第62話 黒幕に迫れ! その1
その断定調の言葉を耳にした瞬間、まるで時間が停止してしまったかのように周りのものすべてがスローモーションのように哲矢の目に映った。
(あの男が将人を罠にかけた張本人……?)
哲矢は彼女が口にした言葉の意味について考える。
確かに、これまで哲矢は『将人は無実である』と主張する花を信じて何となく彼の冤罪を信じてきた。
だが、具体的にどのようにして冤罪にさせられたのか。
そのことについてはなぜか詳しく考えてこなかった。
哲矢の頭に思い浮かぶのは、この同じ店で一昨日花が口にした言葉だ。
『誰かにそう言うように脅されているとしか考えられません』
あの時はそこまで意味のある言葉だとは哲矢は考えていなかった。
けれど今にして思えば、彼女がその時から何か確信を持ってそう口にしていたということが分かる。
将人のことを脅している【誰か】がいると、彼女は完全に当てをつけていたのだ。
(それが橋本大貴……そういうことなのか?)
哲矢はこの場の重い空気から逃れるように一度窓の外へと目を向ける。
雨は少しずつではあるが先ほどよりは弱まっているように感じられた。
デッキを通る人々の傘が色とりどりに咲き、そこに綺麗な幾何学模様を作り出している。
彼らの多くは近場のオフィスや商業施設で働く会社員やニュータウンの住民に違いない。
当たり前のことではあるが制服姿の者はどこにも見当たらなかった。
そんな風にして哲矢が外の景色に目を奪われていると、先ほどのウエイターがオレンジジュースを運んでやって来る。
哲矢はそれを一礼してから受け取ると、冷静になるために一口だけグラスに口をつける。
心の整理が必要であることが分かっているのだろう。
メイと花は哲矢のその一挙一動を黙って見守っていた。
暫しの間、沈黙が三人の間に降り立つ。
やがて、哲矢がオレンジジュースの入ったグラスをテーブルの上に置くと、花はそう考えるに至った自らの根拠を一から話し始めるのであった。
「……三崎口君たちが事件があった翌日から今日までの間、自宅療養という形で学園をずっと休んでいることは関内君もご存じですよね?」
「ああ。家庭裁判庁からもそう聞いているよ」
「確かにその事実だけを見れば、三人は本当に被害に遭ったのだろうと考えても不思議ではありません。学園が彼らの欠席を認めているわけですから」
「……ん? どういうことだ?」
花の言葉の中に違和感が含まれていることに哲矢はすぐに気づいた。
(本当に被害に遭ったのだろうと考えても不思議ではない? 三人は事件の被害者なんじゃないのか?)
そんな哲矢の疑問を受け止めるよう、花はいよいよ腹の内すべてを明かすような勢いで言葉を続ける。
「私は……三崎口君たちが事件の被害に遭ったとは考えていません。いえ、私だけじゃありません。表面上は納得するように装っていても実際のところクラスでもそれを信じていない子の方が多いんです」
「な、なんだって?」
「みんな薄々勘づいているんですよ。裏で誰かが糸を引いているって」
その瞬間、哲矢の脳裏に再び今朝の花の言葉が甦った。
『もっと怪しい人は他にいるのに……。そうでしょっ!?』
ずっと彼女が誰のことを指してそう言っているのかが分からなかったが、今なら哲矢はその人物が誰なのか理解できた。
「……橋本大貴……」
哲矢が改めてその名前を口にすると花は静かに一度頷く。
そのタイミングで入れ替わるように今度はメイが話を切り出してきた。
「ここで最初の話に戻るわけだけど、ハナと私が三人に会いに行った理由ね。もうテツヤも気づいたでしょ?」
「三崎口、塚原、渋沢の三人は本当は被害に遭っていなくて、今は仮病かなにかで学園を休んでいる……って、そういうことか? だからそれを確かめるために三人の自宅を訪ねに行った?」
「当たり」
「でも、そんなことって……」
「驚くのはまだ早いわ。面白いのはここから」
勿体つけるようにメイがそう口にすると、どこか思い詰めた様子の花が話に加わってくる。
「……私、クラスのみんなにそのことを訊ねたら誰かしら賛同してくれる子が現れるって思ってたんです。けど、実際はあの通りそんなことはなくて……。みんな内心では誰が一番怪しいかって分かっているはずなのに、人前でそれを絶対口にしようとしないんです。それで私なんだか悔しくなって、あんな取り乱すような感じになっちゃって……」
「高島さんに連れ出されて教室を出た後、これまで自分が思ってきたことを私全部高島さんに話したんです。誰が将人君を罠にかけたのか、その考えのすべてを」
その時の感情が一気に甦ってきたのだろう。
花の口調はいつもよりも荒く興奮気味であった。
メイは震える彼女の肩に身を乗り出してそっと優しく触れる。
そして、バトンタッチするように続きを話し始めるのだった。
「そこで私はハシモトのこととミサキグチたちがそいつの友人だって話を聞いたの。もちろん、最初は半信半疑だったわ。だって三人が被害に遭ったっていうのは警察が調べた上での結果だって思ってたから」
「でも、真剣に話すハナの話を聞いていくうちにそんな思いはすぐにどこかへ吹き飛んでしまった。それで私たちはひとまず三人の自宅を訪ねて事実を確かめてみようって話になったの。ハナもこれまで疑ってはいたものの自分から調べるってことはしていなかったみたいだから」
「はい。それをしてしまうとなんだか自分一人だけ闇の中に引き摺り込まれてしまいそうで……怖かったんです」
将人が無実であると強く信じている一方で自分だけではどうすることもできないという葛藤をこれまで彼女は抱えていたのだろう、と哲矢は思った。
(だからこそ、俺たちの転入は川崎さんの目には救いのように映ったんだ)
今ならなぜ彼女があれだけ積極的に自分に話しかけてきてくれたのか、哲矢には分かった。
「結局、私たちは保健室には行かずにこっそりと学園を抜け出したわ。それでさっきも話したようにタクシーを使って三人の自宅を周ったってわけ。もちろん、彼らの家族には本当のことを伏せて適当な言い訳を作ってね」
花は冷め切ってしまった紅茶に一度口をつけると、呼吸を整えてからメイの後に続く。
「そうやって行動に移すまでは橋本君が裏で手を引いているって仮説に揺るぎない自信があったわけではありませんでした。ですが、実際に三崎口君たちの自宅を訪ねてみてその思いは確信へと変わったんです」
「なにがあったんだ?」
堪らず哲矢は口を挟んでしまう。
話の流れからそこで何があったのかは大体予想はできていたが、いち早く答えを確認したかったのだ。
「結論から言うと三人は自宅にはいなかったわ。それどころか在宅していた母親たちは自分の子供は普通に学園へ登校しているものだと思っていたの」
「えっ……」
「事件が起きた後の数日くらいは本当に休んでいたみたいなんだけどね。だけど、それからは普通に登校していたみたいなの。今日も学園にいるものだと母親たちは思っていたわ」
「どこの家庭でも真顔で返されたわよ。まるで訪ねて来たこちらに間違いがあるように。まあそれも当然よね、授業をサボってなんだかよく分からない理由で一方的に訪ねに行ったわけだから」
「けど、実際は春休みも含めた1ヶ月以上もの間、自宅療養のため学園を休んでいるって話になっているんだろ?」
「はい。この間、三崎口君たちがどこに居たのかは分かりません。だけど、これで三人は被害に遭っていない可能性がより高くなりました。だってそうですよね? 本当に被害に遭っていたのなら快復後は普通に学園へ通っているはずです」
「ですが現状はどうですか? 彼らは家族を騙してこの1ヶ月以上もの間、学園に登校してきていません。ただ、これも三崎口君たちが単にサボるのが目的でそうしているのなら、問題はここまで深刻ではありませんでした」
「……?」
「焦点は学園の態度にあります」
「学園の態度?」
「はい。仮病で被害者を装っていたにせよ、三人が登校できるようになった段階で当然家族から学園に連絡が行ったはずです。にもかかわらず、彼らが登校して来ないことを学園は現在見過ごしています」
「いえ……それだけではありません。私たち生徒には『三人は傷を治すために自宅で療養している』と嘘を吐いているのです。これって明らかにおかしいですよね?」
「……ああ、なるほど。確かにおかしいな。いや……でも、それがどうして三人が被害に遭っていない可能性がより高くなったって話になるんだ?」
少し混乱して哲矢がそう訊ねると、その言葉を待っていたと言わんばかりにメイが前のめりに口を挟んでくる。
「そこでさっきの共通点が重要になってくるのよ。ミサキグチ、ツカハラ、シブサワの三人がハシモトの友人であるってことが」
哲矢は思わず息を呑んだ。
なぜかは分からない。
けれど、これから先自分の想像を越えるような話が展開されるというような予感があったのだ。
花は一度店内を見渡して周りを確認すると、声のボリュームを一段階落としてこう続けた。
「橋本君は学園と強い繋がりがあるんです。いえ、この言い方だと本当の意味が伝わらないと思うのではっきり言ってしまいます。学園は橋本君に逆らえない立場にあるんです」
「あの男一人に? そんなことって……」
「さっき言ったでしょ? ハシモトは学園に強い影響力のある桜ヶ丘市の市長の息子だって」
その瞬間、哲矢の脳裏に先ほどのメイの言葉がフラッシュバックする。
『ハシモトは学園を裏で支えている権力者の息子ってわけ』
将人を罠にかけた張本人という言葉の方が強烈過ぎて忘れてしまっていたが、よくよく考えればこのこともある意味で衝撃的な事実であった。
だが――。
「……で、でも、ちょっと待ってくれっ」
哲矢は思わず声を上げてメイの言葉を止めていた。
「確かに、宝野学園は桜ヶ丘市が設置した学校で市長の影響下にあるんだろうけど、どうして市長の息子ってだけで橋本はそこまで優遇されるんだ? 学園がそいつ一人に対して逆らえない立場にあるなんて……さすがに無茶苦茶な話過ぎるだろ」
市長の息子というだけでそこまで巨大な権力を持つ理由が哲矢には分からなかった。
けれど、そんな哲矢の疑問も花が冷静な言葉を持って解き崩してくる。
「関内君もこれまで見てきたはずです。学園がどれほど歪んだ場所であるかを。それを鑑みればこの話も強ちあり得ない話ではないと分かるはずだと思いますが」
「……ッ……」
そう花に言われ、哲矢は思わず言葉を詰まらせてしまう。
確かに彼女の言う通り、宝野学園が普通の学校ではないということを哲矢はこの数日の間その目でしっかりと見てきていた。
花は哲矢の反応を一度確認すると、テーブルに置かれたマグカップの縁を指でなぞりながらこう続ける。
「宝野学園は他の市立学校とは立場や環境がまるで違います。桜ヶ丘ニュータウン内にあるという土地柄、恐ろしいくらいに市長の力が介入しているんですよ。そんな場所にあって市長の息子が何の厚遇も受けずにいると思いますか?」
「でも、そうだとしても、それが三人が被害に遭っていないっていう話にはならないんじゃ……」
あえて道化を演じているという自覚が哲矢にはあった。
自分は今この場における潤滑油のような存在である。
そのことが哲矢には分かったのだ。
だから、そんな間抜けな発言に対してメイが大きなため息を吐いても、哲矢は自尊心を失うことはなかった。




