第395話 ラストレター-4
名古屋で数年間の赴任を終えて桜ヶ丘ニュータウンへと戻ってきた夫は、それまでにも増して権威的となっていました。
会わない間にできてしまった溝は取り返しがつかないくらい深くなっており、私たち夫婦の心は既にバラバラの状態にありました。
夫は内緒で愛人を作っているようでしたし、私も吾平さんとは夫婦時代よりも親密になっておりました。
所詮はナンパからの出会いです。
この結末も特別驚くべきものではありませんでした。
お互いに愛情は枯れ果ててしまっていたのです。
それでも私たちが離婚しなかったのは、その方が双方にとって都合がよかったからでした。
世間体や体裁というものに誰よりも固執するのが夫です。
なんとしても離婚歴は残したくなかったのでしょう。
私としても、経済的な理由でまだ夫から離れることができずにいました。
その頃は駅前のコールセンターで働き始めておりましたが、結局はパートの給料だったので、やはり麻唯と二人で生活しているだけの貯えはありませんでした。
その弱みに対して夫は執念を燃やしておりました。
自分がいなければ私たちが生活していけないことをなによりの拠りどころにしていたのです。
だから、なにをしても許されるだろう。
それが夫の考え方でした。
現実を突きつけられているようで悔しくもありましたが、それは確かに事実です。
そんな時は、決まって麻唯の笑顔に助けられました。
当時、麻唯はまだ中学一年生にもかかわらず、私たち夫婦の関係が修復不能な状態まで断たれてしまっていることにも気づいている様子でしたが、一切弱音を吐くことはありませんでした。
娘一人満足に守ることのできない私に対していつも笑顔でいてくれたのです。
麻唯のそんな表情に私は何度も救われたのでした。
けれど――。
夫は麻唯のことを自分のストレスのはけ口としてしか見ていませんでした。
本人はあまり仕事の話はしたがりませんでしたが、どうやら赴任を解かれた理由というのは業績の不振にあったようで、この街へと戻って来て以来、夫は以前にも増して手を上げるようになったのです。
前は漠然とした恐怖を感じていましたが、この頃からは本気で私は麻唯に対して命の危険を抱くようになっていました。
長い間、家を空けていた思春期の娘に対してどう接すればいいか分からないという葛藤も夫の中で少なからずあったのかもしれませんが、だからと言って暴力を振るってもいいという理由にはなりません。
はっきりとした傷を目にするようになって、ようやく私は夫から麻唯を物理的に遠ざける決意をしました。
決断としては遅すぎたかもしれません。
けれど、それは何度も吾平さんに相談に乗ってもらい、その上で導き出された私なりの最終的な打開策でした。
宝野学園に休学届を提出して病院に入院させる。
公の場に麻唯を匿えば、夫も暴力を振るうことはできないと私は考えたのです。
あなたもはっきりと覚えていることでしょう。
大貴君と一緒に何度も見舞いに来てくれましたよね。
麻唯が長い間、宝野学園を休んでいた理由はこういうことだったのです。
いつもは気丈に振る舞っていた麻唯でしたが、私がその提案をするとこの時ばかりは体を震わせて頷き、最後には静かに涙を流しました。
それだけこの子にとって夫は脅威だったのです。
毎日、とても怖かったに違いありません。
私がなにもできないばかりに、トラウマにさせてしまうほど大変な恐怖を与えてしまっていたのです。
いくら謝罪をしたところで、麻唯の心の傷が消えて無くなるわけではありません。
ですが、こんなことはこれで最後にしなければならない、と私は思いました。
もうこれ以上、この子に対して危害を加えさせてはいけない。
夫が心から気持ちを入れ替えるまでは、絶対に麻唯には会わせないと私は決めたのです。
そんな私の行動に対して、夫は若干の戸惑いを見せました。
まさか、こんな風にして隔てられるとは思ってもいなかったのでしょう。
最初のうちは言葉でそれを止めさせるように威圧してきた夫でしたが、私がこれ以上麻唯に近づくようなら弁護士に相談して訴えると何度か主張すると、やがて萎縮してなにも言わなくなりました。
弱みを握られているはずの私が、こうも強く反撃してくるとは考えていなかったのだと思います。
離婚覚悟の上での発言でしたが、それで夫がなにか行動を起こすようなことはありませんでした。
それからしばらくの間は、夫は今までの振舞いが嘘のように大人しくなりました。
それで私は安心してしまったのです。
ようやく心を入れ替えてくれたのだ、と。
これで麻唯を救うことができたんだって。
ですが……。
それは、反省していたからそんな態度を取っていたわけではないことを私は後に知ることになります。
夫は私たちに復讐する機会を虎視眈々と狙っていたのです。




