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第327話 悲しみの果て

 十字路の広場から第三区画の方角へとのびる一本道を進んでしばらくすると、小粒の雨がぽつりぽつりと降り始める。

 先を進む将人の足取りに迷いはなく、やはり目的地はすでに把握している様子であった。

 

 何とか本降りになる前に決着をつけたい、と哲矢は思う。

 この先に一体何が待っているのか。

 将人以外の三人はもちろんそのことを知らない。


(あの場所に繋がるヒントを思い出したんだ、か……)


 とにかく、今は彼の後を追って前に進むだけであった。


 団地と団地の間に架かる古びた橋を小雨に打たれながら哲矢たちは渡る。

 その先へ一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の気温が一気に下がるような気がした。

 先ほどまでは辛うじて点在した街灯も、その橋を渡ってからは一切見当たらなくなってしまう。


「うっ……」


 怯えた様子でギュッと身を縮ませる花であったが、メイがその不安を取り払うように優しく声をかける。


「大丈夫よ。みんな一緒だから」


「う、うん……」


 花は懐中電灯の明かりを真っ直ぐ前に向けて、己の恐怖心と戦っているようであった。

 

(……確かに、不気味だよな……)


 声には出さなかったが、かくいう哲矢も内心ではおっかなびっくりとなっていた。

 男であってもそんな調子なのだ。

 それほど、この先に広がる闇には異質な空気が流れていた。


 だが、それもそのはずである。

 この辺りは、桜ヶ丘ニュータウンの初期に建設された団地が老朽化してそのまま残されていることが多く、少子化による小中学校の閉鎖なども重なり、今ではまったく人が住んでいないエリアが半分以上を占めていた。


 人気が感じられず不気味に思うのは、至極当然のことと言えた。

 所謂、ゴーストタウンの真っただ中を哲矢たちは歩いているのだ。


 手に握る小型の懐中電灯だけが頼りであったが、これも所詮百円均一で洋助が急遽買ってきた程度のもので、そのチープさが逆に恐怖を倍増させているような気がして、哲矢は思わず身を竦めてしまう。


 それにしても……と、哲矢は思う。


(将人は怖くないのか?)


 先陣を切って暗闇の中を進み続ける彼の背中は、怯えとは無縁のように哲矢には見えた。

 早く目的の場所へ辿り着きたいという欲求が何よりも勝っているのかもしれない。

 その姿はとても頼もしくあった。

 

 次第に将人の歩くスピードが緩やかになっていく。


 何か思い当たる情景にぶつかったのか。

 そのまま彼は歩みを止め、その場で立ち止まった。


 後を追っていた三人も彼と同じようにその場で立ち止まる。

 つい数時間前までは初夏の訪れを感じることができる穏やかな夜であったが、小雨が降り始めたことにより、哲矢は急に肌寒さを覚える。


 ふと隣りを覗けば、メイと花も似たような反応を示しており、早く事を済ませないと風邪を引く者が現れてもおかしくない状況だ。


「将人。ここは?」


 そんな意味合いが台詞の中に含まれていることに気づいたのだろう。


 将人はどこか弁解するように、「確かこの辺りなんだ。どこかに……」と短く呟くと、呼吸をするのも煩わしいといった様子で、無我夢中で懐中電灯の明かりをその場に振り回し始める。


 一体ここはどこなのか。

 哲矢も彼に倣って辺りに懐中電灯を向ける。

 すると、この場所の輪郭が徐々に形を持って浮かび上がってくる。


「……っ、商店街?」


「なによ……ここ……」


 メイが光を前方に向けると、よりはっきりとその全容が判明する。


 団地内の古びた商店街。

 その小さな広場の中心に哲矢たちは今立っていた。


 外観から察するに、もう長い間利用されていないことが窺える。

 店舗の看板は錆びれ、固く閉ざされたシャッターは数十年の単位で開けられていないことが分かる。


 たとえ、一角から幽霊が現れたとしても信じてしまいそうな趣があった。

 まさに廃墟と呼ぶに相応しい場所だ。


 女子二人はこの場所に薄気味悪さを感じているらしく、口には出さなかったが長居はしたくないという表情を浮かべていた。

 

 懐中電灯を光らせて辺りを歩き回る将人の背中を見ながら哲矢は思う。

 肝心のヒントとやらを探し出すのにはもう少し時間がかかるだろう、と。


「二人とも。こっちだ」


 小雨を避けるため、哲矢はメイと花を屋根付きの店舗の前まで呼び寄せる。

 そこから広場を歩き回る将人の様子を眺めながら、哲矢は花にこの場所へ来ることになった経緯を訊ねていた。


「えっと、将人君がね……」


 あの後、洋助の車に乗った花たちは、第三区画のちょうど真ん中辺りで降りたらしい。

 そこはまだ人々の生活臭が感じられるエリアで、麻唯と聖菜が暮らす団地もすぐ近くにあったのだという。


「最初はその辺りを中心に探してたの。けど……」


 結局、その周辺には将人のイメージする場所はなかったのだという。

 そこから北上するようにして第四区画の方角へと歩いて回ったようであったが、やはり彼の思い描く場所は見つからなかったようだ。


「……それで、もう中央公園に向かわないと集合時間に間に合わないって時間になってたから、急いで向かおうとしてたんだけどね。その途中で将人君が急に大声を出して。〝場所が分かるかもしれない〟って言ったの」


 どういう意味なのかと、花が訊ねても将人は答えなかったらしい。


「そのまま来た道と逆の方角へ将人君走り始めちゃって……。集合時間のことはもちろん気になったけど、このまま将人君を放っておくわけにはいかないって思って。私もすぐに後を追いかけたんだよ」


「つまり、その途中で入谷たちと出くわしたってことなんだな?」


「うん。だから、私もここになにがあるのか。聞かされてないんだよ。本当になに探してるんだろう? ヒントって言ってたけど……」


 哲矢と花は、一心不乱に懐中電灯を振り回して必死に何かを探している将人に目を向ける。

 その姿はどこか焦燥しているように哲矢には見えた。


 そんな哲矢の考えを見透かすように、花が将人の姿を目で追いながら小さく呟く。


「……なんとなくね。ここへ来るまでの将人君は、なにか目に見えないものに対して畏怖の念を抱きながら歩いてた気がするの」


「…………」


 なぜか、彼女が言わんとしていることが哲矢には理解できた。

 

 将人は誰かの影に怯えているのではないか、と。

 そのように哲矢の目には見えていた。


(ひょっとして、将人は……)


 そんなことを哲矢が考えていると――。


「見つけたぞ!!」


 突然、将人の大声が廃墟の商店街に響き渡る。

 哲矢たち三人はお互いに顔を見合わせ、すぐに彼の声がした方へと駆けつけた。

  

 小雨を手で避けながら哲矢たちが近くまで向かうと、将人はある店舗を指さして立っていた。


「ここだ」


 どうやらこの店の中に何かがあるということらしい。

 店舗の看板は取り外されており、ここが元々何の店であったのかは分からない。


 錆びたシャッターには、スプレーで何か下品な言葉やマークがイタズラ描きされており、よくよく見れば他の店舗のシャッターにも似たようなものが記されていた。

 もしかすると、この場所は不良たちにとっての溜まり場となっていたのかもしれない。


 ラクガキの劣化具合から推測するに、今はこの場所は溜まり場として使われていないのだろう、と哲矢は思う。

 誰からも忘れられた場所として刻々と時を刻み続けてきたことが窺える。


 何かやり場のない悲しみのようなものがこの空間を支配していた。

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