第89話 花の本心を覗く
購買部の売店で購入したツナタマゴのサンドイッチとコーヒー牛乳を二つずつ手に持って屋上に戻ると、花はフェンスに背中を預けて一枚の用紙と何やら睨めっこしていた。
哲矢が戻ってきたことにも気づかずに、ぶつぶつとひとり言を呟いている。
邪魔にならないように少し距離を置いてそっと地べたに腰を下ろすと、哲矢はそんな彼女の姿をなんとなく眺める。
花は真剣な表情で用紙に何度も目を通していた。
「…………」
あまり気にかけたことはなかったが、彼女もメイに劣らずかなり整った顔立ちをしている。
クラスでは目立った方ではないので話題にならないのかもしれないが、そこら辺りの男子から声をかけられても不思議ではない容姿をしている。
花と麻唯と将人。
三人は仲が良かったのだという。
彼女らの関係が今の自分たちの関係にどこか似ているということに哲矢は気づく。
(将人、お前はどういう気持ちで学園生活を送っていたんだ?)
一度しか顔を見たことがないその男子のために、哲矢は様々な困難の中で戦っている。
(花が信じる将人を信じる、か……)
2日前、哲矢が書道部の部室で口にした言葉だ。
その気持ちに今も変わりはない。
(絶対この場所に戻してやる。だから……もう花を悲しませるようなことはするなよ)
心の中でそう呟くと、哲矢は花に手を振って声を上げた。
「おーい、さっきからなに見てるんだー?」
「……ほふぇっ!? 哲矢君いつの間に戻ってたの!?」
「さっきだー。メシ買ってきたから一緒に食おうぜー!」
花が小走りで哲矢の元までやって来る。
今、哲矢たちはちょうど屋上のドアの近くにいた。
「ほれっ」
哲矢がサンドイッチとコーヒー牛乳を花に投げる。
「わあっ!」
それを慌てて彼女は受け取った。
そして、哲矢を見下ろすような形で屈むと「ほんとにいいの?」と遠慮気味に訊ねてくる。
花がお金の管理についてしっかりしていることは知っていた。
だから、哲矢は同じ言葉をもう一度繰り返す。
「おう、今回は俺の奢りだ」
それで彼女も納得したようだ。
「ありがとっー♪」と満面の笑みで感謝の言葉を口にすると、おいしそうにツナタマゴのサンドイッチにかじりつく。
「よっしゃ! 立候補も最終的に受理されたようだし、明日の予定について話を詰めるか」
「うん♪ そーしよーっ!」
二人でサンドイッチをほう張りながら会話をする。
「んと、じゃ当日の立会演説会の流れについて教えてくれないか」
「もぐもぐ……ぷはーっ! おっけ~♪」
花は説明会でされたという話を一から丁寧に話し始める。
立候補者の数は花も含めて三人。
他の二人は、次期生徒会長の座を狙う高二の男子と女子だ。
彼らにとっては、6月の本選挙の前哨戦といった意味合いの方が強いことだろう。
次に時間と場所だが、五時間目を丸々利用して体育館で行われるのだという。
その場に集まるのは高等部の全生徒。
哲矢の読み通り、教師も全員参加とのことであった。
当然、ターゲットである社家も参加することが予想される。
また、肝心の演説について。
まず立候補者の演説の前に応援者のスピーチを行うことが可能なのだという。
応援者の持ち時間は5分間。
この時間内なら何人の応援者が参加しても良いとのこと。
立候補者としては、自らの求心力をアピールする絶好のチャンスと言えるに違いない。
けれど、花はそこまで話すとバツが悪そうに俯いてしまう。
その表情が気になって哲矢は思わず声をかけた。
「どうしたんだ?」
「えっと、その応援者のことなんだけど……」
「俺がやるよ。どうせステージに俺も上がるつもりだったし」
「あ、うん。私もそう思って哲矢君にお願いしようって考えてたんだけど……。生徒会の人に聞いたら、それはできないって言われちゃって」
「えっ?」
「哲矢君、体験入学ってテイで今学園に通ってるでしょ? それだと正式な生徒ってわけじゃないからダメだって」
「うわぁ……」
「だから、哲矢君がステージに上がるのは正直難しいと思う」
「でもさり気なく一緒に上がれば……!」
「普通に生徒会の人に止められると思うよ。演説の前に騒ぎになれば、最悪中止にされちゃうかもしれないし」
「……っ」
昨夜、病院のロビーであれだけ大見得切って一緒にステージへ上がると言ってしまった自分が哲矢は途端に恥ずかしくなる。
だが、よくよく考えればそれは分かることであった。
確かに、哲矢は宝野学園に通ってはいるが学園の生徒というわけではない。
学籍がない者を応援者と認めることはできない、と。
そういうことなのだ。
なんだか全ての責任を花に押しつけてしまっているようで悪い気がしたが、こればかりはどうしようもないことだ。
演説の前に舞台をぶち壊すわけにはいかない。
「他に頼める相手はいるのか?」
「クラスの子の何人かに当たったんだけど、結局断られちゃって……」
「そっか」
花のクラスでの立ち位置を見ればそこまで交友関係が広いわけではないことが分かる。
むしろ、孤立しているようなところがあると哲矢は思っていたくらいなのだ。
麻唯が傍にいた当時ならともかく、花のためだけに手伝ってくれるクラスメイトや友人は残念ながらいないのだろう。
その気持ちは哲矢にも痛いほど理解できた。
地元での自分の立ち位置がまさにそれだからだ。
別に応援者がいなくても成立するのなら、その件を気にするだけ時間の無駄である。
哲矢は花にそう口にすると続きを促した。
応援者の演説の後はいよいよ立候補者の演説となる。
持ち時間は同じく5分間。
順番が花が最後ということであった。
ここが明日の計画のハイライトである。
社家の証言が嘘であると公に晒すこと。
絶対にしくじることのできないミッションなのだ。
哲矢がそっと花の横顔を覗くと、彼女はサンドイッチを片手に複雑そうな表情を浮かべていた。
事の重要さが分かっているのだろう。
できることなら代わってあげたいと思う哲矢であったが、これは花にしかできない仕事であった。
「あはは……。どうしよう、なに言えばいいか分かんないや」
正直な彼女の言葉が宙に浮く。
その悲痛さが分かるからこそ、哲矢はできるだけ彼女の側に立って返答する。
「そんな難しく考えなくていいんじゃないか? 将人が金属バットで四人を襲う場面を目撃したのは本当なのかって、そう社家に訊ねることが大事なんだから。将人が大貴の仕組んだ罠にはまって冤罪で捕まってしまったと、自分の気持ちを交えて訴えかければ、必ずみんなに思いが伝わるはずだよ」
「……うん、そうだよね」
そう口にして頷きながらもまだどこか納得がいかないのか。
花は手に取ったコーヒー牛乳のストローを何度も歯で噛んでいた。
もしかすると、以前彼女が言ったように、まだ将人に対して迷いがあるのかもしれない。
花も将人のことを100パーセント理解しているわけではないのだ。
心の中で葛藤がある。
本当は将人が麻唯を教室の窓から突き落としたのではないか。
そういう小さな迷いが彼女にあることを哲矢は見抜いていた。
だから、自信を持って社家に訊ねる気持ちが作れないのである。
「もし不安なら、あとで一緒に問い質す内容を考えようぜ。メイも一緒に混ぜてさ。三人で考えればなにかいい言葉が浮かぶかもしれないから」
「ごめん。弱気になっちゃってるよね。ステージに立つのは私なんだから、しっかりしなきゃいけないのに」
「花……」
「哲矢君、本当にありがとう。大丈夫だから。私……ちゃんとやってみせる」
そう気丈に振る舞う花はどこか辛そうで、無理をしているようにも見えて。
けれど、それ以上哲矢は何も言うことができなかった。
せめて彼女の支えにならなければ……と、哲矢は心に強く決めるのであった。




