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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第2部・少年調査官編 4月7日(日)
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第36話 それは本当に懐かしい行為で

「……けどね。このニュータウンで暮らしていれば、多額の学費減額が受けられるんだ。それに生徒の家族は市が保障する制度をより豊かに受けることができる」


「高齢化が進むニュータウンにおいて、市はあらゆる手段を使って若者を留まらせようとしているんだ。僕だけの問題じゃないから。そういうこともあってなかなか学園を辞める生徒はいないんだよ」


 宝野学園高等部は、三学年三クラス約40名ほどで都内の高校よりも生徒の数は大分少ない、と翠は続けた。

 それに哲矢が何よりも驚いたのは、ニュータウンで暮らす同世代の三分の一が宝野学園高等部に通っているという事実であった。


 それだけしか同世代はいないのだ。

 桜ヶ丘市が危機感を持つのも頷けた。

 

 翠はさらに続ける。


「親たちは市の恩恵を受けたいがために学園へ留まることを求め、先生たちは出世のために市の言いなりとなった行動を取る。こうやって桜ヶ丘市はニュータウンの高齢化を延命させているんだ。実は宝野学園というのはこのために作られたようなものなんだよ。若い人をニュータウンに留めておくためにね」


「なるほど……。そういうカラクリだったのか」


 桜ヶ丘市のその取り組みは否定できない、と哲矢は思う。

 なぜなら、それは自助努力の範囲に過ぎないからだ。


 けれど、そう思うと同時に、空回りしているような印象も抱いてしまう。

 というのも、高等部までは宝野学園へ通うためにニュータウンで暮らしていたとしても、進学や就職を機に引っ越しをしてしまう者が絶対にいるはずだと思えるからだ。


 宝野学園からエスカレーター式に進学できる大学を新設しようという案も挙がっているようだが、莫大な資金が必要なために計画は凍結状態にある、と翠は淡々と口にした。


(……というか、老朽化が進んでいる団地や商店の復建を無視して取り組む話ではないと思うんだけど)


 やはり、空転しているという印象を拭い去ることはできない。


 そんな哲矢の思いを察したのだろう。

 どこかフォローするように翠が言葉を続けてくる。


「こういうのはあまり言いたくないんだけど、学園に通う生徒らの家庭は例外を除いてほとんどが低所得者層なんだ。この辺は都内でもダントツに地価や物価が安いからね」


「それに多額の学費減額になると分かれば、学園に自分の子供を入学させたいと思うのが親の心情だよね? だから、桜ヶ丘市だけを悪者にはできないんだ。その恩恵を受け取っているのは僕らなんだから」


「…………」


「まあ、こんな感じの背景があって、みんなあんな風な態度しか取れないんだ。防衛本能が勝手にそうさせていると言ってもいいかもしれない」


「関内君としてはさ。嫌な思いをしていて、こんな話聞きたくなかったかもしれないけど……。少しだけこちらの事情も分かってもらえると嬉しいな。別にみんな関内君に恨みがあるとか、そういったわけじゃないんだよ」


 その話を聞き終えて哲矢はなんとなく思った。

 ひょっとすると、自分はとんでもないところへ来てしまったのではないか、と。


 これは普通の学校で起きたありきたりな事件などではない。

 特殊な状況下で起こった複雑で難解な事件なのだ。

 

 やはり昨日のうちに調査報告書を提出しておくべきだったのではないか、という思いが一瞬哲矢の脳裏にちらつく。


 提出さえしておけば、美羽子と揉めることもなかったはずである。

 桜ヶ丘市や宝野学園の実情を翠から聞くこともなかった。

 何も知らずに地元へ帰れたはずなのだ。

 

 しかし、それで自分は変われただろうか?

 その答えはすでに出ている。

 

(ノーだ)


 固く結われた手綱のように強固な『自分を変えたい』という哲矢の切なる思いは、少年調査官としての責務を全うすることと密接に繋がっているのだ。


 事件の真相に辿り着かない限り自分のその思いが叶うこともないだろう、と哲矢は思う。

 まずは桜ヶ丘ニュータウンという土地に深く根づいた思想を深く理解する必要がありそうであった。


「いや詳しくありがとう。どういうことなのか、ようやく理解できたよ。俺は外からやって来た異分子だから誰にも声をかけられなかった。もし俺と話せば自分も裏切者として見られるから」


「……うん。申し訳ないけどそういうことなんだ」


「なるほどな。ふふっ……」


「……?」


 どこか不敵に笑う哲矢に対して翠は小首を傾げる。

 何か得体の知れないものを感じ取ったのだろう、少しだけ顔を強張らせながら彼はこう訊ねてきた。


「どうしたの急に」 


「……いや。そんな中でも俺に話しかけてきてくれた子がいたんだ。けどさ。俺はその子のことを無視して逃げるような真似しちまって……」


「関内君……?」


「俺はバカだった。ろくに本人のことも知ろうとしないで勝手にクロだって決めつけたりしてさ。その子――川崎さんは言っていたんだ。生田将人は無実だって」


「今なら分かる。川崎さんは友人を庇うためにあんなことを言ったわけじゃないってことが。彼女のためにも……俺は生田将人の無実を信じる。そして、必ず証明してみせる。将人は冤罪で捕まったんだって」


 今、哲矢の中にあるのは、花に対する溢れんばかりの感謝の気持ちであった。


 そのような状況の中にあっても彼女は積極的に話しかけてきてくれたのだ。

 たとえ、それが将人のための行動であったとしても、そんなものは今さら関係なかった。


 リスクを背負い、自分を信じて頼ってきてくれたという事実が哲矢の心を何よりも熱くさせていた。

 

 突然の告白に翠も話がよく見えなかったに違いない。

 なぜ、一介の体験入学生に過ぎない哲矢が〝無実〟だとか〝証明〟だとかいう言葉を口にするのか。


 けれど、そうした疑問はひとまず置いておくように彼は小さく頷くと、すぐに自分の意見を口にする。

 随分と頭の切れる男のようだ。


「……僕も生田君の逮捕は懐疑的に思っていたりするから、関内君のその決断は支持したいと思う」


「追浜……いや、翠と呼ばせてくれ。ありがとう」


「僕も自分のクラスであんな事件が起こってショックだったから。真実が分かるのなら僕は応援するよ」


 身近なところで味方を見つけ、嬉しさが込み上げてくる。

 それで哲矢はつい調子に乗ってこう訊ねてしまう。

 そこには、先ほどまでの物怖じした哲矢の姿はなかった。


「翠、川崎さんが今どこにいるか知っていたりするか?」


「川崎さん? えっと……多分、部活で学園にいるんじゃないかな? 書道部は休日も練習していることで有名だから」


「日曜日でも部活やってるんだな」


「特別に認められた部限定だけどね。書道部は全国的に結果を出しているから学園も許可しているんだよ。逆に僕ら放送部は禁止だし」


「そうか、学園か……。サンキュー、めちゃくちゃ有力な情報だ」


 そう礼の述べてさっそく宝野学園へ向かうためにその場を後にしようとする哲矢であったが……。


「……あ、あのっ!」

 

 寸前のところで再び翠に呼び止められてしまう。

 彼は恥ずかしそうに手をもじもじとさせていた。

 その姿はやはり女子にしか見えない。


 そんなことを哲矢が考えていると、突然彼は頭を深々と下げてくる。


「本当にごめんなさい! 今まで無視してしまって……。さっき話をしないかって声をかけたのは……このことを謝りたかったからなんだ」


「翠……」


「僕は臆病者だからさ。クラスの輪から外れることが怖かったんだよ。川崎さんとは違う。見損なってもらっても構わない。でも、どうしても謝りたくって……」


 声を震わせながら頭を下げ続けるそんな翠に対して、哲矢は彼の肩にぽんと手を置く。

 

「なんで謝るんだよ」


「……え? だって……」


「今日はこうして話しかけてくれたじゃないか。それに介抱だってしてくれた。見損なうなんてとんでもない。むしろ感謝してるくらいなんだからさ」


「感謝?」


「ああ。それに臆病者っていうのなら俺だって同じだよ。さっきだって本当は君たちに声をかけるのが怖くて隠れてしまったくらいなんだから」


 もう哲矢は自身の弱さを曝け出すことに恥じらいはなかった。

 そう……感謝しているのだ。

 先ほど翠に呼び止められていなければ、自分はあのまま逃げ続けていただろうということが分かったから。


「だから、そのなんだ。これからも、その……よろしゅ……ッ!?」


「えっ?」


「よ、よろしくッ!!」


 肝心なところで噛んでしまうのもなんだか自分らしい、と哲矢は思う。


 翠はそんな哲矢の姿を見ておかしそうに笑った。

 釣られて哲矢も笑ってしまう。


「ははっ……全然決まらねぇー」 


「関内君!」


 その時、哲矢の前に細い手がスッと差し出される。

 意味はすぐに分かった。

 果たしてこれはいつくらいぶりのことだっただろうか。


 哲矢にとってそれは本当に懐かしい行為で……。


「あっ……」


 少し哲矢が躊躇していると、翠が顔をぱっと明るくさせながら手を思いっきり握ってくる。

 華奢なわりにその手はとても力強く感じられた。


「ありがとう! こちらこそよろしくね!」


「おうっ」


 こうして二人の間に友情が芽生えた。

 それは、哲矢にとってこの街で心を許せる仲間を獲得した瞬間でもあった。


「……ところでさ。ちょっと気になってたんだけど」


「なに? なんでも聞いてよ」


 翠が目を輝かせながら身を乗り出してくる。


「……いや、なんで女子っぽい服装してるのかなーって思って」


「ああこれ? 僕バイセクシャルだから。こういう恰好の方が落ち着くんだ。あっ……関内君はこういうの好きだったりする? もちろん、僕は関内君のことを男として見てい……」


「オーケー、ありがとう」

 

 世の中にはさまざまな友情がある。

 それが分かった春の心地良い午後であった。

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