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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第2部・少年調査官編 4月8日(月)
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第51話 こんな賑やかさは久しぶりのこと

(一人か……) 


 この状況下で残されたことに心細さを感じないと言えば嘘になる。

 クラスメイトの誰かが落書きを書いた可能性が一番高いからだ。


 もちろん、彼らのほとんどは教室に入った段階でこの落書きに気づいたはずだ、と哲矢は思う。

 それが分かっていて声をかけてこないのだ。

 ただ遠巻きにチラチラと視線を飛ばしてくるだけ。


 このような環境が居心地が良いとはお世辞にも言えなかった。

 

 だが、だからと言って今すぐに逃げ出したいという気持ちは哲矢の中にはなかった。

 直接ものを言える肝の据わった相手が犯人ではないと分かったからである。

 たとえ今、この教室に落書きを書いた犯人がいたとしても関係ない。

 

(俺はやるべきことをやるだけだ)


 先ほどから哲矢は思案に暮れていた。

 自分の思いついた案を頭の中で何度かシミュレーションする。

 これを上手く成し遂げるためにはこれまでの自分を大きく変える必要があった。

 ある意味で果敢にならなければ成功するものも成功しない。

 

「…………」


 哲矢は、一つ空席を挟んだ右隣の席に座っているメガネの女子生徒をちらっと覗き見る。

 このクラスの生徒にしては珍しく、彼女は先ほどからこちらの騒ぎに一切関心を向けることなく、自分の世界に入り込んで勉強に夢中となっていた。 

 

 教科書を片手に持ちペンを走らせるそのさまからは、いかにも真面目な雰囲気が伝わってくる。

 彼女なら大丈夫かもしれない、と哲矢は思った。

 

(……よし。とりあえず、やるだけやってみよう)


 クラスメイトに声をかけること。

 それこそ、今の哲矢にとって一番必要な行為であった。


 たかが挨拶をするだけじゃないか、と哲矢は思う。

 返事がなければそれはそれでいい。

 そもそも、最初から存在を無視されているのだ。

 今さら挨拶が返ってこなかったくらいで落ち込む必要はない。


 ダメで元々。

 そう心に決めると、哲矢は気分が随分と軽くなるのであった。

 

 隣りの席に素早く移ると、哲矢は勉強に集中している女子生徒にごく自然に声をかける。


「おはよう! さっきからなんの勉強してるの?」


「カリカリ(勉強に集中している)」


「それ数Ⅲの教科書? すげぇーなぁ。俺の地元の高校じゃそんなところまでやらないんだよ」


「カリカリ(依然として集中している)」


「微分ってめっちゃムズいよなー。俺、文系だからさ。すげぇ苦手意識あるんだよね」


「…………(ここでようやく何かに気づく)」


「今度簡単でいいからさ、俺に教えてくれない? 昼メシでもおごるよ」


「……エッ?? あの、私ですか?」


 そこでようやく女子生徒は顔を上げて哲矢の方を見る。

 声をかけ続けた甲斐があったらしい。


 もちろん、普段の哲矢はこんなにも馴れ馴れしくクラスメイトに話しかけたりはしない。

 無視されると思っていたからこそ、今は大胆に話しかけることができたのだ。

 

 まさか、自分が話しかけられているとは思っていなかったのだろう。

 メガネの女子生徒は目を白黒させていた。

 

「オオオオオオ…………」


 というよりも、テンパってフリーズしていた。

 そして、吹っ切れたように「オオオハヨーゴザイマースッッ!!」となぜかカタコトで返事をすると、教科書を顔に当てながら一目散に教室から出て行ってしまうのであった。

 

(ふっ……やっぱな)


 そんな彼女の姿を見送りながら、哲矢は自分の読みが当たっていたことに満足感を得る。

 一対一ならこんなものなのだ。

 それは昨日の翠との会話で経験済みのことであった。


 集団の中に身を置いているとその分責任も軽くなる。

 周りも無視しているのだから自分も……。

 そんな考えは、この長い学園生活の中で培われてきた言わば防衛本能のようなものなのかもしれない。


 けれど、一時的に集団の輪から外れるとそういうわけにもいかなくなる。

 責任が生まれるのだ。

 話しかけられた者は自分一人で判断をしなければならない。


 結果、彼女のように頭が真っ白となってしまう。

 哲矢はそこにこの現状を打破する道を見出していた。

 

「あっ……関内君だ。おはよーっ!」


 するとその時、後方のドアから教室に入ってきた翠が手を挙げながら哲矢の元へ駆け寄ってくる。


「おはよう、翠。昨日は色々とありがとな。言われた通り、川崎さんは学園にいたよ」


「じゃ昨日は会えたんだね。よかった~。どうなったかなーって気になってたからさ」


 そう口にする翠は嬉しそうにはにかむ。

 その笑顔があまりに自然だったため、哲矢はずっと以前から彼と仲が良かったものだと錯覚してしまう。


 けれど、実際はそうじゃない。

 翠とは昨日たまたま仲良くなっただけで、これまで教室では一度も話をしたことがなかったのだ。


 翠とこうして自然に会話していると、哲矢はどうしても周りの目が気になってしまう。

 隣りの女子生徒に話しかけていた時から哲矢はちらちらと室内の視線を感じていた。

 もちろん、それは今この瞬間も変わらない。


「……それよりもさ翠。いいのか?」


「えっ? どうしたの?」


「いや、俺は別に構わないんだけど。ほら……」


 そう言って哲矢は周囲を見渡す。


 集団で雑談をしている者。

 一人で勉強に励んでいる者。

 スマートフォンを弄って遊んでいる者。

 軽食を口にしている者。


 朝のホームルーム前の教室では、クラスメイトが思い思いの時間を過ごしていた。

 一瞬を切り取っただけではどこにでもありふれた教室の風景のように見える。

 

 だが、哲矢は気づいていた。

 彼らの意識が常にこちらへ向いているということに。

 自分が自意識過剰なわけではない。


 これは哲矢がこのクラスで生活を送ってきた上で学習したことなのである。

 

 哲矢の言おうとしていることが伝わったのだろう。

 翠は曖昧に口元を尖らせながらこう続けた。


「せっかくお話ができる仲になれたんだからさ。もう……関係ないよ」


 しかし、そうは言いつつもまだどこか後ろめたさが残っているのか。

 その歯切れは悪かった。

 微妙な沈黙が二人の間に降りる。


 話題を変えるべきかと哲矢が思案していると……。

 

 ガラガラ、ガラガラッーー。


 教室の後ろのドアが開き、メイと花が姿を見せる。


「取ってきました~!」


 そう口にしながら戻ってくる花の手にはアルコールスプレーが握られていた。


「おお、あったのか」


「はい! やっぱり化学室に置いてあったんでそれをちょっとお借りしてきました!」

 

 そう元気に答える花の後ろでは怪訝そうな顔を浮かべるメイの姿があった。

 彼女はその表情を隠すことなくぶっきら棒にこう口にする。


「誰、そいつ」


「……? あれー追浜君? どうしてここに?」

 

「あっ、いや……。ちょっと関内君に挨拶をね」


 どこかバツが悪そうに翠は頭をかく。

 一緒にこの場に居ることへの抵抗感がまだあるのかもしれない。


「驚きました。お二人とも知り合いだったんですね~」


「う、うん。昨日関内君と中央公園でばったり会ってさ。その時、色々話をして仲良くなったんだよ」


「そうそうっ。まさかあんなところでクラスメイトと会うことになるとは思ってなかったからさ。偶然ってあるもんなんだなぁー」


「なに白々しいこと言ってんのよ」


「いやいや! メイさんのお陰っすよ~」


「……意外と根に持つタイプなのね、あんた」


 そう不愛想に振る舞うメイが怖かったのか、翠は彼女の方を向くと突然頭を下げ始める。

 その言葉はなぜか敬語だ。

 

「は、初めまして……高島さんっ! 僕は放送部の部長をしております追浜翠って言います!」


「放送部?」


「はいっ! 校内放送を流したり、昼に音楽をかけたりしてるあれですっ! 今は仲間とドキュメンタリー番組を作ってまして……」


「ふーん……。日本の放送部ってのはそんなこともやるのね」


「えっ?」


 そこで翠は素に戻ったような声を上げる。

 哲矢は二人の間に入って彼をフォローした。

 

「こいつはさ、アメリカからこっちに体験入学しに来てるんだよ」


「ああっ! そういえば自己紹介の時にカリフォルニア州から来たって言ってたよね。どうりで美人さんだと思ったよ」

 

「羨ましいですよね~。目鼻立ちの整った顔してますし。きらきらのブロンドの長い髪はほんと憧れます♪」


 花は短いツインテールの自分の髪をくるくると弄りながら口にする。


「褒めてもなにも出ないわよ」


 面倒臭そうに手を振るメイであったがその顔は満更でもなさ気だ。

 こういう時のメイが素直に喜んでいるということを哲矢はこの数日の生活の中で見抜いていた。

 

「……でも、俺としては二人が結構仲良さそうなのが驚きだけどな」

 

 哲矢はそう言いながら花と翠の顔を交互に見比べる。

 これまで花がクラスメイトの誰かと話をしているところを見たことのなかった哲矢にとって、彼女が翠ととてもフランクに話している姿は新鮮に映った。

 

 麻唯が傍から離れてしまったことで花はクラスで孤立しているものだと思っていた哲矢には、二人の自然な距離感はとても安心感の覚えるものであった。

 

「追浜君にはよくメイクテク教えてもらってるんです」


「は? メイクっ!?」


「女子力めちゃ高いんですよ~。この間なんかもプチプラの最新コスメ教えてもらいましたしー」


「へへへっ♪」


 どこか照れ臭そうに翠は笑う。

 その中性的な立ち振る舞いを見れば、花の言葉にも説得力があった。

  

(けど、男子にメイク教えてもらってるって公言しちゃって川崎さん大丈夫なのかな……?)


 色々と気になることはあったが、哲矢はそれ以上話を掘り下げないことにした。

 人にはそれぞれの事情があるのだ。

 

「それじゃ、そろそろ僕は席に戻るね。関内君、またおしゃべりしよう」


「おう」


 翠は手を振りながら教卓近くの席へと戻っていく。

 哲矢にとって朝にここまで賑やかに過ごしたのは、本当に久しぶりのことであった。

 

 地元の高校ではいつも静かにしている。

 一歩も動かず、席に座って黙っていることが多い。

 誰かと話すこともほとんどないのだ。

 だから、今はそんな自分の姿が哲矢は不思議でならなかった。


「……あいつはシロね」

 

 翠の背中を目で追いながらメイがそう耳打ちをしてくる。

 哲矢は花の机にかけられたブレザーに視線を移すと、彼女の言葉に静かに頷くのであった。

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