第61話 彼が罠にかけた張本人
学園前の公園を突っ切る。
楽譜からすべての音符を取り上げるように激しく降り続ける雨が花びらを叩いて桜の木から彩りを奪っていた。
今は必死の抵抗を見せている桜であるが、あと2、3日もすれば緑の葉が目立つようになるかもしれなかった。
そんなことを考えながら哲矢は視界不良の中を走り続ける。
今哲矢が向かっている先は、第三区画という桜ヶ丘ニュータウンが入居を開始した当時に建設された団地が多く点在するエリアであった。
第二区画にある宝野学園からはそう距離は離れていない。
これまで記憶してきたニュータウンの俯瞰図を頭の中で思い浮かべながら哲矢は走る。
重たい雨が纏わりついて体の動きを制限し、走るたびに泥水が制服や顔にかかった。
それでも哲矢は気にすることはなかった。
今日は学園には戻らないと決めていたからだ。
どれだけずぶ濡れになろうとも、今は目的地に辿り着くことだけが哲矢の目標であった。
その時――。
雨風に混じって哲矢のスマートフォンが音を鳴らす。
(……こんな時に!)
仕方がないので一旦立ち止まると、哲矢はびしょ濡れのブレザーの内側からスマートフォンを取り出す。
液晶画面には【高島メイ】の文字が表示されていた。
LIKEの通話をスライドさせて電話口に出る。
「なんだよ」
『今どこにいるの?』
「はぁ? メッセージ送っただろ」
『今からそっちに行くとしか送られてこなかったけど?』
「だからっ! ……って、あれ?」
『どこへ行くつもりなのよ』
そうメイに指摘されて哲矢は気づく。
自分が無意識のうちにリンクを開いたうちの一人の住所へと向かっていたことに。
「わ、悪い……。三崎口ってヤツの自宅へ勝手に向かっていたわ。二人は今どこへ向かってるんだ?」
『なに言ってるの? もう全部周ったわよ』
「は?」
『いちいち反応ウザすぎ。こっちがいつメッセージ送ったと思ってるの?』
通話しながら哲矢はLIKEのメッセージを確認する。
「……く、9時10分っ……?」
今から4時間も前のことであった。
確かにこれだけの時間があれば、この雨の中でも全ヶ所周ることはできるに違いなかった。
『とにかく。詳しいことは会ってから話す……ってちょっと。聞いてる? そっちうるさくてあんたの声聞こえないのよ』
「仕方ないだろ。めっちゃ降ってんだよ!」
『ああ。確かに外は酷いわね』
「……おい。もしかしてお前、今どこか建物の中にいるのか?」
『まあ今は建物の中にいるけど。そもそもタクったからね、私たち』
「タクったって……どこにそんな金があるんだよ!?」
『チケットを貰ったのよ』
「貰ったぁ?」
『あーっ! いちいちうっさいわねッ! そんなことどーだっていいのよ! とにかく早く来なさい! もうびしょ濡れでもなんでも構わないから!』
「…………」
ここで無駄話をしていても意味はなかったので、哲矢は彼女に指示された場所まで大人しく向かうことにするのだった。
◇
メイは今、花と一緒に【シナモン】にいるという話であった。
カラン、カラン。
木目調の小奇麗な店内が哲矢を迎え入れる。
「いらっしゃいませ~♪」
それと同時に一昨日の能天気そうな女ウエイトレスが顔を出した。
だが、さすがの彼女もびしょ濡れ状態の哲矢の姿を見ると困惑したような声を上げた。
「……えっ~と。お客さまぁ……。その恰好は……」
「お気遣いなく。中で待ち合わせしてますので」
彼女の返事も聞かずに哲矢はそのまま店内へと足を踏み入れる。
その瞬間、ジロジロと周りの視線が飛んでくるも、そんなことに気を取られている暇は哲矢にはなかった。
一刻も早くメイの話を聞きたかったのだ。
しかし――。
「そうは言われましてもこちらが気になりますので~♪」
「ぅ、うぁっ!?」
背後から女ウエイトレスにタオルでごしごしとされる。
ものの数秒で哲矢の体からは雨雫が消えてなくなった。
「本当はこの時間に制服姿の学生さんは入れちゃダメなんだけどぉ……。今日は特別にね」
「は、はぁ……。なんか色々とすみません……」
「ではっ1名さまぁ~。ご案内しまーすっ♪」
威勢のいい彼女の声と共に哲矢は店の中へと案内される。
見かけによらず、随分と機転の利くウエイトレスのようであった。
そのまま窓ガラスに面した禁煙席へと通されると、見知った顔がテーブルに着いているのが哲矢の目に入った。
「遅かったわね。おかげでブレンドコーヒーを1杯注文してしまったわ」
別にそれくらい普通じゃねーかと、つっこみたい気持ちを抑えつつ、ひとまずメイの隣りに腰をかける。
テーブルにはコーヒーの他に紅茶とアップルパイ、シナモンロールが置かれていた。
すると、隣りに座るメイに哲矢は小突かれる。
彼女の視線はテーブルを挟んだ向かいにいる花へと向けられていた。
そして、哲矢はメイが何を言おうとしているのかに気づく。
(……なるほど。そういうことか)
花はテーブルに並べられた食事に一切手をつけようとせずに俯いていた。
おそらく、この店に入った時からこんな調子なのだろう。
着席しても、花が哲矢に目を向けることはなかった。
「お客様。ご注文はお決まりでしょうか?」
一昨日にも会った知的そうな中年の男ウエイターが水を運んでくる。
「えっと、オレンジュースでお願いします」
「畏まりました」
斜め45度の相変わらず綺麗なお辞儀をしてから彼は下がる。
やはり年季の入った接客は心地がいい。
多分、長年様々な接客業を経験してから今の職に就き……。
(……って、余計なこと考えて現実逃避してる場合か?)
下を向く花のことを横目に見ながら、哲矢はひとまず気になっていることをメイに訊ねる。
「あのさ。被害者三人の自宅を周ったのなら目的は達成したんだろ? だったら、とりあえずここからは出ないか? 注文しておいてなんだけど」
この時間はどこの学校でもまだ授業中だ。
女ウエイトレスに言われた通り、本来なら学生が立ち寄っていい時間ではなかった。
それに宝野学園の制服を着ていることも哲矢は気になっていた。
これはある意味でニュータウンの象徴のようなものだからだ。
店の誰かが学園へ連絡を入れるということも十分に考えられる。
(俺とメイは刹那的に身を置いているだけだけど……川崎さんは違う。学園でも優良な生徒として映っているはずだ)
わざわざ彼女を窮地に立たせるような真似はしたくなかったのである。
「川崎さん。しばらくして落ち着いたらさ。一緒にここを出よう」
続けて花にそう優しく問いかける哲矢であったが、花は返事をしない。
それどころか、哲矢のことを見ようともしなかった。
相当参っている様子だ。
二人の間に流れる不穏な空気を察したのだろう。
メイがわざとらしく人差し指を突きつけて哲矢にこう告げてくる。
「テツヤ。あんたまさか、私たちがただ三人に会いに行っただけって、そう思っているんじゃないでしょうね?」
「事件について訊きに行ったんだろ? 詳細を知っている数少ない被害者なわけだし。でもそれなら、教室に戻って俺にも声を……」
「はぁー。無知とは罪ね」
「な、なに……?」
「私たちは別に事件について訊きに行ったわけじゃない。あんたの脳みそでも理解できるように一から説明する必要がありそうね」
カチンとくる物言いではあったが、続きが気になったので哲矢は堪えてメイの言葉を待った。
周りの目を気にするように一度周囲を見渡してからメイは口元を尖らせてこう続ける。
「まず、三人には共通点があるのよ」
「……えっ?」
まさかメイの口から先ほど運動部の女子グループに言われた言葉が出るとは思わず、哲矢はハッとしてしまう。
彼女はさらに声を潜めてこう口にした。
「彼らはね。ある男子生徒の共通の友人なのよ」
「ああ……なるほど。そういうことだったのか」
「そういうこと?」
「いや、さっきクラスの女子がお前と同じことを言ってたんだ。三人には共通点があるって。それで誰なんだ? その男子生徒っていうのは」
「ハシモトダイキ」
「――ッ!?」
その名前を聞いた瞬間、哲矢の頭にズキンとした鈍い痛みが走った。
「橋本、大貴……」
忘れるはずがない。
一度顔を見ただけに過ぎなかったが、その強烈な印象により哲矢はこれまでずっと彼の行方が気になっていた。
その男が被害者の三人と共通の友人なのだという。
これは一体……。
「なに? テツヤ、知ってたの?」
「いや、知ってたってほどじゃない。ただ顔を見たことがあるってだけで……」
もちろん、哲矢は彼と面識はない。
花から名前を聞かされた以外にあの男子生徒に対する情報は持っていないのだ。
(あいつが被害者の三人と友人の関係にあった?)
改めてその事実を頭の中に思い浮かべてみる。
それが何を意味するのか、哲矢にはまったく分からなかった。
そんな哲矢の困惑を感じ取ったのか、メイが欠けた情報を補足するように言葉を付け足してくる。
けれども、哲矢はそれで余計に混乱してしまう。
「ハシモトの父親はこの街の市長らしいのよ」
「は? 父親が市長っ? いや、それよりもこの街のって……。桜ヶ丘市の市長ってことか!?」
「他になにがあるのよ」
「だって、急にそんなこと言われたら誰だって驚くだろ」
「まあそうね。それで、宝野学園が桜ヶ丘市の設置した学校だってことはあんたも把握してるわよね? これがなにを意味するか分かるでしょ?」
「なんだよ。回りくどいぞ」
「つまり、ハシモトは学園を裏で支えている権力者の息子ってわけ」
「そして――」
その時、これまで俯きながら黙り込んでいた花が突然体をゆっくりと起こしておもむろに口を開く。
その瞳には生気が戻っていた。
また、哲矢には彼女がこれからとんでもないことを口にしようとしているのが予感できていた。
花が全身を歪なオーラに身を包んでいるのが分かったからだ。
覚悟を決めて哲矢は彼女の言葉に備える。
息を大きく吸い込むと、花は断定調にこう続けるのであった。
「――彼が将人君を罠にかけた張本人なんです」




