第73話 降りしきる雨の中
ここはどこなのか。
嵐のように吹き荒れる雨風を全身に浴びながら、哲矢は自分が一体どこを走っているのか分からずにいた。
視界不良の中、口には大量の雨粒が入り込み、叫んでメイを呼び止めることもできない。
終いには、哲矢は脇腹に走る鈍い痛みに負けて彼女の後ろ姿を完全に見失ってしまっていた。
「……はぁッ、はぁ、っ……!」
桜ヶ丘ニュータウンは似たような景観が続く。
視界に入るのは真っ白な並びの団地か規模の小さな公園くらいで目印となるようなものはない。
車道や歩道に至っては区別をするのが難しいくらいに景色が似てしまっていた。
しかも、今はこの大雨だ。
スマートフォンも見れない今、自分がどこを走っているのか哲矢が分からなくなって当然と言えた。
それでも哲矢はメイが駆け出した方角へ向けて懸命に走り続けた。
朦朧とする意識の中、脇腹を押えながら一心不乱に走っていると、やがて哲矢の目に違和感ある光景が飛び込んでくる。
「――ッ!?」
前方に連なる街灯の辺りに横たわっている人影が確認できたのだ。
目に大量の雨粒が入り込んで近づかなければ判断できなかったが、誰かがその場に倒れているように哲矢には見えた。
(まさかッ……!)
悪い予感を抱きつつ、哲矢は急いで街灯まで駆けつける。
そして、そこに横たわっていたのは……。
「……っ、メイッ!?」
顔を火照らせ気を失っているブロンド髪の少女であった。
哲矢はすぐさま彼女の元へ駆け寄り額に手を当てる。
(すごい熱だ……)
きっとこの雨の中体を酷使し続けていたことが原因だろう、と哲矢は思った。
常に大人びた振舞いをしているとしても、まだ10代の少女だ。
特に彼女の場合、つい気丈に振る舞ってしまう癖もあったことだろう。
慣れない状況で無茶をしていたに違いない。
とにかく、雨風を凌げる場所を探す必要があった。
哲矢はびしょ濡れの彼女をそっと抱きかかえる。
普段の強気な態度からは想像もできないほど、その体は華奢であった。
こんな小さな体で彼女は大人と激しく言い争っていたのだ。
本来のメイはこうも弱々しく儚い存在なのだということを哲矢は痛感する。
(どこか屋根のある場所は……)
腕をかざし雨粒を避けながら必死で周囲を探していると、哲矢は辺りの景色に見覚えがあることに気がつく。
「……ここは」
真っ先に目に飛び込んできたのは雨に濡れて黒ずんだ校舎だ。
その外観を見て間違いない、と哲矢は思った。
(あれはさっきの廃校だ)
メイは今、2校目に訪れた廃校近くの歩道で倒れていた。
改めて周りに目を向けても、連なった団地が見えるだけで雨風の凌げそうな場所はない。
本音を言えばすぐにでも病院へ連れて行きたかったが、スマートフォンが壊れているこの状況では救急車も呼べなかった。
帰宅ルートから大きく外れてしまっているのか分からないが、道行く人の姿をまったく見かけない。
車さえ走っていないのだ。
ひょっとすると、この辺りのエリアは桜ヶ丘ニュータウンの中でも圧倒的に人口の少ない場所なのかもしれなかった。
このような状況で哲矢が選べる選択肢は限られている。
最も優先すべきはメイの体調だ。
(とにかく一度あそこへ運ばないと……!)
彼女の体を抱きかかえたまま哲矢は目の前にそびえ立つ廃校へと向けて駆け出す。
脇腹はまるで刃物で抉られたような痛みが走るも、今はそんなものを気にしている余裕はなかった。
校門前で一度メイを下ろすと、哲矢は門扉に手をかけ、それを押して開けようとする。
だが――。
「……いぃっ!」
突如、信じられない光景が目に飛び込んできて、哲矢は思わずその動きを止めてしまう。
グラウンドの真ん中ら辺に傘を差した人影があるのを見つけてしまったのだ。
(大貴か……?)
とっさにそう考える哲矢であったが、近くにビッグスクーターが置かれていないことにすぐ気がつく。
それに、彼は傘を差すなどとまどろこしいことをするような性格には見えなかった。
この大雨の中だとしてもびしょ濡れのまま大股で闊歩しているに違いない。
得体の知れない人物を目撃したことで哲矢の判断は鈍ってしまう。
そうこう迷っているうちに、傘を持った人影は哲矢たちがいる校門へ向けて迫ってきていた。
(……いや、構うものか!)
相手が誰だろうと関係ない、と哲矢は心に決める。
今は一刻も早く雨ざらしの状況にあるメイを屋根のある場所へ運び込むことが最優先事項であった。
門扉を開け放ってメイを再び抱きかかえると、哲矢は何食わぬ顔でグラウンドを進んでいく。
相手はまだこちらの存在に気づいていないのか、上半身を覆うようにして傘を差しながらゆっくりと歩いていた。
その距離が徐々に狭まっていく。
やがて、哲矢はあることに気づいた。
(……っ、スカート?)
こちらへ向かって歩いてきている人影が制服を着ているのが分かったのだ。
なぜかは分からない。
直感が働いたとしか説明できない。
その時、哲矢は彼女の名前を口にしていた。
「……川崎さん……?」
この大雨の中、まだ距離のある相手に対してその声が届いたことは幸運と呼べるに違いない。
真っ赤な傘の隙間から相手の顔が覗けて見える。
「……ぇっ……」
その小さな呟きに混じって、花の驚いた表情が哲矢の瞳に映るのだった。




