第56話 告白 その1
哲矢が教壇に上がると、教室はいよいよ騒めきに包まれる。
これから一体何が始まろうとしているのかと、不穏な空気が満ちていくさまをその場にいる全員が共有していた。
渦中の哲矢はというとメイに対して真っ直ぐ頭を下げていた。
言葉は何も口にしない。
ここから先は結果を示して恩を返すつもりでいたのだ。
何かを悟ったようにメイが教卓の前から後方へ移動すると、哲矢はついにクラスメイトと面と向かって対峙する恰好となった。
「あなたたち! これはどういうつもりっ!?」
学級委員長が教室中の疑問を代弁するように早口でそう捲し立てる。
その声には微かな震えが含まれていた。
彼女たちも哲矢とメイのこの突発的な行動に少なからず動揺しているのだ。
それが分かったからこそ、哲矢は冷静に立ち返れた。
ふぅ……とバレない程度に息を吐き出すと、哲矢は皆にすべてを打ち明ける覚悟を決める。
(いいな? いくぞ哲矢……)
その自問が話を切り出す合図となった。
「――少しだけ、俺たちに時間をくれないか?」
「な、なんですって……」
まさか返事が来るとは思っていなかったのだろう。
学級委員長は驚嘆の声を上げる。
それは、これまでまともにコミュニケーションを取ってこなかった両者の隔たりを見事に表していた。
「別になにかするってわけじゃないんだ。ただ、ちょっと話を聞いてほしくて」
「話っ……?」
拍子抜けするように三つ編みの彼女はそう力なく言葉を漏らす。
これまで無視してきたことの代償として、報復されるものだと考えていたのかもしれない。
そのように思っていたのはおそらく学級委員長だけではなかった。
そういう類の緊張感があったからこそ、クラスの皆は立ち上がらずに教壇へ視線を集中させているのだ。
ある種の後ろめたさや罪悪感が彼らをその場に縛り付けていたわけである。
それがただ話を聞くだけでいいのかと、クラスメイトらは一様に毒気を抜かれた顔を並べていた。
一方、この状況は哲矢にとってチャンスでもあった。
なぜなら、相手側に話を聞く姿勢が整ったからである。
ふと後方に目を向ければ、花が『大丈夫』と口の動きだけで伝えてきてくれていた。
教卓の傍には翠の姿もある。
彼にはこの件について何も伝えていなかったが、それでも後押しするような視線を向けてくれていた。
そして、哲矢にとって何よりも心強かったのが、傍にいるメイの存在であった。
彼女は他の者に気づかれない程度に小さく哲矢の背中を叩く。
それで完全に哲矢のスイッチは入った。
あとは勇気を振り絞ってそれを口にするだけだ。
「おほんっ」
わざとらしく咳払いをすると、哲矢はクラスメイトの顔を大きく見渡した。
それに合わせて教室はしんと静まり返る。
物音一つ立ててはならないという空気が部屋中に広がるのが哲矢には分かった。
聞こえてくるのは、外で吹き荒れる雨風が窓ガラスに当たる音くらいだ。
廊下を行き交う他のクラスの生徒たちは、この教室が現実と遮断され取り残されているということに気づいていない。
三年A組の生徒だけがその事実に気づいていた。
(いや……。このクラスにいる生徒はこれで全員じゃないんだ)
教室を見渡してみて改めて感じるのは、思った以上に空席が目立つということであった。
たとえ、ここで自分たちの正体を打ち明けても、それがクラスの全員に伝わるわけではない。
それでも、この場にいるクラスメイトには分かってもらいたかった。
その一心で哲矢は話を始める。
「……みんな、突然ごめん。俺は先週からこのクラスに体験入学をしに来てる関内哲矢です。始業式の日はまともに挨拶もしなかったから、改めて言わせてもらいました」
その言葉を受けて教室の静寂はさらに深まる。
だが、このような反応は哲矢にとって想定の範囲の出来ごとであった。
哲矢は構うことなく話を続ける。
「それで、その体験入学の期間っていうのは本来ならこの間の土曜日で終わってたはずなんだけど、ちょっと訳があって……。今一度3日間、この学園に通わせてもらうことになったんだ」
哲矢がそう口にしても、賛同の声も否定の声も上がらない。
花も翠もただ黙って哲矢のことをじっと見守っていた。
「でもまあ、そんなことを言うためにここへ上がったわけじゃなくて……。もっと大切なことを訴えたくて、俺は今みんなにこうして話を聞いてもらう機会を貰ってる。率直に言うよ」
その一瞬、黒板のレールに背中をつけ、腕を組んでいるメイの方を哲矢は覗き見る。
彼女は不敵な笑みを口元に浮かべていた。
『やっちゃえ』という悪戯で勝気な彼女の微笑み。
それが引き金となって、哲矢は自身の中で湧き上がる感情の渦を一気にクラスメイトへぶつけるのであった。
「初日にさ。社家先生が言ってたと思うんだ。俺とそこの高島さんは文部科学省が推奨する教育計画の一環でこのクラスに体験入学をしにやって来たって。でも、それは実は嘘で……。俺たちは、生田君の起こした事件のためにやって来た少年調査官なんだ」
哲矢がその言葉を口にした瞬間、静寂に亀裂が入った。
ひそひそとした話し声がそこかしこから吹き上がる。
そんな光景を目の当たりにして、哲矢は感覚的に気づく。
もうここまでくれば皆を引き込むのは簡単だ、と。
現にクラスメイトは、続く哲矢の言葉を待ち構えるようにして目の色を変えていた。
その中には当然翠の姿も含まれる。
(無関心ってわけじゃないんだ)
彼らもきちんと気になっているのだ。
将人の起こした事件が……。
「少年調査官って言われてもなんだかよく分からないよな。俺も初めて聞く言葉だったから。詳しく説明するよ」
哲矢はそこでクラスの皆に、少年調査官がどういうものかについて手短に説明した。
全国の同世代の若者の中から無作為に選出されるということ。
選ばれた者は事件を起こした少年と同じ環境に身を置いて生活を送る必要があるということ。
そして、最後にはそこで見聞きして自分が感じたことを調査報告書にまとめて家庭裁判庁へ提出する義務があるということ。
話を進めていくうちに、教室中の騒めきが一段と大きくなっていることに哲矢は気がつく。
「……でも、俺はその調査報告書が上手く書けなかった。それも当然でさ。俺は生田君の起こした事件に対してまったく関心を持っていなかったんだ。適当に終わらせて早く地元へ帰ろうってそう思っていた」
「正直、自分には荷が重過ぎるとも感じてたよ。だって、俺の書いたその報告書が少年一人の人生を大きく左右する可能性があるって分かってたから。簡単な話、俺は正面から事件と向き合うのが怖くて、逃げようとしていたんだ」
自分の気持ちをここまで赤裸々に大勢の前で話すのは、もちろん哲矢にとって初めての経験であった。
親とも腹を割って話したことのない哲矢にとって、今置かれているこの状況はなんとも不思議なものだった。
気恥ずかしいという感情は当然あったが、それよりも今はすべて打ち明けることが何よりも優先だ、と哲矢は思う。
まるで、ある種の使命感に突き動かされるように、哲矢は淡々と言葉を並べ続けた。
「けどさ。そうしようって思った時、頭にある一人の女の子の言葉が浮かんだんだ。その子ははっきりとこう言ったよ。生田君は無実なんだって。素性もよく分からない俺に対して、素直に自分の気持ちを伝えてくれたんだ」
「それでハッとしたよ。ここで調査報告書を適当に仕上げるってことは、彼女のその気持ちも無視してしまうことなんだって。目が覚めるような思いだった」
「せめて、俺のことを信頼してそう訴えかけてくれた彼女のためにも、もう一度事件を真剣に追ってみようって。そんな風に考えるきっかけをくれた女の子っていうのが……川崎花さんだったんだ」




