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桜色の街で ~ニュータウン漂流記~  作者: サイダーボウイ
第1部・桜色の街編 4月6日(土)
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第29話 本音を口にした夜

 外へ出ると夜風がやけに肌寒く感じられた。

 どうやら上着を羽織ってきて正解だったようだ。


 宿舎から真っ直ぐに伸びる街灯に照らされた歩道を歩く。

 夜間は車の通りがめっきり減る補助幹線道路を横切り、モノレールの支柱を視界に収めながら進んでいく。


 宿舎を出てから5分もかからないうちに例の整備された小さな公園へと哲矢は辿り着いた。

 

 月明かりの下。

 ベンチに誰かが座っていた。

 

 近づくにつれ、そのシュルエットがメイであることが判明してくる。

 彼女の足元には二匹の猫の姿が見えた。

 メイはまだこちらの存在に気づいていないようだ。

 

「……やっぱりここか」


 その声に反応するようにメイが顔を振り向かせてくる。

 今日は弦月だからだろうか。

 月の光に照らされた彼女の表情はどこか幻妖的に見えた。


「さっき、ヨウスケが来たわ」


「ああ。知ってるよ」


 案の定、洋助はこちらに一度顔を出していたようだ。

 やはり彼は周りの状況をしっかりと見てくれている、と哲矢は思った。


「風祭さんにも言われたと思うけど、そろそろ出歩いちゃいけない時間になるから帰るぞ」


「日本って安全な国なんでしょ? 夜は自由に出歩けるって聞いたわ」


「それは大人の話だよ。俺ら学生は夜遅くは外に出ちゃいけないんだ」


「なによ。それならカリフォルニアと大して変わらないじゃない」


「そりゃどこの国だって同じさ」


「テツヤはそれでつまらなくないの?」


「えっ……」


 その瞬間、哲矢はハッとする。


 彼女はさも当たり前のように哲矢のことを名前で呼んだ。

 なぜだろうか。

 胸の奥がじんと熱くなるのが哲矢には分かった。

 

「お、おほんっ!」


 哲矢は咳払いを一つして誤魔化す。

 幸いなことにメイはこちらの動揺に気づいていない様子であった。


「確かに夜に出歩いてみたいって思うこともあるけど……」


「だったら、もう少しここに居たっていいじゃない。別に逮捕されて刑務所へ入れられるってわけじゃないんでしょ?」


「まぁ、そうなんだが……」


 途端に真面目に説得している自分がバカらしく思え、哲矢は並んでいるもう一つのベンチに腰をかけた。

 これといってメイは嫌がる仕草を見せない。

 二匹の猫は撫でられることが気持ちいいのか、メイに手を当てられたまま眠たそうな目をとろんとさせていた。


 それからしばらく、心地の良い静寂が二人を包み込む。

 哲矢は夜の空気をゆっくりと吸い込み、月を見上げた。

 気持ちのいい春の夜だった。


 風が吹くと公園に咲いている桜もそれに合わせて音を立てた。

 こうして緩やかな時間に身を委ねていると、より自然体の自分でいられることに哲矢は気づく。


「そうだ。春なんだし花見でもやらないか?」


「花見?」


「Cherry blossom viewing party.分かるだろ?」

 

「はぁ……?」


 メイは微妙な声を上げる。


(多分伝わってないな……)


 日本の花見の素晴らしさを知らないなんて勿体ない、と哲矢は思った。

 少しだけムキになりながら哲矢は彼女を誘う。


「今度やろう!」


「今度……」


 メイはその言葉の意味を噛み締めるように呟くと再び黙り込んでしまう。

 二匹の猫の体を器用に撫で続けているだけだ。

 その仕草は、誰かの温もりを追い求め続けているように哲矢には見えた。 


 まだメイとは完全に打ち解けられていない。

 ぎこちなさが依然として存在する。

 それはお互いに心を開き切っていないからだろう、と哲矢は思った。


 けれど、たった数日ですべての思いを打ち明けて理解し合うことなんてまず不可能だ。

 哲矢はそんな風に感情をオープンにして生きてこなかった。


 メイにしてもそれは同じだろう。

 だから、彼女と似た何かを感じることができたのだ。


 二人には共にいられる時間が限られている。

 その限られた時間の中で答えを導き出すと、哲矢はさっき洋助と約束をしてしまった。


 ならば、少しでも前へ進むために、すべてを打ち明けることは無理でもできることはあるのではないか、と哲矢は考える。


 過去の自分。

 それは今の哲矢の人格を形成する上でとても大きなウエイトを占めていた。


 彼女との関係が前進するのなら……。

 言葉は考えるよりも早く、溢れるようにして口から突いて出ていた。


「中学の時さ。親友を亡くしたんだ」


「……急にどうしたの?」


「自殺だった」


「…………」


 メイは猫を撫でる手を止めた。

 口調がいつもと違うことに気づいたのか、彼女は真剣な表情で哲矢を見つめ返した。


 夜風が二人の間を通り抜ける。

 この話を誰かに話すのは生まれて初めてのことだった。

 坊主頭の男子生徒の顔が一瞬、哲矢の脳裏に浮かぶ。


(大丈夫だ。きっと受け入れてくれる)


 哲矢は拳を強く握り締めると、勇気を振り絞って話を続けた。

 

「俺はさ。アイツがなにかに悩んでいたなんてこれっぽっちも思っていなかったんだ」


 哲矢はその親友のことを〝アイツ〟と呼んだ。

 名前を口にすることで、もっともらしく彼を語ることを恐れたのだ。

 それは彼に対する侮辱だ、と哲矢は考えていた。


「中学に入って初めてできた友達だった。席が近くて授業中にこっそりと一緒に早弁したのがきっかけだったんだ。それから二人で馬鹿するようになって……。色々あったよ。その頃はすごく楽しかった」


 メイは耳を傾けてくれているようだ。

 哲矢はなるべく遠くの景色を見つめながら話を続けた。


「アイツから悩みを聞いたこともなかったし、そういう素振りを見せることもなかったからさ。俺はその報せを聞いた時、なにかの間違いだと思ったんだ」


「だって、自殺する前日も一緒になってふざけ合っていたんだぜ? 俺はアイツのことを一番の親友だと思っていた。だけど……。実際、俺はアイツのことをなにも見ていなかったんだ」


「…………」


 メイは相槌を打つこともなく、ただ黙って公園の芝生に目を落とす。


 突然、こんな話をされて怒っているのかもしれない。

 だが、哲矢には止めることができなかった。

 彼女にどうしても知っておいてほしかったのだ。


 この話を聞いてどう思うか。

 後のことはメイの判断に委ねることにした。


「SOSのサインだってちゃんと発信されていたはずなんだ。でも、俺はまったくそのことに気づけなくて……。結局、アイツは命を絶った。遺書は無かったっていう話だ。思い当たる節も……」


「……いや。一度だけアイツの口から『家族との仲が上手くいっていない』って話を聞いたことはあったんだ。でも、俺はそれを大したことだとは考えていなかった。アイツも笑いながら話していたし、そういうのってよくあることだろ? 俺はそうした小さなサインの積み重ねをことごとく見逃してきたんだ」


「アイツが死んでから気づいたよ。俺には友達を作る資格がなかったんだって。作ってはいけない人間なんだって。それが分かったから、高校に入ってからは他人との接し方を変えたよ。距離を置くようにしたんだ」


「一線を引いてそれ以上はこちらから踏み込まないし踏み込ませない。プライベートで交流を持ったりすることはなるべく避けて学校だけの関係で完結させた。部活にも入らなかった」


「そうして自宅と学校を行き来するだけの毎日を繰り返していくうちに、アイツとの思い出も徐々に忘れていった。罪悪感がスッと消えていくのが分かったんだ。この先も一人で居続ければきっと他人に迷惑をかけることもない」


「その考え方は俺の人生の指標となった。気持ちが楽になったよ。これが俺に向いている生き方なんだって、そう思うようになったんだ」


 哲矢はそこで一度話を区切ると、周囲の音に耳を澄ませた。

 辺りは様々な雑音で溢れていることに気づく。


 モノレールが通過する音。

 信号機の点滅音。

 遠くを歩く人の話し声。

 車のウインカー音。

 植え込みが風に揺れる音。

 

 そのどれもがこの場所に必要不可欠な要素であるような気がした。

 それらがなければ、哲矢の感情は今にもバラバラに千切れてしまいそうであった。


 メイの視線を感じる。

 しかし、今の哲矢にはそれを真っ直ぐに受け止められるだけの余裕がなかった。

 

 本当は手足が震えそうなのだ。

 過去を赤裸々に語ることへの恐怖心が哲矢を徐々に蝕んでいく。


(しっつかりしろ! 向き合うって決めたのなら最後まで話さないと……)


 なんとか自身を奮い立たせると、哲矢は続く言葉を紡ぎ出すのだった。

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