第275話 哲矢サイド-67
「……っ……」
クラスメイトを中心に多くの生徒がステージに立つ哲矢に向けて拍手を送っていた。
もちろん、それは教師も例外ではない。
仏頂面でステージを睨みつける者もいたが、半数以上は会場の空気に押されて手を叩いていた。
社家が戦意を喪失し、清川による放送も中途半端に途切れた今、教師たちの足並みは乱れ始めたようだ。
やがて、体育館のどこかから「もっと学園について俺たちでちゃんと考えようぜ!」という声が聞こえると、それに反応するように各所で声が上がり始める。
「みんなが安心して主張できる環境を用意しよう!」
「一部の連中の贔屓を見るのはもうこりごり」
「先生方、聞いてます?」
「私たちの手で言いたいことが言える状況にしていかないと!」
そのほとんどは生徒たちの声であったが、中には内省する教師の声も聞こえた。
「……確かに、我々は過渡期に来てるのかもしれない」
「やはり、体系の再編が……」
「この先は生徒会主導の機能をいくつか作るべきじゃないか?」
声はそのまま体育館全体から上がるようになり、仲間うちで議論を始める者や意見の食い違う同士で言い争いを始める者たちまで現れる結果となる。
中でも特に目立ったのは生徒たちによる教師への激しい罵倒であった。
それは、宝野学園ではタブーとされてきた行為であり、その光景には哲矢もさすがに驚きを隠せなかった。
清川や社家といったマストを失った今、学園内における教師至上主義の神話は崩れつつあった。
もはや、会場は収束不可能なまでに混乱していた。
とすれば、哲矢にできることは限られている。
哲矢は、演台に置いたままにしておいた警棒をそっと手に取ると、タイミングを見計らって警備員の輪をすり抜ける。
「んなっ……」
「――!」
「こ、こいつッ!?」
会場の異様な光景に目移りして完全に油断していたのだろう。
ほとんどの警備員は哲矢のその動きに反応できずにいた。
そのままの勢いで哲矢は警棒を振りかざし、標的に狙いを定める。
「うおぉぉぉッ!!」
花を押さえつけている警備員の後ろに回り込むと、哲矢は相手の後頭部に目がけて思いっきり警棒を振り抜いた。
「ぅぁガッ!?」
こちらの警備員もとっさの哲矢の行動に反応できなかったようだ。
短い悲鳴を上げながら、男は一瞬のうちに気絶する。
「て、哲矢君っ……!?」
「花っ! 走れぇぇ!!」
哲矢は伏せる恰好となっていた花の手を強引に取ると、一目散に左脇の舞台袖へと駆け込む。
もちろん、こんなところへ逃げ込んだところで安全とは言えない。
迫り来る追手のことを考え、哲矢は花を連れて音響調整室まで駆け上がろうとするのだったが……。
「そんなヤツらは放っておけぇェッーー!!」
突如、会場の方からそんな絶叫が飛んでくる。
顔を見に戻らずともそれが誰によるものか、哲矢にはすぐ分かった。
(清川ッ……!)
おそらく、急ぎ足で職員室から戻ってきたのだろう。
その苛立った言葉尻から、先ほどの放送が失敗に終わったことに焦りを感じているのが伝わってくる。
今の清川にとって事態の収束は何よりの優先事項であるに違いなかった。
邪魔者は一旦無視して、一刻も早く現状を回復したいという焦燥感が垣間見える発言だ。
それほど、現在の体育館は混乱の最中にあった。
すべて自分の責任だ、と哲矢は思う。
眠れる獅子を起こしてしまったのだから。
「こっちに!」
「う、うんっ……!」
哲矢は花の手を引いて袖幕の影に一度隠れる。
そして、混沌と化す会場の様子に目を向けながらふと思った。
もっと平和的に解決する方法があったのではないか、と。
そんな不安が手を通して伝わったのだろうか。
まるで、哲矢の心を見透かしたように花がそっと言葉を呟く。
「――誰かがきちんと言わなくちゃ、きっと前に進めなかったんだ。こうなる運命だったんだよ」
「花……」
「勇気を出して言葉にしてくれて……ありがとう。哲矢君がここにいてくれて本当によかった」
彼女は遠い目をしながらどこか懐かしそうに目を細める。
「…………」
その微笑みに目を向けながら、哲矢は舞台袖から狂騒の淵へと落ちていく会場の様子をじっと眺めるのであった。




