第272話 花サイド-35
花は演台の前に立つ哲矢の姿を見て、事態がいよいよクライマックスを迎えたことを悟る。
「こ、この女っ! さっきから大人をおちょくりやがって!」
「くぅっ……!」
だが、自分の身に起こっている状況は危険と言えた。
警備員の手から逃れようと格闘すること数分、ついに花は男を本気にさせてしまったらしく、顔をステージの床に押しつけられ、身動きの取れない状態となってしまう。
一方で哲矢はというと、警棒を手にしたことが功を奏したのか。
他の警備員たちは、彼の元へ迂闊に近づくことができなくなったようであった。
そもそも、警備員の男たちは雇われの身であり、個人的な感情に従って動いているわけではない。
清川が退席している今、これ以上具体的な行動は取れないのだろう。
教員席にいるのは戦意を喪失した社家と困惑した表情を浮かべる教師たちだけで、選管委員の面々も先ほどからステージの下に溜まってこの状況をどうするか考えあぐねている様子だ。
すでに会場には、哲矢の行動を止められる者は残されていなかった。
大貴だけがこの目まぐるしく主導権が入れ替わるステージに対して静かに目を向けていた。
(哲矢、君っ……)
花はステージの床に顔を押さえつけられながらも思考をフル回転させる。
これで舞台は完全に整ったわけである。
あとは直接この場で大貴に罪を認めさせれば花たちの勝ちだ。
だが、しかし――。
それこそが一番険しい道のりでもあった。
今回、将人の証言を得られたわけだが、彼の口から大貴の名前が挙がることはなかった。
脅迫文にしてもそうだ。
あれを書いたのは社家で間違いない。
けれど、大貴が関わっていたという証拠は何もない。
先ほどメイは、彩夏は大貴の意向によってTwinnerの暴露投稿をしたというようなことを言っていたが、これについても彼が指示をしていたという証拠はどこにもない、と哲矢は思う。
結局、大貴が裏で関わっているというのは、すべて憶測の域を出ていないのだ。
だからこそ、あとは大貴本人の自白が必要であった。
そのように考えた場合、どうすることがベストな選択と言えるだろうか、と花は思う。
ふと、花の視線は無意識のうちに教員席の方へと向く。
会場には依然として清川の苛立たしげな声が響いており、その言葉に右往左往する教師たちの姿も目立ったが、花の目は真っ先に社家へと向いた。
(……っ、社家、先生……)
今の彼は、面子を完全に潰された形で失意の中にあった。
その態度を見る限り、ほとんど罪を認めたようなものであると言えたが、まだ正式に彼の口から自白が聞けたわけではなかった。
だが、仮にここで社家の自白を聞くことができれば、大貴はその守りを失うことになる。
今の会場の雰囲気ならば、生徒たちのひと押しによって社家が自白する可能性は高い、と花は思う。
あれほど望んでいた計画が目前で実現しようとしているのだ。
予期せぬ出来ごとの連続ではあったが、皮肉にもそれが花たちの計画を一段階上のレベルへと押し上げてくれたようであった。
あとはそれをどう調理するか、哲矢の手腕に懸っていた。
不思議と花の中に不安はない。
一昨日の恐々とした面持ちで教壇に上がっていた彼の姿がもうそこにはないことがはっきりと分かったからだろうか。
会場を見渡す哲矢の表情は凛としていて頼もしささえ感じられる。
彼がゆっくりとマイクに口を近づけると、一瞬甲高いハウリングの音が体育館に響いた。
続けて清川の罵声に重なるようにして哲矢の声が聞こえてくる。
『――皆さん、突然、すみません。俺は一週間前に生田君の事件のために転入してきた関内哲矢って言います』
少しだけ緊張感がある。
しかし、そこに弱々しさがないことに花はすぐに気づいた。
『今こうしてこの場をお借りしたのは、どうしても皆さんにお伝えしたいことがあったからなんです。あと少しだけ、俺たちに時間をください』
そう哲矢が口にすると、あれほど騒がしかった会場の騒音は一瞬のうちにしてしんと静まり返る。
皆分かっているのだ。
フィナーレが近いということを。
けれど……。
この後、事態は誰も予想していなかった展開を見せることになる。
ただ一人を除いて――。




