第79話 最後にだけ自由な終わりがある
「えっ?」
哲矢のその言葉を聞いても花はまだピンときていない様子であった。
無理もない。
一見するとその二つは結びつくようには思えないからだ。
だがこれからすぐに理解できることだろう、と哲矢はほくそ笑む。
「もう一度確認させてくれ。10日の立会演説会には高等部の全員が体育館に集合する。これに間違いないんだよな?」
「うん。だからそうだけど……」
「その全員ってのはもちろん教師も含まれているわけだ」
「……哲矢君、なにが言いたいの?」
哲矢の得体の知れないテンションに花は少し引き気味であった。
けれど、それも構わずに哲矢は確認の詰めを行う。
「ってことは、社家も参加するってことだよな? そこでだ。その全員のいる前でヤツに大貴の関与も含めて真相を問い質すっていうのはどうだ?」
「問い質すって……まさか、私の順番の時に?」
「演説中は誰もが静かに立候補者の話に耳を傾けるだろ? その場で事実を追及すれば社家も言い逃れすることができないんじゃないか?」
「で、でも……。さっきも言ったように社家先生が簡単に口を割るはずが……」
「だからさ。せっかく体育館に高等部の全生徒が集まるんだ。彼らの力を借りるんだよ」
「力を借りる?」
「ああ。特に今の三年生は大貴たち仲間が優遇されるさまをずっと目の当たりにしてきたわけだろ? 表には出してなくてもストレスは相当溜まってるはずだ。もちろん、彼らが教師に逆らえないことも知ってるよ。けど……集団ならどうだ? 赤信号もみんなで渡れば怖くないって言うだろ?」
「それ、例えが悪い気が」
「つまり、日ごろ溜まっている鬱憤をその場で晴らさせてやるんだ。生徒の後押しもあって、社家は虚偽の証言と大貴の関与を認めざるを得なくなる」
「なるほど……。なんか哲矢君にそう言われると、すごく有効な手段に思えてきたよ!」
徐々に花は哲矢の力説にハマっていく。
けれど、当然これは洗脳や冗談などではなかった。
哲矢はこの計画が本気で成し遂げられるものと考えていた。
「後ろめたさがあれば、ボロだって出しやすくなるもんね」
「そういうこと。いくら社家でも集団の圧には勝てないはずだから」
話を盛り上げようとさらに声を張る哲矢であったが、急に不安が押し寄せてきたのか、花は一拍置いた後、スッと酔いが醒めたように冷静にこう訊ねてくる。
「でも……生徒のみんながついてこなかったら? それに私、そんな大勢の人たちの前で社家先生にそのことを問い質せる自信がないよ」
今しがたまでの明るい口調は影を潜め、花は両手を組んだまま屈み込んでしまう。
哲矢はそんな花の肩に手を置くと、彼女の前にしゃがみ込んで不安を取り除くように優しくこう声をかける。
「大丈夫、体育館のステージには俺も上がるよ。一緒にヤツを追及しよう」
「ぇ、哲矢君……」
「確かに花の言う通り、みんなが乗ってこない可能性も考えられるよ。これまで体に染みついてしまった恐怖ってあるもんな。実際どうなるかはその瞬間になってみないと分からないと思う。けれど、証拠を見つけられてない以上、社家の証言を崩すことが今俺たちにできる最善の方法だと思うんだ」
「……そうだね。そうかもしれない……」
「代理選を利用するようで申し訳ないけど」
「ううん。将人君の無実を証明することはきっと麻唯ちゃんも望んでいることだと思うから」
自分で言い聞かせるようにそう口にして落ち着きが戻ってきたのだろう。
花は顔を上げると、笑顔で哲矢に微笑んだ。
「あと一日ある。その間にじっくり考えよう」
「うんっ!」
無人のロビーにハイタッチの音が響き渡る。
それが話の切れ目となった。
◇
「ごめんっ! 遅くなってしまったよ! 途中で夜間工事に引っかかってしまってね……」
時刻が21時半を過ぎてしばらくすると、洋助が慌てた様子で南部地域病院のロビーに姿を現す。
洋助がやって来るまでの間、哲矢と花は疲労がたまっていたせいか、どちらからともなく眠りに落ちてしまっていたので、彼の登場には二人して体をビクッと跳ね上がらせた。
「あっ……、風祭さん……。わざわざすみません……」
「メイ君の点滴はもう終わったのかい?」
「えっと……今何時ですか?」
「9時43分だね」
「じゃあ……多分、もう終わってると思います……」
「そっか。哲矢君もお疲れさま」
哲矢が目を擦りながらそう礼を述べると、隣りで寄りかかるようにして眠っていた花は、ツインテールの短い髪を整えるようにして立ち上がり洋助にスッと頭を下げる。
「は、初めましてっ! あのっ……私、関内君のクラスメイトの川崎花と申します! たまたま近くを通りかかりまして、それで……」
「ご丁寧にありがとうございます。僕は哲矢君とメイ君の保護者役をやらせてもらってます風祭洋助って言います。彼らの体験入学の期間中だけ面倒を見ているんです」
洋助は自分の身元を伏せて花にそう自己紹介する。
もちろん、哲矢はこれから家庭裁判庁の調査官が迎えに来るということを花に話していた。
けれどもこのことは洋助には内緒だ。
あくまでも、偶然会ったいちクラスメイトという立場で花には振る舞ってもらっていた。
「彼女が救急車を呼んでくれたんです。さっき風祭さんに電話したのも川崎さんのスマホからで」
「そうだったんだね。わざわざすみませんでした」
「いえいえっ! とんでもないです! 緊急事態だったのでお役に立てて本当によかったって思ってますからっ!」
花は変に緊張しているためか挨拶にぎこちなさがあったが、洋助が何かつっこんでくることはなかった。
それよりも彼は哲矢の服装に目がついたようだ。
「それと、さっきから気になってたんだけど……哲矢君その恰好どうしたの?」
「あっこれですか。俺もメイと一緒に傘を持たずに行動してたんでびしょ濡れになっちゃいまして、さっき病院の方がこれ貸してくれたんです」
「この検査衣姿! 可愛いですよねっ!? 写真撮りたいんですけど撮らせてくれないんですよー」
「確かにとてもよく似合ってるね。ぜひ僕も写真に保存しておきたいくらいだ」
「いや、やめてくださいよ」
「メイちゃんに後で見せたいんだけどなぁ……ちょっとだけでもダメ?」
「ダメだっ! あいつに見せると絶対に俺が笑いものにされるっ!」
「ちぇ……可愛いのに。後で絶対見返したくなりますよね?」
「はははっそうだね。僕も記念に残しておくべきだと思うよ」
「無責任なこと言わないでくださいって!」
そんな会話を交わしているうちに花の緊張も解けたのだろう。
洋助との間に自然な会話が生まれていた。
お互いの立場や出会う場所が異なれば、きっとこんな風に仲良くなれていたに違いない。
「さて……。それじゃメイ君を迎えに行こうか。どこの病室に居るか分かる?」
「あっはい、こっちです」
それから哲矢は花と一緒に洋助をメイが点滴を受けた病室まで案内する。
部屋の中央に設置された白いベッドの上に彼女は横たわっていた。
看護師が着替えさせてくれたのだろう。
メイは哲矢と同じように検査衣を着て眠っていた。
全身に付着していた泥はすでに払い落され、これもきっと病院のスタッフが綺麗にしてくれたに違いないかった。
改めて感謝の念を抱きながら、哲矢はメイの顔を覗き見る。
「メイ……」
肘窩にはガーゼが貼られている。
その痛々しい外見とは対照的に、きめ細かな彼女の白い肌は病室の窓から差し込む月明りに照らされ美しく光輝いていた。
きらめくブロンドの長い髪が月明りに反射し、哲矢はハッとさせられる。
このような美しい少女を雨風の中走り回らせてしまったのだ。
哲矢は改めて己が選んだ行き当たりばったりの行動に反省を重ねる。
「ちょっと先生にこのまま連れて帰っても大丈夫か聞いてくるね」
「はい」
それから洋助が担当医の男と共に戻ってくるまで哲矢たちはその場でメイの寝姿をじっと見守っていた。
◇
「……これでよしっと」
洋助がメイを抱きかかえたままイングレッサG4の後部席に運び入れる。
点滴が効いているのか、メイは気持ちよさそうにまだ眠り続けていた。
「きっと疲れてたんだね」
そう口にしつつ花はメイの隣りに腰をかけ、彼女の髪を優しく撫でた。
そんな光景をバックミラー越しに眺めながら、哲矢は二人の姿を微笑ましく見守っていた。
これまで降り続いていた大雨はぴたりと止み、美しい星の煌めきが夜空に輝きを放っている。
ふと辺りに目を向けながら哲矢は思う。
この分だと桜はかなり散ってしまったに違いない、と。
感動的な光景の中に含まれるセンチメンタルな感情を隠しつつ、哲矢は発進する車の助手席から春風が運ぶ夜の空気を思いっきり吸い込んだ。
ヘッドライトが濡れたアスファルトをきらきらと照らし、まるで万華鏡を覗き込んだような錯覚を哲矢は抱く。
満ち足りた思いを抱いているためだろうか。
ごくありふれた景色にもかかわらず、哲矢の瞳にはとても幻想的に映り、いつまでも心に残り続けるのだった。
◇
「わざわざ送って頂きありがとうございました♪」
花は礼儀正しく深々とお辞儀をすると、後部席で寝たままのメイの額に車窓越しにそっと触れる。
そして大きく手を振り、「哲矢君! また明日学園でっ!」と笑顔で挨拶してからタワーマンションの敷地へと消えてしまう。
「元気な子だね」と、洋助は感心したように呟いた。
「変わったんです」
そう口にしながら哲矢は花の姿が完全に見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
車はそれから宿舎へと向けて走り出す。
哲矢は助手席のシートにもたれて今日という日を振り返る。
(とてもタフな一日だったな……)
一昨日、もう一度将人の事件と真剣に向き合うと心に決めてから哲矢の過ごす日々は劇的に変化した。
実際に彼の無実を証明するような証拠はまだ何も掴めていない。
けれど、今の哲矢には確かな達成感があった。
きっと明日もタフな一日になるに違いない、と哲矢は思う。
けれど、それで哲矢が怯むことはなかった。
(あとはやるだけだ)
バックミラーに目を向ければ、こくこくと眠り続けるメイの姿が見える。
彼女は静かに寝息を立てていた。
(メイが傍に居てくれたら俺はなんでも乗り越えられるよ)
普段は気恥ずかしくて決して言えない台詞も今ならすらすらと思い浮かぶから不思議だ、と哲矢は思う。
それからしばらくして哲矢もまた束の間の眠りに落ちる。
意識が途切れる瞬間、哲矢は窓越しに流れ星を一つ見つけるのであった。




