第35話 桜ヶ丘ニュータウン
「驚いたよ。関内君が倒れているんだもん」
あの後、彼女らは子供たちの騒ぎ声を耳にしてすぐにこの場所へ戻ってきたらしい。
植え込みに上半身を突っ込んでいた不審者が子供たちを襲ったのではないかと彼女らは思ったようだが実際は違った。
「まさか、あれが関内君だったなんてね」
「わ、悪い……。ちょっと虫採りに夢中になってさ」
さすがにクラスメイトに見つかるのが怖くて植え込みに隠れたとは言えなかった。
「でもその虫を見て気絶しちゃったんでしょ? なんか笑っちゃうね」
彼女はとても饒舌だった。
学園以外の場所で会ったということもあってか、とてもフレンドリーだ。
けれど、申し訳ないことに哲矢は彼女の顔も名前を覚えていなかった。
一緒にいた二人の女子の顔はなんとなく見覚えがあったのだが……。
(こんな子、クラスにいたか?)
彼女は、白いワイシャツの上にグレーのジャケットを羽織り、モスグリーンのワイドパンツにスニーカーという恰好をしていた。
キャスケットからはパーマされたショートヘアが覗いている。
細身の体型で整った顔立ちをしており、なかなか男子にモテそうな風貌をしていた。
そんなことを哲矢が考えていると……。
「あ、関内君。一つだけ言っておくと僕は男だから」
「……は?」
「なんか勘違いしてそうだったから一応ね」
「はああぁっ!?」
とんでもない勘違いを指摘される。
「お、男ぉっ!? そんな風に全然見えないぞっ!?」
「いつも女の子と一緒にいるからなのかな。よく間違われるんだよねぇ」
彼女――もとい彼は、笑顔でそう口にした。
改めてそう言われても、なかなか男子には見えないとても中性的な顔立ちをしている。
ただ同性だということが分かると、哲矢の気持ちは幾分軽くなった。
「もしかして、一緒にいた二人も男だったり?」
「まさか。彼女らは正真正銘の女の子さ」
「……だ、だよなぁ」
これで全員男だと言われたら天地がひっくり返るくらいに驚愕していたに違いない、と哲矢は思った。
「それであの二人はどこ行ったんだ?」
「彼女らはシャイでさ。人見知りも激しいから。ちょっと別の場所で待ってもらっているよ」
「そ、そうか……」
多分警戒されているのだろう、と哲矢は思った。
少しばかりショックを受ける。
けれど、これまで学園で素っ気ない態度を取ってきたわけで、すぐに警戒を解くというのは無理な話であった。
彼女たちに落ち度はない。
むしろ、目の前の彼が自然体で会話してくれていることに感謝すべきであった。
哲矢は別の話題を口にする。
「そう言えば俺の名前知ってるんだな」
「だって自己紹介してくれたでしょ? 当然だよ」
「ああ……。けど、そのなんだ。すごく申し訳ないんだけど、こっちは君の名前が分からなくて」
「ああごめん。自己紹介がまだだったね。えっと、僕は追浜翠。放送部の部長をさせてもらってます」
「おっぱま、みどり……?」
「珍しい名前でしょ? よく言われるんだ。お前の名前は読めないってさ」
「確かに俺の周りにはいないぞ。それでその……放送部なのか?」
「うんそう。生徒や先生の呼び出しをしたり、昼休みに音楽を流したり、体育祭なんかの時は音響面の調整なんかしたりしてさ。あと、近々全国のコンテストがあってそれに向けて撮影もしていたり。まあ色々だよ」
「なんかやること多くて大変そうだな」
「まあね。でも僕らはやっていてすごく楽しいから」
翠は白い歯を覗かせながらよく笑った。
こんな親近感のある男子が同じクラスにいたとは思ってもいなかった。
不思議と哲矢も笑みが零れる。
「あっ!」
「な、なんだよ?」
「笑っているところ、初めて見たよ」
「そうだったか?」
「そうさ。教室だといつもなんか険しい顔つきだし、自己紹介も無愛想だったでしょ?」
「まあ確かにそうだけど……。あの時は色々と気を張っていたから。でも……そんなこと言ったら、そっちだってみんなして俺のこと無視してるだろ?」
「ああ……。ごめん。そうだよね」
翠は力なく笑うと自虐的に言葉を紡いだ。
「僕らは恨まれても仕方ない」
「どういうことだ?」
「…………」
いつの間にか、翠の顔からは笑顔が消えていた。
代わりにどこか深刻そうな表情が降りてくる。
彼は一度空を見上げた。
まだ陽は高く、春という季節を目いっぱい感じられる穏やかな午後の一時であった。
それからすぐに周りを気にするような素振りを見せると、翠は少しだけ声を落としてこう続ける。
「学園の生徒たちはほとんどがニュータウンの出身だって話は聞いたことあるかい?」
「ああ。それは知ってる」
「じゃあ、この街――桜ヶ丘市については?」
「うーん。詳しくは知らないけど。でも、桜ヶ丘ニュータウンの名前はここへ来る前から聞いたことがあったよ。全国的にも有名だろ?」
「その有名ってさ。良い意味でじゃないよね」
「えっと……」
哲矢は言葉に詰まった。
確かに翠の言う通りだからだ。
どちらかと言えば悪い意味で有名だった。
〝超高齢化する街〟とか〝ゴーストタウンの実体〟とか。
テレビやネットでそういう特集を見た記憶があった。
まさか自分がその街へ通学することになるとは当時は思いもしなかった、と哲矢は思った。
「どちらかというと悪いイメージでしょ?」
「……まあ、そうかな」
「そういう場所なんだよ。誰もここに残りたがらないんだ」
「でも、いい街だと俺は思う」
それは哲矢がこの数日間この街へ通学してみて本当に感じていたことであった。
目の前に広がる光景を見てもそれを強く思う。
誰もが思い思いの時間をこの長閑な公園で過ごしているように見えた。
「ありがとう。そう言ってくれて素直に嬉しいよ。けど、この公園も含めてプラザ駅周辺はなんていうか……ニュータウンの表の面でしかないんだ。駅前には商業施設や親子で楽しめるアミューズメント施設があるからね。土日はわりと人も来るんだけど、平日は結構ひっそりしてたりするし。少し駅から離れたらニュータウンの団地やマンションに住む地元民しかいないよ」
「それでも俺の地元よりは全然活気があるよ。言ってもここは東京じゃないか」
「そっか。関内君は都外からうちへ体験入学しに来たんだっけ? 確かに僕らの街が抱えている問題なんて、全国的に見れば贅沢な悩みなのかもしれない。けどさ。生まれてからずっとこのニュータウンで生活を送っていると、なんていうか……息苦しさのようなものを感じるんだ」
「近隣の街は年々新しく開発されていて、そこには大きなショッピングモール、スポーツ施設、音楽ホール、テーマパークや公園などが作られて。若い人たちはそこに家やマンションを買ったりしてさ。このニュータウンができたのは50年以上も前のことだからね。どんどん周りから離されていくような気分になるんだ」
その話を聞いて、哲矢は「なるほどな……」と思った。
もしかすると東京の中にある街にいるからこそ、そう強く感じるのかもしれない。
2021年に開催されたオリンピックが終わってからも東京への一極集中は止まらないのだという。
特に23区への人口流入は超過気味で今後もますますその流れは加速していく、というニュースを見たことを哲矢は思い出す。
この桜ヶ丘市を含めた都内の都市もまた、他の地方都市と同様に格差の問題で悩んでいるのだ。
中でも桜ヶ丘ニュータウンの高齢化は想像以上に深刻で、人口は9万人程度なのに対して65歳以上の割合はついに4割に達したのだ、翠はどこか焦燥した顔で口にした。
10代は高齢者の十分の一しかいないのだという。
(そう言われてみれば……)
彼が言うように駅前は商業施設やオフィスなどがあるため、サラリーマンや主婦、若者の姿を見かけることが多いが、ニュータウンのど真ん中にある宝野学園の周辺ではやたら高齢者を見かけるような気がした。
公園の数は多いのにそこで遊んでいる子供たちの姿も実はあまり見ない。
哲矢は北関東の地方都市の生まれだ。
東京出身というだけで羨ましく思えてしまう部分がある。
ただ、それは良い面だけしか見ていないというだけのことなのかもしれなかった。
そこで育てばそこで育ったなりの悩みがあったりするものなのだ。
「小学校の頃のクラスメイトは半分以上がこの街から引っ越してしまった。廃校になった学校もいくつかある。今学園に通っている生徒たちは皆、御多分に洩れずそういう経験をしているんだ」
「僕たちの大半は小学生の段階で親に勝手に決められて宝野学園へ入学させられているから、そういう意味では被害者意識のようなものが働いているのかもしれない。時にそれは強固な絆を僕らの間に生み出す。『外へ出て行く者は裏切り者だ。この街に残っている自分たちは仲間だ』っていう具合にね」
「…………」
「それは逆でも同じことが言える。外から来る者もまた異分子なんだ。僕らはそうやって自分たちを正当化してきた。そうすることでしか自分たちを守る方法が分からないんだ。良心であるはずの先生たちも一緒になって排他感情を煽ることがあるくらいだから。だからさ、僕らは恨まれても仕方ないんだよ」
「……そう思うんだったら」
哲矢は黙っていられずについ口を挟んでしまう。
「そんな学園辞めればいいじゃないか」
「そうだね」
翠は哲矢の顔を見ると再び自虐的に笑った。
そこには『どうしようもない』という諦めに似た感情が隠れているように哲矢には思えるのだった。




