下へと出ていく。

 哲矢もたどたどしく歩いて彼女らの後に続いた。

 

 そして、ちょうど大貴の真後ろを通過しようかというその時。

 哲矢はある呟きのような言葉を耳にする。


 もしかすると、ただの空耳だったのかもしれない。

 それは本当に小さな声で……。


 『もうすぐ終わる』と。


 そのように誰かが呟くのを哲矢はまだ意識がはっきりとしない中で耳にするのだった。 




 ◇




 保健室は無人だった。


 だが、昨日と違ってドアに鍵は掛けられていなかった。

 一体ここの養護教諭はどういう人物なのかと気になる哲矢であったが、今はそんなことよりも翠をベッドに寝かしつけることが最優先事項であった。


「哲矢君もっ……!」


 そう花に急かされるのだが、実は職務棟へ歩いて来るまでの間、哲矢の視野は不思議と回復していた。

 顔を蹴られた割りには急所が外れたためか、少し頬が腫れてヒリヒリとするだけで頭の痛みも消えている。

 

 「俺はもう大丈夫」と哲矢は花に告げるのだが、彼女はまるで過保護な保護者のようにそれをなかなか許してくれない。


 保健室のベッドは二つしかなく、この後別の生徒がここを訪れることも考えられたので、ひとまず診察台の上に腰をかけて少し安静にしているということで、花もなんとか納得してくれるのだった。


 野庭と小菅ヶ谷は、蒼白した面持ちで横になる翠の姿を眺めている。

 彼は時々低く唸ってベッドの中で何度か寝返りを打った。

 しかし、そのうち規則正しい寝息を立て始める。


 最初、彼女たちはそんな翠の姿を不安そうにして見つめていたが、哲矢は二人を安心させるために優しく声をかける。

 

「養護の先生が戻ってきたらちゃんと見てもらおう」


 哲矢のその言葉に野庭と小菅ヶ谷は曖昧に頷いた。

 まだ、心ここにあらずといった様子だ。


 こんな状況の中で訊くことが果たして正しいのかと哲矢は一瞬判断に迷ったが、やはり訊くべきだろうと思い、二人に率直に質問を投げかけることにする。

 教室で一体何が起こったのか、と。


「いえ……」

「……えっと……」


 彼女らは口にしづらそうにお互いの顔を見合わせる。

 けれど、すぐに何かを決心したように話し始めるのだった。

 まず、野庭が細くて柔らかい自身の短い髪に触りながら事の発端を口にする。

 

「……私たちに突然二宮君が絡んできたんです」


「二宮って……さっきの髭づらの男か?」


「はい。最初、私たち三人は教室で一緒にご飯を食べていたんです。午前中に6月に都で開かれる放送部のコンテストに提出するテレビドキュメント作品の撮影をしていて、その反省会をしてたんです」


 ちょうどそのタイミングで入れ替わるように小菅ヶ谷が話に加わってくる。


「……私たちは顧問の先生に授業を休む許可を貰ってました。でも、二宮君は授業を休んで昼休みから登校してきた私たちが気に障ったようで……」

 

「それで絡んできたんですか?」


 花が訝しげに目を細めてそう訊ねる。

 

「はい……」

「……そうです」

 

 二人の女子は花の言葉に同時に頷いた。

 そして、小菅ヶ谷はさらさらの長い黒髪を憂わしげに小さく振り払うと、声を少し震わせながらこう続ける。

 

「追浜君は真っ先にそれを主張したんです。自分たちは部活の創作のために授業を休んでいただけで先生の許可も貰ってるんだって……」

「……普段の追浜君らしくないちょっと強い物言いだったんです」


 野庭がそう話を補足する。


 そんな彼女の言葉を聞いて、哲矢はふと昨日教壇で告白した後の翠の態度のことを思い出した。

 彼は自分が何もできなかったことを強く後悔していた。

 もしかすると、翠の中で何か気持ち的に変化があったのかもしれない。


「それが二宮君を……」

「……さらに刺激させてしまったんです」


 二宮は翠を椅子から強引に引き摺り下ろすと、彼の個人的な性的指向を強く非難したのだという。

 そして、翠が常に制服のスカートを持ち歩いていることにも言及して、それをその場で穿くように強制したらしい。

 

「……っ、ひどい……」


 花は短く呻きを上げると顔をしかめる。

 野庭も小菅ヶ谷も話をするのが本当に辛そうで、最後は言葉が切れ切れとなってしまっていた。

 

「神武寺さんも寒川君も、面白そうにそれを笑って見ていて……」

「……私たちも怖くなって、周りに助けを求めようとしたんですけど……」


 クラスメイトらも厄介ごとに巻き込まれたくなかったのだろう。

 次第にエスカレートしていく二宮の悪ふざけに誰も口出しすることができず、見て見ぬふりをしてあのような状況が生まれていたのだ。

 

「……結局、追浜君は……二宮君に、無理矢理スカートを……穿かされて……」

「そのいざこざで……追浜君は、投げ飛ばされて……机に頭を打ってしまって……」


「もういい。十分だ」


 哲矢がそう口にすると、野庭と小菅ヶ谷はお互い抱き合うようにして薄く涙を流した。

 自然と自分の拳が震えているのが哲矢には分かった。


 こんなことが平然とまかり通ってしまっているこの学園の現状に激しい怒りを抱いたのだ。

 おそらく、二宮は最初から翠のことをよく思っていなかったのだろう。

 ただ、彼のプライベートな性格を公衆の面前で晒すためだけに絡んできたのだ。


「許せない……」


 花が震えながら口にするその言葉に哲矢も完全に同意であった。


 必ず大貴が将人を冤罪に追い込んだということを明らかにして、彼ら仲間の悪事をこれ以上増長させてはいけない。

 どこかで流れを変えない限り、いつまでもこのようなことが繰り返されるに違いなかった。 

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