第46話 小動物な彼女は朝が弱い
陽の光が覚醒し切った哲矢の瞼に当たる。
(ようやく朝か……)
アラームが鳴る前から哲矢は完全に目を覚ましていた。
昨晩、花をマンションまで送り届けてから帰舎すると、すでにメイは眠ってしまっていたらしく、宿舎には明かりが点いていなかった。
熱いシャワーを浴びて嫌な汗を洗い流しすぐにベッドへ潜り込むも、哲矢はなかなか寝つくことができなかった。
フルフェイスヘルメットから覗いたあの不気味な目が何度も頭の中でフラッシュバックし、その度に飛び起きてしまったのだ。
頭がくらくらした状態でダイニングに顔を出すと、洋助が朝食の用意をして待っていた。
「哲矢君。おはよう」
「あっ、おはようございます」
「今さっき帰ってきてね。今日からまたよろしく」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
頭を下げて哲矢が答えると、洋助は「冷めないうちにどうぞ」と笑みを覗かせながらキッチンの中へと入っていく。
たった一日顔を見ていないだけであったが、なんだか哲矢はとても懐かしい気分となる。
テーブルの近くにはマーローの姿もあり、彼は木製ボウルに入ったドッグフードを美味そうに咀嚼していた。
その一方で美羽子の姿はどこにも見当たらなかった。
少し不安に感じて哲矢は朝食に手をつけながらそのことを洋助に訊ねてみる。
「……ああ。美羽子君なら少し先に宝野学園に行ってもらってるよ」
「えっ? なんで学園に行ったんですか?」
「正式な手続きをするためにね。どうせ行くなら哲矢君としては車で送ってもらいたかったところだろうけど」
「そ、そうですね……ははっ」
哲矢はそう口にしつつも内心ではホッとしていた。
一昨日の件以来、美羽子とは一度も話をしていない。
今会ったとしてもどう接すれば良いか、哲矢には分からなかった。
(でも、いずれはきちんと話さなきゃいけないんだろうけど……)
そんなことを思いながら食べる朝食はなんとも味気ないものとなり、洋助に申し訳ない気分となる。
気を紛らわせるために哲矢は別のことを考えることにした。
ふと、テーブルに並べられたもう一つの食事に目がいく。
「そういえば、メイはまだ来てないんですね」
「うん? あぁそうだね。さっき一度階段を下りるような音が聞こえた気もするけど……。また体調が悪くて部屋にいるのかな」
「多分あいつの場合はただぐーたらしてるだけだと思います」
問題児はまだ起きてきていないようだ。
それにしても随分と長い時間寝て呑気なものだ、と哲矢は思う。
(こっちはほとんど眠れなかったっていうのに)
ただ、メイが同じような目に遭っていたとしても、今朝と変わらずに熟睡していたに違いなかった。
そうした彼女の図太い神経が哲矢にはたまに羨ましく感じることがある。
(川崎さんはそういうわけにはいかないよな)
あれからバイクの集団が走り去ってからも、花はなかなかその場から動こうとしなかった。
出会い頭に突然殴られたようなものだ。
もちろん、これまでそうした経験をすることはなかったのだろう。
ショッキングな出来ごとだったに違いない。
(今日は普通に登校できるといいけど……)
『人生に起こることはすべて運。ルーレットのように例えることができる』とは誰の言葉だっただろうか。
けれど、あれはそう簡単に当てはめることができる出来ごとではなかった、と哲矢は思う。
作為的な何かを感じざるを得ないのだ。
そんな風に昨晩の出来ごとを哲矢が回想していると……。
「……ん?」
足元に何か違和感があることに気がつく。
テーブルの下を覗けば、床でもぞもぞと蠢く存在があった。
「ってなにやってんだぁっっ!?」
「……きゅぅ……ぐぅー……」
寝間着姿のメイがそこにいた。
両目を閉じたまま体をフラつかせている。
朝食の匂いに釣られて下りてきたはいいが、おそらく途中でうとうとと眠ってしまったのだろう。
春眠暁を覚えずとはよく言うが、ここまで寝惚けられるのもある意味珍しい。
「お、おい……起きろって!」
テーブルの下からメイを強引に引っ張り上げる。
彼女の体からシャンプーの香りがしてドキッとする哲矢であったが、なるべく余計なことは考えないようにしてメイを椅子に座らせた。
「……すぴー……Zzz…………」
「ったく、なにやってんだこいつは……」
こちらの騒動に気づいたのだろう。
キッチンで洗いものをしている洋助が声をかけてくる。
「あれ? いつの間にメイ君下りてきたんだい?」
「あ、いや……。なんかテーブルの下でさっきから寝ていたみたいで……」
「そうだったんだ。ははは、なんかメイ君らしいね~」
二人が間近で会話をしていてもメイが起きる様子はない。
ぼさぼさにしたブロンドのロングヘアを揺らし、こくんこくんと静かに寝息を立てている。
そのまましばらく哲矢が見守っていると、彼女は目を瞑ったまま食事に手をつけ始めた。
(おいおいっ……。どれだけ食に対しての執着心が強いんだよ!)
これにはさすがの洋助もぽかんと口を開けてキッチンから覗き見ていた。
彼もようやくメイの特異性に気づいたようだ。
◇
「ごちそうさまです」
哲矢が朝食を食べ終え、キッチンで洗いものをしてから戻る頃には、メイは器用に食事を平らげてしまっていた。
今はテーブルに突っ伏し寝息を立てている。
相変わらずの無茶苦茶さだ。
結局、洋助に体を揺すられて起こされるまでは、彼女は気持ち良さそうに夢の世界へと旅立っていた。
「……う……?」
「ほら、メイ君しっかり。もう朝だよ」
「ヨウ、スケ? ――っひきゅ!?」
だらしなくよだれを垂らしたまま目をゆっくり開けると、メイは短く小動物のような悲鳴を上げながらダイニングを飛び出していく。
途中、ドシャンガチャンとものすごい音が2階の方から鳴り響くも、洋助は力なく首を横に振るだけに留まった。
「くぉ~~ん」
マーローの気怠そうな声が室内に響き、哲矢は「はぁ……」とため息を吐く。
それからメイが下りてくるまでは30分以上も時間がかかった。
その間、哲矢は一度自室へと戻り、寝間着から深緑色のブレザーとチェックのズボンに着替えていた。
リビングのソファーに座り、スマートフォンを弄って出発まで時間を潰していると、パリッとしたネイビーブルーのスーツに身を包んだ洋助が姿を現す。
彼は左腕に高そうな腕時計をはめ、ビジネスバッグを手にしていた。
「哲矢君。今さっき美羽子君からLIKEが届いてね。伝言を頼まれたから伝えるよ。『登校したら職員室にいる社家先生のところへ顔を出すように』だって」
「職員室……ですか?」
社家という名前を聞いた瞬間、哲矢はハッと体を硬直させる。
一昨日の出来ごとは忘れもしない。
あの日自分は確かに脅されたのだ、と哲矢は思う。
「多分なにか話したいことがあるんじゃないかな。担任の先生と延期の情報を共有することは大切だからね」
洋助は何でもなさそうにそう口にする。
もちろん、彼は社家の裏の一面を知らないからそんなことが言えるのだ。
本当のことを言うべきだろうか、と哲矢は立ち上がり返答に迷う。
だが――。
「それじゃ僕はそろそろ行くから。戸締りだけはよろしくね」
「あっ……」
哲矢が何か言い出す前に、洋助はリビングから出て行ってしまうのだった。
言いそびれてしまった後悔がバタンと閉じる玄関の音を耳にした途端、哲矢の中に広がっていく。
なぜか胸騒ぎが込み上げてくるのだった。
そして、ちょうど洋助と入れ替わるような形で、制服姿に着替えたメイがリビングへと下りてくる。
しっかりとヘアアイロンで整えたのだろう。
深緑のチェックスカートを翻し、メイはさらさらで艶やかとなったブロンドの長い髪を払いのけていつもの調子で口にする。
「なにボケっと突っ立っているのよ」
「別に」
先ほどの醜態をなかったことにしたらしい。
彼女は涼しげな顔を覗かせていたが、むしろそれがバカっぽく見えて逆効果な印象を哲矢に与える。
「私を待っていたの?」
「そうだけど」
「あんたが愛情を持つのは一向に構わないけど、それを私に向けるのだけはやめてよね」
「……お前、何気にすげぇ自信家だよな」
「よく言われるわ」
そんな普段と変わらぬ応酬を交わし、二人は揃って宿舎を出るのだった。




