第44話 彼女と過ごす時間
麻唯の病室を後にした三人はそのままエレベーターで1階まで降り、来た道を戻っていると待合ロビーで突然声をかけられる。
「……あれ、花ちゃん? 来てくれてたの?」
「あっ、こんにちは!」
声をかけてきたのは30代半ばくらいの女性であった。
アシンメトリーに切り揃えたピンクアッシュのショートヘア。
意思が強そうな彫りの深い綺麗な細長の瞳。
肌は春にもかかわらずよく日焼けをしている。
プロのテニスプレイヤーと言われても分からないくらいそのスタイルは抜群だ。
花は女性と顔見知りなのか、笑顔で会話を弾ませていた。
(綺麗な人だな)
そんなことを思い、哲矢が少しだけ女性に目を奪われていると……。
「私たちは先に行くわよ」
「えっ? ちょ、ちょっとっ……!?」
なぜかその場を足早に立ち去ろうとするメイに強引に手を引かれる形で、哲矢は瓜生病院の外まで連れ出されてしまう。
「待て待てっ、どこまで行くつもりだ!」
「……ふん」
坂を下り切ってしまうと、そこでようやく彼女は手を離した。
メイは不機嫌そうに病院の外観を睨みつける。
何か意味ありげな態度だ。
「一体どういうつもりだよ」
「別に」
「はぁ?」
「あれは…………。いえ、話の邪魔になると思ったからよ」
「なんなんだよ、ったく」
その後、しばらく桜の木を眺めながら坂の下で二人で待っていると、花が慌てた様子で駆け下りてきた。
「ごめんなさいっ! 少し話し込んでしまって……」
「いやっ、こっちこそ勝手に行って悪かったよ。こいつが――」
そう言ってメイを指さそうとする哲矢であったが、彼女はすぐさまそれを遮って花に訊ねる。
「あの女……マイの母親ね?」
「よく分かりましたね。そうです。ほとんど毎日麻唯ちゃんのお見舞いにいらっしゃっていて。聖菜さんって言うんです」
「……聖菜さん?」
なぜだろうか。
つい最近その名前を聞いたような気がして哲矢は思わずそう訊き返してしまう。
「えっ? 関内君、もしかして聖菜さんとお知り合いなんですか?」
「あ、いや……綺麗な人だったから。そういう名前なんだって思ってさ」
「そうなんですよ! 聖菜さん、ほんと美人さんですよね~♪ 私の憧れなんです! 関内君がそう言うのも頷けますよ」
こういう時は真っ先にメイが突っかかってくるものだと哲矢は身構えていたが、意外にも彼女は仏頂面で病院の外観を睨みつけたままであった。
結局、聖菜という名前を聞いてどうして引っかかりを覚えたのか。
哲矢にはその理由が分からなかった。
「……それにしても、親御さんだったなら俺たちも挨拶くらいしておけばよかったな」
「大丈夫ですよ。今度病院行った時、私がお伝えしておきますから」
それから三人は瓜生病院の敷地を後にし、帰路につくため駅へと向けて歩き始める。
辺りは橙色の光が差し込み、暮れかかっていた。
行き交う人々の足もどこか慌ただしい。
早く家へ帰って月曜日に備えようとしている雰囲気が窺える。
そんな中、今まで黙って歩いていたメイが突然らしくない提案をしてくる。
「この後カラオケでも行かないかしら? 私日本に来てから行ったことがなかったから」
「そうだったんですね。だったら一度は行くべきですよっカラオケ♪ 私は賛成です!」
「カラオケか。そういえば最近行ってないな」
「テツヤも別にいいでしょ?」
「反対じゃないけど」
「それじゃ決まりね。そうと決まればさっそく行きましょう。ここから近いカラオケ店は?」
「向こう口にありますよ」
「そう。ちょうどよかったわ」
なぜかテンション高くそう張り切るメイの後について二人は瓜生駅南口のカラオケ店へと向かう。
だが、店の前に着いたところで、メイは急に「やっぱ私は先に帰るわ」と前言撤回。
唖然とする哲矢と花を残し、彼女は踵を返して駅の方へと消えて行くのだった。
「なんだよ、あいつ……」
「あはは……。気が変わったのかもしれませんね」
自分で提案しておきながら発言を180度変えて帰るというあまりにも自己中心的な離れ業を披露した彼女に対し、呆れを通り越してむしろ尊敬の念が湧いてくる。
けれど、哲矢は薄々気づいていた。
メイがこのような行動を取ったのは意図的であったと。
一人で帰る口実を作るためにあえて反感を買うような行動を取ったのだと。
(まぁ、ただ単にヘンな気遣いをされただけのことかもしれないけど……)
あまりその辺りのことは深く考えないようにしようと、哲矢は自身に言い聞かせる。
「どうしよっか?」
「高島さんが帰られてしまったのは残念ですけど、関内君がよければせっかくなんで行きませんか?」
「う、うん? そうだな……行こっか」
これまで他者と距離を取ってきた哲矢にとって、女子と二人きりでカラオケ店に入ることなどもちろん初めての経験であった。
店の中に入ってからも終始緊張したまま、哲矢はほとんど聴く側に回ってしまう。
それに対して花はよく歌った。
選曲は流行りのK-POPが多く、もちろん最新のJ-POPも男女問わず器用に歌い上げていた。
癖のない彼女の歌声は聴く者の心に触れる不思議な魅力があった。
二人きりでいることの緊張も徐々に消え失せ、哲矢はいつしか花の歌に聴き惚れていた。
「全部うろ覚えなんですけど」と謙遜していたが、音楽がとても好きなのが伝わってきた。
花の意外な一面を知れたような気がして哲矢はどこか温かな気持ちとなる。
その後、延長に延長を重ね、未成年者入店禁止の時間で追い出されるまで居続けた。
おかげで耳はキンキンと痛んだが、その疲労感も含めて哲矢にとっては新鮮であった。
「今日は本当に楽しかったです。付き合っていただいてありがとうございました!」
「いや、こちらこそ楽しかったよ。川崎さんってほんと色々知ってるんだな」
「えへへ~。よくヒトカラとかしてるんで♪」
夜風に当たりながらそう恥ずかしそうにはにかむ花の姿を見るのもまた新鮮だ、と哲矢は思った。
普段は学園でしか会うことがなかったため、こうして彼女と二人きりで夜の街を歩いていることがとても不思議に思えてくる。
「自宅まで送るよ」
「い、いえっ! 大丈夫ですよ! ここから近いんで」
「でもこんな時間だしさ」
「関内君はここから羽衣まで帰るんですよね? 私なんかマンションすぐなんで、早く帰られた方がいいですよ!」
「でも、ここで川崎さんを一人帰したら、あとでメイになに言われるか分からないしさ。それに東京って終電はかなり遅くまであるんだろ? 俺のことは気にしないで大丈夫だから」
「……そ、そうですか? じゃあ、申し訳ないんですけどお言葉に甘えて」
「おうぅ」
クラスメイトの女子を自宅まで送るという柄にもないことをやろうとしているせいか、ぎこちなさが抜け切れない。
けれど、こうして彼女に頼られて、哲矢としてはどこか誇らしい気分であった。




