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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第2部・少年調査官編 4月8日(月)
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第55話 敗者のメンター

(……ッ、メイっ!?)

 

 哲矢があれこれと悩んでいるうちにメイは毅然と席から立ち上がり、教壇まで歩いてそこに上がっていた。


 その挙動に教室中の視線が釘づけとなる。

 不可解な行動をいち早く取ることでメイはクラスメイトの注目を集めることに成功していたのだ。


「…………」


 彼女は教卓の前に立つと、無言で一度教室全体を見渡した。

 対して哲矢は完全に出遅れてしまっていた。

 先ほどベランダであれほど威勢良く宣言したにもかかわらずだ。


 どうしてこんな状況になってしまったのか、と哲矢は考える。

 メイだけが教壇に上がり、自分はこの場から動かなかった。


(いや違う。そうじゃない)


 動けなかったのだ。

 土壇場において哲矢は怖気づいてしまったのである。

 ここまでくると、自分の不甲斐なさに哲矢は呆れるほかなかった。


「…………」


 メイは何も言わない。

 ただ黙って部屋中を見渡しているだけだ。


 その彼女の奇妙な行動に、これまで興味本位で向けていたクラスメイトたちの視線が不信感あるものへと変わっていく。


 さすがにこの怪奇な状況は見過ごせなかったのだろう。

 これまで眠たそうにしていた学級委員長は机に手をついて立ち上がると、メイに向けて勢いよく言葉を投げかけた。

 

「ちょっと高島さん! これは一体なんの真似ですかっ?」


 それは哲矢が初めて目にする光景でもあった。

 クラスメイトの方からメイに話しかけているのだ。


 これまで存在を認めなかった相手に対して声をかけるという行為は、プライドをそれなりに捨てる必要があったはずだ、と哲矢は思う。

 学級委員長は今、クラスを代表して純粋な使命感からそうしているに違いなかった。


「…………」


 けれど、それでもなおメイは黙ったまま。

 まるで何かを待つようにじっと口を噤んでいる。


 そんなメイの姿を見て哲矢は気づく。

 彼女が何を待っているのか、分かってしまったのだ。


(……俺だ)


 何を悠長に状況を観察しているのだ、と哲矢は自身を小突く。

 メイは今、哲矢が教壇までやって来るのを待っていたのである。


 しかし――。

 そうと分かっても、哲矢の脚はぷるぷると震え、その場から一歩も動けなくなってしまっていた。


(違うんだメイ……。俺だって行きたい。けど、足が前に動かないんだ)


 そう哲矢が心の中で言い訳をしてみるも、それがメイに届くはずもなく……。

 

「関内君っ……」


 振り向いた花が心配そうに声を上げる。

 傍から見れば、哲矢は相当にいっぱいいっぱいの表情をしていた。

 

(……はぁ、っ……は、ぁ……ッ)


 動悸がする。

 異常なほど汗が吹き出しているのが哲矢には分かった。


 自分の決意とはこの程度のものなのかと、哲矢は自身の弱さが途端に情けなくなってくる。

 そして、こう思う。

 やはり人は簡単には変われないのだ、と。


(……俺には、最初から無理だったんじゃないのかっ……?)


 今回の事件を通じて自分を変えたい。

 そんな思いでこの街へとやって来たわけだが、それを成し遂げるには哲矢の精神はまだ未熟だった。


(……はぁ……ッ、苦しい、逃げたい……この場から逃げ出したい、っ……)


 そんな負の欲求が膨れ上がり、哲矢の思考力を徐々に奪っていく。


 先ほどから花は何か声をかけてきてくれていたが、哲矢の耳には彼女の言葉はおろか、周りの雑音すらも届かなくなっていた。

 ある一人の声を除いて……。


「――テツヤっ!!」

    

 その怒号は哲矢の芯に突き刺さる。 

 うねりを伴い、まるで地響きのように教室中を震わせたその叱咤は、哲矢の意識を現実へと戻すのに十分であった。


 哲矢はハッと我に返る。

 心の内側まで見透かされたようなその鋭い声に、体が自然と反応したのだ。


 教壇の上に立つメイと哲矢は目を合わせる。

 その瞳からは『こちらを信じている』という真摯な感情が伝わってきた。


 彼女も分かっているのだ。

 この瞬間を逃せば、土俵へ上がる前にすべては水の泡となってしまう、ということが。

 

 これまで見たことのない真剣な彼女の表情に哲矢の決意は再び火を放つ。

 思考は徐々に熱を帯びて加速し始めるのだった。

 

(……そうだっ、こんなところで怖気づいていちゃダメだ!)


 震える両膝を手の平で強く叩くと、思いのほか簡単に足は前進した。

 最初の一歩が踏み出せればあとは単純作業の繰り返しである。


 哲矢が花に親指を立てると、彼女は顔をぱっと明るくさせ、頷きながら手を合わせてくるのだった。

 

 多分メイは最初からこうなることを予想していたに違いない、と哲矢は思う。

 プレッシャーに弱く、哲矢一人だけでは教壇に上がれないということが彼女には分かっていたのだ。

 

(だから引き受けてくれたんだ。俺の弱さを知ってくれていたから)


 本当に頼りになるパートナーだ、と哲矢は改めて強く思う。

 そしてまた『自分のことを一番よく理解してくれているのは彼女だ』と、哲矢は心の底から感謝の気持ちを抱くのであった。


 メイに喰らいついて行くしかない、と。

 振り落とされないように、今哲矢は爪を立ててしがみつかなければならなかった。

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