第316話 あの日に起きたこと その2
メイは校門で哲矢と別れた後、予定通り放送室へ向かったのだという。
だが、そこでメイも哲矢同様何者かに襲われたようで、意識を取り戻す頃には放送室の狭い小部屋の中にいたようだ。
体をロープで縛られ、近くには同じ恰好をさせられた翠と放送部女子二人の姿があったという話であった。
「隣りの副調整室にはイリヤの姿があったわ」
その言葉を耳にして、哲矢は夕方に車内で考えていたことが間違いではなかったことを悟る。
やはり、あの時、彩夏が放送室にいたのだ。
「アイツのイキり具合、半端なかったわ。脇腹とかめっちゃ蹴られたし」
「マジか」
「どーしたらあんな脳筋ゴリラが生まれるかぜひ知りたいわね」
メイは相当ご立腹だ。
入院するくらいの傷を負ったわけで、彼女が怒る理由も哲矢には理解できた。
けれど、メイが噛みついたのはそれまでだ。
すぐに表情を戻すと、一瞬だけ懐かしむような仕草を見せてからこう続ける。
「でも、その時……助けが来たの」
美羽子だ、と哲矢はすぐに思った。
「藤沢さんだな?」
「ええ」
ただ、彼女はすでに傷だらけの状態で倒れる寸前だったのだという。
放送室の前で見張りをしていた二宮と格闘した結果、そのような状態となってしまったらしい。
あの大男の中井を相手にした後、さらに血気盛んな高校生と一戦交えたのだ。
いくら美羽子が有段者であるとはいえ女性である。
成長期の男子と二度も対峙すれば、結果は目に見えていた。
「…………」
哲矢は拳を震わせながら思う。
(そんな状況だったのに……藤沢さんが俺を責めることはなかった)
昼過ぎに家庭裁判庁の前で再会した時の美羽子の言葉が甦ってくる。
〝私もあの時、自分がやるべきことをやっただけなの。だから、関内君が責任を感じる必要なんてないのよ〟
メイもこの場で哲矢を責めるようなことはしなかった。
奇しくも、美羽子と同じ言葉を唱えるだけだ。
「テツヤが責任を感じる必要なんてないわ」
それぞれがやるべきことをやった。
それは誰にも責められない。
メイはそう言おうとするように、哲矢に向けて優しく語りかける。
しかし――。
自身に対しては、メイは理解ある姿勢を取らなかった。
薄く下唇を噛むと、まるで己の未熟さと向き合うように小さく言葉を吐き出す。
「あれは私のせいでもあったんだから」
「え……」
それが自分に向けられた言葉ではないことは哲矢にもすぐに分かった。
だから、間抜けにそう聞き返しても、それ以上はメイに詰め寄ることはしなかった。
他人を責めることはしない。
だが、自分自身のことは責め立てる。
メイのその気持ちは哲矢にも痛いほど理解できた。
彼女の今の言葉は、哲矢が迂闊に足を踏み込んでもいい問題ではなかった。
メイの口から自然と続きが話されるのを哲矢は歩きながらただ待つ。
幹線道路に目を向ければ、行き交う数台の車のライトが目に入った。
どこかで虫の鳴き声が聞こえる。
上空は先ほどよりもさらに厚い雲が覆い始めていた。
雨も近いのかもしれない。
そんなことを考えながら哲矢が歩いていると……。
隣りに並ぶメイの足がぴたりと止まる。
彼女は今にも雨が降ってきそうな夜空に目を向けながら言葉を絞り出した。
「――結局、ミワコはその場に倒れてしまったの。私も頭を強く打って気を失いかけてた。もうダメだってそう思ったんだけど……気絶する直前に三つの揺らめく影が見えたの」
「影?」
メイは哲矢のその問いには答えず、横断歩道の信号機が青になるのを確認すると再び歩き始めた。
「目覚めた時、すべては終わった後だったわ。目の前には床に伏して倒れた男の姿とその場にロープで縛りつけられたイリヤの姿があった。その頃にはミワコも意識を取り戻してて、近くには笑顔を見せるミドリたちがいた。そこで私は聞いたの。私が気絶している間に起こったことのすべてを」
「なにがあったんだ?」
「さらに助けが来たのよ。ハシモトの仲間」
「えっ……」
「ミサキグチ、ツカハラ、シブサワ……。あの三人が私たちを助けた。おそらくハシモトの指示でね」
それはにわかに信じ難い話であった。
あの日、数時間ほど市庁舎で一緒の時を過ごしたとはいえ大貴は敵。
陥れようとしていた相手なのだ。
その彼が右腕とも呼べる仲間たちを使って、味方であるはずの彩夏一派からメイや美羽子たちを救った。
(いや、味方なんてもんじゃない。入谷は大貴たちグループの最右翼だったはずだ)
俯きながら歩く哲矢の思いを察したのか、メイが同調するように声をかけてくる。
「私もその話をミドリから聞かされた時は信じられなかったわ。だって、イリヤはグループのナンバー2だったはずでしょ? なんで私たちを助けたのか。三人はその理由を最後まで話すことなく去ったみたい。不思議って言うか……不自然よね」
「ああ、そうだな……」
確かにメイの言う通り、彼らの取った行動――つまり、大貴の指示は不自然であったが、そう思うと同時に哲矢はどこか納得もしていた。
(……そこまでグループは内部で対立してたんだ)
けれども、そうだとすると矛盾が生じることとなる。
夕方に洋助が車内で口にした言葉が哲矢の頭の中に甦ってくる。
〝だけど警察は、彼らは橋本君に無理やり命令されたって、そう判断したみたいなんだよ〟
大貴はそれを認めた。
だが、もちろんそれはあり得ないことを哲矢は知っていた。
(放送室と教室に入谷や神武寺たちを向かわせたのは大貴じゃない。社家なんだ)
にもかかわらず、大貴はあたかも自分が命令したかのように警察に嘘を吐いた。
謂れのない罪を被ったのだ。
哲矢は改めて大貴の取った行動の不可解さについて考える。
なぜ、彼はそんなことをする必要があったのか。
グループのリーダーとして不祥事の責任を取ったのか。
はたまた、何かよからぬ計画の布石があるのか。
けれど……。
そう無理やり考えてもどれもしっくりとこない。
(お前の勝ちだ、か……)
結局、この場でも答えは出ずに、話はそこで終わってしまった。




