第57話 告白 その2
哲矢がそう口にすると、教室中の視線が一斉に花の方へ向く。
彼女は毅然とした表情で真っ直ぐに哲矢のことを見つめていた。
この場所で戦っているのは自分たちだけではない、ということに哲矢は改めて気づかされる。
「幸い、俺はもう一度事件と向き合う機会を得ることができた。正真正銘、これが最後のチャンスだと思う。だから、今日はこうしてみんなに俺たちの正体を明かすことにしたんだ。少しでも事件についての情報がほしかったから」
「実はこの少年調査官っていう制度は、まだ世間に公表されていないものなんだ。仮に今話した内容が漏れるようなことがあったらきっと俺は厳しい処罰を受けることになると思う。でも、俺はみんなを信じてる。生田君の……いや、将人の無実を証明するために協力してくれるって」
再び静まり返るクラスメイトたちの感情は読めない。
どのようにも取れる表情を浮かべているように哲矢の目には見えた。
ただ、今までと違う点があるとすれば、皆一様に関心ある視線を向けているということだ。
これまでの無機質な表情ではなく、血の通った顔つきで彼らは哲矢のことをじっと見つめていた。
「……俺は、川崎さんと同じように将人の無実を信じてる。彼は冤罪で捕まったんだって。もちろん将人がこの学園でどういう生活を送っていたか、実際に俺は見たわけじゃない。彼とは鑑別局で一度顔を合わせたことがあるだけで、まともに会話したこともないんだ」
「それでも……俺は将人の無実を信じてる。理由は単純さ。川崎さんが彼のことを信じてるから。みんなもそうだよな? クラスメイトなら将人のことを信じてるだろ? 彼はそんなことをするような人じゃないって」
「だから、なにか事件について知っていることや気になることがあれば教えてほしいんだ。ほんの些細なことでもいい。まだ警察にも話していないことがあるなら、それが将人の無実を証明することに繋がるかもしれない」
そう言葉尻に熱を持たせながら、哲矢はクラス中に同意を求める。
少しヒートアップし過ぎたかもしれない、と哲矢は思った。
それは、無条件に相手を受け入れるというよりも、相手に意見を無理矢理押しつけるというような行為に近かったからだ。
だから、誰かがボソッとその言葉を口にするまでは、哲矢は自分が間違った方向に舵を取ってしまっているということに気づかなかった。
「……裏切り者だ……」
「え?」
しんと静まり返る教室に呟かれたその予期せぬひと言に、哲矢は思わず呻きのような声を上げてしまう。
それが隙だと察せられたのか、その呟きを合図にこれまで一様に口を閉じていたクラスメイトの思いが一気に溢れ出した。
「……そ、そうよっ! 裏切り者よ!」
「生田だって自分でやったって認めてるじゃねーか!」
「あいつにも非があるんじゃ……」
「なに考えてるか分かんないのが生田君しょ」
「不気味だったよなぁ~」
「あんな裏切り者、捕まって当然っ!」
まるで言葉に意思があるように、それらは狭い室内で膨張を続ける。
今まで押さえ込まれていたものがはち切れて噴出するみたいに感情を持った言葉はあちこちへと飛び散るのだった。
「……お、おいっ……」
哲矢はその言葉の塊に埋もれ、完全に一人取り残されていた。
唖然としたまま、その収拾つかない光景をただ眺める。
どうしてだよ、という歯痒い思いが一気に込み上げてくるのが分かった。
(みんな同じクラスの仲間じゃないのかよ!)
胸に広がるのはやるせなさだ。
手ごたえのないじれったい感情が哲矢の視界に暗い影を落とす。
そのまま黒い渦に飲まれて……。
「――っと、――ヤ!」
遠くなる意識の中、哲矢は微かに何者かの声を耳にする。
「――いっ! ――ツヤッ!」
誰かが自分の名前を必死で呼んでいる。
そう哲矢が分かったその時。
パシン!
左頬に鈍い痛みが走った。
「……うッ!?」
その瞬間、哲矢の視界が一気に開けてくる。
隣りには平手を振り上げたメイの姿があった。
「しっかりしなさい! テツヤッ!!」
そんな彼女の姿を見て、哲矢はすぐに冷静さを取り戻した。
「……っ、わ、悪りぃっ……」
そう謝りながら、哲矢は教壇の上から改めて教室内を見渡す。
騒めきは先ほどよりもさらに膨れ上がり拡大していた。
真っ先に哲矢の目に入ってきたのは、立ち上がりながら指を突き立て、将人の有罪を強く主張している集団だ。
彼らはある特定の人物に逆らうように競って声を荒げていた。
その極端で対抗する者とは……。
(川崎さんっ!?)
そう――。
身振りを大きく取った花が必死で何を叫んでいたのだ。
「なんでっ! どうしてそこまで酷いことが言えるんですかっ!?」
彼女は目を赤くさせ、時に声を詰まらせながらそう強く訴え続けていた。
タガが外れたように同じ言葉を繰り返している。
「将人君があんな酷いことするような人に見えますか!? もっと怪しい人は他にいるのに……。そうでしょっ!?」
花が誰のことを指してそう言っているのか気づいたのだろう。
有罪を主張していたグループは尻切れしたように口を窄めると、どこか気まずそうに視線を彷徨わせ始めた。
彼らだけではない。
クラス全体が花の叫びにどこか居心地悪そうにしている。
「どうして……。なんでみんなそのことを口にしないのッ……!?」
これまで見たことないくらいに花は激しく取り乱していた。
悲鳴とも絶叫ともつかない声で、ある言葉を一心不乱に唱え続けている。
「ちょっと……関内君っ!」
その呼び声で哲矢はハッと我に返った。
翠だ。
彼は何かに気づいたように後方ドア近くの廊下を指さす。
そこには、こちらへ向かって歩いてきている人影があった。
「先生来ちゃうよ!」
哲矢はとっさに頭上の掛け時計を確認する。
すでに時計は一時間目が始まる時刻を指していた。
(くっ……。もうこんな時間かよッ……!)
察しの良い生徒の一部はすでに次の授業の準備を始めており、もはや哲矢がこれ以上何か言える状況ではなくなってしまっていた。
目まぐるしく変わる状況に哲矢が戸惑っていると、隣りに立つメイが小突いてくる。
「私は一旦ハナを連れて外に出るわ」
「えっ?」
「このままじゃあの子マズいでしょ? 保健室にでも連れて行くから、この場は任せたわよ!」
「あ、あぁ……そうだな。頼んだっ!」
メイは教壇から降りると机の目を掻き分け一目散に花の元へと駆け寄り、まだ何か必死で叫び続ける花の腕を強引に取って後方のドアから廊下へと飛び出していく。
ちょうど彼女らと入れ替わるようなタイミングで前方の扉が勢い良く開き、海坊主のような巨漢の数学教師が教室へ入ってくるのだった。




