第43話 目覚めない少女
麻唯が入院しているという瓜生病院は駅の北口にあった。
ロータリーから大通りへと出るとすぐに白色の大きな建造物が見えてくる。
ここへ来る途中、電車の窓から覗けた外観が今哲矢の目の前にあった。
桜がずらりと両端に並んだ坂を登り、病院の正面口から中へと入る。
「……?」
その瞬間、哲矢は違和感を抱いた。
待合ロビーが来院に訪れた人たちの姿で溢れていたからだ。
(今日って日曜日だったよな?)
ふとそんなことを哲矢が考えていると花が声をかけてくる。
「すみません。ちょっとここで待っていてもらえますか?」
彼女はそう口にするなりどこかへと消えて行ってしまうも、数分もしないうちにすぐに戻ってくる。
その手には生花が入ったポリ袋が握られていた。
「では行きましょう」
哲矢とメイは花の後に続き、受付で手続きを済ませる。
すでに何度も面会に訪れているのだろう。
彼女の行動には一切の無駄がなかった。
そのままエレベーターで3階まで昇り、降りてすぐのフロアを左に進むと、突き当りにナースステーションが見えてくる。
「脳神経外科……?」
廊下の看板に標示された普段見慣れないその文字を目にし、哲矢は少し緊張する。
ここは自分の知らない世界だ、と分かったのだ。
幼い頃からほとんど病気にかかったことのない哲矢にとって病院という存在は、身近にあるけれどよく分からないものの代表格であった。
ここに麻唯は1ヶ月以上もの間入院しているのだという。
それは一体どういう日々だったのだろうか。
哲矢にはほとんどと言っていいほど実感が湧かなかった。
「入院理由はこんなところね。めまい、意識障害、認知症など。もちろん、精神に障害がある患者も」
「へぇ、よく知ってるな」
「A fool don't catch a cold.」
「な、にっ?」
メイの発音が良すぎて思わず哲矢は聞き返してしまう。
「『バカは風邪を引かない』って日本語あるでしょ? だからテツヤは大丈夫よ」
そう悪戯っぽく口にして微笑むと彼女は花の影に隠れる。
「……ったく」
なぜか今回だけは哲矢は怒る気になれないのであった。
◇
脳神経外科のナースステーションに顔を出して挨拶を済ませると、そのまま複数の病室が並ぶ区画へと進んでいく。
やがて【藤野麻唯】とプレートが掲げられた個室が見えてきた。
花はその部屋の前で立ち止まると、哲矢とメイに入室の確認をしてからドアをスライドさせる。
一足先に室内へ足を踏み入れる花の後に続いて哲矢も中へ入ると……。
「……え?」
「あっ……」
哲矢とメイはほぼ同じタイミングで声を上げた。
(この子が……)
病室の中央に設置された白いベッドには、瞼を閉じて仰向けになっている日本人離れした整った顔立ちの美しい少女がいた。
規則正しい寝息とともに長い髪が微かに揺れる程度で少女はほとんど動かない。
ふと窓の外に目を向ければ、瓜生駅から発車する高架上の電車の姿が確認できた。
「彼女が藤野麻唯ちゃんです」
そう花に紹介され、哲矢とメイは黙って頷く。
「昨日は関内君に言いそびれてしまいましたが、実は麻唯ちゃんは1ヶ月以上ずっと昏睡状態にあるんです」
「……こ、昏睡状態っ!?」
哲矢はそのリアリティの欠けた言葉を耳にして思わず驚きの声を上げる。
「ずっと眠り続けているってこと?」
そう訊き返すメイに花は静かに頷いた。
「ですが、昨日もお話した通り命に別条はないんです。それどころか、2階の教室から転落したにも関わらず体に外傷はまったくなかったという話でした」
「外傷はないのね」
「はい。運良く花壇がクッションの代わりになったみたいなんです。それにお医者様の話だと、2階から落ちただけではよっぽど打ちどころが悪くない限り死に至ることはないのだそうです」
「そ、そうなのか……?」
「まあそれも考えれば分かることでしょ。どんな建物でもいいけど、2階の窓から下を覗いてみて『死んでしまう』と思う人は少ないんじゃないかしら」
するとどういうことだろうか、と哲矢は思う。
(藤野麻唯を教室の窓から突き落とした犯人は、別に殺すつもりでやったわけじゃないってことなのか?)
哲矢はますます訳が分からなくなってくる。
「なによりもお医者様が一番気にされているのは、なぜ麻唯ちゃんは眠りから目を覚まさないのかということです。便宜上、脳神経外科に入れられてますが、脳に異常があるわけでもないようなんです」
それを聞いてメイは何か考えるような仕草を見せる。
原因を解き明かそうと頭の中で考えているのかもしれない。
「1ヶ月以上ずっと昏睡状態にある……」
哲矢は花の言葉を復唱してそっとベッドに近づく。
目の前に横たわる少女は本当に美しい容姿をしていた。
生徒会長であり、クラスの人気者でもあり、教師たちからの評価も高かったのだという。
そんな誰もが一目置く存在の少女が何者かの手によって窓から突き落とされてしまった。
警察や検察は将人がそれをやったに違いないと考えている。
一方で将人を近くで見てきた花は彼の犯行はあり得ないと口にする。
考えれば考えるほど、何が真実であるか分からなくなってくる。
「……麻唯ちゃん……」
そう小さく呟く花は、光の射し込まない海底で苦しくもがいているように哲矢には見えた。
『身近にいたはずの友達の心が読めない』
心がそう叫んでいるようにも感じられる。
哲矢としてもそれは痛いほど分かる感情であった。
花はいつもやっているという花瓶の水替えを行うと、ポリ袋から生花を取り出してそれをそこに挿す。
病室を去る際は、律儀にも眠っている麻唯に挨拶をしていた。
「きっと届いていると思うんです」
どこか肩肘を張る彼女のその姿が哲矢の胸をちくりと刺激するのだった。




