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第280話 あの日から今日まで

 あれから3日の月日が流れた。


「…………」


 ブルーのイングレッサG4が車体を夕日に光らせて走行している。

 後方には、巨大な家庭裁判庁の外観が見えた。


 哲矢は、後部席のシートに凭れ、窓から差し込む橙色の光に目を細める。

 体は疲れているはずなのに心は自然と軽いから不思議だ。

 運転席には洋助の背中があった。


「久しぶりに吸う外の空気は気持ちいいでしょ?」


「はい。新鮮です」


「本当に頑張ったね。今日はゆっくり休むといいよ」


 バックミラー越しに洋助の優しい顔を覗きながら、哲矢は再び窓から流れる景色へと目を移す。

 桜の木は葉が目立つようになり、所々に初夏の訪れが感じられた。


(そういえば、あの日も……)


 車内から流れる景色に目を奪われていると、ふとデジャヴが甦ってくる。

 一つ息を吐くと、哲矢はシートに身を沈めて目を瞑った。


 あの立会演説会の幕切れから今日までの間に何が起きたのか。

 そこから哲矢は短い回想を始めるのだった。






―――――――――――――――





 

 スーツ姿の身辺警護に気絶させられてから哲矢が意識を取り戻すと、そこはパトカーの後部席であった。

 手に違和感があり目を落とすと、そこにはドラマなどでよく目にする銀の手錠がされていた。

 

 エンブレムを肩に付けた紺色の制服姿の警察官に両脇を固められている。


「…………」


 警察に捕まったことに対しては特に驚きを感じなかったが、他の者たちがあの後どうなったかについては、哲矢はすぐ気になった。

 だが、威圧的な雰囲気が漂う車内で言葉を発するような余裕はなく、結局、哲矢は大人しく流れに身を任せていた。


 しばらくすると、パトカーは桜ヶ丘中央警察署の前に到着し、哲矢は付き添いの警察官に乱暴に促されるがまま降車させられる。

 外に足を踏みつけると、すぐに目に飛び込んできたのはオレンジ色の眩い光であった。


 車内では特に意識していなかったが、時刻はすでに夕方になっていることを哲矢はこの時になってから気づく。

 それは立会演説会から少なくとも数時間が経過していることを示していた。


「おい。さっさと歩け」


 体格のいい若い男の警察官に催促され、玄関へと通じる短い階段を哲矢はゆっくり登り始める。

 すると――。


(あれは……)


 後続のパトカーから降りてくる制服姿の集団を哲矢は目撃する。

 どれも見知った顔であった。


 太々しく歩く彩夏を先頭に続いて顔を出したのは、警察官に激しく抵抗する華音と意気消沈気味の二宮と寒川、目を伏せて無言で従う中井であった。

 だが、その中には肝心の大貴の姿は見当たらなかった。


 何か声を上げる間もなく、哲矢はそのまま署内のロビーを通過し、無機質な一室へと通される。

 その入口には【取調室】と仰々しいプレートが掲げられていた。


 中には肌を真っ黒に日焼けさせた強面の取調官が年期の入ったパイプ椅子に腰をかけており、向かいの椅子に腰縄を打たれた状態で哲矢が座ると、敵意を剥き出しにしながらこう怒鳴り散らしてくる。


「貴様がぁ!? 有ること無いこと吹聴して回ってるガキきゃぁ!!」


 出会い頭からなぜそんな言われ方をしなければならないのか哲矢は不思議でならなかったが、取調官の話を聞き進めているうちに、どうやら警察は一度結論づけた事件を掘り起こされているのが気に入らないらしい、ということが分かってくる。


 山北かもしくは他の教師が体育館での発言を詳細に報告したのだろう、と哲矢は思った。


 男の物言いからは、哲矢が少年調査官としてこの街へやって来たという背景は一切排除されていた。

 制度のことを彼らが快く思っていないことが伝わってくる。


「建造物侵入罪、市長への暴行を働いた傷害罪! ただで済むと思うな、このクソ坊主ッ!!」


 まさに鬼の首を取ったように荒々しい言葉を並べる意趣返しの意味を含んだ取調官によるその尋問は、それから数時間にも及んだ。

 

 ようやく怒号の渦から哲矢が解放されたのも束の間、次に待っていたのは写真撮影と指紋の採取であった。

 まるで、ドラマのワンシーンでも眺めているかのような感覚だった。

 現実を上手く飲み込むことができないのだ。


 それから補助官の指示に従い、腰縄を引かれながら哲矢は再び署内を移動する。

「これからお前を留置場へ連れていく」


 階段を登って2階へと上がり、補助官の男に言われて哲矢が連れて来られたのは、じめっとした空気が支配する分厚い鉄の扉の前であった。


 ブブッ――。


 腰縄をしっかりと掴んだ補助官が扉にあるブザーを鳴らすと、小窓から留置管理官が顔を覗かせる。


「少年1名です。お願いします」


「1名ですね。了解しました」


 厳重に閉ざされた鉄の扉が開くと、いよいよ哲矢は留置場へと足を踏み入れることとなった。


 中に入るとまず手錠と腰縄が外される。

 代わりに監視役は留置管理官が二人付くことになった。


 薄暗い蛍光灯に照らされた廊下には、10室くらいの白い鉄格子で区切られた部屋がずらりと並んでいた。


 留置管理官の指示に従って哲矢はそのまま直進する。

すると、室内の様子が少しだけ垣間見えた。


 鉄格子が目隠しの役割を果たして中にいる者の顔はよく見えなかったが、体格から察するにどうやら大人の男ばかりが入れられているようであった。

 Tシャツなどのラフな恰好でいる者からスーツ姿のこの場に不釣り合いな恰好の者まで彼らの年齢も様々であるようだ。


「見なくていいから」


 先頭を歩く留置管理官にそう注意をされるが、哲矢はどうしても気になって目が移ってしまう。

 自分はこんなところに入ってしまったのかという悲壮感よりも、未知の世界の一部に組み込まれてしまったという衝撃の方が哲矢の心に重く圧しかかった。

 

 その後、場内にある狭い小部屋へと通され、パンツ一丁で検査を受け終わると、哲矢は先ほどとは別の区画にある六畳ほどの殺風景な一室の前に立たされる。

 まさに座敷牢と呼ぶに相応しい外観だ。


 中に大人たちの姿は無く、おそらく自分よりも若いであろう見知らぬ少年が一人座っていた。


(さすがにいないか……)


 宝野学園の生徒と一緒に入れておくわけにはいかなかったのか、大貴の仲間たちの姿もそこには無かった。


「さあ、入れ」


 留置管理官に促されるがまま居室に足を踏み入れると、一つ空気が変わったように哲矢には感じられた。


 黄ばんだ畳の上には薄汚れた寝具が二枚敷かれており、その奥には簡易的に作られた便所が見える。

 先客の少年は掛け布団の上で漫画を読んで時間を潰していたらしく、哲矢が入ってきたことに気づくと軽く会釈をするが、それ以降は関心を失ったように目を向けることはなかった。


「もうすぐ消灯の時間だ。それまで大人しくしてろ」


 ガチャ。


 扉を閉めて留置管理官が去ってしまうと、辺りは静寂で包まれる。

 将人もこんな世界に一人取り残され、今も鑑別局の中で孤独と闘っているのだと思うと哲矢の胸には込み上げてくるものがあった。


「消灯ッ!」


 しばらくすると、留置管理官の大声が場内に響く。

 その合図と同時に蛍光灯の明かりも一段階暗くなった。


 早々に固い布団の中に身を忍ばせて目を瞑ると、今日一日にあった様々な出来ごとが走馬灯のように哲矢の脳裏に甦ってくる。

 だが、哲矢はそれから数分もしないうちに夢の中へと落ちていくのであった。

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