第8話 凶暴な視線
始業式の流れは大体どこの学校でも似たようなものであるらしい。
体育館に用意されたパイプ椅子にメイや花と並んで座り、ステージを眺めながら哲矢はそんなことを思った。
三年生による新入生歓迎のスピーチ、新任教員の紹介、部活動の表彰、そして校長の退屈な挨拶……。
地元の高校と特に代わり映えのしない光景がそこには広がっていた。
「…………」
椅子に深く凭れながら、哲矢はなんとなく校長の話に耳を傾ける。
恰幅の良い体を揺らしながら脂ぎった額をハンカチで拭い、野太い声でスピーチを続けるその校長自体は近所にいる下世話な親父のそれと変わりなかったが、彼が話す内容にはどこか違和感があった。
校長が話を進めていくうちに体育館の空気が微妙に変わり始めたことに哲矢は気づいたのだ。
幼い頃、哲矢は両親に連れられてキリスト教の礼拝に参加したことが何度かあった。
その時の雰囲気にどこか似ている気がする、と哲矢は思った。
校長はしきりに【桜ヶ丘市】という言葉を口にした。
やがて、彼の話は街の歴史や未来にまで飛躍していく。
それを真剣な眼差しで耳を傾ける生徒らの姿に、哲矢は少しだけ不気味なものを感じた。
隣りであくびを交えながら退屈そうにしているメイが今回だけは頼もしく思えるのだった。
◇
始業式が終わると、三人は揃って教室へと戻ってくる。
花も特別おしゃべりというわけではないのだろう。
道すがら余計なことは一切訊ねてこなかった。
(まあ、訊かれたところで本当のことは言えないんだけど……)
メイは先ほど社家に案内されたうちの一つの席に真っ先に腰をかける。
誰もが憧れる窓側の角席を彼女は取った。
(そこ狙ってたのに……)
仕方がないので哲矢はその右隣りの席に座る。
これから3日間共にする席だ。
ちょうど哲矢の前に花の席が来る恰好となった。
彼女は振り返りながら笑顔でこう口にしてきた。
「またなにか分からないことがあったら遠慮なく言ってください」
「ああ。色々とありがとう」
「…………」
相変わらず、メイは不愛想に無言を貫いていた。
開いた窓から春風がそよぎ、カーテンがふわりと揺れるさまを彼女は見つめている。
少しは川崎さんにお礼くらい言ったらどうだ、と心の中でつっこみを入れる哲矢であったが言葉にするのは止めておいた。
そして、ようやくひと息つけることに気がつく。
(ふぅ……。なんだかんだあって、体育館でも緊張してたからな)
こうして後ろの席を用意されていただけでもありがたいことであった。
だけど、それにしても……と哲矢は思う。
(普通こういう時って、転入生って話題になるもんじゃないのか?)
あまり目立ちたくはない哲矢であったが、まったく周りから話しかけられないのもそれはそれで寂しい気がしていた。
(俺はいいにしてもメイは騒がれてもいい容姿をしてるだろうに……)
やはり自己紹介が色々とマズかったのだろう、と哲矢は思った。
先ほどからチラチラと覗き見るような視線が送られてきていることがその何よりの証拠だ。
皆声はかけてこないが、気にはなっているようであった。
そんな中――。
(……っ!?)
これまでのものとは異なる矢のような視線が哲矢の元へ飛んでくる。
ちょうど廊下側の後ろの席。
横並びの列の席に着く男子生徒が真っ直ぐに哲矢のことを睨みつけてきたのだ。
それも今にも殴りかかってきそうなほどの鋭い形相で。
(な、なんだ……。あいつ……)
彼の周りはほとんど空席であった。
だから、余計にその姿が目立つ。
座っていても長身だということがすぐに分かった。
長い脚を組んで、背中をだらしなく椅子につけている。
襟足を短く刈り上げたツーブロックのショートヘアはとても自然で似合っていた。
きっとモデルをやっていると言われても驚かないことだろう、と哲矢は思う。
細く引かれたその眼光は、狙った獲物を品定めするように哲矢を掴んで離さなかった。
その時――。
バンッ!!
突然、教室中のざわめきを引き裂く大きな音が辺りに響き渡る。
哲矢は前の席に座る花と同じタイミングで反射的にその音がする方へ顔を向けた。
「…………」
机に両手をつけたメイが無言のまま立っていた。
「どうしたんだよ、急に……」
「高島さん……?」
哲矢と花が驚きながらそう訊ねるも、彼女はひと言も言葉を発することなくそのまま教室の後ろを通って廊下へと出て行ってしまう。
哲矢のことを睨みつけていた男子生徒は、すでに関心を失ったように手にしたスマートフォンに目を落としていた。
(……助けてくれたのか?)
状況が上手く飲み込めなかったが、哲矢はメイのお陰で敵意ある凶暴な視線から解放されることとなった。
◇
その後、6時間目までびっちりと組まれた授業を哲矢は受けることとなった。
始業式は午前中で終わるものだと思っていた哲矢は一瞬虚を衝かれるも、普段は真面目に学校生活を送って慣れていたためか、許容の範囲の出来ごとであった。
授業内容は地元の高校よりも大分進んでいたが、日ごろから勉強に取り組んでいる甲斐もあって哲矢は苦労することなく周りについていくことができていた。
アメリカから来たメイにとって日本の授業はどうなのだろうか。
きっとちんぷんかんぷんに違いないと思い、隣りを覗く哲矢であったが、そこには意外にも熱心に授業を受けるメイの姿があった。
なぜか負けた気分となる。
彼女をライバル視しながら授業を受けているうちに気づけば帰りのホームルームも終わり、掃除の時間となっていた。
今日一日を通して、親切に話しかけてきてくれたのは花だけであった。
昼休みも律儀に食堂まで案内してくれて、おすすめのメニューを教えてくれたほどだ。
対して他のクラスメイトたちは、チラチラと気にするように覗き込んではくるものの、決して話しかけてこようとはしなかった。
哲矢にとってはお世辞にも居心地が良い環境とは言えない。
けれど、メイだけはこんな状況でもお構いなしのようであった。
花から受け取った箒でせっせと掃除に熱を入れている。
案外こういうのも才能なのかもしれないな、と哲矢はメイを見ながら思った。
(そういえば……)
随分前からあの男子生徒の姿が見当たらないことに哲矢は気づいた。
なぜかそのことが気になり、つい傍にいた花に確認してしまう。
「川崎さん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど……」
「えっ? な、なんですかっ?」
真剣に掃除をしていたところで声をかけてしまったため、彼女を少しだけ驚かせてしまう。
詫びを入れつつ、哲矢は周りの目を気にしながら小さく口にした。
「あのさ。廊下側の席にいた彼って名前なんて言うの?」
「廊下側? 結構席がありますけど」
「ごめん、分かりづらかったな。モデルみたいな長身の男子のことなんだけど」
「ああ……」
それで彼女は気づいたようであった。
やはり、あのスタイルなら相当目立つのだろう。
「橋本君だと思います」
「橋本?」
「はい。橋本大貴君。でも……。どうして、その……」
彼女は目を細めつつ、言いづらそうに口ごもる。
少し誤解を与える訊き方だったようだ。
とっさに哲矢は誤魔化していた。
「い、いやっ! さっき、彼が落とした消しゴムを拾ったから。名前が分からなくて困ってたんだ」
「消しゴムですか?」
なぜか花はその答えを聞いても、あまりピンときていない様子であった。
まるで、あの男子生徒が消しゴムなど持っているはずがないと確信でもしているかのように。
「……そうでしたか。まだ初日ですし、みんなの名前が分からないのは当然ですよ。またなにか分からないことがあったらどんどん訊いてください」
彼女は親切な笑みを口元に灯す。
ひとまず、名前を確認することができただけでも良かったと言えた。
(橋本大貴か……)
彼のことは覚えておかなければならない。
その時、なぜか哲矢はそんなことを思うのであった。




