第404話 ラストレター-13
私がハッと我に返ったのは、それからかなり経ってからのことでした。
やがて、吾平さんの死を受け入れられるようになると、私はこれまでの時間を償うようにあなたについて考えるようになりました。
真っ先に気になったのはあなたの身寄りです。
福岡には知り合いや親戚はいないと吾平さんは言っていたので、そのことが非常に心配でした。
タイミングを見て上司にそのことを確認したところ、あなたは東京の親戚の家に引き取られることになったという話を聞きました。
すぐに私は、その親戚というのは義姉のことであることに気がつきました。
彼女とは結婚式の前後に数回会った程度でそれ以来交流はありませんでしたが、吾平さんからは何度か義姉についての話を耳にしていました。
世田谷から桜ヶ丘ニュータウンへと引っ越したことで義姉夫婦の住む百草とも近くなり、吾平さんは日を見ては顔を出していたようでした。
おそらく、そこで自分にもしものことがあった時のことを話していたのだと思います。
あなたに身寄りがあったことは不幸中の幸いでした。
福岡から再び引っ越しをしなければならなかったあなたの心中はお察しします。
けれども、私は勝手ながらそのことを嬉しく感じておりました。
また、あなたの近くにいることができると思ったからです。
それは、吾平さんの死でぽっかりと開いてしまった私の心の穴を埋めるのに十分過ぎるほどの出来ごとでした。
すぐさま、あなたと連絡を取りたい気持ちで一杯でしたが、義姉と交流を再開させることについては抵抗がありました。
と言うのも、彼女は私の苦手なタイプだったのです。
初めて会った瞬間からそれは分かりました。
なんというか、女同士には直感で分かるのです。
ああ、この人とは絶対馬が合わないって。
義姉には挑戦的で他人を見下すような癖がありました。
当時の私にはまだ未熟な部分が残っていて、その点に関して私は快く思っておりませんでした。
彼女としても、早々に離婚を切り出した私に対していい印象を持っていないことは明らかでしたし、これまで表面的には衝突を避けてきましたが、面と向かえばすぐにでもぶつかり合ってしまいそうな間柄でした。
義姉とはそんな関係でしたので、私はあなたの状況が気になりつつも結局はコンタクトを取ることもできず、暫しの間は無為に過ごしておりました。
最初、東京へ戻ってきたことであなたが夫の件で自首するのではないかと警戒もしていましたが、特にあなたがなにか行動に移すようなことはなかったようでした。
目に見える大きな動きが出始めたのは夏が過ぎ去ってからのことです。
まだ暑さの残る9月。
新学期の始業式を終えた麻唯は興奮気味に私にこう話しました。
あなたが同じクラスに転入してきた、と。
それを聞いた瞬間、私はまさかという思いで信じられませんでした。
けれど、目を輝かせながら嬉しそうに話をする麻唯が嘘を吐いている様子はありません。
それは事実だったのです。
確かに、高校二年生の夏休みという微妙な時期に東京へ戻ってきたあなたを受け入れてくれる高校は、いくら都内だとはいえ多くなかったことでしょう。
その点、宝野学園は以前通っていたこともあり、転入のハードルは他校に比べてそこまで高くなかったのかもしれません。
転入生をほとんど取らないことで有名な宝野学園ですが、あなたには元々学籍がありましたし、なんとか話が通ったのではないでしょうか?
これは私の勝手な推測に過ぎませんが、吾平さんは予めこのことを義姉に頼んでいたんじゃないかって思うのです。
自分の死が近いことを悟り、あなたの将来のことを見通してそう動いていたように思えてならないのです。
いずれにせよ、あなたが再び宝野学園へ通い始めたというのは紛れもない事実でした。
麻唯はもちろんのこと、私もそれを知って素直に嬉しく思いました。
これであなたの顔を直接見る機会が増える。
できることなら、あの日、なにも言うことができなかったあなたの問いにきちんと答えを返したいという思いがありました。
その結果、麻唯が驚くことになったとしても、あなたたち二人の母親として、この先の人生を償っていきたいという思いがあったのです。
ですが……。
そんな私の一方的な考えは、あなたの変化によって取り止めを余儀なくされます。
あなたは、あの日――2月29日にあった出来ごとをまったく覚えていなかったのです。
興奮気味にあなたの転入についての話を終えた麻唯は、ふとどこか気が緩んだように小さくこう呟きました。
「でも、少し変わったような気がする」って。
最初、私はその言葉をほとんど気にしていませんでした。
私がその言葉を思い出すようになったのは、直接あなたと再会してからのことでした。
新学期も始まって、しばらく経ったある日の土曜日。
放課後、麻唯はあなたを連れて自宅へと帰ってきました。
そこで私は数年ぶりにあなたと再会することとなります。
久しぶりに見るあなたは……とても大人っぽくなっていました。
体つきはがっしりとしていて、以前はあった少年のようなあどけなさは消え去っていました。
どことなく吾平さんの面影も感じられ、込み上げるものがあったことを覚えております。
ただ……。
その態度には違和感がありました。
最初からどこか他人行儀になっていたのです。
私が生き別れの母親であるということを時とともに確信して距離を取るようにしているのか。
もしくは、3年半という月日があなたを成長させて、礼節を重んじる人間へと変わったのか。
あなたの変わりように私は判断に迷いましたが、どうやらそのどちらでもないということにやがて私は気づきます。
あなたの立ち振る舞いや麻唯との会話を目の当たりにしていくうちに、そもそもの根幹の部分が異なっているのではないか、という風に考えるようになりました。
決定的だったのは、その日一日あなたが私の名前を呼ばなかったことです。
意図して呼ばなかったというようには見えませんでした。
ふとした瞬間、私のことを呼ぼうとしたにもかかわらず、あなたはその名前が出てこなかったのです。
それから私があなたの告白を思い出すまではそう時間はかかりませんでした。
人格が交代しているんだ、と。
そう私は直感しました。
多重人格の症状について詳しく知っているわけではありませんでしたが、人格が交代している間は、他の人格の記憶を持ち合わせていないということは、私でもなんとなく推測することができました。
目の前のあなた――仮に本来の人格のあなたということにしましょう――は、自分の記憶にないことでも、なんとか無理に話を合わせようとしているように見えました。
けれど、麻唯はそんなあなたの変化を深刻には捉えていないようでした。
「そうか。この子には多重人格の告白をしていないのか」
私はすぐにそう思いました。
あなたが麻唯に対して多重人格者であることを隠していたのにはなにか理由があったはずです。
その意思を破ってまで私が真実を口にする資格はありません。
結局、そのような状況であったため、私はあなたに母親であることを伝えることも、麻唯にあなたとの関係を伝えることも叶いませんでした。
あなたが麻唯と再び一緒にいられることを喜ばしく感じながらも、その一方でまだ解決されずに残っている課題がいくつかあることに不安を抱きつつ、私はしばらくの間は成り行きを見守っていくことにしたのです。




