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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第2部・少年調査官編 4月7日(日)
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第31話 真新しい日曜日

 カーテンの隙間から差し込む眩しい光が哲矢を眠りから覚ます。


 随分と深く眠りに落ちていたような気がする。

 そのせいか頭は随分すっきりとしていた。


「ふぁ~~」


 寝巻きのままダイニングへと顔を出す。

 誰もいない。

 テーブルには食事と一緒にメモと鍵と新札の五千円札が置かれていた。


「あっ! これ新しいやつじゃん!」


 哲矢は真っ先に五千円札に手を伸ばす。

 

 今月刷新された新紙幣だ。

 津田梅子が表面にプリントされたそれはどこか新時代を連想させるデザインをしていた。

 そのままメモにも目が留まる。


「……なんだ?」


 ひとまず手にして哲矢はそれを読んでみる。

 

 『哲矢君へ。おはようございます。僕と美羽子君とマーローは今日一日宿舎へは戻りません。美羽子君は一度自宅のマンションへと帰っています。僕はマーローを連れて庁舎に残って仕事をしているのでなにかあった場合はスマホに連絡をください』


 『あと昨夜の話の続きですが、引き続き宝野学園でお世話になる段取りを組んでおきました。哲矢君の地元の教育委員会にも連絡済みです。もちろん、上司にはこの件を報告し、許可を取っているので安心してください。あとはそちらでご家族への連絡だけよろしくお願いします』


 『お金を置いておきました。今日一日の二人分の食費です。宿舎の鍵も二つ置いておきます。外出する際は戸締りをしっかりしてください。帰宅はあまり遅くならないように。メイ君と仲良くね。では良い休日を。 風祭洋助』


 なんともありがたい話であった。

 本当に洋助には頭が上がらないな、と哲矢は思う。


 たった半日で手回しを終えたのだ。

 これもすべて洋助だから為せた業なのかもしれない。


(あとでもう一度お礼を言わないと)


 そう思いながら哲矢は改めて気になる箇所に目を落とす。


「美羽子君は一度自宅のマンションへと帰っています……か」


 彼女とは気まずい雰囲気のまま別れて以来顔を合わせていない。

 昨夜、宿舎へ戻っても、美羽子の姿は見当たらなかった。


 そのうち帰ってくるだろうと思い、自室のベッドで横になって待っているうちにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 それで先ほど目覚めたという次第である。


(藤沢さんとは後できちんと話をしないとだな……)


 少しだけ気分が重くなる。

 気を紛らわせるために隣り部屋のリビングに掛けられた時計になんとなく目を向ければ時刻は12時過ぎを指していた。


「げっ……マジかよ」


 これだけ遅い時間に起きるのは日曜日も比較的規則正しい生活を送る哲矢にとっては珍しいことであった。

 

 テーブルに再び目をやる。

 食事は一人分しか置かれていない。

 ということは……。


 ガチャン。


 玄関のドアが開く音が遠くで響く。

 やがて、スタスタスタ……という静かに歩くスリッパの音が聞こえ、リビングにジャージ姿のメイが姿を現した。


「あっやっと起きた」


「おはよう。ちょっと寝過ぎたみたいだ」


「ほんと気楽な身分よね」


 そう口にする彼女の首にはタオルが巻かれている。

 ブロンドの髪は少し濡れ、顔は若干汗ばんでいた。

 おそらく、ジョギングでもしてきたのだろう。


「朝が弱いくせに休日は早いんだな」


「朝? もう昼過ぎじゃない。こんな時間起きていて当然でしょ」


「まあそれもそうか……。ははっ、悪りぃ」


「ヨウスケも随分前に宿舎を出たわよ」


 メイが訝しそうな顔を向けてくる。


 どうやら少し寝ぼけているらしい。

 顔でも洗ってこようと思い、ダイニングから出て行こうとする哲矢であったが、寸前のところで彼女に呼び止められてしまう。


「そうだ。今日はハナに会いに行きましょう」


「ハナ? ああ……川崎さんのことか。けどどうして?」


「ヨウスケから聞いたわ。ハナはマサトと特に仲が良かったそうよ。彼女に聞けば何か事件について分かるかもしれないじゃない?」


「なるほど……そういうことか」


 哲矢は、昨日花と喫茶店で会っていたことをメイに伝えていなかったことを思い出す。

 さすがに『将人についての話はそこで聞いたからそれは時間の無駄だ』とは言えなかった。


 それに、昨日は途中で話を切り上げて帰ってしまったのだ。

 まだ何かしらの情報を得ることができるかもしれない。

 どの道彼女には謝らなければならないのだから、と哲矢は思う。

 

(……でもあれ? 二人ってそんなに親しかったか?)


 その時、ふとそんな疑問が哲矢の脳裏を過る。

 彼女たちがまともに会話している場面を哲矢はこれまで見たことがなかった。


 ただ、メイが会いに行くと言うのだからそれなりに何か当てがあるのだろう、と哲矢は思った。

 特にこれといった休日の予定はないのだ。

 メイのその提案を断る理由は存在しない。

 

「分かった。じゃすぐに洗面所で顔洗ってくるから、ちょっと待っ……」


「ダメっ! 私が先にバスルーム使うんだから。さっき走ってきてびしょびしょなのよ」


「いや、だけどそっちは2階だろ? 別々なんだから全然かまわないじゃないか」


「顔洗うだけならそこのキッチンで十分でしょ? ってかここから出ないで」


「ちぇ……なんだよ」


「それとちゃっちゃと昼食も済ませておきなさいよ。早く出発したいから」


「へいへい」


「階段の半径20メートル以内に足を踏み入れた場合は即刻殺すから」


「どんな豪邸で暮らしているつもりだ! 余裕でここまで含まれるぞ」


「とにかく絶対に2階へは近づかないこと」


「そんな何回も言わなくても分かったよ。早く行ってこい」


 相当警戒されているらしい。

 だが、昨日までは普通に暮らしていたわけで、どうして今日になってそんなに警戒されるのかは分からなかったが、特に逆らう理由もなかったので哲矢はその場で大人しくしていることにした。


 メイが足早にリビングから出て行くのを見届けると、哲矢は彼女に言われた通り昼食に手をつけることにする。

 皿をトレイに載せ、温めるためにレンジまで運ぼうとするが、その初めて目にする食べ物に哲矢は一瞬動きを止めてしまう。


「ん? なんだこれ……」


「エッグベネディクトっていうのよ」


「うわっ!?」


 リビングのドアから顔を覗かせたメイがぼそっと口にした。


「まだ行ってなかったのかよ!?」


「説明するのを忘れてたから」


「説明っ?」


「それ、私が作ったの」


「は?」


 疑いの眼差しでトレイの上に載った食事に目を落としていると、彼女が睨み返してくる。


「なに?」


「い、いや……。料理を作っているところを見たことがなかったからさ。ちょっと驚いて」


「料理くらいできるわ」


「へえ……」


 なんとも意外な一面を知った気分となる。


(メイは料理ができるのか)


 だが……と、ふと哲矢は思う。


 それは本当に意外なことなのだろうか。

 ただ単にメイのプライベートな面を知らないだけなのではないか。


 そう考えると、彼女についてほとんど何も知らないことに哲矢は気づく。

 分かっていることといえば、名前や出身地くらいなものだ。


 今までどういう人生を送ってきて、何を考えて生きてきたのか。

 彼女について知っていることはほとんどない。


(……いや、知らなくて当然じゃないか。会ってまだ一週間も経ってないんだ。時間はまだある。これからメイについて知っていけばいい)


 少なくとも料理ができるのだということは知れた。

 今はそれだけで十分だった。


「エッグベネディクトをレンジで温めるのならやり過ぎには注意して。中の黄身が爆発するかもしれないから」


「おっ、そうなのか。サンキュー」


「30秒くらいが丁度いいわ。それじゃ、シャワー浴びてくるから」


「おう」


 トレイに載った皿に一度目を向けて顔を引っ込めると、今度こそメイは2階へと上がって行ったようであった。




 ◇




 その後、哲矢はレンジで物を温め、ダイニングのテーブルで昼食を取る。

 エッグベネディクトはとても美味しかった。


「うまいぞこれ」


 手間も相当かかっていることが窺える。

 どうやら料理ができるというのは本当らしい。


「ふぅ~。ごちそうさまぁー」


 一緒に用意されたベーコンのサラダも胃の中に流し込むと、哲矢は急いで食器を洗う。

 もたもたしてるとまた何を言われるか分かったものではない。

 

 すぐに自室へと戻り、寝間着から私服へと着替える。

 そうしているうちに哲矢はメモに書かれた内容を思い出していた。


(そうだ! 親に連絡しないと……)


 哲矢はスマートフォンを取り出し、自宅へ電話を鳴らす。

 電話口に出た母親に用件を伝えると、哲矢はあっさりと延期の承諾を得るのだった。


『これも社会勉強だと思ってしっかり経験してきなさいね』


「うん……」


 それから少しこちらの状況を伝えると、今店が忙しいとの理由ですぐに電話を切られてしまう。


(特に問題なく済んだな。まあいつものことなんだけど……)


 哲矢の両親は夫婦で中華料理屋を営んでいる。

 二人は結婚と同時に店を始めたらしい。


 これまで哲矢は生活のことで苦労した記憶がなかった。

 けれど、実際は様々な問題が両親の前には立ちはだかっていたに違いない、と哲矢は思っていた。


 口に出したことは一度もないが、哲矢はそんな両親に対してとても感謝していた。

 

 ただ決して甘やかされることもなかった。

 自分のことは自分で責任を持てというのが両親のスタンスである。

 だから、哲矢が高校に上がって自宅に友人を一切連れてこなくなっても、両親がそのことで何か訊ねてくるようなことはなかった。


 別に親子の仲が悪いというわけではない。

 少しだけサバサバしているだけだ。

 だが、哲矢にとってはそんな関係はとても楽であった。


 おそらく高校を卒業したらすぐに家を追い出されることだろう、と哲矢は思う。

 自立を促されるはずだ。

 彼らがそうして生きてきたように。


 そのためにも卒業までに自分の生き方というものを確立しておく必要が哲矢にはあった。

 けれど、高三になっても哲矢は未だに進路を決めかねていた。


(残り3日でなにか変わるんだろうか)


 若干の期待と少しの不安。

 そんなものを抱えながら、哲矢はこの地で新たな日々と向き合う覚悟を決めるのであった。

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