第295話 祭りのあと
やがて、時刻が19時半を回ると、慰労会は惜しまれつつもフィナーレを迎えることとなった。
翠がステージへと上がり、最後の挨拶を口にする。
『――今日は集まってくださって、本当にありがとうございました! 最後は一本締めで締めたいと思います! それでは……皆さん、お手を拝借っ! いよ~おぉっ!』
パパパン、パパパン、パパパン、パンッ!
翠のその合図を契機に夜の公園に仲間の手打ちが盛大に響き渡る。
『以上となります! 皆さん、気をつけてお帰りくださいっ~!』
皆の拍手に包まれ、慰労会はお開きとなる。
正直、哲矢としては去りがたいという気持ちが大きかった。
場の雰囲気を一度壊してしまった自分がそう感じる資格はないと思う哲矢であったが、それでもそれが率直な思いであった。
「私たちは最後まで残って片づけをするわよ」
「そだね♪」
いつの間にか、哲矢とメイの近くに来ていた花が一緒に頷く。
おそらく、二人は朝から今日の準備を進めてくれていたのだろう、と哲矢は思う。
もちろん、これを断る理由は哲矢の中には存在しなかった。
それから哲矢たちは、来場してくれた仲間一人一人を見送ることになった。
まずは、クラスメイトの数人と書道部の面々に声をかける。
一人一人に参加してくれた恩を哲矢はきちんと伝えた。
彼らと話しているうちに、哲矢は後ろから一兵に声をかけられる。
「吾輩もそろそろ失礼する」
「あっ……稲村ヶ崎……」
一兵に対しては何か色々と言わなければならない言葉があると思いながらも、結局、哲矢はそれを口にするタイミングを見失ってしまう。
「……今日はわざわざありがとな」
「ふむ。たまにはこういうのも悪くない」
いつもの調子で素っ気なくそう口にした一兵は、それから暫しの間、無言でその場に立ち尽くしていた。
ギターケースを何度か持ち直し、哲矢の前から離れようとしない。
何か言いたげな様子であった。
「ん? どした?」
「……いや」
一兵はそのまま哲矢を一瞥すると、「お前、元気でな」と小さく残して一人だけ別の方角へと向かい、公園から出て行ってしまう。
そのどこからしくない彼の言葉に引っかかりを覚えつつも、哲矢は次に挨拶へとやって来た翠たちに気を取られ、どのような意図があっての発言であったのか考えるのを後回しにしてしまうのであった。
「関内君っ、今日はほんとーに楽しかったよ! 関内君のおかげだね♪」
「私たちも……」
「……とても楽しめました」
翠と放送部の女子二人が礼儀正しく頭を下げてくる。
「いや、俺はなにもしてないよ」
「そう。確かにテツヤはなにもしてないわ」
クラスメイトと書道部の仲間たちを見送り終えたのか、メイが花と一緒に戻ってくる。
「ミドリに司会をお願いして本当によかった。あなたがいなかったら、ここまで盛り上がってなかったと思う」
「私も驚いちゃいました。追浜君がこんなに司会進行が上手なんて」
「へへ、ありがとっ。なんか僕、こういうの好きみたい」
「すごく……」
「……様になってました」
野庭と小菅ヶ谷が続けてそう口にすると、翠は嬉しそうに頭を掻いた。
そして、翠は哲矢の方へ向き直ると、フォローするようにこう声をかけてくる。
「ちゃんと言えてなかったから改めて言うね? 関内君、本当にお疲れさまでした。この数日間、色々と大変だったでしょ?」
「べつに刑務所に入れられてたってわけじゃないから。確かに色々あったけど……酷い目に遭ったとか、そういうのはなかったよ。それより……」
その一瞬、哲矢は将人の姿を探した。
彼は少し離れた場所で洋助と美羽子に囲まれ、何やら話し込んでいるようであった。
将人がこちらに気づいていないことを確認すると、哲矢は少し声のトーンを落として翠に続ける。
「さっきは、その……悪かった」
「えっ?」
「助け船を出してくれただろ? 俺……なんていうか、頑固なところがあるからさ。ああいう風に言ってもらって助かったよ。本当にありがとう」
「関内君……」
「でも、笑っちゃうよな。自分から握手もできないなんて。どんだけ幼稚なんだって感じだろ? はははっ」
そう自虐的に口にすると、哲矢はわざとらしく笑顔を作ってみせる。
自らの未熟さを一緒に笑い飛ばしてほしい。
そうした期待が少なからずあったのかもしれない。
だが――。
「幼稚なんて……そんなわけないよ。だって、関内君。あの時、僕を助けてくれたじゃないか」
「……っ」
「お礼を言いたいのはむしろこっちだよ。僕は本当に感謝してるんだ」
「…………」
「さっきも言ったけど、関内君が率先して生田君のために必死で行動してたから、僕らも協力したいって思えたんだ。みんな関内君の本当の気持ち分かってるよ。だから……そんな風に自分を責めないでほしい」
今日のおどけた翠が嘘のように、彼は真剣な口調でそう口にする。
奇しくもその言葉尻は、先ほどメイに言われた言葉と同じであった。
〝自分を責めないでほしい〟
彼らのそんな思いが哲矢の心をゆっくりと溶かしていく。
目の前には、スッと差し出された翠の手があった。
「……そうだな。分かったよ」
哲矢はそう強く頷くと、今度こそ迷いなく相手の手をしっかりと握り締める。
その光景をメイも花も微笑みながら優しく見守っているのであった。
それから自分たちも片づけのために最後まで残ると口にする翠たちをしばらく説得し、ようやく三人はこの場から去る決意を固めたようであった。
「なんか、悪いな」
「いいのよ。今回は私らが企画したことだし、あなたたちはあくまでもゲスト。司会を受けてくれただけで大助かりだったんだから」
「メイちゃんの言う通りですよ。参加してくれてとっーても嬉しかったです♪ 今日は色々と疲れたと思うので、皆さんゆっくり休んでください」
「ありがとう二人とも。それじゃ、お言葉に甘えて僕らは先に帰らせてもらうよ。今日は本当に楽しかった」
三人は揃って折り目正しいお辞儀をすると、そのまま公園から出て行こうとする。
だが、翠は一瞬だけ振り返って……。
「川崎さん! 明後日、また学園でっ!」
「はい!」
「関内君と高島さんも絶対また会おうね~!」
「ええ、その時を楽しみにしてるわ」
笑顔でそうさらっと答えるメイの言葉を耳にして哲矢はハッとする。
何かがざらりと胸を撫でるのが分かった。
けれど――。
「あっ……」
その正体が何であるか哲矢が気づく前に、翠は大きく手を振って野庭と小菅ヶ谷と一緒に暗闇の中へ消えてしまう。
哲矢は、三人のその背中が完全に見えなくなるまでただ茫然とその背中を目で追うのだった。




