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第417話 春風

「あっーー!」


 すると、その時。

 廊下の奥から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


 ハッとして哲矢が振り返ると、そこには人差し指を突き立てて驚きの表情を見せる花の姿があった。


「やっと見つけたよぉ~! ホント探したんだからっ!」


 どうやら花はかなり怒っているようだ。

 普段、ほとんどすることのないその表情を見て、哲矢は途端に萎縮してしまう。


 彼女の姿は昨日と変わらず制服のままで、これまで本当にずっと探し回ってくれていたのだということが哲矢にはすぐ分かった。


「ご、ごめんっ……。連絡しようって思ってたんだけど……」


 とっさに言いわけじみた返答をして誤魔化そうとする哲矢であったが、すぐに相手の異変に気がつく。


 ハッと何かを思い出したような仕草を見せた花が続く言葉を飲み込んだまま、その場で固まってしまっているのが分かったのだ。

 彼女の視線は哲矢の背後へと向けられていた。


 最初、将人の泥だらけの姿を見て驚いているのかと思いきや、そうではないということに哲矢はすぐ気づく。

 おそらく、将人の姿を見て、とっさに例の焼けた紙切れのことを思い出してしまったのだろう、と哲矢は思った。


「っ」


 勢いを削がれたように、花はどこか不安そうな表情を覗かせて俯いてしまう。

 突きたてられた人差し指だけが、行き場所を失ったようにこちらに向けられていた。


 このままだとまた昨夜の重苦しい空気に逆戻りしてしまう。

 そう懸念した哲矢は、なんとか場を繕うような言葉を抽出しようと試みるのだったが――。


「川崎さんっ!」


 突如、大声を上げて花の前へと一歩踏み出す将人の行動によりそれは不要なものとなる。


 彼はどこか大袈裟に両手を広げてみせると、満面の笑みを浮かべて高らかにこう口にした。


「麻唯が目を覚ましたんだ!!」


「……っ、ひぇ……?」


「今、ちょうど二人で話してたんだよ! ほらっ、川崎さんも!」


「ま……え? ちょっと、待って……麻唯ちゃんが……? う、うそっ……」


「嘘なんかじゃないって! ついさっき、ちょうど目を覚ましたんだよ! さあ一緒に中へ入ろう!」


「……ちょっ、え……? て、哲矢く……ん……?」


 驚きに声を震わせる花の顔が哲矢の方を向く。

 哲矢はすぐに、将人と同じようにはち切れんばかりの笑顔を浮かべると、力強く親指を立てる。


 その瞬間、花の顔がみるみるうちにパッと明るくなるのが哲矢には分かった。


「ま……麻唯ちゃんッ……!!」


 そう嬉しそうに感情を爆発させた花は、将人のエスコートも待たずに勢いよく病室へと駆け込んで行ってしまう。


 反動で開いたドアがしっかりと閉まるのを確認すると、将人は表情を戻して哲矢にこう続けた。


「川崎さんにはあとで自分の口からきちんと説明するよ」


「そっか、分かった」


「あと、その……。よかったらさ……」


「ん? どした?」


 将人は何か言いかけようとするが、すぐに首を横に振って笑顔を見せる。


「……いや……なんでもない。キミも元気で」


「ああ、またいつか必ず会おうぜ」


 まだ汚れたままの手がスッと哲矢の前に差し出される。

 それをギュッと握り締め、将人と固い握手を交わすと、哲矢は彼がドアをそっと開けて中へ入って行くさまをしっかりと見届ける。


 直後、久しぶりに揃った三人の再会を喜ぶ声が廊下まで聞こえてくるのであった。




 ◇



 

 暫しの間、その場で幸せそうな三人の話し声に耳を澄ませた後、哲矢はエレベーターで1階まで降りる。

 ロビーを通り過ぎ、正面口から一歩外へ足を踏み出すと、高々と昇った太陽の光が哲矢を出迎えるのだった。


 緩やかな春風に吹かれ、瓜生病院の真っ白な外壁を見上げていると、近くで自分の名前が呼ばれたことに哲矢は気がつく。


「お~いっ! 関内く~ん!」


 声のした方へ視線を向けると、病院の駐車場から手を振る美羽子の姿が哲矢の目に入った。

 その背後には見慣れたブルーのイングレッサG4が停車しており、運転席から顔を出す洋助の姿も確認することができた。


 そして、後部席からは……。


(あっ)


 数時間ぶりの再会となるメイがゆっくりと降りてくる。


 彼女は幾分疲弊しているように見えたが、哲矢の姿を確認なりハッと息を呑むように目を丸くさせる。

 眉間を吊り上げながら感情の昂ぶりを堪えるように、ぐっと拳に力を込めるのが哲矢には分かった。


「メイ……」


 哲矢はそんな彼女の仕草を見て、思わず小さく声を漏らしてしまう。

 なぜか、胸がギュッときつく締め上げられる思いを感じた。


 一方の美羽子はというと、そんな二人の微妙な空気にまったく気づいていない様子で、親しげな笑みを浮かべながら歩いて近づいてくる。


「やっぱり、ここだったんだ。みんな心配してたのよ?」


「ごめんなさい……すみませんでした」


「まあ、でもいいわ。無事で本当によかった」


 酷く怒られるものだと思っていたので哲矢は思わず拍子抜けしてしまう。

 もしかすると、メイと花が事情を説明してくれたのかもしれない、と哲矢は思った。


「それと……どしたの? その恰好」


「えっ?」


「制服は?」


「あ、いや……。昨日の大雨でぐちょぐちょに濡れちゃいまして……。着替えたんです」


 哲矢は手にしたスポーツバッグに目を落としながらそう答える。


「それって」


 美羽子はそのスポーツバッグが一体どこにあったものなのか、すぐに気づいたようであった。

 おそらく、昨日桜ヶ丘中央警察署で手続きをした際に一度目にしていたのだろう。


「はい。自分で取ってきました」


 一人で荷物を受け取りに戻る不審さについて何かつっこまれるかと思う哲矢であったが、彼女がそれについて追及してくるようなことはなかった。


 「そうだったのね」と短く口にすると、「そういえば、川崎さんとすれ違わなかった? 先に行ってもらってたんだけど……」と訊ねてくる。


「ついさっき、藤野の病室の前で会いました」


「生田君は一緒?」


「花と一緒に病室の中にいます」


「そう……。それならよかったわ」


 きっと、色々と思うところはあるに違いなかったが、将人のことについても美羽子が何か言ってくるようなことはなかった。


 しばらくすると、車から降りてきた洋助とメイが哲矢たちの元へやって来た。

 

「ああっ、哲矢君。すごい探したんだよ。とても心配してたんだ」


 洋助も美羽子と同じような言葉を口にする。

 声には疲労感が滲み出ており、白髪交じりのその容姿は幾分哀愁を帯びていた。


 自分が選んだ勝手な行動により多くの人に迷惑をかけてしまったという事実を哲矢は改めて痛感する。

 気づけば、哲矢は皆に対して深々と頭を下げていた。


「本当に申し訳ありませんでした。大変ご迷惑をおかけして……」


「わわっ!? そんな畏まって謝らないでくれ」


「でも……俺は……」


「関内君と生田君が無事って分かっただけで十分よ」


「そうそう。なにもなくて本当によかった」


 二人は揃って哲矢に笑顔を見せる。

 心の底から自分たちのことを心配してくれていたのだということが伝わってきて、哲矢はなんだか胸のあたりが再びぽわぽわと暖かくなるのを感じる。


 両親以外でこれほどまでに自分のことを心配してくれる者は世界中探し回ってもいないことだろう、と哲矢は思う。

 本当に大切な人たちと出会うことができたと、哲矢は心の中で感謝するのだった。

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