第384話 業
まずは、将人の釈放についてだ。
おそらく、大貴は自分が警察へ自首した結果将人は不処分となり、即刻釈放されるものだと考えていたに違いない、と哲矢は思う。
だが、実際には将人はまだ釈放されていない。
鑑別局の言いつけを破る形で行方不明となっているのが現状だ。
当然、審判にも多大な影響があると考えてまず間違いなかった。
なりよりも大貴にとって誤算だったのは、想定していたよりも早く将人の人格交代が起こってしまったことだろう、と哲矢は思う。
この手紙は、釈放後の彼へ向けたものだということが文脈からも容易に推察できる。
自由の身でこれを将人が読んだのなら抑止力となる可能性もあったが、今の状態でこれを読むのは逆効果であると言えた。
明日に審判を控えているのだ。
その場で果たして将人は良心に耐えることができるだろうか。
(……いや、そうなれば多分将人は言ってしまう)
殺人の証明に対してあれほどまでに固執していた彼がそこで押し黙るとは哲矢には考えられなかった。
けれど、幸か不幸か。
多分、将人は手紙を最後まで読んでいない、と哲矢は推察する。
昨夜、彼がこの手紙を見つけた時はザッと目を通してはいたが、時間的にもすべて読み切るのは不可能であると言えた。
ひょっとすると、裕行の死体を見つけ出してから、ゆっくり読み返そうとしていたのかもしれない。
とにかく、あの時は腰を据えて読んでいる時間がなかったことだけは確かであった。
これが大貴にとってのもう一つの誤算である。
この手紙に込めた想いは、まだ将人にすべて伝わっていないのだ。
(俺がこれを将人に渡せば、大貴の想いもしっかり伝わる)
しかし、そう思う一方で、その行為が必ずしも正しいものだとは哲矢は言い切ることができずにいた。
大貴が裕行殺害の自白を今さらする必要はないと考えているのは手紙の中で明らかとなっている。
哲矢としてもその考えには同意であった。
むしろ、大貴がそうした一歩下がった目線となるのは当然のことなのかもしれない、と哲矢は思う。
なぜなら、実際に裕行を殺害したのは将人一人だけで、大貴はサブ的なポジションでその手助けをしたに過ぎないのだから。
当事者でありながら、客観的に物ごとを見られる立場に大貴はいるのである。
その根底にあるのは、将人や麻唯の未来を案じた優しさだ。
なおかつ、それでも将人の決意が揺るがないようなら、『お前一人にだけは絶対に罪は背負わせねーから』『俺も一緒に償う』と締め括っており、一緒に罪を償う覚悟も見せている。
友人として、仲間として、非の打ちどころのない提案をしているのだ。
だが――。
この点に関しては、哲矢はすべて大貴に同意できるわけではなかった。
決定的に彼の考えと異なる箇所が存在する。
それは、殺人に対する認識であった。
大貴は、麻唯の父親――裕行は殺されて当然の男だと考えている。
その考えには、哲矢はどうしても賛同することができなかった。
もし大貴がこの場にいたら、『麻唯がどれほど酷い目に遭ってきたか見てねーからそんな悠長なこと言えんだ!』と、哲矢は罵倒されていたに違いない。
実際、当時の現場に居合わせていれば自分も彼と同じ感情を抱いていたかもしれない、と哲矢は思う。
しかし、それでも……。
哲矢にはそれを肯定することはできなかった。
明らかに間違った行為であると分かるからだ。
人の命を奪える権利など誰も持ち合わせていない。
もっと他に解決策があったのではないか、と。
哲矢にはそう思えてならなかった。
なぜ、二人は麻唯や聖菜に内緒で裕行を殺害することに決めたのか。
最初から彼女たちに相談していれば、結果は違ったかもしれないのだ。
(……ショックを与えたくなかった、っていうのはこじつけだ)
この場合、大貴だけを責めるのは酷であるが、彼は将人を止められる立場にあったはずである。
当時の将人は、麻唯と血の繋がった兄妹の関係にあるという事実を知り、徐々に自分を追い込んでしまっていた可能性がある、と哲矢は考える。
視野も極端に狭くなり、もう殺人しか麻唯を救い出す方法は残されていないという考えに将人が至ったとしても不思議ではなかった。
しかし、大貴は違う。
その頃から客観的に物ごとを観察できる立場にいたはずなのである。
そこにすべてが集約されているのではないか。
哲矢はそんな風に思った。
分かり合えたと思っても、やはり違う。
そうではないのだ。
結局、大貴とは相容れぬ運命にあるということを哲矢は悟るのであった。




