第72話 決別 その2
「っ、テツヤッ……!?」
哲矢はメイのことを手で制しながら同じ言葉を繰り返した。
「将人は冤罪で捕まったんだって……俺たちはそう考えているんですっ!」
「冤罪……?」
まるで、その可能性のことなど想像もしていなかったとでも言うような顔をして美羽子は驚きの表情を浮かべる。
「はい」
「どういうこと?」
「将人が四人を襲ったわけじゃないってことです」
「……いや、ちょっと待って。違うのよ関内君」
どこか蔑むように一度鼻を鳴らすと、美羽子は苛立たしげにハンドルをとんとんと指で叩きながら言葉を続ける。
「私たちは別にあなたに探偵役になってほしかったわけじゃないのよ? 動機が見えないから、彼が犯行当時どんな心境だったかを考えてほしかっただけで――」
「そんなこと言ってるから真実が見抜けないのよ!!」
話の途中でメイは息を荒げながらそう毒を吐く。
もはや、場は収拾がつかないほど荒れに荒れてしまっていた。
「じゃあなに? 生田将人は本当は事件と無関係だってそう言いたいわけ? あなたたちが今言ってることは警察に挑戦を叩きつけてることと同じだって分かる? 彼らは現行犯で生田将人を逮捕しているの。それが誤ったものだったってそう主張するなら、それなりの根拠があるんでしょうね? どうなのよっ!」
家庭裁判庁に勤める調査官である以上、美羽子が二人の主張を否定することはあり得ない。
けれども、内心では彼女がどう感じているか。
哲矢には分かってしまっていた。
(……くっ、ダメだ。もっと具体的に言わないと……)
哲矢は決断をする。
花を置き去りにする形で飛び出してきた手前、それ相応の覚悟があった。
運転席から身を乗り出すようにして迫る美羽子の目を真っ直ぐに捉えながら、哲矢は自分たちの考えをはっきりと口にした。
「根拠ならあります。俺たちは……犯人が別に存在するって思っているんです」
「……なに?」
「目星もついているんです。さっき俺らがあそこにいたのは……廃校でそいつと会っていたからなんです。お願いです! そいつが犯行に及んだっていう証拠を集めたいんです! 一緒に協力していただけませんか?」
哲矢は深々と頭を下げる。
美羽子も面を食らったように一度考えるような間を取った。
一瞬、理解を示してくれたのかと期待する哲矢であったが、その願いは虚しく打ち砕かれることとなる。
「……あなたがやろうとしているのは弁護士の仕事よ。それは私たちの仕事じゃない。それに今回生田将人は付添人を付けていないわ。つまり、彼は弁護活動を望んでないのよ」
「関内君、あなたの考えはそもそも根底が間違っているのよ。問題の焦点は生田将人が事件を起こしたかどうかじゃない。なぜ彼があのような事件を起こしたのか、それを私たちは知りたいの」
「何度も言ってるけど、あなたの務めは彼と同じ生活環境に身を置いてそこで感じたことを報告書にまとめることよ。たったそれだけでよかったの。自分を変えるチャンスとか、冤罪を証明するとか……そんなものはまったく関係のないことなのよ。それがどうして分からないの?」
美羽子の声はエスカレートしていた。
表情を見てもかなり感情が昂っているのが分かる。
これ以上何か言ったところで聞く耳を持たないのは明らかであった。
そんな中、メイのどこか嘲笑した声が哲矢の隣りから上がった。
「それでよく調査官と言えるものね」
「……どういう意味?」
「仕事なんてほとんどなにもしてないじゃない。少なくとも私にはそう見えるわ。それにあんた、マサトの立場に立ってものを考えたことってあるの? あいつが本当に抱えている問題も見抜けないようならそれはプロとして失格でしょ」
「……っ!!」
次の瞬間、怒りが頂点へと達した美羽子の鋭い平手がメイの頬を思いっきり叩く。
パシンッ!
甲高い音がルーフを打ちつける雨音に混じって車内に響いた。
「あなたたちのやっていることは明らかな職務違反ッ! 少年調査官の務めを超越した行為よ! そんな勝手が上に知れたら、一体誰が責任を取ると思ってるの!? もうこれ以上私たちに迷惑かけないでよッ!!」
それは、ようやく哲矢が目撃した美羽子の本性だった。
上辺をなぞるようにしか接してこないという印象を美羽子に抱いていた哲矢であったが、ついに彼女の本音を耳にして合点がいく。
(やっぱりこういう人だったんだ)
それがメイにも分かったのだろう。
美羽子の姿を哀れみを持って見つめたメイは、頬に手を当てたまま後部席のドアを開けて土砂降りの雨の中へと駆け出してしまう。
「あっ……」と、美羽子が短く声を漏らす頃にはすべてが手遅れであった。
「メイッ!」
反射的に体が動くように哲矢もその後を追って車を飛び出していた。
途端これまでに経験したことのないくらい強烈な雨が哲矢の視界を遮る。
だが、アキュアが照らすヘッドライトのおかげでメイの後ろ姿は辛うじて視認することができた。
車から離れるに従って美羽子の叫ぶ声も遠退いていく。
哲矢は無我夢中でメイの背中を追い続けるのだった。




