第308話 口論の先にある感情
その時――。
前方で何か口論するような声が聞こえてくる。
哲矢が前に目を向けると、団地と団地の間に架かる歩道橋の上でメイが何やら声を荒げているのが見えた。
「花っ!」
「う……うんっ!」
哲矢は花と一緒に全速力でメイの元へ駆けつける。
「――いつまで闇雲に歩き回ってつもり!? もう30分近くただこうして目的もなく歩いてるだけじゃない!」
静寂に包まれた夜のニュータウンにメイの甲高い声が響き渡っていた。
どうやら、また一方的にメイが将人に突っかかっているようだ。
その声は鋭く、先ほどよりも彼女が苛立っているのは明らかであった。
分かり合えたと思っていた将人が見知らぬ世界に片足を突っ込んでいることに歯痒さを抱いているような、そんな動揺がメイにはあった。
けれど、彼女がいくらそう声高に叫んだところで将人の足が止まる気配はない。
後ろを振り返ろうともせず、ただ無言で先を進み続けている。
ただ、それは言うべきことはすでに言ったという傲慢に満ちた態度というよりも、一心不乱に探索しているがゆえ、言葉を返している余裕がないといった態度であるように哲矢には見えた。
哲矢としてもそれが分かったからこそ、再びメイの言葉を遮る。
「やめろって、メイっ」
彼女の肩に手をかけて一度振り向かせる。
「……っ、なにすんのよ!」
「さっきも言っただろ。将人の記憶が戻るチャンスかもしれないんだ。もうしばらく様子を見ないと……」
「あんたね。そんなこと言うけど、こんな調子で歩き続けてたらすぐに夜が明けてしまうわ! アイツ、場所も分かってないで歩いてるのよっ?」
「確かにそうだけど……」
「それにマサトはまだ審判前の身でしょ? 一時的な外出の許可を得て、病院で暴れて、夜のニュータウンを徘徊してたなんて、裁判官に知られたらどうなると思う? それこそアイツのためにならないでしょ、こんな幼稚なお遊びに付き合うなんて……」
「ちょっと落ち着け、お前、さっきから言ってることが――」
そこまで口にして哲矢はハッと言葉を飲み込む。
メイの瞳に薄い涙の膜が浮かんでいるのが分かったのだ。
そして、その時になって初めて、哲矢は彼女に対して思い違いをしていたのではないかという可能性に気がつく。
探索の続行にメイが反対していたのは、自分の都合によるものではなかったのだ。
(……っ、将人の身を案じてるんだ……)
おそらく、メイが最初に彼の提案に賛成したのは、行きたい場所が一ヶ所だけですぐに見つかると思っていたからなのだろう、と哲矢は思った。
だが、将人はその場所を覚えていなかった。
メイが態度を急変させたのはこのことを知ってからだ。
闇雲に探し続けても将人にとって良い結果に結びつかない。
最悪、自らの首を絞めかねないことに気づいていたからこそ、メイは反対を続けていたのである。
「…………」
それが分かると、哲矢はそれ以上メイの言葉を遮ることができなくなっていた。
哲矢が肩から手を離すと、彼女はそっと顔を背ける。
悲痛な沈黙が二人の間に降り立った。
すると、そんな状況を見かねたのか。
花が間に割って入ってくる。
「哲矢君、もう少し詰めて訊いてみよ? メイちゃんの言う通り、このまま歩き続けてたら夜が明けちゃう。あと30分で探せるわけがないよ。将人君が探そうとしているものがどこにあるのか。もっと詳しく訊く必要があるって思う」
「……そう、だな」
「…………」
メイは花のその言葉を受けて黙り込んでいた。
けれど、一瞬。
ブロンドの長い髪が夜風にふわりと舞って、その隙間から彼女の表情が覗けた。
それを目にして哲矢の決意は固まった。
「……ここで待っててくれ」
そう一言だけ残すと、哲矢は先を進む将人の元へ駆け足で向かう。
一心不乱に懐中電灯の明かりを振り続けて歩く将人の肩を思いっきり掴むと、彼は驚いたように体を振り向かせた。
「――ッおい、なんだっ!?」
「将人、話がある」
「話っ?」
病室を出て以来、初めて興奮したような声を将人は上げる。
哲矢はできるだけ冷静に言葉を続けた。
「お前が探してる忘れものがこのニュータウンのどこかにあることは分かった。今それを探さなければならないことも分かってる。けど……それがなんなのかも分からなくちゃ、俺たちがついて来てる意味はないんじゃないか? 具体的にそれはどんなものなんだ?」
「…………」
先ほどの花と同じ質問に今度は明らかに無視を決め込むようにして背を向けると、彼は再び無言のまま歩き始めてしまう。
それでも哲矢は諦めずに食い下がった。
将人の背中に目がけて語気を強めながら続ける。
「そもそも、なんで場所が分からないんだ? 一体なんのために今それをする必要がある? こっちは疑問だらけなんだ。いい加減答えてくれ」
「…………」
依然として無視を決めながら歩き続ける将人は、そのまま街灯もほとんどないマンションの内に設置された小さな公園の中へと入っていく。
すかさず哲矢もその後を追った。




