第77話 尻尾を掴めるか? その2
「それって犯行を告白したのと一緒でしょっ?」
「まぁ、そうとも考えられるけど……」
「けど?」
「あいつがなにか言ったところで肝心の証拠はまだ見つかっていないだろ?」
「だから、橋本君のその発言を証拠にすればいいんだよ!」
鬼の首を取ったかのように興奮気味にはしゃぐ花の姿に哲矢は少し嫌な予感を抱く。
このままだと本当にそれを盾にして警察へ駆け込みかねなかった。
ひとまず彼女を落ち着かせるため、哲矢は冷静にこう続けた。
「ちょっと待ってくれ、花。そもそも大貴は、藤野を教室の窓から突き落としたことも、三崎口たちを使って被害者のふりをさせたことも、社家に協力を仰いで将人を脅していることも、なに一つ認めていないんだ。ただメイの主張に対して、そう思うなら証拠を提示してみろって言っただけなんだよ」
「でも、哲矢君も今言ったよね? 普通、まったくの無関係ならそんな台詞は出てこないって」
「ああ、そう思うよ。実際に会ってみて分かった。花の言う通り、あいつはかなり怪しい」
「だったらなんで……」
「だけど、やっぱり証拠が無いんだ。あいつがああ返してきたのも、アジトが割れた腹いせにただ挑発がしたかっただけなのかもしれないし。それに俺はその発言を録音してたわけじゃない。後でなんとでも言い逃れされしまうと思うよ」
「……そんな……」
哲矢の理路整然とした返答に花は声を詰まらせてしまう。
希望を打ち砕くようで気は引けたが、彼女に現実を見てもらわないことには先に進めないと哲矢は考えていた。
警察も検察もプロだ。
確信を持って被疑者を逮捕しているし、家裁送致もしている。
こちらが冤罪だと主張することは、彼らのミスを指摘しているようなものなのだ。
裁判官も証拠を提示しない限り、こちらの主張に耳を傾けることはないだろう、と哲矢は思う。
何よりも本人が弁護活動を望んでおらず、犯行を認めてしまっているのが厄介な問題であると言えた。
(……いや、待てよ)
そこまで考えて哲矢の脳裏にパッとある妙案が浮かぶ。
無意識のうちに哲矢はそれを声に出していた。
「……そうだ。大貴が口を割らないのなら、将人本人に直接真相を確かめればそれで済む話じゃないのか? 社家を通して脅されていて、警察にも家裁にも真実が言えなかったとしても、花になら本当のことを話してくれるんじゃないか?」
それは、証拠を探すという回りくどいことをせずに冤罪を主張できる単純で明快な発想であった。
どうしてこれまでこの案を思い浮かばなかったのかが不思議なくらいだ。
しかし、何らかの良い反応が返ってくると思われた花の態度は、今しがたまでの熱意が嘘のように冷めたものへと変わってしまっていた。
彼女は哲矢の閃きに対して淡々とこう返す。
「私もそれは一番最初に考えたよ。将人君に直接真相を確かめに行くって。でも一昨日も言ったと思うけど、親族以外の面会は禁止されているの。ましてや私たちは未成年だし、単独で将人君に会いに行く方法がないんだよ」
「……っ、そう言えばそうだったな……」
「哲矢君たちが少年調査官の職務として行くのならそれは可能なのかもしれないけど」
「いや……それもちょっと難しいかもしれない。この前は藤沢さんと一緒だったから将人に会いに行けたわけで、俺たちだけだと話が変わってくると思う」
「そうだよね。あと、私思うの。たとえ面会ができて直接本人の話が聞けたとしても、将人君は本当のことを話さないんじゃないかって。面会で私に話せるのなら、とっくの昔に警察の人にも話せていたって私は思う。やっぱりなにか話せない事情があるんだよ」
「……弱みを握られているとか、そんなところか」
哲矢は話の流れから花の思いを汲み取った発言をしたつもりであった。
だが、彼女の反応はどこか鈍い。
「うーん。どうかな……」
そう曖昧に濁した後、今度はこんなことを言い出すのだった。
「これまで散々橋本君が裏で手を引いているって話をしてきてなんだけど……実は繋がりがよく分かってないんだ」
「繋がり?」
「うん。将人君と橋本君の繋がり。生徒会長である麻唯ちゃんをやっかんでいた橋本君が教室の窓から彼女を突き落として、社家先生や三崎口君たちの協力を得て偽りの事件をでっち上げたってところまでは想像できるの。だけど、その犯人役になぜ将人君が選ばれたのか。そこがよく分からないんだ」
「えっ……」
「二人がクラスでなにか会話しているところを私はこれまで見たことがないし、橋本君が将人君を恨んでいたような印象はまったくないんだ。もちろん、私の知らないところで二人の間になにかあったのかもしれない。将人君は麻唯ちゃんとよく行動を共にしてたからそのことで一緒に恨まれていたのかもしれない。でも、実際はどういう関係だったのか、私にはよく分かってないの」
その一貫性に欠く彼女の発言に、哲矢は少なからず衝撃を受けた。
あれほど大貴が将人を罠にかけた張本人だと主張していたのだから、それ相応の根拠を持っているものだと勝手に思い込んでしまっていたのだ。
さすがに哲矢は口を挟んでしまう。
「つまり、花はなんの確信もなくて、大貴が将人を罠にかけたって言ってたのか?」
「なんの確信もなかったわけじゃないけど……状況から見てそう思ったの。橋本君が怪しいのは明らかだったから」
「…………」
昼間喫茶店でこの話を聞いた時、どうしてもっと詰めて訊かなかったのか。
哲矢は己の甘さを認識する。
(ちょっとマズいな……)
問題点が見つかり、哲矢の中に焦りの感情が膨れ上がり始めた。
将人と大貴の関係が不透明である以上、これまでの仮説はやはり想像の域を出ていないということを意味している。
根底が揺らぎかねない事態であるとも言えた。
(……でも、大貴が証拠を提示してみろって言ってきたのは確かなんだ)
哲矢は話を整理するために一度その話題を区切る。
「兎にも角にも、あいつが事件に関わっている証拠を見つけ出すことには変わりないよ。将人に会いに行って真相を確かめるのが無理なら他になにかいい案はないか?」
「麻唯ちゃんに確認できればそれも早いんだけど……無理だよね。橋本君にはメイちゃんが直接訊いてもボロを出さなかったわけだし、あとは他の仲間から話を訊くとか? もう一度、三人の自宅を訪ねて……」
「それはもう無意味だと思う。事件があった翌日から今日までの間、被害者のふりをしてずっと学園を休んでいる忠誠心の高いヤツらだ。仮に一人でいる時を狙って訪ねてみたとしても口を割ることはないと思う」
「まあ、そうだよね……」
花は弱々しく息を吐くと、意気消沈したように再び長椅子に腰をかける。
だがすぐにころっと表情を替え、何かを思いついたように「あっ」と小さく声を漏らした。
彼女のその瞳には先ほどまでの輝きが戻っていた。
名案を思いついたとばかりに嬉しそうに哲矢に顔を近づけてくる。
「待って、橋本君の仲間ならもう一人いるよ! 社家先生がいるじゃん!」
「社家……?」
「そうっ! 社家先生を利用するってのはどうかなっ?」
花が何を言おうとしているのかが分からず、哲矢は「どういう意味だ?」と訊き返してしまう。
「えっと、先生は事件の唯一の目撃者でしょ? それが将人君の逮捕に大きな影響を与えたと思わない?」
「そりゃそうだな。社家の通報で駆けつけた警察によって将人は現行犯逮捕されたわけだし。自供の裏づけも社家の証言によるところが大きいだろうし」
「つまりさ。社家先生の証言が砦になってるわけだよね? ならそれを崩せば……」
「ああ、なるほど」
そこで哲矢は花が言おうとしていることの意味を理解する。
「そもそも社家の目撃証言がなければ、誰も将人の犯行を立証することができないってことか?」
「そういうこと! 将人君の自供もあやふやなものになると思うんだ」
確かにそこは突くべきポイントのような気もした。
(でも……そんな簡単に崩せるのか?)
哲矢は単刀直入に思ったことを口にする。
「けど社家は証言を変えないと思うぜ」
「それはそうだよね。橋本君に指示されているのなら、やっぱり口は割らないと思う」
「それに、万が一ヤツが目撃証言は嘘だったと認めたとしても、それが大貴が裏で手を引いている証拠には必ずしもならないんじゃないか? 市長の息子なんだ。いわば学園にとって大貴は重要な存在なわけで、社家はヤツのことを必死で庇うと思うよ」
社家に目撃証言が嘘だったことを認めさせれば、事態は別の方向へと大きく進展する可能性がある。
だが、それが大貴の尻尾を捕まえることになるかまでは哲矢には分からなかった。
結局、二人はふりだしへと戻ってしまっていた。




