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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月4日(木)
5/421

第5話 初日の朝

 初登校の朝がやって来た。


 哲矢は誰かに起こされることなく自分で準備をして起きていた。


 朝の5時。

 辺りはまだ暗い。


 日課のジョギングに出かけたいくらいばっちりと目は冴えていた。


「おはようございます」


 昨日渡された宝野学園のブレザーに袖を通し、ネクタイをしっかりと締め、ダイニングのテーブルに着く。


「おはよう~。早いのね。昨日はよく眠れたっ?」


 キッチンから顔を出す美羽子が声をかけてくる。

 

「はい。どこでもすぐに眠れる体質なんです」

 

「それはなによりっ……!」


 美羽子は社会人ということもあってか、すでに昨日と同じ紺色のスーツに身を包んでいた。

 洋助とあの少女の姿はまだ見えない。

 哲矢は気にする素振りを隠しながら美羽子に訊ねる。


「ここから宝野学園までどうやって行くんですか?」


「本来なら、ここ羽衣市から宝野学園がある桜ヶ丘市までモノレールに乗って行ってもらうんだけどね。今日は私が車で送っていくから心配しないで大丈夫よ~」


「そうですか。分かりました」


 さすがに初日ということもあって、美羽子の方でも学園側に何か挨拶などがあるのかもしれない。

 そのことも気になる哲矢であったが、今はそれよりも先ほどからキッチンでドタバタと音が鳴り響いていることの方が気がかりであった。


 そっと中を覗き込むと、オープンレンジと格闘している美羽子の姿が見えた。


「……もうっ! どうして上手くいかないのよ」


 焦げ臭い香りがダイニングまで漂ってきていることは意識しないようにしよう、と哲矢は思うのだった。

 



 ◇



 

 美羽子が申し訳なさそうに出す黒く焼けたトーストを二枚かじって哲矢は朝食を終える。

 食後のコーヒーを啜りながら、哲矢は喉元まで出かかっていた言葉を押し込めて別の話題を彼女に振った。


「風祭さんはもう仕事に行かれたんですか?」


「ええ。洋助さんは仕事熱心だからね」


「随分と早いんですね」


「そうなのよ……。朝はこれから大変ね。はぁ~」


 今後の朝の献立に頭を悩ませている美羽子を尻目に哲矢の考えはまったく別のところにあった。


(あの子も一緒に行くんだろうけど遅いな)


 いくら気にしないと心に決めても哲矢も年頃の男子だ。

 同世代の女子と一緒に暮らしているだけでもドキドキするのに、その相手がとんでもない美少女なのである。

 意識しないようにするというのもなかなか酷な話であった。


「そういえば、メイちゃんがまだ起きてきてないわね。ごめん、関内君。ちょっと彼女の部屋を覗いてきてくれない?」


「ええぇっ!? 俺がですかっ……!?」


「うん。でも……まあそっか。それも確かにヘンね」


 少しだけ残念に思うも哲矢は内心ホッと胸を撫で下ろす。


(やっぱり、この生活は心臓によくないぞ……)


 激しく波打つ鼓動をなんとか抑えつけると、哲矢はなるべく平静を装って美羽子に向き直った。


「昨日も朝は全然起きてこなかったのよね」


「へ、へぇ……」


「今日は登校日なんだから早く起きるようにって時間もちゃんと伝えたはずなんだけどな」


 そう若干愚痴をこぼしながら美羽子は2階の女子部屋の様子を見に階段を登っていく。

それからメイが下りてきたのは10分後のことだった。


 美羽子に引きづられる形でメイはリビングのソファーに着席させられる。

 途中、哲矢も一緒に手伝ってなんとか彼女を座らせた。

 ブロンドの長い髪からほのかな甘い香りがしたことは、ひとまず記憶の隅へと追いやる哲矢であった。


 こくんこくんと目を瞑ったまま寝息を立てるメイはなかなか起きようとしない。


(なんか小動物みたいだな)


 ふとそれを見て可愛いと感じている自分がいることに気づき、哲矢は頭を振る。


(いやいやっ……! こんなことで気を取られていたら先が思いやられるぞ……)


 ここは冷静になりつつ、哲矢は美羽子の対応を待った。 

 

「はぁ……。仕方ないわね。本来はもっとしっかりした子なんだけど。朝は弱いみたい」


 何度揺すってもダメだった。

 結局、メイの朝食は無しとなる。

 美羽子は着つけを手伝うため、彼女を担ぎながら再び階段を登っていく。


(なんだか、調子狂うな……)


 メイとの生活に悶々とした感情を抱えたまま、気づけば出発の時刻となっていた。

    

「関内君っ! 準備できたら先に車乗っていて~。鍵はテレビの横に置いてあるから」


「は、はいっ!」


 鍵を手にして玄関を出ると、外は黄金色の強い朝日が降り注いでいた。

 春特有の桜の艶やかな香りも立ち込めてくる。

 とても素敵な朝だ。


 昨日見かけた車庫の前に立つと、自然に赤色の車――アキュアが反応して扉を開けてくれた。

 助手席に座るか後部席に座るか悩んだ挙句、哲矢は助手席に座ることにする。


(なんだか緊張してきたな……)


 いよいよ初登校だ。

 通知書を受け取った時は信じられなかったな、と哲矢はふと思う。

 だが、哲矢は今確かに車に乗って少年の通っていた学校へ向かおうとしていた。


(……いや、なに緊張してんだ? たかが3日間通うだけだ。すぐに終わるさ) 

 

 そして、また何の変哲もない日常の中へと戻っていけばいい。

 それ以上は深く考えないようにして、哲矢は助手席のシートに凭れ、彼女らがやって来るのを待った。


 しばらくすると、窓の外から足音が聞こえてくる。

 美羽子とメイがやって来たようだ。

 メイは宝野学園の制服に身を包んでいた。


 深緑色を基調に統一されたブレザーを羽織り、胸元にはクリーム色のリボンを付け、可愛らしいチェックのスカートを穿いている。

 その姿に再び目を奪われる哲矢であったが、顔をぷいと明後日の方角へと向けて邪念を振り払った。


(なに意識してんだ俺は。一緒にただ登校するだけだろっ……)


 後部席にメイを案内し、美羽子が運転席に座るとようやく発進の準備が整う。


「ごめんね。待たせちゃって。さあ、行きましょ♪」


 美羽子がアクセルを踏むと、アキュアは静かに車庫を出発する。

 哲矢はバックミラー越しから後部席を何度かチラっと盗み見するが、メイは相変わらず不機嫌そうな顔を隠さずに外の景色に目を向けていた。


 場を盛り上げようと美羽子は話題をいくつかメイに振っていたが、彼女が興味を示すことはほとんどなかった。

 ぎこちない距離感の三人を乗せ、車は宝野学園へと向けて進んでいく。




 ◇




「おっかしいわね……」


 朝の渋滞に巻き込まれながら、苛立たしげに美羽子がハンドルをトントンと叩く。


「普段はこの道こんなに混んでないのよ」


 哲矢がインパネのデジタル時計に目をやると、時刻は7時過ぎを指していた。

 出発してからちょうど一時間ほどが経過した計算だ。


 後ろで物音一つしないことが気になる哲矢であったが、あまりちらちらと覗き込んで不審に思われるのも嫌だったので無闇にバックミラーに目を向けるのは控えた。

 美羽子の振りに一定以上短い返事をしてくる辺り寝てはいないのだろう。


 それにしても……と哲矢は思う。

 先ほどから背中を伝う汗の量が半端ではなかった。


 車内の温度は快適なはずなのに、なぜかサウナの中に入ったように感じられてしまう。

 空気が気まずくて仕方がないのだ。


 とにかく、一刻も早く目的の場所へ着いてくれと心の中で願う哲矢であったが、すぐにその願いを後悔することになる。


「ええい。こうなれば……!」


 渋滞に痺れを切らした美羽子は突然大通りを左折すると、道幅の狭い車道へと進路を変更させる。

 そこからが地獄の時間の始まりであった。


 美羽子はそれまでの比較的ゆったりとした安全運転に終止符を打つと、まるで人格が変わったようにスピード違反すれすれの荒い運転を繰り広げ、アキュアを飛ばしていく。

 結局、なんとか登校時間内に間に合う形で宝野学園の駐車場へ到着するも、その代償は大きいものとなった。


「うぉぇっ……」


 哲矢は車の窓に手をかけて、ぜぇはぁと息を吐き出す。


「ご、ごめんねっ……! 時間が無かったから、つい……」


 ついというレベルではなかったとつっこみたい気持ちを必死で抑え、哲矢は美羽子にひとまず礼を述べた。


(これから藤沢さんの車に乗る時は気をつけよう……)


 苦悶の表情を浮かべる哲矢とは対照的にメイはけろっとしていた。

 彼女は涼しげにブロンドの髪をかき上げると、久しぶりに自分から口を開く。


「それで? これからどこへ向かえばいいの?」


「えっと、まずは職員室で担任の先生に挨拶しましょう。そこの裏口から中へ入ることができるから」


 メイはその説明だけで理解できたのか、小さく頷くと再び黙り込んでしまう。

 美羽子はさらに続けた。


「あと、二人とも分かっていると思うけど、もう一度おさらいのために言っておくわね。今回、少年調査官としてこの学園に転入することは生徒の子たちは知らないの。もちろん、先生方はあなたたちがここへやって来た理由を分かっているはずだけど、全員が把握しているわけではないはず。だから、くれぐれも自分たちの口から正体を明かすことのないようにね」


 そう美羽子に釘を刺され、この学園にただ体験入学をしに来たわけではないということを思い出す。

 

(いくら適当にって思っていても、最低限の注意くらいはしないとな)


 気を引き締め、哲矢は彼女の話の続きを待った。


「それから、ここへ来た目的も忘れないでね。生田将人という少年が起こした事件の背景を探るために、あなたたちはわざわざこの学園までやって来たの。同世代の子たちにしか気づけない点があるかもしれないから。それが事件を読み解く糸口になるかもしれない。そのことを十分に分かっていて。大変だと思うけど、周りに気を配りながら学園生活を送ってね」


 哲矢たちはバラバラながらもしっかりと頷く。


「よろしい。それじゃ、入りましょう」


 そう口にする美羽子を先頭に、職員口から哲矢とメイは校舎の中へと足を踏み入れるのだった。

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